桜華姫精霊綺譚〜ゆるふわ精霊王はツンデレ護り人にわかりづらく溺愛されています〜

斉賀りお

序章〜精霊王と護り人〜

 古来より自然界には『精霊』というものが存在するとされてきた。


 それは空に浮かぶ太陽や月だったり、猛り燃える炎だったり、流れる水だったり、咲き誇る花だったり、力強く伸びる樹木だったり、吹き抜ける風だったり、大地を形作る岩石だったり、それら全てを育む大地だったり。


 陰陽五行に属し森羅万象ありとあらゆるものに存在する精霊は人間の目に映る事はほとんどないに等しい。


 精霊は自然界にただ存在するだけであり、人間界への必要以上の介入が許されていないという決まりがあるためだ。


 性格的にも自由気ままな精霊も多く、それも人間の目に映らないひとつの要因なのかもしれない。






 だが、人間の中にはごく稀にその精霊を視る事のできる者がいる。


 視る事ができるだけではない。


 その強い霊力を持つがゆえに人間でありながら神域にも足を踏み入れることが可能で、精霊と一緒に過ごし永遠を共にすることのできる稀有な存在である。

 そんな人間を必要とするのが『木』『火』『土』『金』『水』に属するの精霊の頂点に立つ五行精霊王と呼ばれる精霊だ。


 五行精霊王はそれぞれ木火土金水と司る元素があり、人間界と自然界のバランスを調整するためにそれぞれ固有の強大な力を与えられている。


 その強大な力は精霊王ひとりでの制御が難しく暴走しかねないため、その制御の役割を強い霊力を持つ人間に担ってもらわなければ人間も自然も危険に晒すことになる。


 ゆえに精霊王は何処からかそういった人間を探し出し、自らのパートナーとしなければならない。


 そして精霊王は探し出し見初めた人間に「自らのパートナーである」という印を刻み、自らにも同じ印が刻まれることで初めて一人前の精霊王として認められることとなる。


 印はその精霊王が司る元素をあらわす紋様が、精霊王と人間どちらの身体にも同じ場所に浮かんでくる。


 例えば水の精霊なら流水の紋様、火の精霊王なら炎の模様と、どの精霊王のパートナーなのかがわかるようになっている。

 精霊は自由気ままではあるが一途な性分だ。

 精霊王も例外でなく一目惚れのような形でパートナーを決める。


 だが唯一と見初めた人間を力の制御に加えて精霊王の護衛といった危険に晒す可能性も十分にあるため、精霊王は印をつけることに対しては非常に慎重である。

 並大抵の覚悟で行えるはずのない行為だ。

 見初められた本人が望む望まないはあれど、精霊王に気に入られてしまった人間は精霊王にとって唯一であるので、最終的にはお互い同意の上でパートナーとなる。


 そして精霊王のパートナーとなった人間はその時点で成長が止まり不死となり、人間としての枠を外れて精霊王と同じく永い悠久の時を過ごしていく。

 精霊王に常に添い、有事の際には精霊王を守る最後の壁とならなければならない。


 最初はいくら望まなくても四六時中一緒に居れば情のひとつやふたつ移るというもので、これまでにパートナーとなった人間が関係を解消したいという話はない。



