許すこと

八日郎

許すこと

  息子、直道を産んだのは、もう二十五年も前になります。

  ちょうど今日のような、よく晴れた日の夕方でした。


  逆子でしたので、生まれるまでにひどく時間がかかりました。

  初産でわからないことだらけでしたので、出産についてあらかじめ調べていたこともたくさんあったのですが、陣痛が始まってからはそれどころではなく、どれも役に立ちませんでした。

  分娩室に入ってからは、助産師さんの言うことに、ただただ従うので精いっぱいでした。


  初めて経験する痛みに何度も気を失いそうになりながら、やっとのこと産んだ赤ちゃんは、とっても小さくて、でも、とっても生命力に満ち溢れていました。

  助産師さんたちの声がどこか遠くから聞こるように小さくなっていって、赤ちゃんの泣き声と、私の荒くなった息遣いだけが、私の耳に聞こえていました。

  感動したとしか表現できません。私は無意識に涙を流していました。


  赤ちゃんは、私の、決して大きいとは言えない両掌くらいで支えてしまえるほど小さいのに、息をして、鼓動があって、自分の力で小さな手足をばたばたと動かしていました。

 当たり前ではありますが、この子は生きているのだと感じました。

 次いで、私は母親になったのだという自覚と、生まれてきてくれてありがとうという小さな命への感謝が頭に浮かんで、すべてが赤ちゃんを愛おしく思う気持ちに包まれていきました。


 何か月間も私のお腹の中で一緒に生きてきた子が、外に出てきて、今はもうひとりで生きている。

 そう思うと、重たいお腹を抱えて生活した日々や、陣痛や、妊娠してからの辛かったり大変だったりした出来事なんて、どうってことないものだったように感じました。


 これから、この子のために生きていこうと思いました。

 私の腕に抱かれているこの子こそが、私の全てであるように感じました。


 元気に生まれてくれた可愛らしい男の子に、私たち……十五年前に別れた旦那と私は、直道という名前をつけました。まっすぐ素直に育ってほしいという願いを込めてつけたものです。


 私たちの願いに答えるように、直道は素直に真っすぐと育っていってくれました。

 明るくてはっきりした性格の直道は、親のひいき目なしでも友達が多い人気者であったように思います。






 あれは、直道が小学四年生のときのことでした。


 旦那は仕事、直道は学校に行ってしまった平日の昼、ワイドショーを見ながら洗濯物を畳んでいたとき、突然電話が鳴りました。

 電話は、直道の通う小学校からでした。

 学校から電話がかかってくるなんてことは、それまで一度もなかったので、大変驚いたのを覚えています。


 電話の向こうから聞こえる直道の担任の先生の、ひどく申し訳なさそうな「直道くんが、お友達と喧嘩をしてしまいまして……」という声に、私は、てっきり直道が怪我をしたのだと思いました。

 緊張と心配で、受話器を握る手の温度が、すうっと下がっていくのを感じました。

 しかし次に続いた先生の言葉は、「お友達に怪我をさせてしまったので」というもので、全く予想もしてなかった言葉に、私は、「まあ……」と返事をすることしかできませんでした。

