32

 ジルベールが王宮に帰った翌日、マノンは定例のお妃教育のために王宮を訪ねた。

 五日に一度ということにはなっているが、国の様々な公式行事やジルベールの公務の影響で日程は変わることが多々ある。

 今回はフェール公爵邸での火事やジルベールの不在といった理由で、日程がずらされた。

 王都は花祭りの準備がおこなわれている最中で、通りのあちらこちらがたくさんの花で飾られている。

 それらを馬車の中から眺めながら、前回王宮を訪問した際はリリアーヌを連れていたことをマノンは思い出した。

 この数日間でいろいろな事が起こりすぎた。

 ジンク伯爵家がどうなったのか、クレア・ボヴァンがどうなったのかといった報せは、いまのところ彼女の元までは届いていない。ジルベールに尋ねれば教えて貰えるだろうが、聞いて良いものかどうかもわからなかった。

(怒濤の日々が過ぎたわねぇ)

 楽しげに花飾りを店先に飾っている店員たちの笑顔をぼんやりと見つめつつ、マノンはため息をついた。

 気がつくと誕生日が過ぎていたが、家族全員が集まって祝ってくれた。

 火事で焼け落ちた温室はほとんどの植物が焼けてしまっていたが、なんとか助かりそうだという物だけ庭師たちが移植作業に取りかかっている。元の規模の温室を建てるのは費用的に難しい、とフェール公爵が苦虫を噛み潰したような顔で執事のサムソンと相談していた。元々、維持管理にかなりの費用がかかっていたので、もし温室を建て直すことになっても小さな物になるはずだ。

(リリアーヌがいると賑やかで、それなりに楽しかったのに……)

 すぐに泣き出す妙な子だと最初は思ったが、一緒に話をしている間に側にいることに慣れてしまっていた。

(偽者のリリアーヌだったなんて、残念だわ)

 リリアーヌが目的を持って自分に近づいてきたことよりも、彼女が偽者のリリアーヌ・オランドで、もう彼女とはリリアーヌ・オランドとして付き合えないことが心残りだった。ソランジュも「面白い人だったのに」とぼやいていた。

 本物のリリアーヌ・オランドは、マノンの手助けを必要としない令嬢のようだ。多分彼女は今後も自分を頼ってくることはないだろう、とマノンは考える。

 つらつらと考え事をしている間に、馬車は王宮の正門に到着した。

 馬車止めには珍しくジルベールがレオを連れて待ち構えていた。

「ご機嫌よう、マノン」

 馬車から下りるマノンに手を貸しながらジルベールが声を掛けてくる。

「ジルベール様、ご機嫌よう。どうしてわざわざこちらに? ちょうど通りがかったとか?」

「まさか。君を待っていただけだよ」

 暇ではないだろうことは、ジルベールが略式正装をしていることから判断できた。

 なにか公務があったのだろう。

「ようやく私の臣籍降下が決まってね。父から爵位と領地を賜ることが正式に伝えられたんだ」

「まぁ、そうでしたか。それはおめでとうございます」

 第五王子であるジルベールは、よほどのことがない限りは王位を継ぐことがないため、かなり幼い頃から成人後は王籍を離れることが決まっていた。ただ、なかなか家名や爵位、領地についてが決まらずにいた。

 ジルベールの部屋へと続く廊下を並んで歩きながらマノンは話を聞く。

「フェール公爵もなんとか納得してくれてね」

「父が?」

「いくら私が元王子でも、たいした領地を持たない男のところに娘を嫁がせられない、と公爵がごねてくれたんだ。おかげで私の領地は最初に父や大臣たちが決めていたものよりも広くなったんだ」

