【番外編】 チャールズと愛するお嬢様
最初は、ただ利用するために近づいた。
いや、利用するって言うか、そこまで大層なものじゃないかもしれないけれど、気に入られれば便利だって打算はあった。
例えばお給金を上げてくれるとか、腕の良い医者を融通してくれるとか……
聖女様の力で、姉の病気を治してくれる、とか。
薬は馬鹿高いのにあんまり効かない。姉は日に日に衰弱していく。
姉がこんな風になったのは、ある貴族の所為だった。俺たちは両親を早くに亡くして、姉は俺を養うために毎日一生懸命働いてくれていた。
『チャールズはあたしと違って頭がいい。もっとちゃんとした教育を受けなきゃ』
姉はいろんな人に頭を下げて、その結果、ある貴族の屋敷にメイドとして奉公することが決まった。
姉は喜んでいたが、俺は複雑だった。
そのたった数ヶ月後。
姉はおかしな病気を移されて、帰ってきた。
『ごめん、ごめんねチャールズ、ごめん……』
勝ち気だった姉は、誰よりも弱々しい表情で、今にも死んでしまいそうだった。
元々近所の手伝いや神殿の掃除なんかをして日銭を稼いでいた俺は、その日から薬代のために一層働くようになった。
そんな時、街の人が噂しているのを聞いた。
姉は美しかったから、その貴族の目に留まって、手を出されたのだと。
何度も、何度も。愛人にしてやると言って、怪しげなパーティーにも連れて行き、姉に酷いことをさせた。
その結果、姉は病気を移された。なのにその貴族は、後は知らないとばかりに大した金も出さず、姉を屋敷から放り出し、売女だなんだと言って酷い噂を広めたらしい。
偉そうな貴族連中のことは元々何となく嫌いだったけれど、もっと嫌いになった。
俺は絶対、あいつらを許さない。あいつらを利用して、あいつらから金を巻き上げて、絶対に姉の病気を治してみせる。
そう誓って、割の良い仕事を必死で探すうち、事情を知ったエイデン侯爵家の使用人が、俺を屋敷に招き入れてくれた。
そして、お嬢様に出会った。
『初めまして。えっと……グレイス・エイデンです。こうしてちゃんと話すのは初めてね? 貴方の立派な仕事振りは、皆からたくさん聞いています』
綺麗な子だった。
病弱と聞いていた割には肌つやが良く、いつも頬は薔薇色で、声が綺麗で、輝く瞳は人間じゃないみたいだった。
この子に気に入られれば、エイデン侯爵にも気に入られて、もっと良い給金を得られるかもしれない。エイデン侯爵は娘を溺愛している、ってのは使用人の間で有名な話だったから。
俺は彼女に、特別愛想良くした。打算だ。全部全部打算だ。
でも、そのうち……
『チャールズ、見て。とても綺麗な花でしょう。ここからは庭の花がよく見えるの』『アニーがクッキーを焼いてくれたのよ。一緒にどう?』
『チャールズはとっても偉いわ。真面目で、働き者で、努力家で。私もチャールズを見習わなくては』
少しずつ、本当に少しずつ、惹かれていった。単純な話、彼女が話すことはいつも平和で穏やかで、それが貧民街で育った俺には新鮮に思えたのかもしれないし、欲しい言葉ばかりくれるのが心地よかったのかもしれないし、彼女が素晴らしく可愛かったから、ただそれだけかもしれない。
理由はいろいろあってわからない。ただ、好きになっていた。いつの間にか、好きになってしまっていた。
家に帰るのが惜しいと思うほど、俺は彼女に惹かれていた。
けれど、それを認めたくない、気持ちもあった。
貴族なんて大嫌いなはずなのに。あんな世間知らずの箱入りお嬢様を好きになるなんて間違っている。そう思うのに、気持ちは止められなくて、そんな自分が嫌で。
あの祭りの日。
姉の病状が悪化した。
朝から血を吐き続けて、医者を呼んでもどうにもならず、近所の人も来てくれたけれど何の手立てもなくて。
夜になっても一向に良くならない姉を見ているうち、怖くなった。
逃げるように屋敷に行って、グレイス様の部屋に向かって、泣きながら縋り付きたくなったのに、気づいたら、俺は――――――……
彼女に、どうしようもない、怒りをぶつけてしまった。
――――――――
――――――――――――――
「――――ズ。チャールズ!!」
名前を呼ばれて、顔を上げた。
俺の新しいご主人様が、呼んでいる。
「……ああ。何でしょう、シャーロット様」
「ぼんやりしてないでついてきて! 次はあの店よ!」
「買い物はもうよろしいのでは……?」
「そんな訳にはいかないわ! 折角こんなところまで来たんだもの。いっぱい買って帰らなきゃ!」
「やれやれ……」
シャーロット様はエイデン侯爵家の養女に迎えられた御方だ。
グレイス様のようなことがないように、今度こそ大切にしようと誓ったものの、最初に甘やかしすぎた所為か、すっかり調子に乗っている。そう、最初はもうちょっとお淑やかな令嬢だったんだ。それが……。
間違えた。傲慢で金遣いの荒い貴族。
これじゃ俺の大嫌いな貴族そのものじゃないか。
「ふふっ、早く早く! 早くしてってば!」
「わかってます! わかってますから……」
おまけに俺を振り回すのが楽しいらしい。……本当に困ったものだ。
めでたく農場の青年と結婚し、三人の子の母になった姉に相談したら、『ゆっくり見守ってあげなさい。それでもだめなら拳骨よ』と言われたが、さすがに令嬢相手に拳骨は無理だろ。
俺は両手に荷物を抱えながら、やれやれと橋を渡った。
グレイス様。
大切な大切な、唯一無二の俺のお嬢様。
愛するあの御方にもう一度会えたら、他には何も要らない。
何度も何度も神様に捧げた祈りを心の中で呟いた丁度その時、橋の向こうから来ていた誰かに、派手にぶつかった。
落ちこぼれ聖女は二度目の人生を謳歌するために 神田祐美子 @kyukyukyukyu
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