自由の森に隠したもの

クロノヒョウ

第1話



 正直言って毎日がつまらなかった。


 大学を機に都会に出て、やりたいことも夢も何も持たずにただ毎日をやり過ごしていた。


 社会人になってからも仕事を難なくこなす日々。


 これといった変わりばえのしない毎日がだんだん辛くなっていった。


 友達と遊ぼうが彼女ができようがどこか冷めている自分がいつもいた。


 つい先日も俺と一緒にいてもきっとつまらないからと言って彼女にさよならしたばかりだった。


 世間は春。


 新しい環境や出会いにキラキラしている人たちの声を聴きながら、俺の心は冷たく冷えきった冬のままだった。


 そんなある日のこと。


 突然田舎のじいちゃんから手紙が届いた。


 内容はどこか遺言状みたいな書き方で、俺に土地を譲るというものだった。


「いや、じいちゃんピンピンしてたじゃん」


 たまにお袋からじいちゃんが元気なことは聞いていた。


 俺がじいちゃんと会ったのは小学生の頃が最後だったが、明るくて若々しかったことは今でもよく覚えている。


 (一度行ってみるか……)


 俺は五月の連休に約二十年ぶりにじいちゃんの田舎に行く決意をした。



「待ってたぞ春彦はるひこ


「じいちゃん、久しぶり」


 記憶よりもずいぶん古く小さくなった家。


 でもじいちゃんの笑顔は記憶のまま明るくて優しかった。


 さすがに若々しくはなかったが。


 挨拶と近況報告的な会話を終え、さっそくじいちゃんとその土地を見に行くことにした。


 それはじいちゃんの家の裏にある森だった。


「春彦、お前が小さい頃は毎日ここに来て遊んでたんだぞ」


 そう言われてみると、確かに懐かしい気もしてきた。


 木々の香りや土の香りが鼻の奥でつんとする。


 森の中を走りまわっていた小さい頃の俺。


 頭の片隅にある風景はこの森だったのか。


「本当に覚えてないんだな」


「何を?」


「お前はこの森を自由の森と呼んでいたんだ。この森が、自然が大好きだった。引っ越しの前日は一日中森で過ごしていた。みんなが心配するくらいにな。ちょうどこの時期の、あれは春彦が八歳くらいだったか」


「へえ」


「暗くなる頃帰ってきてお前は言ったんだ。自由の森に隠してきたってな」


「隠した? 何を?」


「それを今から確かめるんだ」


 前を歩くじいちゃんの背中を見ながら俺は記憶をたどっていた。


 小学生の頃転校したのは覚えている。


 思えばその頃からだったかもしれない。


 何をやってもつまらなくなったのは。


「ほら、ここだ」


 振り返ったじいちゃんにハッとした。


「わっ」


 じいちゃんの後ろには少しひらけた草原。


 そしてその周りを取り囲むようにびっしりと桜の木が綺麗なピンク色の花を咲かせていた。


「桜……すげえ……」


「ここの桜は今がちょうど満開になるんだよ」


 埋め尽くされたピンクの視界。


 圧倒されると同時に俺の目から涙がこぼれた。


「じいちゃん……俺、思い出したよ」


「ん? そうか」


「じいちゃん、本当にここ、俺がもらっていいの?」


「ああ、もちろん」


「ありがとう、じいちゃん」


 俺はもう決めていた。


 この桜をたくさんの人に見てもらいたい。


 きっと桜たちもその方が嬉しいだろう。


 あの頃も子ども心に同じことを思っていた。


 でも引っ越しでもうここに来ることが出来ないと知った俺は、あの日確かにここに隠した。


「じいちゃん、俺、ここでカフェでもやろうかと思う。いや、やりたいんだ」


「おお、それはいいな」


「うん」


「それで? 見つかったか?」


 暖かい風が吹いた時、俺は胸いっぱいに息を吸い込んだ。


 そして頬をつたう涙をぬぐいながら言った。


「うん……俺はここに、春を隠してたんだ」


 この景色を記憶ごと、心ごと隠してしまっていた俺。


 だから俺は今までずっと冷たい冬のままだったんだ。


 じいちゃんはまるで最初から何もかも知っていたかのように「そうか」と言って笑った。


 たくさんの人たちが俺のカフェで嬉しそうに桜を見て喜んでいる姿を想像していると、春を連れてくるかのように桜の花びらがひらひらと一斉に降ってきた。




           完



 


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