「そのようなことが……」

 喜んで良いのかどうかわからず、マノンは微妙な表情を浮かべた。

 ジルベールの部屋に通されると、真っ先に「誕生日おめでとう」と真っ白な鈴蘭の花束を渡された。

「ありがとうございます」

 誕生日に花を贈られるのは毎年のことだが、いつもはフェール公爵邸で催す誕生会の場で渡されていたので、なにか新鮮な感じがした。

「他にもいろいろと贈り物があるのだけど、なにから見せようか。やはり、領地の地図がいいかな」

 いつになくジルベールが嬉しそうに率先してあれこれと喋ってくれた。

 マノンが座り慣れた長椅子に腰を下ろすと、レオが紅茶と菓子を運んできた。

 ジルベールは書き物机の上に畳んであった紙束を手に取ると、それを円卓の上に広げる。

「先日のジンク伯爵令嬢の件だけれど、あれはキーファー公国の一部の人間が関わっていることが判明してね。クレア・ボヴァンは彼らに洗脳されて利用されていることがわかったんだ。クレア・ボヴァンはジンク伯爵の娘であることは間違いなかったのだけれど、ジンク伯爵は娘がキーファー公国の公女であった方が都合が良いと考えて、キーファー公国側の企みに乗ったらしい」

「まぁ、そうだったんですね。クレア嬢が気の毒ですわ」

「まったくだね。クレア・ボヴァンは保護され、ジンク伯爵は他国と通じていた疑いで逮捕の上、爵位は剥奪。まだ正式には公表されていないけれど、領地は没収ということになったんだ。父の主な目的は、ジンク伯爵家の領地を取り上げることにあったようでね。クレア・ボヴァンにキーファー公国の連中が近づいていることについては、内々に調査をさせていたらしい。その一環で、アルベリックがピエリック・フルミリエやリリアーヌ・オランドに近づこうとしていたそうだ」

 クレア・ボヴァンの茶番劇に巻き込まれる形となったピエリックとリリアーヌだが、結果としてクレアが公衆の面前で自分はキーファー公国の公女であると宣言する機会は失われた。マノンが悪役令嬢としての務めを果たさなかったからだ。

「あと、偽者のリリアーヌ・オランドに関しては、トネール伯爵邸にいるのを見つけたので参考人として出頭して貰ったそうだ。本人曰く女優だそうだが、クレア・ボヴァンから婚約者を奪われる令嬢の役をしろだの悪役令嬢と仲良くなれだのと指示をされて、迷惑していたと言っている。トネール伯爵もそのことについては把握していて、状況は父に報告していたので咎めはしないそうだ」

 結果、まったく状況を知らされずに醜聞に巻き込まれたのはミヌレ伯爵家だった。

 ピエリックは婚約者がいつの間にか偽者になっているし、クレア・ボヴァンには絡まれるし、婚約者を虐げている浮気者と評判を下げる結果となった。さらには偽者のリリアーヌを見つけるたびに本物の行方を聞きだそうと近づくと、自分の婚約者に暴力を振るおうとしたと言われて反対に叩きのめされる始末だ。

(状況だけ見ると、ピエリック殿って被害者よね。まったく同情はしないけど)

 レオは「兄に関しては自業自得と言いますか、誰にも相談せずに解決しようとした結果がですから」と冷ややかだ。リリアーヌが偽者であること初めて聞かされたレオは、兄に対してかなり人間不信に陥っているらしい。

「で、ジンク伯爵領は私が引き受けることになったんだ」

「そうだったんですか」

 ジルベールが王国内の地図を広げながら、指でジンク伯爵領の部分を叩く。

「かつてキーファー公国の飛び地領だったという曰く付きの地域だから、王家の直轄領とするか、王家に準じる家の者が管理するべきだろうという話になったそうだ。それで、私が貰うことになったんだ。ただ、それだけでは少ないとフェール公爵が文句を言ってくれてね。過去に他の貴族から没収して王家の直轄領になっていた土地も合わせて貰えることになったんだ。フェール公爵領にほど近い場所なんだけどね。あとで公爵から、私が貰った土地の一部は農作物はあまり育たないが未開発の鉱山があるから、公爵が鉱山に出資してくれると言われたんだ」

「その際の分配の交渉には、心してかかってください。父は結構お金には細かい人です。吝嗇家ではないですが、うるさいです」

「そのときは、君にお願いしようかと思っているんだが」

「もちろん、お任せくださいませ」

「フェール公爵と渡り合えるのは当面は君だけだろうからね。実は、先日からフェール公爵が王宮に泊まり込んでいたのは、私の領地問題の件だったらしくてね。父は公爵から、さっさとジンク伯爵から領地を没収しろとせっつかれてこまっていたらしい。そこに、ジンク伯爵令嬢の問題行動について進展があったと報告が入ったものだから、ようやく公爵は納得して帰宅したということだそうだ」

