夏祭り

まずは…………僕が命で遊ぶことが大罪であると思ったきっかけのような出来事の話をしよう。




僕は、金魚掬いが大嫌いだ。


普通の人は『金魚掬いなんてお祭りの代名詞みたいなもんじゃん』と思うかもしれない。

『夏祭りといえば金魚掬い』と言う人もいるかもしれない。


けれど。


僕にはあれが、人間が一方的に命を弄ぶ汚い遊びにしか見えない。


金魚掬いが好きな方や、まだ嫌いになりたくないという人はぜひ、ブラウザバックして頂いて構わない。

だってこんなの僕の中での『正しい』なのだから。

あなたの『正しい』が僕の『正しい』と同じであるかどうかは、これを書いている僕にはわからないのです。




あれは確か、まだランドセルを背負い始めてすぐの、本当に小さかった頃だったっけ。


僕は、祖母に連れられて電車に乗り、少し遠いところでやっているお祭りに行った。

田舎に住んでいる僕は、普段は見慣れない街並みにとてもワクワクしていた。



大好きなキャラクターの袋の中に入っているわたあめ、屋台に飾られていて思わず欲しくなってしまったお面、ずらりと並ぶ色とりどりのチョコバナナ、光を跳ね返して輝くリンゴ飴、道ゆく人たちが持っている水風船、初めて着た和服。

全てがキラキラで、とても楽しかった。



少し日が傾いてきたとき、弟が疲れてしまったので、もう帰ることになった。


その帰り道だ。


僕の目には、もう何年も経つというのに、本当に忘れられない光景が飛び込んできた。



真っ赤で綺麗な金魚が、歩道に植えてある木の下で死にかけていた。

入っていたであろう袋から、少しだけはみ出た状態で、水たまりの上で痙攣し、苦しそうに口をパクパクしている。

そんな姿を僕は見てしまった。

すぐ近くには先程通ってきた道にある屋台で見かけた焼きそばのゴミや割り箸が捨ててあり、その中にも少しだけ水が入っている。


当時の僕はそんな光景が本当に怖かった。


人間は、こんなに簡単に生き物の命を粗末にできるんだなと。


僕は思わず『ひぎゃあ!』と声を上げ、泣きそうになりながら、祖母に抱きついた。


でも、この光景を見て怖がっていたのは僕だけだった。


祖母は『怖くないよ』と背中をさすってくれた。

弟は……『なんだこれ』と面白そうに金魚を見ていた。


そして、道ゆく人の大半は、僕のことを邪魔そうな目で見てきた。


中にはその金魚に気づいた人もいた。

けれどもその人は『なんでこんなとこにゴミ捨てていくかな……』と言いながら去っていった。


なんということだ。

一つの小さな命が、今、ゴミと称されたのだ。


なんで?

こいつらだって必死に生きてんだよ?

掬われたとき、ポイの上で苦しんでいたんじゃないの?

乱暴に袋に詰められて、人間が持ち歩くから、歩を進めるたびに揺さぶられて。

挙げ句の果てには道端に投げ捨てられて……可哀想だとは思わないのか?


当時のことを考えるとそう思う、僕の感性は、正しいはず。


大人は、飼うための設備もないのに、なんの考えも無しに彼らの命を買い取った責任を取ることもしないのだなと。


そう思ってしまったのは間違いだっただろうか?

いや、今の僕はそんなわけは無いと思う。

昔の僕を全肯定している。



許せないと思っているのは金魚掬いだけでは無い。



あなたは『カラーひよこ』というものをご存知だろうか。

『ハヤロク』と呼ばれることもあるらしい。


昔、お祭りの屋台では、人工的に色をつけられたカラフルなひよこがたくさん売られていたらしい。

それも、一匹100円から200円の超絶安価で。


使用されるのは、主に雄のひよこである。


卵を産む目的で鶏を育てるための施設がある。

そこで雄のひよこが生まれると、卵を産むことはなく、食用の鶏であるブロイラーに比べて育てるためのコストが高くなるため、彼らは生まれた瞬間から価値がないと見なされる。

本来ならそういったひよこは、生まれた瞬間にミンチにされる。


ネットサーフィンをしていると、色ひよこは、そういったひよこを救済するために始めた…………と書いてあるのだが……


ひよこたちが辿る一途は、本当に残酷なものだ。


着色するときは、主に繊維用の染料を水で薄めて、ここにひよこを漬けるらしい。

乱暴な店はただのスプレー缶で色をつけるらしいじゃないか。

それだけでも絶対に苦しいはずなのに、ひよこたちはもっと苦しい目に遭わなければならない。

短時間で効率良く染料を乾燥させる為に、ひよこたちは、強力な熱風を浴びせ続けられるのだ。


自分の体は女性であると思っている人も想像してほしい。


まず、生まれてすぐに巨人が現れて、母親と引き離される。

そして、価値がないとみなされたら、巨人たちによって、染料のプールに無理矢理沈められる。

ようやく上がれたと思ったら超熱風のドライヤーを、こちらがいくら『暑いから嫌だ』と拒絶しても浴びせられるのだ。


そして、ハヤロクと呼ばれているのには理由がある。

『南無阿弥陀仏』が六文字であることから、死ぬことを『ロクる』と称し、カラーひよこは早く『ロクる』から、『ハヤロク』。



一瞬だけ素になっていいだろうか。


うん。怖い。痛い。絶対嫌。マジで嫌。



僕は、ひと昔前までこれが金魚掬いと同じくらい有名だったという事実が、本当に許せない。



なんだろう……やはり僕は、命で遊ぶのは許せない。


金魚掬いの目的はなんだろう。

しっかりとあとのことを考えて、飼うために金魚掬いをする人と、何も考えずに楽しそうだからと、その場のノリで金魚掬いをする人と、どちらの方が割合が多いか考えると、後者が多いように思えてならない。


カラーひよこの目的はなんだろう。

本当に、価値のないひよこたちを救済するため、なのだろうか?

苦しみながら生きるか、生きることを知る前にさっさと死ぬか。

僕の感性でいくと、どちらかといえば死を選びたくなる。



買った金魚が死んだのを目の当たりにしたとき、ひよこが弱っていくのを学校から帰ってくるたびに眺めなくてはならなかったあのとき、子供たちは何を感じたのか。

考えると残酷に感じないだろうか。


この話を書くにあたって、とある掲示板を見たときに、僕は少しだけショックを受けた。


『ニワトリになる前に死んで合理的』

『カラフルなひよこ見るだけで昔思い出して懐かしい気分になる』

『成鳥になったら卵産まないしうるさいだけで傍迷惑』


そういったことが当たり前のように書いてあったのだ。

なんだか……昔は、命で遊ぶのが当たり前だったように思えてしまった。



これからお祭りにいく人がいるのなら、よく考えてみてほしい。


その金魚、捨てませんよね?

育てるつもりで掬ってますね?


これからお祭りで売られていく愛玩目的の動物たちが掬われるだけではなく、救われるようになるといいなと思う。

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この世界はもっと命を大事にすべきだということを僕だけが知っているような感覚がしてならない Lemon @remno414

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