第40話 終
「カヌス、」
防護マスクを外そうと、マスクに手をかけたとき、遠くで何者かの声が聞こえた気がして、カヌスの動きが止まった。
分厚いグローブをはめた手が震える。
(…え、…え?)
それは、ずっと聞きたいと願ってきたからこそ、最後に幻聴として現れたのかもしれなかった。
(…そんなはずがない…)
だからこそ、絶望を恐れてカヌスは声の方を振り向けなかった。
「カヌス、」
「!」
しかし再び聞こえてきた確かな声。
「カヌス、」
「やめて! 期待させないで!」
カヌスは荒い息の中で吐き捨てるように言い放った。
眉根は寄って、顔は怒りに満ちている。
同時に涙で濡れていた。
「いやだ! 嘘だ! そんなわけない! …大尉が、大尉が来てくれるなんて、そんなわけない‼」
「カヌス!」
塞げない耳を塞ぐように蹲ったカヌスの背中を、何者かがそっと包んだ。
「遅くなってわりぃ、…一人にして、悪かった」
防護服越しだと温もりなど何一つ伝わってこない。しかし、カヌスには確実にその温もりは伝わった。
「大尉、…大尉、…大尉!」
「カヌス、もう大丈夫だ。…一人にして、ごめんな、」
「うわああああん、ああああん」
カヌスは蹲ったまま、背中を何者かに守られたまま、子どものように声を上げて、ただただ崩れるように泣き続けた。
* * *
有翼人亜種の死骸から発生した腐敗ガスが大地を覆う前。
サンディークスは、直属の部下であるクラルスより、第二大隊情報部隊の作戦が、カヌスを地下処理場へ投下するものから、避難シェルターへの誘導へと変更になったとの報告を受けた。
「それでカヌスはどうした!」
「ゲニウス少尉と行動を共に、」
「ちっ」
サンディークスはすぐさまゲニウスの行方を追ったが、避難場所である地下シェルター付近に現れたゲニウスの馬車にはカヌスの姿は既になかった。
「ゲニウス! カヌスはどこだ!」
「地下処理場近く、スペースの街で別れたきりで、」
怒りを露わに詰め寄って胸倉を掴むサンディークスに対し、ゲニウスは苦渋に満ちた顔のまま強く唇を噛みしめていた。
「くそ!」
勢いよくゲニウスを突き離し、再び馬に乗って駆け出しかけたサンディークスに、
「待て、サンディークス」
人民の誘導に当たっていた騎乗のウィリデが寄ってきた。
銀縁眼鏡が光もないのに鋭く光る。
「軍人たるお前は、国民の安全を最優先に行動するのが務めだろう!」
「……くっ」
「彼女は、最後にお前の身の安全を願っていたんだ。…愛した女の最後の想いだろ、汲んでやれ」
「知るかそんなもん!」
怒りに赤い髪を戦慄かせ、サンディークスは着ていた軍服の上着を脱ぐやいなや、大地に激しく叩きつけた。
そしてそのまま走り去った。
走り去るサンディークスの背中が小さくなるまで、ウィリデは目を反らすことなくその場で彼の行く末をただ見据えていた。
* * *
ゲニウスがカヌスと最後に別れたスペースの街へと馬を向けて駆けていたとき、サンディークスの後を追ってくる灰色の馬車が見えて、サンディークスは思わず馬の手綱を引いた。
馬を止めるやいなや、灰色の馬車も止まり、数名の男が駆け寄ってくる。
その馬車が、軍の後方支援部隊テネブラエのものであることはすぐにわかった。
「大尉! サンディークス大尉!」
そして一人の男が馬上のサンディークスに向けて大きな袋を手渡した。
「先ほどの話、立ち聞きして申し訳ありませんが、ぜひこれをお持ちください」
「………」
受け取った瞬間に、この大きな袋の中身を察したサンディークスは深く頭を下げた。
「すまん助かる。ありがとう」
「いえ。…どうか、…どうかカヌスを救ってください。」
テネブラエの面々も深く頭を下げる。サンディークスは再び感謝を告げると、風のように駆けていった。
* * *
ぼんやりと包みこむ灰色の世界の中で、二人は肩を並べて座り、大地から芽吹いた小さな双葉を見つめていた。
二人の分厚いグローブに覆われた手は、ずっと重なったままだった。
「………」
二人が生きている間に、大地が浄化されることはおそらくないだろう。
だがそんな当たり前の常識など、今の二人にはどうでもよかった。
「カヌス、そろそろ、…いいか?」
「はい。大尉」
やがて微笑みながら見つめ合った二人は、汚染された大気の中で、同時にゆっくりと防護マスクを外した。
了
世界をぼんやりと包み込むグレー みーなつむたり @mutari
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