「父がジルベール様の領地について口出しするなど、差し出がましい……」

「私はありがたいと思ってる。私自身は五男ともなると、あまり実入りの良い土地を貰えないものだと覚悟していたからね。これはすべてマノンとフェール公爵のおかげだよ」

 ふっと笑みを浮かべてジルベールが礼を口にする。

「フェール公爵にしてみれば、将来的に有事が起きた際、私がフェール公爵側に付くという布石にしたいのだろうけどね」

「父の『独立する宣言』はあまり本気にしないでください。言ってみて、周囲の反応を確かめているだけなんです」

 テルドール王国の内政はそれなりに落ち着いているように見えるが、盤石ではない。

 それでも、ティユール七世は五男であるジルベールの臣籍降下にともない破格の待遇を用意したようだ。

 ジルベールが目の前に並べた書類を見る限り、三男であるアルベリックや四男が同等のものを得られる保証はない。

「フェール公爵の息がかかった私を、父王はさっさと市井に放り出したいらしくてね」

「そ、それは少々語弊があるかと……」

 ティユール七世にとって、ジルベールが自分と将来の義父のどちらに味方するかは判断が付かないのだろう。

「兄たちはまだ結婚していないのに、私には年内中に王籍を外れて貴族になって結婚して苦労しろと言ってきたんだ」

「苦労、ですか」

「フェール公爵との折衝をほぼ私たちがすることになるらしい」

「私、?」

「そう。

 ジルベールが繰り返したところで、マノンは重要なことを聞き流しかけたことに気づいた。

「そういえばさきほど、年内中にジルベール様は臣籍降下されると」

「年内に父から爵位と領地を授けられて、あと結婚する。準備で忙しくなる」

「結婚…………年内!?」

 ちょっと待って、と舌先まで出かかったところでマノンはなんとか飲み込んだ。

「年明けにはジュリエッタがカタラクト王国に嫁ぐから、年内に結婚式をするようにと言われているんだ。結婚前に王族から外れていると王家の公費で結婚式をせずに済むから、夏頃には爵位の授与式をしようかと内務大臣から提案されているんだ。それで、これが私たちの新居の見取り図で、これが領地にある屋敷の見取り図。屋敷の改装費がどのくらい必要かは実際に屋敷を見てみないとわからないだろうから、君と一緒に見に行こうと思っているんだが、いつが都合が良いかな」

「い、いつ!?」

 次々と目の前に出される見取り図や書類に、マノンは目を丸くする。

「ソランジュ嬢が言っていたじゃないか。物語の最後で、悪役令嬢は結婚するって」

「い、言ってましたけど、あれは物語の中の話ですし」

「現実の悪役令嬢も結婚することを世間は期待していると思うよ」

「世間って、別に世間ではわたくしが悪役令嬢と勝手に呼ばれていることを知っている人はほとんどいませんわ!」

「社交界ではすでに期待されているらしいよ。アルベリックがなんか面白可笑しく噂を流しているらしいから。あいつもたまには役に立つことをするなって感心したよ」

(それは正しくは情報操作というものです! 絶対になんらかの魂胆があるに決まってます!)

 なんか仕組まれている、とマノンはこの場にいないアルベリックに不満を募らせた。

「都と領地のそれぞれの屋敷は君への誕生日の贈り物ということで、君の名義にしておくよ」

「……なぜですか」

「フェール公爵から、贈り物が小さい男は器も小さいと言われたからね」

「父の言うことを真に受けないでください」

 状況が整理できずに目眩を覚えたマノンが額に手を当てたところで、なんの前触れもなく部屋の扉が開いた。

「あ! マノン! 来ていたのね!」

「フェール公爵令嬢、こんにちは! お目にかかるのは二度目ですね!」

 ジュリエッタ王女と本物のリリアーヌ・オランドが元気よく勝手に入ってきた。

「マノン! お兄様と結婚することが正式に決まったんですって? そういえば、なんでジンク伯爵令嬢はお兄様を浮気相手に選ばなかったのかしらね。わたくし、あれほどマノンを悪役令嬢にするなら騎士はジルベールお兄様よって教えてあげたのに」

