おかえりなさい

シンカー・ワン

待ってる女

「ミラ、ずっとずっと好きだった。これからも一緒にいて欲しい」

「イース、あたしもおんなじ。ずっと一緒にいたい」

 あたしが十五の誕生日を迎えてから三日の後、彼が同じ歳になったその日の夜、あたしたちは想いを伝え合い、互いの初めてを与えあい結ばれた。

 

 城塞都市近くの小さな村に生まれたときからの幼馴染。一緒に育ち、大きくなっていったあたしたち。

 おんなじ年頃の子は何人かいたけれど、きっと結ばれるのはイースだろうと、幼いときから漠然と思っていた。

 それは叶った。

 大変な時代だけど、イースと一緒なら何とかなるだろう。

 夜が明けたら、村長さんと神父さまのところへ行って、夫婦になることを告げるんだ。

 成人したばかりの若すぎる夫婦だけど、それでも認めてもらえるだろうと思う。

 朝を迎えるのを楽しみに思いながら、あたしはイースの腕の中で眠りについた。


 そして、朝。

 ……あたしはこの日の朝の出来事をけして忘れることはないだろう。


 朝餉を終えて、村長さんのところへ行こうとふたりして家を出たら、庭先で待ち構えていたのはとても神妙な顔をした神父さま。

 驚くなと前置きをしてから、神父さまが重々しく告げたのは、あたしたちにとってひどく残酷な言葉。


 夜明け頃、神託が下ったと。

 イースがだと、神様からのお告げがあったことを。


 なんの冗談? ふたりしてそんなことを言って神父さまに詰め寄っていたら、豪華な二頭立ての馬車と、何人もの騎士さまたちがやって来て、王様からのお召しだとイースを無理やり連れて行った。