 ひどく間抜けな声だったに違いありません。


 そのころ私は、直道の同級生のお母さんたちが、自分の子供のやんちゃっぷりに手を焼いていると話しているのをよく見ていました。

 困ったように、でも少しだけ楽しそうに自分の子供について話しているお母さんたちは、子育てをしているという自信と充実感に満ち溢れているように見えました。


 直道は本当に手のかからない子でしたので、私は、彼女たちを少し羨ましく思っていたのかもしれません。


 電話を受けた私は、直道がそんなことするなんて、とショックを受けていましたが、それ以上に、お友達と喧嘩をするなんて、と少し喜ばしい気持ちだったのです。

 ずっといい子にしてきた直道が、やんちゃなことをしたということに、少しばかり成長のようなものを感じていました。

 同時に、ほかのお母さんたちから感じる自信や充実感を、自分の中にも感じたように思いました。


 電話の後、直道と私、お友達とそのお母さん、担任の中島先生は、小学校の職員室の隣にある面談室に集まりました。

 小学校はちょうど下校の時間で、静かな面談室の中では、廊下を通る児童の声と、ぱたぱたという上履きの音がやけに大きく聞こえていました。


 直道が怪我をさせてしまったのは、同じクラスの学まなぶくんという、何度か家に遊びに来たことのある子でした。

 おでこの右側にガーゼを貼り付けている学くんの横に、グレーのスーツを着た学くんのお母さんが座って、私と直道を交互に睨みつけていました。 


 喧嘩の原因は、実に子供らしいものです。

 前日の国語の宿題が「自分の名前の意味を両親に聞いて、作文にする」というもので、その日の国語の授業は、その作文を発表するというものだったそうです。

 直道が「素直に真っすぐ育つように」という名前の由来を発表したところ、学くんが「スナオって、子供っぽいってことなんだぜ。おれはかしこくなるためによく勉強するからマナブなんだ」と発言し、そこからの口論が喧嘩になったということでした。


 最初に手を出したのは、学くんだったそうです。

 肩を殴られた直道は、学くんを両手で突き飛ばし、学くんはたまたま後ろにあった椅子に頭から突っ込んで怪我をしてしまった、ということでした。


 私は、釣り目の目尻を一段と高く釣り上げた学くんのお母さんに、「おたくはどうやって子供を育ててるの? うちの学にこんな怪我させて、どう責任を取ってくれるの?」と、激しく責め立てられました。

 中島先生は何度か、最初に手を出したのが学くんであったことを学くんのお母さんに諭すように言っていましたが、「学が悪いって言いたいの?」と、火に油を注ぐだけでした。

 嫌な思いをした直道に対しての謝罪がないことに、少しばかりの疑問も感じましたが、怪我をさせてしまったのはこちらですので、そんなことは言えるはずもありません。

 それよりも、可愛い我が子に怪我をさせられたお母さんと、痛い思いをしたであろう学くんに、本当に申し訳なくて、私は何度も謝り、頭を下げました。


 数時間前に芽生えた、やんちゃな息子を持った親の充実感など、とうに消え去ってしまっていました。


 その日の帰り道、私は、並んで歩いている直道に、喧嘩の訳を改めて聞いてみました。先生や、喧嘩の相手がいる前ではなかなか本音が言えなかっただろうと思ったからです。

 直道は、「『嫌なことを言われても叩かれても、本当に大切な友達ならやり返さずに許しなさい』っておかあさんは言うけど、ぼくは学くんが大切な友達だからやり返したんだ」と答えました。


 やり返さないで許すこともできたけど、そうしたらきっとぼくは学くんを、本当に心からは許せなかったと思うし、学くんと本当の仲直りはできなかった。

 素直に思ってることを言って、わかってもらってからじゃないと、ずっともやもやしていたと思う。

 学くんもちゃんとわかってくれたし、喧嘩の前より仲良しになれた。

 というのが直道の主張でした。


 しかし、結果はどうであれ、手を出して怪我をさせてしまったことは、心から反省しているようでした。


 私は直道に、「許すこと」と「相手を思いやること」を教えてきました。直道はそれを理解したうえで、考え、あえて喧嘩をしたというのです。


 たしかに、直道の言うことは道理にかなっているように感じました。

 私自身も、直道に教えている以上、「許すこと」と「相手を思いやること」を常に意識して生活していましたが、我慢したことによって自分の中にたまっていく暗い気持ちには、目を向けないようにしていました。