「……は?」

「ジルベール殿下の攻略は高難度ですからね」

「……え?」

「ピエリック殿って、結構簡単に引っかかってたわよ」

「単純なんですよ。すぐ頭に血が上るし、周囲をよく見てないし、状況判断ができていないって言うか」

 なにやら、茶番劇の配役に口出しをしたような台詞が飛び交う。

「あ、これは結婚が決まったお祝いよ。リリアーヌに頼んでカタラクト王国まで買いに行ってもらってたの。なんと、甘蕉バナナの苗!」

「普通にカタラクト王国から輸入しようと思ったら荷物として送れないって言われたんで、わたしがわざわざ取りに行ってきました! 温室で育ててください! あ、こっちが育て方の手引書です!」

 木箱に入った鉢植えをリリアーヌはマノンの足下に置く。

 かなりの重量がありそうだが、リリアーヌは菓子皿を持つくらいの顔で持ち歩いていた。

「じゃあ、わたくしたちはこれで失礼するわ! あとはお兄様とごゆっくりー!」

 言いたいことだけ言うと、ジュリエッタ王女は元気良い本物のリリアーヌを連れて出て行った。

「……リリアーヌ殿は、半年ほど前からジュリエッタ王女の侍女をしているそうです。侍女というよりは悪友にしか見えませんが」

 唖然としていたレオが、こほんと咳払いをしてから説明する。

 どうやら同じ王宮内で働きながら、リリアーヌ・オランドが王女の侍女をしていたことを知らなかったらしい。

「リリアーヌって、ソランジュと仲良くなれそうな方ね」

 王女とその侍女の勢いに圧倒されながら、マノンは甘蕉の木に視線を向けた。

「……これを育てるには、温室が必要だわ」

「かなり大きくなる、な」

「甘蕉ですからねぇ」

「温室を建てるとなると……」

 ジルベールが腕組みをして頭の中で費用を計算し出す。

「まだ小さいうちは、鉢植えのまま室内で育てるので良いと思いますよ」

 なぜジュリエッタ王女はリリアーヌにわざわざカタラクト王国までこの苗木を取りに行かせたとかという疑問と、もしかしてジンク伯爵令嬢の茶番について知らなかったのは自分とジルベールだけだったのではないかという疑問が頭の中で渦巻く。

(いえ……もしかしたら、わたくしだけ知らなかったとか?)

 じっとジルベールを凝視しながら、マノンは考える。

「マノン? あ、そういえば君にもう一つ渡したいものがあったんだ」

 ぽんと白々しく手を打って、ジルベールは椅子から立ち上がる。

「はい、手を出して」

 ジルベールに指示され、マノンは素直に左の手のひらを出す。

 マノンの前にひざまずいたジルベールはその指をそっと掴んでひっくり返すと、薬指に指輪をはめた。

 銀の台座に深い緋色の紅玉がちりばめられている。

「誕生日、おめでとう」

「ありがとうござい……っ」

 礼を言いかけていたマノンは、ジルベールがいきなり指先に口づけたために言葉を失った。

「悪役令嬢は、そういうときは顔色を変えるべきではないと思うよ」

「わたくしはっ、悪役令嬢ではありませんからっ!」

(いま、絶対になにか都合が悪くなったから誤魔化しましたね!? 誤魔化すためにこんなことしましたね!)

 真っ赤になったマノンは助けを求めようとレオに視線を向けるが、さきほどまで近くにいたはずのレオの姿がない。

「レオ殿!? ちょっと、どちらに行かれたのですか!? レオ殿!? どなたかいらっしゃらないのですかっ! 誰か!」

 廊下まで響く声で冷静さを失ったマノンは叫んだが、部屋の扉をそっと閉めたレオは、警護のために立っている護衛兵たちに黙って目配せをしただけで返事をしようとはしなかった。

 もちろん、含み笑いを浮かべた護衛兵たちも微動だにすることはなかった。


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勝手に悪役令嬢呼ばわりされた上に、弟子ができました 紫藤市 @shidoichi

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