第一話 薄花桜、咲き誇りて色濃いし
五行『木』の精霊王である桜華とその護り人の常磐が住むこの神社はなかなかに広大だ。
その広い境内をずぶ濡れのまま縦横無尽に逃げまわる桜華を常磐が捕まえたのは、先の湯殿でのやり取りから約1時間も後の事だった。
鬼ごっこがかくれんぼになり、見つけては逃げられ、また鬼ごっこが始まりかくれんぼになっての繰り返し。
何せこの桜華という精霊王サマは暇さえあれば境内だけならまだしも山の中だろうが麓の村だろうがひょいひょい散策に出かけてしまい、鹿や狐といった山に住む動物たちと仲良くなって住処まで案内されていたり村では人助けをしたとかで村人からもてなしを受けていたりと一定の場所にいないことも多く、捕まえるのは至難の業である。
これは護り人の中でも最も苦労性と名高い常磐の言だ。
性格、行動パターン、思考、その日の気分、すべてを把握している常磐ですらそうなのだから、他の者が捕まえようものなら…推して知るべしである。
やっとの事で桜華を捕まえた時はお互いもうヘトヘトで正直休憩をとりたいくらいだが、時間は待ってくれない。
絶対逃がすまいとする常磐は、湯に入る前よりさらに冷えた桜華の身体を抱えたまま社の入り口をくぐった。
「帰ったぞ」
「あ、おかえりなさ……」
「おかえりなさい。長い鬼ごっこお疲れさまです」
「ほんとにな。
「出ていかれてからすぐ入れるようにしてますよ。桜華様も湯冷めしちゃってますでしょうし、風邪ひく前にどうぞ」
「助かる」
声をかけると奥から一組の男女が迎えに出てくる。
共に浅葱色の袴と白衣という神職の装束を着ており、短く白い髪と似た面差しをしていて、咲と呼ばれた女性のほうが少しばかり勝気な印象を与える。
ハキハキと受け答えしているのも咲のほうだ。
「ねえ、いい加減降ろしてくれない?」
「降ろしたらお前逃げるだろうが」
「否定はしないけど」
「しろ。あと学習しろ。…おい、どうした
「あらら、固まっちゃってる」
「たぶんそのお姫様抱っこのせいだと思いますよ」
そう、お姫様抱っこ。
それはいわゆるプリンセスホールドというやつだ。
はたから見ればイチャイチャしてるように見えるかもしれないが、本人達は至って真剣なのだ。
その証拠に桜華の背中と膝裏にある常磐の手はそれぞれ濡れた単衣を握っている。
笑いを隠そうともせず動じない咲にはもう慣れた光景なのだろうが、颯と呼ばれた男性のほうにとっては少しばかり刺激が強かったのか顔をほの赤く染めて固まっていた。
「仲が良いのは結構ですけど…濡れて重いでしょうし他の運び方もあったでしょう?」
「肩に担げば気分悪いと文句を言うし、背中に背負えばあやされてるみたいだとかブツブツ言うし、肩車すれば子ども扱いするなと怒る」
「なんで背負った後に肩車の選択肢が出るんですか?」
「あと俺の身体で出来る事といえば首根っこ掴むか引きずるくらいしか」
「…賢明な判断ですね」
「だろう」
「ねえ咲、いい加減降ろせって常磐に言ってくれない?」
「諦めてください桜華様。次から引きずられますよ」
「………やだ」
先述したように、御神体が桜の木であるこの神社は山の頂にあるにも関わらず意外に敷地が広い。
今現在、木の精霊王である桜華とその護り人である常磐の他に、狛犬の咲と颯が御使いとして暮らしている。
狛犬といっても普段は人型をしており宮司の着物を着ているので、人間としか思われない。
4人で住むには広すぎるこの神社。
手入れや有事の際は護り人の常磐だけでは追いつかず、狛犬の2人の手も借りている。
精霊も例外では、ない。
「桜華」
「なに?」
「お前、迎えの準備は昨日のうちに終わってるのか?」
「……」
「おい」
「………えへ」
「えへ、じゃないこのアホ!もうすぐ来るんだぞ!」
「まあまあ、私たちも手伝いますから」
「お前らも甘やかすな!だからこいつが学習しないんだぞ!」
この神社が広い理由。
それはここが他の精霊王達の拠り所、というかお茶会会場みたいなものだからだ。
桜木の宮がある御山は季節ごとに四季折々の花が咲き果実が実る。
それを鑑賞したり味わったりと他の精霊王が訪うことも多々あるのだ。
精霊王が動くとなればその護り人も動くのが必然。
なのでそのおもてなし一切をここの主である桜華が執り仕切る事になっている。
だがいかんせん木の精霊王である桜華は、花が開き芽が吹くこの時期は仕事が多く非常に忙しい。
仕方がないといってしまえばそれまでだが、仕事は仕事と割りきっている常磐はいくら精霊王であろうとも甘やかさないのだ。