 直道の主張は、ただの子供の「やり返さなければ気が済まない」というわがままなものだったのかもしれません。

 しかし私には、しばらく何も返事ができなくなるくらいの衝撃を与えるものでした。


 自分の横を歩く息子の顔が、そのときばかりは妙に大人びて見えたのを覚えています。

 子育ては、子供を育てるだけではなく、親が子供に教わることもあるのだと気が付きました。


 子供は親の知らないうちに、大きく成長していくものなのでしょう。

 息子の成長を思うと、胸の奥が熱くなりました。


「学くんと仲直りできてよかったね」と言うと、直道はいい笑顔で「うん!」と返事をしました。

 頭をなでると、恥ずかしいからやめてよ、と赤い顔で、頭に乗った私の手を払いのけました。


 そのあとで直道はぽつりと、小さな声で「学くんと仲直りできたのはうれしいけど、学くんのお母さんは、なんか、嫌だったなあ」と言いました。

 どういう意味か聞くと、どうやら直道は、自分の息子が先に手を出したことを謝りもせずに、私を責めた学くんのお母さんに、腹を立てているようでした。

 私は、「大切な人に怪我をさせられたんだから、怒って当然でしょう?」といつものように「相手を思いやること」を直道に説きましたが、直道は「でも、もしぼくが先に手を出して、やりかえされて、ぼくの方が怪我をしたとしても、お母さんは謝ったと思う」と口をとがらせて言うのです。


 学くんとはお互いに謝りあって仲直りしたのに、母親同士の話し合いでは、私だけが謝っていたのが納得いかなかったのでしょう。

 私が我慢することで、息子が嫌な気持ちになるのであれば、私も振舞い方を考え直した方がいいのかもしれないと思いました。






 その日も、旦那が帰ってきたのは十二時過ぎでした。

 直道は、もう自分の部屋で寝てしまっていましたし、そのころはもう、直道と旦那が顔を合わせるのは、朝だけになっていました。

 帰ってきた旦那からは、お酒と、香水のような甘い匂いがしました。


 私は、疲れたと言ってリビングのテーブルについた旦那の、向かいの椅子に座って、その日あった出来事を話しました。

 旦那は、学くんのお母さんに言い返さなかった私が気に食わないようで、どうして謝るだけで帰って来てしまったんだと眉間にしわを寄せて言いました。

 直道に説いたことと同じような内容のことを話すと、旦那は私を気持ちの悪いものでも見るような目で見ました。

 もうずっとそうでした。旦那は、私に嫌悪感を抱いているような表情を、たびたび見せたのです。

 今はわかります。あの頃の私は、心底気持ち悪かったのでしょう。


 旦那は、私に腹を立てているようでした。その日はよほどお酒を飲んだのでしょう。いつもより酔っぱらった様子で、声のボリュームと感情がコントロールできていないようでした。

