熱帯魚の死んだ夜
浦島
第1話 熱帯魚の死んだ夜
30cm×30cmのガラスの立方体に、熱帯魚と水が閉じ込められている。枯れた水草が、水面に舞う。その葉の湾曲も、小指ほどの大きさも、エア・ポンプに翻弄される無力さも、私に一つの死を連想させた。
名前はサイアミーズ・フライング・フォックス。
あいつは多分死んだ。多分というのは死骸を見ていないからだ。最後に見たのは目が不自然に飛び出て、くの字に折れ曲がって苦悶する姿。一番大きくて、気性の粗いやつだった。大きいから苦痛もよく見えた。
昨日の夜、ああこいつはもう駄目だなと悟った。何もする気は起きなかった。以前瀕死のゴールデン・ハニー・グラミーを救おうと、別の水槽に隔離して薬を与えてやったことがある。あいつは平衡感覚を失ったように、風に舞い上がる木の葉のようにきり揉みして死んだ。
どちらにせよ殺すことになる。なら何もしないのが正解だ。手間は惜しむべき。悲しくても、悲しくても。
今朝、昼間、夕方、私は何度も確認した。無惨な姿を見たいわけじゃない。それでも看取ってやるのが責任というもの。細菌性の病気を持っているなら、早くその身体を引き上げなければいけない。それなら瀕死の時点で、生存を諦めた時点で、殺すべきだったのかもしれないが。
しかし、それは上がってこなかった。水面にぷかぷかと浮かぶことも、貪られ骨だけになって給水口に張り付くこともなかった。
まるで泡のように消えてしまったのだ。
水槽にしがみついてガラスを曇らせる私の隣で女が言った。
「ねぇ。私たちを悲しませないためにお空に飛んだんじゃない?」
あまりに馬鹿げている。何も言わず鼻を鳴らして立ち上がると、水中を照らすLEDライトが音を立てて消灯した。もう二十三時だ。私は慌てて風呂に入り、そこで夢を見た。
湯に沈んだ私の口から、ぷくぷく、ぷくぷく、泡がこぼれ出ていく。とても心地よい音だった。とても心地よい夢だった。
夢の中で私は水草の、頼りない葉になっていた。私の身体は骨が透け、血肉はすかすかになっていた。白くて細長い何かから水が溢れ出る。私はその勢いに驚く。身を捩って逃げる。
やがてお日様の白い光がとても濃くなったような色の、いい匂いのする何かが漂ってきた。私はそれにぱくつく。とても美味しかった。周囲に蠢く同胞たちの身は、こんなに純粋な味はしない。もう少し苦くて、もう少しざらついているのだ。私はそれを横取りされるのが許せなくなって、近くにいたものをつつきまわした。私はただただ貪った。
私の周りには誰もいなくなった。私の空虚な内臓から、食ったものが拡散されていく。私はとても心地よかった……
その夜、浴槽に沈んだ私は女に肩を揺さぶられて目覚めた。
「もう、私が気づかなかったら死んでたよ?」
眉間に皺を寄せて言う女を抱き寄せる。手のひらに柔らかく脈打つ鼓動、そしてバニラ・エッセンスの香りがした。
「生きてるよ」
私はそう言って女と仲良く眠りについた。明日は新しいサイアミーズ・フライング・フォックスを迎えよう。そう考えながら、女の白い肌を抱いた。それはまるで、死んだ魚の真白い鱗のように美しかった。
熱帯魚の死んだ夜 浦島 @haruhiro
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