…そう、たとえそれがお姫さま抱っこという至近距離で見つめあっていようとも。
「……」
「……」
「…はぁ、もういい」
「ふふ」
「結局常磐さんが折れるんですよね。いちばん甘やかしてるのは誰だって話ですけども」
「うるさい」
「じゃあ準備してくるわ。寝床の準備とー、お料理とお酒と決めてー、あと着いた時の足湯とー」
「全部じゃないか!…はあ、咲、颯、一緒に頼む」
「はい。ほら颯、行きましょ」
「……はっ!え、あ、はい!」
急ぎ準備に取りかかる狛犬2人の背中を見送り、常磐は自分の腕の中に視線を戻す。
自分の首に腕を絡ませたまま一向に離そうとしない桜華に、少しばかりの呆れを滲ませた。
「…もう手離してるぞ。降りて準備しろ」
「ふふ、もうちょっと」
「さっきまで早く降ろせと言ってたのにな」
「惜しくなったって言ったら、常磐怒る?」
艶めかしい笑みで常磐の左の首筋に指を這わせて、ピクリと揺らいだ身体に桜華は満足げに笑みを深くした。
そこにあるのは精霊王と護り人たる2人を繋ぐ印、揃いの桜の紋様。
「ふふ、お揃い」
「…今さらだな。どれだけ一緒に居ると思ってる」
「さあ。数えるのも億劫になるくらい長いわね」
いまだ笑みを溢す桜華の桜の紋様に常磐は意趣返しのように唇をおとす。
くすぐったそうに腕の中で身を捩る桜華が愛らしく、愛おしさがこみ上げる。
惜しいのは常磐も一緒なのだ。
「ねえ、くすぐったいってば…」
「……」
甘ったるい声に誘われるまま唇が触れていた首筋をきつく吸いあげて、桜の紋様に紅い口跡が重なったのを見た常磐は口の端を満足そうにゆるりと上げた。
「…ン、やだ常磐、跡つけたでしょ」
「悪いか」
「今から来客だって怒ったの常磐でしょ。どうするのこれ、隠れないじゃない」
「見せたらいい。来るのはどうせ知ってるお人たちだ」
文句を言いながらも桜華の顔はどこか嬉しそうだ。
社の奥からは準備に追われる狛犬2人の忙しないバタバタとした物音と、「桜華様ー!」「常磐さーん!」と自分たちを呼ぶ声が聞こえてきている。
これ以上は咲にも颯にも申し訳ないし、何より準備が間に合わない。
「呼んでるぞ」
「ん、常磐もね」
「桜華、お前迎えの時は正装しとけよ」
「どこにやったっけなあ」
「………」
「冗談だって。ちゃんとしますぅ」
「ならいい、早く行ってやれ」
「はいはーい」
「はい、は1回でいい」
「はーーーい」
「間延びすんな」
「はい!」
「よし」
その言葉を合図に桜華を抱えたまま常磐は玄関の
いつまでもこうしているじゃれている訳にはいかない、常磐にもやらなければならない事が山ほどあるのだから。
そのためにはまず湯冷めしきった桜華を風呂に突っ込み、そんな状態の桜華を抱えていたことで同じく冷えた自分も温まらなければと朝から2度目の湯殿へと足を向けた。
そして。
相も変わらず常磐の首筋にある印に指を這わせて反応を楽しむ桜華は、この後すぐに抱えられたままであったこと、ずぶ濡れのまま鬼ごっこという名の逃走劇を繰り広げたことを後悔する羽目になる。
「なんっであんたも一緒に入るの!?恥ずかしいから出てって!それか私が後でいいから!」
「夫婦なんだからいいだろ」
「そ、うだけどっ!明るいしやっぱりヤダってば!」
「大丈夫だ、俺はお前の隅々まで余すところなくじっくり見ている。安心しろ」
「ぎゃあああああ!!何を安心しろってんのよエッチ!!えっ、ちょ待って脱がないでバカァアアアア!!」
いくら夫婦であり幾度も共に夜を過ごしたとはいえ朝っぱらから肌を晒すことはさすがに恥ずかしかった桜華は諸々心底後悔した。
一方常磐は自分の単衣をサッサと脱いで、ついでと言わんばかりに暴れる桜華の単衣を難なく脱がせて湯船に浸からせる。
護り人として日々鍛錬を怠らない常磐の、細身でありながらもしっかりがっしりついた筋肉に桜華が勝てる訳もなく、ただ叫ぶしかできない。
うるさいですよ、夫婦なんだからいいじゃないですかと咲から冷静かつ絶対零度のお説教をされるまで言い合いは続き、ゲンコツをもらってようやくおとなしくなった桜華を湯船の中で抱き込みながら、常磐は桜華の首筋にある紅が重なった桜の印を眺める。
…その瞬間。
「……?」
じくり。
常磐は自らの首筋の桜にかすかな熱を感じていた。
【
薄い桜の花の色のようなほんのり紅みを含んだ白。
桜華姫精霊綺譚〜ゆるふわ精霊王はツンデレ護り人にわかりづらく溺愛されています〜 斉賀りお @RiRi626
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