 旦那は私に、「お前は何でも許すよな。じゃあこれも、いいですよいいですよってサインするのかよ」と、テーブルに一枚の紙を叩きつけました。

 それは、すでに半分が記入済みの離婚届でした。


 私は息をのみました。同時に、ついに来てしまったか、と思いました。


 旦那は聞いてもいないのに、三年前から浮気をしていること、その日もその相手に会っていたこと、その人と結婚を考えていることなどを矢継ぎ早に話しました。

 私は、旦那の浮気に気が付いていましたし、その日、浮気相手の女性に会ってから帰って来ていたことにも気が付いていました。

 黙って話を聞く私を見て、終始旦那の目は、私に対する嫌悪をあらわにしていました。


 私は、直道もいることですし、浮気は見逃すから離婚はやめてほしいと話しました。私自身に足りない部分があったのなら謝る、とも言いました。

 それを聞いて旦那は、より一層顔を歪め、「本当に気持ち悪い女だな」と吐き捨てました。


 旦那とはそのまま離婚しました。

 旦那の気持ちは変わらないようでしたし、そのときは、旦那が浮気したのは私の責任だと思いましたので、引き留めることができなかったのです。


 旦那は、一緒に暮らしていたマンションの一室をそのままにして、自分の荷物だけまとめて出て行きました。

 直道は珍しく大泣きしました。出て行こうとする旦那の腕に、「行かないで、ぼくもっといい子になるから」としがみつきました。

 旦那は直道の頭をなで、「ごめんな」とだけ言って出て行きました。

 私は、玄関で泣きじゃくる直道を抱きしめ、「お母さんのせいでごめんね」と言うことしかできませんでした。


 旦那が出て行って、直道が寝てしまったあと、私はリビングの椅子に座って、テーブルに突っ伏して声を殺して泣きました。

 愛していたはずの旦那が他の女性の元へ行ってしまったことや、私のことを「気持ちが悪い」と吐き捨てたこと、息子をシングルマザーの子供にしてしまったこと、そのすべてが悲しくて、悔しくて、腹が立って、涙が止まりませんでした。

 私の何がいけなかったのか、考えても答えは出てきませんでした。


 そうしてしばらく泣いたあと、ふと、直道が学くんと喧嘩したときに言っていたことを思い出しました。

 もし旦那と、きちんと言いたいことを言い合うことができていたら、こんな風に最悪な別れ方をしなくて済んだかもしれない。そう思いました。


 流れていた涙は止まっていました。

 泣きすぎたのか頭がぼうっとして、熱がこもっているようでした。


 寒くて静かな、私しかいないはずの部屋のどこかから、「死ねばいいのに」と、冷たい声が聞こえました。

 声の出どころは、私でした。

 私はもう一度、「死ねばいい」と呟きました。何度も何度も、今まで口にしたことのない呪詛の言葉を呟きました。

 旦那なんか、私を気持ち悪いと嫌悪した旦那なんか、息子を捨てた旦那なんか、妻がいるのに浮気をした旦那なんか、死んでしまえばいい。妻がいる男に手を出した女なんか、旦那に離婚を決意させた女なんか、死んでしまえばいい。


「許すこと」と「相手を思いやること」を意識するあまり、心の奥底に隠してしまおうとしていた感情を、言葉にして外に出すたび、心が少しずつ軽くなっていくのを感じました。

 その日、心の中の暗い部分をすべて吐き出した私は、久々にぐっすりと眠ることができました。






 あの夜から、私は直道に「許すこと」と「相手を思いやること」を説くのはやめました。

 もちろん、この二つは大事なことではありましたが、直道はそれらの大切さをもう理解していたでしょうし、なにより、そればかりを意識していては、直道が私のようになってしまうような気がしたのです。

 直道には、私のような後悔はしてほしくありませんでした。


 旦那が出て行ってから、直道はより一層、手のかからない子供になりました。人を思いやることができて、母親思いの、どこに出しても恥ずかしくない息子です。

 今思えば、片親ということもあってか、直道には反抗期というものがなかったように思います。ええ、今までずっとです。

 きっと、母親である私に、心配をかけまいとしてくれていたのでしょう。


 旦那と別れてすぐの頃はさみしそうにしていた直道も、しばらく経つと「おかあさんがいるから、さみしくないよ」「おかあさんのことは、ぼくが守ってあげるからね」と、私の手を小さくてあたたかい手で握って、笑いかけてくれるようになりました。

 二人で外を歩いているときに、父親と一緒に歩く同級生などとすれ違うと、寂しそうな顔をしましたが、それを懸命に私に悟られないようにしているのもひしひしと伝わってきました。