 そうして精霊王に見初められ、印を得てパートナーとなった人間。


 このパートナーを『護りもりびと』と呼ぶ。




 ❀✿❀✿❀✿❀✿❀✿❀




 遠く山の稜線から眩い朝日が顔を出し、徐々に明るく染まっていく空の下、肌寒い空気に麗らかな陽気を含んだ風が吹く。

 季節は春だ。


 とある御山の山頂にはポツリと一社の神社があり、名を『桜木の宮』という。

 桜木の宮の本殿裏には樹齢永い桜の木が1本、堂々といった風格でそびえ立っており、この宮の御神体として祀られているという由縁からである。

 御神体の桜の木は咲きそめの今は淡い薄紅の花びらを散らすこともなく、ひとつひとつの花の萼に向かって濃く色づき根付いている。

 その見事なほどたくさんの薄紅が咲く枝に座り、ゆるく綻んだひとつの花を優しい手つきで撫でる手があった。


「今年も綺麗に咲いてくれたね」


 響いた声は妙齢の女性のもの。

 鈴を転がしたような、至極嬉しそうな声音に応えるように桜の木が優しくさざめく。

 再び暖かな風が吹き、爪の先までよく手入れされた嫋やかな手が風に靡いた自らの栗色の髪を無造作にかきあげた。

 結びもせず風に流されるままに揺蕩う髪は、薄桃の単衣を着た女性の腰に届くほど長く緩やかに波うち、太陽の光を受けてより淡く輝きを増している。


「ああ、絡まっちゃった…やっぱり結んでくればよかったなあ」


 風に自由に遊んでいた髪のそのうちひと房が桜の枝に引っかかってしまい、女性は憂鬱そうに呟いた。

 枝を折ることはしたくないのか、絡まった自分の髪を枝を傷つけないように慎重に外しにかかる。

 しかし太陽の光を含んだ栗色の髪は非常に見にくく、次第に女性は面倒くささを表情に浮かべ始めた。


「……切っちゃおっかな」


 ぽそりと呟いた女性がおもむろに右手の人差し指と中指のみをたてていわゆるハサミのような形をとる。

 淡く艶やかな栗色の髪は彼女の自慢であるが、桜の枝を傷つけるくらいなら彼女にとっては安いものなのだ。


「いっか、また伸びるし」

「……おい、桜華おうか


 ハサミの形にした指をいざ髪に差し込もうとした瞬間に響いた低くドスの効いた声に、女性がビクリと肩を竦ませる。

 髪が固定され枝に座ったままおそるおそる目線を地上へと下げると、そこには黒い短髪に浅緑の単衣と黒の羽織を身にまとい腕を組んで、不機嫌を貼り付けた端正な顔と深い緑の瞳で女性を睨み上げるひとりの男性の姿があった。


「と、常磐ときわ……」

「そんなことしてみろ、絶対許さないからな」


 さらに低くなったその声に男性、常磐の機嫌が知れた女性、桜華はさらに身を縮こまらせた。


「だ、だって」

「だってもヘチマもない」

「ヘチマ!」

「うるさい足開くな中が見えるだろうが裾に気をつけろ」


 けんもほろろとはこの事をいうのだろうというくらい常磐は桜華の言を聞かないし、ついでに桜華が夜着の単衣という薄着でありながら足を開いている、女性としての恥じらうべき点まで指摘される始末だ。

