花冷え

西しまこ

第1話

 コートもマフラーも片付けてしまったら、ふいに足元から冷えがくるような寒さに襲われた。ブーツを履くにはもう時季が合わない。何しろ、桜が咲いているのだ。

「夜桜を見に行こうよ」

 匡はそう言ったけれど、寒いからあまり行きたくなくなってしまった。夜桜、寒いだろなあ。でも約束したから、とりあえず行く用意をする。……寒いからブーツは履いちゃおう。ショールをひっぱりだす。


 時間になったので、マンションの下に降りてゆく。いつもの場所にいつもの彼の車。

「お待たせ」

 あたしはするりと助手席に乗り込み、匡とキスをする。触れるだけのキス。「大好きだよ」っていう意味。あたしはこのキスが好き。

「どこに行くの?」

「お城の桜」

「え? 遠くない?」

「大丈夫。ドライブしよ?」

 匡は運転が好き。あたしは助手席が好き。車なら寒くないし。あたしはショールを外して、後部座席に置いた。ブーツじゃない方がよかったかな? と少しだけ後悔する。

 音楽を聴いたり何気ないおしゃべりをしたり。

 ああ、やっぱり来てよかったと思う。匡と会うとなんだかほっとするんだ。


 車をパーキングに停めて歩く。あ、やっぱり少し寒いかな。

「じゃ、行こう。夜桜コースっていうのがあるんだよ」

 匡はあたしの手をとり、そのまま手を繋いで歩きだす。匡の手、あったかい。


 お堀の桜を見て、城址公園へ。

「きれいだね」

「うん、きれいだ」

 ライトアップされた桜は幻想的でとても美しかった。


 天守閣にも行き、また桜を見る。

「……来年も来ようね」

 握った手に力を込めて、言う。

「うん、来ようね」匡はあたしに、そっとキスをした。

 桜の花びらはライトを透かして、群青色の夜に揺らいでいた。なんてきれいなんだろう。

 繋いだ手のあたたかさとともに、決して忘れたくない情景。

 花冷えで寒いけれど、なんかあったかい。あたしは群青色の夜の街の桜を眺めながら、匡の肩に頭を乗せた。寒いけど、ふたりでいるとあったかいんだね。


「泉、あったかい」「うん、匡も」「おれ、今日のこと、ずっと忘れない」「あたしも」


 お土産を見てから、駐車場へ戻る。

 繋いだ手のあたたかさ、そしてふわりと漂う彼のにおい。

 花冷えの夜に桜を見に行った。

 それは、とてもあたたかい想い出。



   了



一話完結です。

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