羅生門腐爛プール

栄三五

羅生門腐爛プール

 冷蔵庫を開けて食材を確認する。あるのは豆腐ひき肉ねぎニンニク等々。何を作ろうか考えながらリモコンでテレビをつける。この材料だと麻婆豆腐ができそうかな。豆板醤はあっただろうか。...あった。もうすぐ母が総菜を買って帰ってくるが手早く作って食卓に花を添えてもいいだろう。シュシュで髪をまとめる。


 ねぎニンニクを切りひき肉と豆板醤を併せて手早く炒める。立ち上る湯気から香ばしい匂いと肉を炒める音が立ち上り、湯気の向こうからはテレビの朗読する声が聞こえてくる。芥川龍之介の羅生門だ。文学作品について芸能人がなんやかや批評する番組みたいだ。字幕とともに羅生門の一節を読み上げている。『...下人は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、鼻を掩った。...』テレビの字幕が目に入った。へー、腐爛ってこんな字もあるんだ。豆腐の水を切り、さいの目に切ってフライパンに投入する。腐乱って書くよりかわいいな。爛という字にFrancFrancみたいな可愛さがある気がする。腐爛犬秀多印。腐爛犬のフランちゃん。


 豆腐が煮立ってくると触感を変えるためにいくつか豆腐をしゃもじの腹で潰す。ぐしゃり。しゃもじの端から潰れた豆腐が出てくる。潰れた豆腐を見てると、なぜか今日行った部活の光景を思い出した。私は夏の大会のメドレーの選手から外された。最近練習に行けなかったから当然といえば当然だ。代わりにクロール担当は私の親友になった。

「最近サボってんだしいい気味じゃん」「先輩彼氏に振られたんだって、メドレーも外されるしかわいそー」

 そんなことを後ろでひそひそ話してるやつらに叫んでやりたかった。あいつが突然他に好きな子ができた、って言って一方的に別れ話を持ち出して!一緒に働いてたバイト先もやめて!空いたシフトの負担が私に来たから部活にも行けなかったの!そんなことを言ってもなんの意味もないけど。こんなこと考えてもなんの意味もないのに!助けてフランちゃん。


 完成した麻婆豆腐の味は可もなく不可もなかった。


 その夜夢を見た。私はゾンビ映画のゾンビみたいに肌がグズグズに腐って血みどろになっていた。そして競泳水着を着てプールの飛び込み台に立っていた。横のコースには親友がいて、プールサイドには私と同じく腐爛した部員たちがヤジを飛ばしていた。腐爛犬のフランちゃんもいる。意外と小型犬だ。かわいい!私と親友はホイッスルの音に合わせてプールに飛び込んだ。50m自由形だ。水面に浮上して手で水をかく。練習量が下がっているのに思った以上に体が動く。腐爛腐爛した体は柔らかく、柔軟に動き、大きく水をかいた。私が少しリードしている。元々私達のタイムはほぼ変わらない。私にブランクがあるとはいえ腐爛した体を生かした泳ぎはブランクを補って余りあるのだろう。プールの端まで来て一回転してクイックターン。このまま行けばリードを保ったままゴールできるだろう。


 しかし、30mも過ぎたあたりで右足にピキッという違和感が走った。水泳歴4年半の私には理由がすぐに分かった。右足が、もげている!強烈なフランキック(バタ足である)に私の柔肌(腐っている)が耐えられなかったのだ!まずい、と思う間もなく親友は私の横に並び、追い抜いていく。ああ、私負けるのか。目が腐っているせいで悔し涙もでない。息継ぎをするとき腐爛ちゃんが私に並走しているのが見えた。腐爛ちゃん応援してくれてるのにごめんね。私、また勝てな...腐爛ちゃんが口に何か咥えてない?……あれは、私の足だ!フランちゃん、落ちた足を拾ってきてくれたのね!腐爛ちゃんが大きく首を振り、咥えていた足を高く放り投げた。私がバタ足の勢いにまかせて右脚を掲げると、放り投げられた足は狙いすましたように掲げた脚にくっつき元通りになった。これで泳げる。ありがとう、腐爛ちゃん。残り10m。彼女のほうが頭一つ分速い。ラストスパートだ。渾身の勢いでフランキックを続け、ひたすらに手で水をかく。息継ぎをすると水面から跳ねた水と私から飛び散った血が競うように赤と青の線を描いては消えていた。


 気が付くと私はプールの端にタッチしていた。親友がこちらを向いて笑顔で拍手していた。私が勝った...の?ゾンビーズがブーイングしているようだ。無視無視。キョロキョロしているとフランちゃんがプールのそばまで寄ってきた。しっぽがちぎれそうなほどぶんぶん振っている。ありがとう、腐爛ちゃんのおかげで勝てたよ。興奮している腐爛ちゃんを抱っこして仰向けになって水面に浮かんだ。空を見ていると何もかもがどうでもよくなる。他人からの評価なんてどうでもいい。自己肯定は足と一緒に吹き飛んでいった。私は腐爛した私として生まれ変わったんだから。

 見上げる夏の日差しは強く、じりじりと肌を焼くようだった。額に腐汁が滲むが不思議と不快感はなかった。ハッハッという腐爛ちゃんの息遣いにせかされるように、腐爛した私の体から血と腐肉が溶け出し、プールを赤黒く染めていく。まるで私が水と一つになっていくみたいだった。泳ぎ着いた場所にもう私たちはいない。

 私は溶けかかった口で腐爛ちゃんに言った。


「明日は、ちゃんと練習行こっか。ね?フランちゃん?」

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羅生門腐爛プール 栄三五 @Satona369

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