過ぎた春
棚霧書生
過ぎた春
窓を開けたら春風が吹きこんできた。花が咲く季節はとても健全で健康的な香りが漂っている。
新たな生活が始まる人も多く、心が踊るようなうきうきとした雰囲気と少しの不安がスパイスとしてきいている。春ってそんな季節。
木々は蘇る。鳥たちは歌う。自然はひかり輝き美しさが溢れている。春ってそんな素晴らしい季節。
僕以外にとっては。
僕は春が嫌いだ。優しい春風が頬を撫でると嫌でも自分が犯した過ちを思い出してしまう。あれは高校生のときのこと、僕が通っていた学校近くには大きな公園があってそこは桜の名所として有名だった。穏やかな春の日なんかには、大道芸のパフォーマンスがやってたり、重装備のカメラマンが写真を撮っていたりする。子連れの家族も、大学生のサークルグループも、老人会のお集まりも、とにかくたくさんの人が桜につられて公園を訪れる、そういう場所だった。
僕はいつも駅から高校に行く途中にあるその公園の中を通っていっていた。朝と夕方、平日は毎日。だから、もちろん桜の咲く時期も変わらずに公園の中を歩いていた。けれど、満開が近づくにつれ朝から場所取りをしている花見客が増えてきて、歩きづらかった。だから、一番大きな通りから一本ずれた道に入った。今、思うとそのまま大通りを使っていればあの人と僕は出会うこともなく、僕が春を嫌いになることもなかったのかもしれない。でも、僕はいつもと違う道を選んだ。そして、道の端っこ、花壇のそばにあるベンチに腰掛けている白いワンピースの女の人を見つけた。初めは綺麗な人がいるな、と思って通り過ぎた。その人は毎日、そのベンチに座ってじっとしていた。朝も夕方も、僕が登下校をする時間にはいつも見かける。しばらくはなにもなかった。いや、なにもしなかったというのが正しい。
僕は彼女を見つけてから四日ほど経ったとき、どうしていつもいるのか気になって彼女に話しかけてしまった。やめておけばよかったのにな。
彼女は最初こそ戸惑ったような顔をしたけれど、僕と話してくれた。彼女は僕の通っている高校を知っているみたいだった。下校時に声をかけたので僕が高校の制服を着ていたのも安心材料になったのかもしれない。彼女とは早くに打ち解けたと思う。クラスの女子よりもずっと話しやすかった。いや、話しやすいとは微妙に違う。彼女相手だと話が止まったり、言葉に詰まったりしても不思議と緊張や気まずさを感じなかった。居やすかったと言えばいいだろうか。僕は登校のときと下校のとき、必ず彼女とお喋りをするようになった。
僕と彼女は傍から見たら仲のいい恋人同士のようだったと思う。あんなに短時間で心を通わせ合ったと思える相手は初めてだった。彼女に年は尋ねなかったけれど、僕より少しだけ年上だろう見た目で、話も合う、僕が告白するのも秒読みだった。
「桜はいいなぁ」
彼女がやけにしみじみとつぶやいたのをよく覚えている。きっと僕はあのときの彼女と交わした、最後になってしまった会話を一生忘れられない。
「桜がいい……羨ましいってこと?」
「うん、綺麗でみんなの心に残って、すぐ散るの。潔くてカッコよくない?」
「桜には潔いっていう気はないと思うけどね」
「まあ、木ですから。でも、自然からインスピレーションを得て、人の生活に活かしたり、考えたりするでしょ。芸術とか生き様とかさ」
「アイドルの子で、短くてもいいから桜みたいに愛される人になりたいってテレビで言ってたの聞いたことあるな……」
「でしょ、でしょ」
「君は桜みたいになりたいの?」
彼女はちょっと黙って、曖昧に微笑んだ。そこで話は途切れて、僕らは一緒に桜を見ていた。
「綺麗だね」
僕は彼女の横顔を見ながら言った。彼女は返事をせず桜を見上げたままだった。
次の日、僕は登校のため、また彼女と会うために公園に足を踏み入れた。けれど、僕がいつものベンチに行くことはできなかった。規制線が敷かれていたからだ。公園の様子が普段と違っていた、物々しくブルーシートで覆われた一箇所に警察が集まっているようだった。見慣れた場所なのに、初めて来た場所のような変な感じがした。
朝は彼女に会えなかった。一応、辺りを見回すくらいはしたが、公園はゆっくりできる雰囲気ではなかったし、ベンチも使えなくなっていたから彼女が来ていたとしても、あの場に留まっているとは思えなかった。
その日はずっと気が昂っていた。ホームルームが終わったら飛び出すように教室を出た。だって、朝は彼女に会えていなくて早く顔を見たかったし、もしも、まだ公園から警察が引き上げておらず非日常の不穏さがあそこに渦巻いているのなら、彼女を別の新しい場所に誘ういい口実になる。僕は彼女と色んな場所に行ってみたかった。隣で歩いて、お互い話してもいいし黙っていてもいい。きっと楽しい。僕は、彼女に告白するつもりでいた。
公園は規制線が解除されていた。僕はベンチまで彼女を探しにいった。でも見つからなくて、ヤキモキした。ベンチの前に立っているとき男の人に後ろから声をかけられた。警察官だった。ご協力くださいと言われて、本当は彼女を探したかったけど、急いでいるわけでもなかったから、断らなかった。警察官の説明によると、どうやらこの付近の桜の木で首を吊った人がいるらしい。聞き込み調査というやつだ。テレビでしか見たことがないそれを実際に自分が受けているのはドラマの端役になったような気分だった。あんまり現実感がないような、輪郭がぼやけているような感じ。警察官が懐から出してきた写真に今回亡くなった人が写っていた。ますます、ますますリアリティが僕の中で失われていった。
写真に写っていたのは彼女だった。
桜の花びらが目の前を横切っていく。春の風が無情にも、僕の目と鼻の先に桜の思い出を運んでくる。やめてくれ。やめてくれ。
春よ春よ……もう許してくれ、どっかいってくれ、桜はすぐ散るくせに一年後にはまた咲きやがる、勘弁しろ、散ったままでいて、あの人のように、二度と僕の前に姿を現さないで、じゃないと思い出してしまうんだ。お願いです、どうか僕に春を忘れさせてください。
過ぎた春 棚霧書生 @katagiri_8
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