明日のプロトコル

たぬ

第1話 ホットラテ


 ――これは一切AIを使っていません。信じてもらわなくても良いけど。



「想像力を養うため、未成年が使えるのはベクター線まで。たぶんこれ、作った人ふざけてたか相当な馬鹿なのよ」


 そう文句を言う彼女の顔を私はただじっと見ていた。

 季節外れの夏日に、うだるような熱気。

 風は吹いている。ただそれは例えるならドライヤーの弱である。

 街路樹が完全には日差しを遮らず、時折その光が向かいに座る少女の顔を照らす。

 端正な顔立ちに落ちる光と影は見ていて飽きるものではない。


 なんでこんな日に店内ではなくテラス席なのだろうか。

 それは今、目の前にいる「石井心結いしいここゆ」は汗をかかないからである。

 しっかし、先に席をとっておくにしても、もう少し配慮できないものだろうか。


「また電池切れてる」


 心結のその透き通るような声は人間には出せない涼やかな声、というのがキャッチコピーだった。

 とはいえサンプリング元は多分人間なのだけれど。


「私はあなたと違って充電式じゃありませんよ」

「暑そうにしているわりに、熱いものを飲んでいるのが本当に面白い」


 私はひたいに汗を浮かべながら、間違えて注文したホットラテをゆっくりと飲む。

 昨日まではあんなに寒かったのに。冬の訪れを感じる季節にまた夏が戻ってきた。


「すっかり油断したの」


 ニヤニヤとするする心結。楽しそうで何よりです。



 このままではばつが悪いので、私は「ところで」と話を戻す。


「言いたいことはわかるけどさ、でも大人たちの言うこともあながち間違ってないでしょ」

「無難なチャットボットみたいね」

 にこにこしながらまた何かを熱く語り出した。


 正直あまり興味のある話題でもないので、右から左へすーっと受け流している。


 今目の前にいるのは、おそらくは「おなじ女性」でおそらくは「同年代」の「人」である。

 生身に会ったことがない以上はおそらく、というのを使うのが適当だろう。


 心結はレンタル式のアバターを使っている。大体レンタサイクルの横に数台置いてある。

 あんなに雑で良いのだろうかと度々思うが、案外問題も無いのだろう。

 ただ、前に言ってたっけ。レンタルだけどこれを壊すと、お年玉2年分が飛ぶって。

 どんな換算なのだろう。



「最近見た面白い注意書きがあるのよ、ねえ、明夜あや、聞いてる?」

 ふと返事を求められ、ドライヤー弱の世界に戻される。

「どんな?」

「これはAIを使っていません!信じてください!って書かれていたのよ」

「叫びのようなものね」


 私はそう言い、残り半分ほどになったコーヒーカップを口元へよせた。


 等比級数的に発展したテクノロジーは、その基軸となるAIを始めとして、目覚ましい人類の発展に寄与した。と確か最近歴史の授業で聞いた。

 AIネイティブのわたしたちには、その最近の歴史を語る大人たちの複雑な表情の真意は分かるようでわからない。

 ある教師は芸術分野を独占されたと嘆き、ある教師は可能性が大幅に広がったと喜んでいた。


「垣根は――境界はますます曖昧になるのかもね」

 聞こえるか聞こえないかの声で呟いた後、口元によせたコーヒーカップに目線を落とす。


 その曖昧さというのは、このドリップアートが何だったのかわからなくなってきたようなものなのかもね。


「ねぇ、このドリップアートもAIだっけ」


 心結は身を乗り出し、私が傾けたカップに目線を落とす。

「AIと言うにはおこがましい、初歩的なプログラム――アルゴリズムよ」

 得意げに心結は続ける。

「理屈はちょーわかりやすく言うとドット絵よ。機械が元の絵をドット絵に変換してるの。だからよく見てみて」


「うわぁ」

 我ながら情けない声が出た。

 とろけて元の絵がわからなくなっても、ドット状にその残骸が確認出来る。


「なんか鳥肌が立った」

「涼しくなってちょうど良いんじゃない?」

 そういう彼女はひとしきり笑った後、さらに上機嫌に話を続けた。

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明日のプロトコル たぬ @tank_ai

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