 顔を真っ赤にしてサッと足を閉じ、ふるふると身を震わせた桜華は常磐を一発ぶん殴ろうと、枝に拘束されていた髪にハサミの形にした指を差し入れた。


「っ、バカ!やめろ!!」


 常磐の切羽詰まった声が聞こえたと同時に、桜華の手が横から何かに掴まれる。

 見ると桜華の手は大きな手のひらに包まれていて、さらにその先へと視線を辿ると常磐の焦ったような顔があった。


「…なぁに、常磐はそーんなに私に髪切ってほしくないの?」

「……っ」


 言葉に詰まった常磐を揶揄うように、意地悪く桜華は笑う。


「ねえ、常磐は私が髪を切るのをいつも嫌がるよね」

「…それがどうかしたか」


 桜華は常磐が桜華の髪を気に入っているのを知っている。

 だからこそ拗ねた子どものような物言いになる常磐に、桜華の口角がさらに上がる。


「ううん。案外可愛いとこあるんだなって思っただけ」

「は?」


 隙あり、と隣に座っている常磐の首に腕をまわしてしがみつき、首筋に顔を埋める。

 常磐特有の香にも似たいい匂いに混じって、ほんの少しの汗の匂いがする。


「そんな焦るほど私の髪が好きなんだなって」


 クスクス笑う桜華の吐息が常磐の首筋にかかる。

 常磐は諦めたようにひとつ大きく息を吐き、桜華の細い腰を片腕で引き寄せて抱くと、同じように桜華の柔い首筋に顔を埋めた。


「ン、くすぐったいってば」

「うるさい」


 くん、と嗅いだ桜華の甘い匂いになんとも言えない欲を唆られて、意趣返しとばかりに目の前の白い項にちろりと舌を這わせる。

 ピクリと跳ねる身体に構わず、項から後髪の生え際、筋を辿って耳の後ろと舌を這わせ、耳朶を食み、腰に添えていた手で背筋を辿っていくと、桜華の口から熱い吐息が漏れた。


「ん、っ……」

「……綺麗なんだから、勝手に切るなよ」


 ぶっきらぼうな言葉と裏腹に、真っ赤に染め上げた端正な顔を隠すように常磐は早々と地上へと降りていった。

 気づくと枝に絡まっていた髪の毛は綺麗にほどけていて、風にさらさらと靡いている。

 髪を切らせないと豪語した眼下の男が、器用なことに空いた片手でほどいたのだろう。

 痛くも引っ張られた感覚すらもなかったので気づかなかったと、桜華は変に感心してしまうのだった。


「ほら、いい加減降りてこい。メシにするぞ」


 背を向けたままかけられた言葉に桜華は目を瞬かせる。

 まさか知らないとでも言うのだろうかと、さも意外そうに。


「あら常磐、私がこんなところから降りれると思ってるの?」


 枝に座って裸足の足をプラプラと揺らしながらニッコリと微笑む桜華を振り返った常磐は「そうだった……」と額に手を当てている。


「お前なあ…いい加減懲りたらどうなんだ」

「んー、もう咲くかなって思って」

「高所恐怖症のくせにヒョイヒョイ登るなと何度言わせるんだ」

「……えへ」

「…………」


 腰に手をあて再び睨むと、途端に桜華がしょんぼりと俯く。

 助けを求めるようにちらりと視線を向けると、常磐の濃い緑の瞳が諦めたように眇められた。

 そして聞こえてきた大きな大きなため息。


「はぁ……毎年毎年懲りないなお前は」

「ごめんなさい…」

「誰が助けると思ってるんだ」

「常磐でしょ?」

「決定事項かよ」

「他にいないでしょ。だって…」

「俺はお前の『護り人』だって言うんだろう?わかってるさ、『精霊王』様?」


 そう、常磐は桜華の『護り人』。

 もう随分と長い付き合いになるし、いくつも季節を共に過ごしたが、この桜華という『精霊王』は一向に懲りるという事を知らない。

 高所恐怖症のくせに神社の御神体である桜の木に登っては降りれなくなり『護り人』たる常磐に助けてもらう、という事を繰り返しているのだ。

 特にこの時期はよくある光景である。


「お前の気持ちもわからなくはない、だが俺の負担も考えろ」

「ちゃんと蕾ついたかとか花咲きそうとか知りたいじゃないの」

「……はぁ」

「ため息ばっか吐いてると幸せが逃げるわよ?」

「助けてもらう立場のやつが言う言葉か」


 そう言って今一度大きなため息を吐いた常磐が上に向けて両腕を伸ばすと、桜華がぱあっと満開の花のような笑顔を浮かべた。


「ほら、受けとめてやるから。降りてこい」

「うん…!」


 座っていた枝からスルリと飛び降りる。

 下で待っていた常磐の腕にポスンと収まって、桜華は安心したように微笑んだ。

 高所恐怖症というわりに意外にあっさりと降りてきたが、これは常磐が絶対受けとめてくれるという安心感からの行動。

 特殊な例だがこの『精霊王』と『護り人』は、パートナーであり、恋人だからだ。


「そのうち俺の腕がもげるだろうな」

「失礼な。私そんなに重くないですぅ~」