 それからはあっという間。

 神託は世界中の教会や王族に下りていたようで、勇者現るの一報は希望とともに世界に流された。

 希望。そう、勇者の出現はこの世界にとって希望だったの。


 今あたしたちの世界は、当代の魔王によって滅ぼされようとしてる。

 世界各国の騎士団や軍隊が魔王討伐に向かったけど、それはどれも失敗に終わってた。

 圧倒的な魔王の魔力と、魔物たちの軍勢に太刀打ちできなかったから。

 そんな強い魔王軍に、あたしたち人間がまだ滅ぼされず生きていられるのは、魔王が遊んでいるからだと言われてた。

 猫がネズミを玩ぶように、人間が苦しむさまを楽しんでいるのだと。

 あたしの父親も、イースのお父さんも、魔王軍との兵役に取られ、そしてそのまま帰ってはこなかった。


 そんな魔王を打ち倒せるのは、神様がつかわす勇者のみ。

 古い古い、昔からの言い伝え。

 あたしたち人間に残った、細い細い最後の希望の光。

 それは御伽噺のようなもので、誰もが本気で信じていた訳ではない、ただの心の拠りどころ。

 だったはずなのに、それは実現してしまった。

 イースという、あたしにとって最悪の形で。


 お城に連れて行かれたイースをあたしはすぐに追いかけた。

 城塞都市に入り、お城の門までたどり着き、イースに会わせてと訴える。

 だけど城中に入れてもらえるはずもなく、門番さんにしつこい女だと、何度も何度も追い返された。


 イースが連れて行かれて三日後、あたしはやっと彼を見つけることができた。

 白銀に輝く勇者の鎧に身を固めて、屈強そうな戦士と、魔法使い、神官を従えて、魔王討伐の旅に出る彼を。

 大通りを進むイースたちを見送ろうと城塞都市の住人達が道端に溢れかえる中、あたしはそれを潜り抜け、少しでもイースの傍に近寄ろうとする。

 だけど、警備する兵士に遮られて近寄ることは叶わない。

 それでも、イースが一番近くを通り過ぎようとした時、出せる限りの大声で彼の名を叫ぶ。

 あたしの声に気が付いてくれたイースが、あたしの方を見てなにかを言った。人々の歓声で聞こえなかったけれど、口の動きでなんと言っているのか、わたしには判った。


『待っていてくれ』


 イースはそう言っていた。あたしに向ける目にもその思いがこもってた。

 だから、あたしは待つことにしたの。

 村に戻り、彼の帰りをただ待つ、あたしの静かな戦いの始まり。



 イースが旅立って半年。

 勇者一行が海を渡ったって話が伝わってきた。


 一年後。

 海の向こうにある、何とかって王国が解放されたらしい。


 二年。

 魔王軍の勢力が増してきて、あたしたちの村も危なくなったので、村ごと城塞都市へと引っ越した。


 越して少しして病で伏せがちだった母が逝った。家族と呼べるのはイースだけに。

 都市での生活は厳しく、ひとりで待つことに少し疲れてきてた。

 あたしたちが初めて結ばれた、あの夜の逢瀬で子を宿せていたのなら、イースとの子供がいればと何度思ったことだろう。

 そんな無いものねだりをするくらいに、弱くなっていったあたしの心。

 淋しいよ、イース……。


 三年経過。

 魔王軍の重要な拠点がいくつもつぶされて、人間側が盛り返してきているって皆が口にする。


 四年目。

 その日、唐突に世界に蔓延していた重苦しい空気が霧散し、魔王軍が攻め始めて以来、晴れることのなかった空の雲に切れ間が射し込み、あたしたちは薄日ではない、何年ぶりかのハッキリした太陽の光を浴びた。

 誰かが叫んだ。魔王が倒されたのだと。

 それが真実かどうかは判らなかったけれど、都市の回りから魔物たちが姿を消し、凶暴化していた動物たちも本来の性質へと戻っているのが見られ、少なくとも危機は去ったのだと多くの人が口にし、固く閉ざされていた城塞都市の門も解放されることに。


 あたしは城塞都市を出て、生まれ育った村に帰った。

 荒れ果ててはいたが、一緒に戻った元からの村の人たちと何とかやっていけるくらいにまで立て直せた。

 これで、いつイースが帰ってきても迎え入れることが出来る。

 太陽が顔を出して三ヵ月後、勇者一行だった神官が城塞都市へ帰還。

 彼の口から魔王が倒されたことが王様に告げられ、長かった魔王軍との戦いが終わったと国中に知らされた。


 でも、イースは帰ってこない。


 神官が王様に伝えた魔王との戦いのあれやこれは王宮の兵士の口から城下へと漏れ、耳ざとい吟遊詩人たちが見事な英雄譚として国中に広めてくれた。


 大雑把に聞いた話だと、イースたちに追い詰められた魔王は勇者一行を自爆魔法で道連れにしようとしたらしい。

 けれど、その寸前でとどめの一撃を喰らい魔法が暴走。

 それに巻き込まれて、イースひとりだけが世界のどこかへ飛ばされてしまったそうだ。

 一行の戦士や魔法使いが城へ帰ってこなかったのは、どこかへ飛ばされたイースを探しているからだとか。

 神官も王様への報告が終わると、すぐにイースを探すため旅立って行ったと耳にした。


 それからさらに月日が経った。

 ――イースはまだ見つかっていない。


 五年目の春。

 城塞都市で働いていた経験を活かして、村で雑貨屋を開いていたあたしがいつものように営業中の看板を立てかけていると、後ろから人が近づいてくる足音が。

 振り返った先に立っていたのは、ボサボサの長髪に、ボロボロの衣服をまとった威丈夫。

 あたしと目が合うなり、そいつは照れくさそうに笑いながら、

「遅くなってごめんなー。世界の端っこあたりに飛ばされてさ、おまけに勇者の装備も力もなくなってて、帰ってくるのにすごく手間と時間がかかって……」

 なにか言い訳じみたことをぺらぺらと喋りだした。

 そんなへ、あたしはゆっくり近づいて言い捨てる。


「……先に、……言うこと、ある、でしょ?」


 強気に言ったつもりだけど、胸から溢れてくる思いで声が詰まる。

 彼は芝居がかった振りを止め、大好きだった優しい眼差しであたしを見つめ、この五年の間待ち焦がれていた言葉を――。


「ただいま、ミラ」


 その言葉にあたしは流れ落ちる涙はそのままに、くしゃくしゃの笑顔で彼を迎え入れるために大きく両手を広げ、ずっとずっと用意していた一言を返す。


「おかえりなさい、イース」

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