第53話

 ガードの訓練が始まって二週間が過ぎた。

 任命式のあの日に、なんとなく彼女ができたような状態のヒロだったが、お互い毎日の訓練で疲れ果て、課題をこなすのにも精一杯で、簡単なメッセージのやり取りしかできていなかった。カフェテリアでの食事中や訓練中のちょっとした隙間に目が合うとお互いに微笑むという、初々しい関係に今はまだ留まっている。

 今まで休みだった土曜の午前中も訓練に割り当てられてしまったので、圧倒的に時間が足りなかった。

 三週目に入って、屋外で訓練を行うようになった。平野や裏山、川沿いで行う訓練は新鮮で楽しかった。自分の足で歩くことで、周辺の地理にも詳しくなった。

 ヒロたちは様々なロケーションで訓練しているが、他の分隊は既に任地が決まっているらしく、それに合わせて特定の場所で繰り返し訓練を重ねている。良い加減、飽き飽きだと、みんながボヤいている。

 その週の終わり、日曜日にヒロは初めてのデートをした。

 長い時間一緒に過ごしたいというヘゲの要望で、朝食も二人だけで食べることになった。少し遅めの朝食の時間、カフェテリアに人は少なかったが、何人かに好奇の目で見られてヒロは照れ臭かった。

 食事を終えた二人は、ヘゲの運転で街を出た。彼女が年上なのは分かっていたが、運転もできるとは思っていなかった。凄いなと思うと同時に、なぜか引け目のような距離のようなものを感じた。

 会話は途切れがちだったが、秋の晴れた日のドライブは心地良く、畑ばかりの景色を眺めているだけで楽しかった。親しい誰かと二人だけのドライブ。ヒロにはそれだけで十分特別だった。

 三十分と少し走ると、林の奥に湖が現れた。遠くの対岸には平坦な緑の線が見えるだけで、船も浮かんでいない。両脇はせり出した岸で視界を阻まれ、どこまで続いているのか見えないが、この湖はかなり広いようだ。

 夏場であれば訪れる人もいるのだろうが、今はヒロたちの他に誰もいなかった。

 スウェーデンの湖とは少し違うけど、なんか落ち着くんだ。ヘゲはそう言って、草まじりの砂浜に腰を下ろした。お気に入りの場所に自分を連れてきてくれたようだ。

 ヒロも彼女の隣に座って、遠くを眺めた。ヘゲの肩まで伸ばしたやや赤みがかった茶色の髪が風に靡いている。普段は後ろで束ねているので、いつもより大人びて見える。

 辺りを見回して誰もいないのを確認すると、ヒロはヘゲにキスをした。

 ヒロからも、キスしてくれるんだ。この前は私からだったし、あれ以来、そんな感じにもならなかったから、なんかヒロは別に私のことそんなに好きじゃないのかもとか思ってた。ヘゲはヒロを詰る感じで甘えてくる。

 そんな風に軽くイチャイチャした後、ヒロは砂浜に寝転がった。空には雲一つない。連日の疲れが溜まっていたせいか、いつの間にか眠っていた。

 高い場所まで登ってきた太陽に顔を照らされて、ヒロは目を覚ました。ヘゲは、まだ寝ていた。目が少し開き、口も半開きになっていて、すきっ歯が見えているが、寝ている。可愛いような、ちょっとブサイクなような。でも、それだけ気を許してくれているんだなと思うことにした。

 車から上着を取って戻ってくると、ヘゲに掛ける。余程疲れているのだろう、起きる気配もない。遠くを眺めたり、端末をいじったりしながら、ヒロは時間を潰した。


「ごめんヒロ、寝ちゃってた」


 ガバっと身を起こしたヘゲが大きな声を出したので、ヒロはびっくりして端末を落とした。

 そんな驚かなくてもいいのに。ヘゲがゲラゲラ笑うので、ヒロも笑った。

 空腹を覚えた二人は、郊外のモールまで戻ることにした。都心もないのに郊外というのもおかしな話だが。

 ハンバーガーを平らげ、ぶらぶらと買い物しつつモール内を一通り彷徨いた二人は、またドライブすることにした。

 行ったことのない方に行ってみようと、畑の間を通る道を北へと向かった。農道を右へ左へ折れながら進んだ。途中、小さな集落が二つ三つあった以外は、どこまで行っても畑だった。


「そろそろ帰ろっか」

「そうだね。どこまで行っても畑しかないんだね。日本でこんな広い所、ほとんどないから、ここって外国なんだなって思った」

「スウェーデンもないよ、こんな所。森と山はあるけど」

「森と山なら日本もいっぱいあるよ。でも、なんか楽しいね、こういうの」

「そ? 楽しんでくれたならよかった」

「友達が運転する車に乗ったことなかったし、面白かった。また、来週もこんな風に過ごせたらいいな」


 ヒロの言葉に、ヘゲが申し訳なさそうな顔をする。


「ごめん。来週の月曜から任務なんだ。前日は分隊で集まって、直前ブリーフィングと荷物の最終チェックとかあるから、無理なんだ」


 そっか。あまりにもガッカリした声が、ヒロの意に反して出てしまった。慌てて謝るヒロの頭をヘゲがゆっくり撫でた。


「任務が終わったらさ、特別休暇取れるでしょ。二人で休暇合わせてさ、土日ずっと二人だけで過ごそうよ」


 急に大人びた声色で誘ってきたヘゲの顔は、逆光でよく見えなかった。ヒロは、こっくりと頷いた。顔が火照っているのは、夕陽のせいではなかった。

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レフュージア 山田 真顔 @magaoyamada

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