 横抱きに抱えなおした常磐の首に桜華が腕をまわして、2人の密着度が増したその時、不意に常磐の眉根が寄る。


「お前……身体冷えてるじゃないか」


 どれだけの時間ここにいたのか、単衣越しの桜華の身体が冷えていることに今更ながら常磐が気づく。

 暖かい陽気だったから気づかなかったが、今の時間は早朝で、羽織もなく薄い単衣1枚を着ただけの桜華の身体は衣越しにもわかるほど冷えきっていた。


「はあ……」

「だって、最近暖かいし今日あたり咲くかなって思ってて…どうしても見たかったのよ…」


 常磐の深い深いため息と眉間のシワを見た桜華がおずおずと言い募るも、常磐はさらに深いため息を吐いた。

 いくら常磐が言ったところで聞いた試しがないのだ、呆れているというより常磐が折れるための諦めのため息だということを桜華は知ってか知らずか。


「あの、常磐……?」

「いい、わかってる。とりあえず風呂だ」

「…うん」


 桜華が自分の首にまわした腕に力を込めたのを確認して、常磐は居住区域の入り口へと足を進める。


「せめて草履か何か履いていけ。ケガしたらどうするんだ」

「咲いてるの見ちゃったらつい勢いで」


 てへ、と然程そこは気にしていない様子の桜華に、常磐は何度目かのため息を吐いた。


「ガキじゃねえんだ、なあご主人様?」

「あー!その言い方腹立つ!」


 華奢な身体のどこから、と思うような力でじたばたと暴れ始めた桜華を意に介さず、鍛え方が違うとばかりに常磐の足は入り口をくぐり抜け澱みなく廊下を進み、真っ直ぐに湯殿へと向かっていく。

 そんな常磐に桜華が不機嫌をあらわに頬を膨らませた。


「護り人さんも大変ね!私みたいなじゃじゃ馬がご主人様で!」

「……」


 桜華の拗ねた声にも常磐の足は止まらずに、とうとう湯殿へとたどり着く。

 両手で桜華を抱えているために、常磐は行儀悪くも器用に足で硝子戸をガラリと引き開け、いつの間にか沸いていた風呂の浴槽に桜華を単衣のまま放り込んだ。


「〜っ!ぷはッ!何するのよっ!」


 桜華の文句も最もだが、常磐も譲れないものがあるのだ。

 湯に濡れて透けた単衣の下、白い肌がのぞいているのを目に止めて、常磐はまたひとつ大きなため息を吐いた。


「桜華」


 夜を思わせる、艶めかしく深い声が突然響く。

 湯船の縁に腰掛けた常磐は揺れる栗色の瞳をのぞき込むと、おもむろに手を伸ばして桜華の左の首筋に指を這わせた。

 そこには先程見たばかりの咲き初めの桜の色をした、一輪の桜の模様。


「…ッ、あ」

「忘れるな」


 ちゃぷ、と揺れた湯に桜華の栗色の髪が幾筋も流れ浮かび、合わせたままの瞳がふるりと揺らぐ。


「俺はお前の『護り人』であり、『夫』であるということを」


 髪の一筋まで俺のモノだ。

 言外にもそう告げた常磐の左の首筋には桜華と同じ桜の模様がある。

 揃いの模様と常磐の言葉に湯船の中で顔どころか首まで真っ赤にした、自分が守護すべき『主』であり『妻』を見て、常磐は満足そうに微笑んだ。








 ここはとある御山の頂上にある神社。


 この神社には濃い緑の瞳と濡れ羽色の髪をしたひとりの美丈夫が宮司として勤め、神社の管理をしている。

 神官として最上位の衣を纏ったその男は幾年と年を重ねても不思議と歳をとらず、その美貌も相まって御山の麓の村々では人間ではなく妖の類いとも噂されている。


 祀られているのは栗色の髪と瞳をした精霊で、稀に女性の姿をとり宮司の男を伴って人里に顕れるのだという。

 またその精霊は『木』を司る精霊王であり、神社の御神体はこの世界が創成された頃から存在すると言い伝えられている樹齢長い桜木である。

 村に降りては気さくに人と触れあい、慣れ親しみ守り慈しむ、そんな女神にも等しい精霊を人々は親しみを込めてこう呼ぶ。


『桜華の姫精霊様』


 と。








「桜華、のぼせるからいい加減風呂から出てこい。身体拭いてやるから」

「いいってばもう!自分で拭くから!」

「いつまで拗ねてるんだ。仕方ないな、着替えも手伝ってやるから早くしろ」

「しょうがねえって何!?ひとりでできるし嫌々なら出ていってもらって大丈夫だから!」

「嫌なワケあるか、役得だし目の保養だ。出てこないなら力ずくだぞ」

「ぎゃあああ!変態ぃ!!ど、どこ触って……!!ちょっ、袷広げないで!!」

「ちょっとは色気のある声出せ。そうだな、昨日の夜のあの……、」


 バチーーーーーン!!


「常磐のアホ!ばか!!変態!!!」

「いって……、あっ!おい桜華待て!!廊下が濡れる!!」

「しらない!もう来ないでってば!!」


 賑々しい朝、永い歳月の中の日常。


 ーこのお話は木を司る精霊王とその護り人のお話である。

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