第67話 愛は何乗にも。
お夕飯にみんなでお雑煮を食べた。おもてなしとは程遠いとは思ったけれど、粋先輩からのリクエストだった。
「聖夜が作ったお雑煮、美味かった。同じ醤油味のお雑煮なのに、俺が作るのとは全然味が違うんだもんな。びっくりした」
「ふふっ、僕はお雑煮を食べたのも初めてでしたからとても新鮮でした。僕のおねだりを聞いてくれてありがとうございました、聖夜くん」
「出た、金持ちムーブ」
「事実なのですから仕方がないでしょう」
片づけを手伝ってくれている2人。粋先輩は布巾でボクが洗ったお皿を拭きながら肩を竦めた。武蔵くんはニヤニヤと笑いながら、粋先輩が拭いたお皿を棚に仕舞っていく。
リビングの方から朝日姉ちゃんたちの生暖かい視線を感じることを除けば、とても心穏やかな時間だ。それにちょっと、未来を見ているようで幸福だ。
「聖夜、お昼に作っていたケーキは? いつ食べる?」
「ケーキ?」
「ちょ、朝日姉ちゃん!」
何でバラすの、と朝日姉ちゃんを睨むけれど、朝日姉ちゃんはヒュウヒュウと口笛を吹いて誤魔化した。全くもう。ついつい頬を膨らませると、今度は後ろからニヤニヤした視線と、キラキラした視線を感じる。
「聖夜くん、拗ねている顔も可愛らしいですね」
「聖夜、ケーキ焼いたのか?」
武蔵くんは目を輝かせて、グイッとボクに近づいてきた。思わず仰け反ればさらに近づかれて、いつものことながらドギマギしてしまう。
「武蔵くん。お姉様方の前ですからね」
粋先輩が武蔵くんの肩を叩いて止めてくれた。ボクはホッと胸を撫で下ろした。全く、心臓が止まるかと思った。
「武蔵くんは本当にお菓子が好きですね。ああ、なるほど。お夕飯では僕のリクエストを叶えてくれました。だからデザートで武蔵くんの好きなものを用意した、ということですね?」
図星を突かれて、ボクは目を泳がせた。目の前の粋先輩はニコニコと意地の悪い笑顔を浮かべている。優しいのに、意地悪。そういうところも嫌いじゃないけどさ。
「そうだよ。チョコブラウニー焼いたから! もう、お湯沸かすから、あったかいもの飲みながらみんなで食べよ。ほら、2人とも向こうで待ってて!」
なんだか恥ずかしくて堪らない。やかんに水を入れて火にかける間も熱くなった顔を冷まそうと必死だ。
「粋先輩と武蔵くんはコーヒーと紅茶、どっちが良い?」
「僕は紅茶を」
「俺も紅茶で良いか?」
「はーい」
みんなの好みに合わせて紅茶とコーヒーを淹れる。ふとリビングの方を見れば、ソファに座っているみんなの目がこっちに向いていて居たたまれない気持ちになる。
長いソファに姉ちゃんたち、2人掛けの方に達哉兄ちゃん、床に敷かれた座布団に粋先輩と武蔵くん。これはボクはどこに座るのが正解なんだろう。
「運ぶの手伝うよ」
「ありがとう」
スッと来てくれた達哉兄ちゃんの言葉に甘えて、お盆に乗せた5つを運んでもらった。粋先輩と武蔵くんも立ち上がろうとしていたけれど、朝日姉ちゃんが止めたらしい。
運んだコーヒーと紅茶を配ってもらっている間に、冷蔵庫からチョコブラウニーを取り出す。チョコ好きな武蔵くんのためにいつもの倍以上チョコレートが使われていて、これに気が付かれて突っ込まれたら恥ずかしいと今更ながらに思った。
作っているときは武蔵くんが喜んでくれる顔だけを想像していたから全然気にならなかった。だけどいざ見せるとなると、恥ずかしい。ひと月早いバレンタインを味わっている気分だ。
「バレンタイン、か」
あの時の絶望に突き落とされた感覚を思い出す。今日もし、あの時のような反応をされたら?