 私がしっかりしなければと、自分を奮い立たせたのを今でも思い出します。


 父親のいる家庭の子に比べて、寂しい思いをしたり、不便な思いをしたりはさせたくありませんでしたし、私が全身全霊をかけて直道のためだけに生きよう、と思いました。






 直道が、恋人として紗耶香さんを連れてきたのは、去年のことです。

 直道が私に恋人を紹介するのは初めてのことでしたので、とても驚きました。照れ笑いをする、嬉しそうな直道を見て、私は心から幸せを感じました。


 直道と紗耶香さんは私に、結婚を考えていると話しました。自立して家族を持って、直道はこれからも幸せに生きていけるのだと思うと、嬉しくて涙が出ました。


 しかし、紗耶香さんは直道を裏切りました。紗耶香さんは、直道と同時に、既婚者の男性と関係を持っていたそうです。


 昨日、直道からかかってきた電話の内容は、紗耶香さんに浮気をされていて別れることになったという報告でした。

 電話の向こうの直道は、隠してはいるようでしたが、泣いていました。


 直道は、浮気は許すから別れるのは考え直してくれと彼女に話したそうですが、彼女は直道を欺いていた罪悪感から、別れることを決めてしまっていたのだそうです。

 私は、既視感のようなものを感じました。直道は、旦那と別れたときの何でも許そうとする私に、実によく似ていたのです。


 私は、最後に三人でご飯を食べようと、今日、直道に紗耶香さんを家まで呼んでもらいました。

 直道は、私が、息子の愛する女性に最後の手料理を振舞いたいと思っていると感じたようで、「母さん、ごめんな、ありがとう」としきりに言いました。


 紗耶香さんは、玄関に入る前に私に深々と頭を下げて、謝罪しました。


 私は、直道の好物のハンバーグと、紗耶香さんの好物だと聞いていたクリームシチューを、腕によりをかけて作りました。

 シチューを皿にとりわけ、私は、二人に見えないように隠れて、紗耶香さんのお皿にだけ殺鼠剤を入れました。もちろん、それだけでは致死量に至らないので、紗耶香さんの口にするもの全てに、殺鼠剤を少しずつ入れました。


 テーブルに並んだ私の手料理を見て、紗耶香さんは、「おいしそう」と、まるで人生最後の食事になることに気が付いているように、目に涙を浮かべました。

 私は、紗耶香さんの震える肩を抱いて、「直道を愛してくれてありがとうね、この料理は私の気持ちよ。さ、冷める前に食べましょう。座って」と椅子につかせました。

 紗耶香さんは涙を流し、何度もお礼を言い、謝りました。

 私や直道を裏切るような行為をしてしまったことを、心から悔やんでいるようでした。

 言い訳がましい紗耶香さんを見て、私は、直道の代わりに、心の中で何度も「死ねばいい」と呟きました。


 食事の間、直道も紗耶香さんも笑顔でした。食卓には、あたたかい空気が流れていたように感じます。

 紗耶香さんのお皿の料理が半分ほど減ったあたりで、紗耶香さんは突然苦しみだしました。彼女は床に倒れ込み、泡を吹いていました。華奢な体は痙攣していました。

 直道は慌てて紗耶香さんに駆け寄って、私に救急車を呼べと言いましたが、私は紗耶香さんの苦しむ姿から決して目を逸らしませんでした。


 しばらくすると、紗耶香さんは動かなくなりました。

 直道は、ただの人形になった紗耶香さんを抱きしめたまま、「母さんがやったの?」と恐怖と嫌悪の混じった目で私を見上げました。


 何も言わない私に直道は、「母さんは変わってしまった」と吐き捨てました。

 私に「気持ちが悪い」と吐き捨てたときの旦那の顔によく似ていました。


 私は、「あなただって変わってしまったわ。昔の私と、あなたのお父さんにそっくり」と答えました。

 直道は、「当然だろ、息子なんだから」と、旦那が出て行った時と同じように、大粒の涙を流して泣きました。


 私はそのまま、息子と息子の恋人だったものを置いて、ここに来ました。

 はい、今話したのは全て事実です。私は人を殺めました。どうぞ逮捕してください。



 彼女が、大切な息子の愛する人だからこそやりました。

 手を下すことなく許すこともできましたが、そうしたらきっと私は紗耶香さんを本当に、心からは許せなかったと思います。

 今、私は本当にすがすがしい気分です。しかし、結果はどうであれ命を奪ってしまったことは、心から反省しています。

 ええ、後悔はしていません。

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