一瞬だけそんな考えが浮かんだ。けれどフッと笑ってしまった。2人はさっきも美味しそうに雑煮を食べてくれた。それに、2人がボクに嫌悪感を抱いた顔を向ける姿を全く想像できなかった。
急に距離を詰められて身体が強張ることはまだある。だけど今みたいに、1つずつ2人なら大丈夫だと心から思えるようになれば良い。きっと、そうなる。
「お待たせ」
7等分に切り分けたチョコブラウニーを持って行く。お皿をテーブルに置いて、1切れずつ取り分けた。それを全員に配り終えると、グイッと後ろに腕を引かれてボスッとソファに倒れ込んだ。
「いてて……達哉兄ちゃん?」
ボクの腕を掴んでいたのは達哉兄ちゃん。2人掛けのソファに並んで座っている状況だ。どうしてこうなっているのか、ポカンとしてしまう。
目の前で拗ねた顔をしている達哉兄ちゃんの顔をジッと見つめていると、突然達哉兄ちゃんが視界から消えた。そして代わりに、こめかみに筋を入れた朝日姉ちゃんの顔が見えた。言ったら命に関わるから口にはしないけれど、般若に見える。
「達哉。聖夜が怪我をしたらどうするの!」
「ごめん。だって聖夜が粋くんたちの方に行っちゃうんじゃないかと思って」
「そりゃ恋人の隣に座りたいでしょ」
「でも、聖夜の席はここじゃん」
ムーッと頬を膨らませる達哉兄ちゃん。ぶりっ子感があって、姉ちゃんたちはうげ、と顔を歪ませる。ボクはありだと思うけど、姉ちゃんたち的にはなしらしい。
「達哉が聖夜を大事に思ってくれてるのは分かってる。分かっているから今日もここに来て良いと言ったの。だけどね? 聖夜が幸せになる道を閉ざそうとするなら、たとえ達哉でも許さないから」
朝日姉ちゃんが達哉兄ちゃんをキッと睨みつける。室内の温度が一気に下がった気がする。ボクは2人の間から逃れるように粋先輩と武蔵くんの間に座り込む。それからは真昼姉ちゃんも夕凪姉ちゃんも、もちろんボクたちも気配を消すように黙った。
粋先輩と武蔵くんには申し訳ないけれど、日ごろ同じ方向を向いて走るパートナーのような夫婦である2人の話は必要な時間だ。その邪魔をして、2人が訣別するようなことをボクたちは望まない。
「本当に、聖夜を送り出すことが幸せなの? 今まで通り俺たちが守っていたらダメなのか?」
達哉兄ちゃんはジッと朝日姉ちゃんを見つめる。達哉兄ちゃんの言葉にボクは俯くことしかできない。家の外に居場所がなかったボクはずっと家族に守られてきた。姉ちゃんや達哉兄ちゃんがいなければ、ボクは今ここにいたかさえ分からない。
粋先輩と武蔵くんの手が背中に添えられて、ホッとする。家の外にできたボクの居場所。月ちゃんと星ちゃんとはまた違う、絶対的に守られる居場所。
「聖夜はもう、幸せになって良いの。自分で見つけた幸せを、掴んで欲しいの。私たちは当たり前にそれができるのに、私たちの気持ちを押し付けて聖夜からその選択肢を奪うようなことはしたくない。だから私は、それを邪魔する人間を許さない」
朝日姉ちゃんの覚悟が詰まった声に顔を上げる。その鋭い眼光が達哉兄ちゃんを貫く。それに同調するように真昼姉ちゃんと夕凪姉ちゃんは深く頷く。姉ちゃんたちの深い愛情に、ボクはどれだけ守られて支えられて生きてきたんだろう。
達哉兄ちゃんは朝日姉ちゃんをジッと見つめると、ふうっと短く息を吐いて両手を挙げた。
「分かった。3人の気持ちが固いことは分かったよ。3人が納得しているなら俺は何も言わない。朝日が聖夜をどれだけ大切に思っているのか知ってるからさ。本心ではどう思ってるのか知りたかっただけ。ごめんね」
達哉兄ちゃんはヘラリと笑う。朝日姉ちゃんは苦笑いを浮かべながら肩の力を抜いた。
「そうだった。達哉はそういうやつだった」
「そう。俺は朝日のことを1番愛してるからさ」
達哉兄ちゃんがキラリとウインクを決めると、朝日姉ちゃんはそれをひらりと躱した。達哉兄ちゃんはそれを見て嬉しそうに笑った。そしてボクの両隣で静かにしていた粋先輩と武蔵くんの方に身体を向けた。
「今日粋くんと武蔵くんと一緒にいる聖夜を見て、2人になら聖夜を任せられると俺は思った。くれぐれも。聖夜をよろしくね」
達哉兄ちゃんが深い闇を背負った笑みを浮かべると、粋先輩と武蔵くんはそれをものともせずに姿勢を正して頭を下げた。
「ちょっと、どうして達哉が1番にそれを言うの。粋くん、武蔵くん。私たちの大事な弟のこと、よろしくね」
「聖夜は家事もできて可愛くて優しいから。私たちから掠め取っていくなら、大切に守ってね」
「ちょっと真昼姉ちゃん、怖いから。えっと、粋くん、武蔵くん。3人で幸せになってね」
姉ちゃんたちも優しい笑みを見せてくれて、粋先輩と武蔵くんはまた深く頭を下げた。
「聖夜は怖がられて人が寄り付かなかった俺の傍にいてくれました。それから俺は聖夜に幸せにしてもらっています。俺も聖夜を、粋を幸せにするとここに誓います」
「人としてどうしようもなかった僕を芯から変えてくれたのは聖夜くんです。そして武蔵くんにもずっと支えられています。僕も聖夜くんと武蔵くんを幸せにすると誓います」
粋先輩と武蔵くんの言葉に胸が締め付けられる。
「ボクも2人にずっと支えられていて、ずっと引きずっていた過去を少しずつ克服できそうなんです。2人に支えられている分、ボクは2人を幸せにします」
ボクにだって覚悟はある。ボクも2人を幸せにする。
「3人の覚悟は分かった。交際も応援する。とりあえずケーキを食べようか。折角の紅茶とコーヒーが冷めちゃうからね」
朝日姉ちゃんは手を叩くと、みんなカップの中身を啜る。確かに少し冷めてしまった。だけどケーキも紅茶も凄く美味しかった。心がホッとする。
「食べたら順番にお風呂に入って、粋くんと武蔵くんは聖夜の部屋で寝るのかな?」
食べながら真昼姉ちゃんが発した言葉に、ボクも粋先輩も武蔵くん固まった。それを見た姉ちゃんたちには笑われてしまったけれど、それも幸せだと思った。
これからどんなことがあるか分からない。だけど3人で、支えてくれる大切な人たちと一緒に幸せになれる道を選んでいきたい。
【Fin】
愛の3乗。和 こーの新 @Arata-K
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