崇拝者
杠明
崇拝者
三年も付き合っていた彼女に振られてしまった。
大学の時に付き合い、将来は結婚も考えていた人だった。
真っ先に自分に降りかかった問題は以外にも物質的なものだった。
彼女が出て行ったことにより、同棲していたマンションの家賃は社会人一年目の自分の給料には荷が勝ち過ぎていた。
経済的にかなりの無理をして引っ越した。
事情を知る学生時代の友人や職場の同僚が気晴らしに遊びに誘ってくれるが財布の中が寂しく泣く泣く断っている。
部屋に戻り金もないのですることもなくボーっとしていると彼女のことを思い出して涙がこぼれる。
引っ越しで慌ただしい時期は思い出すことも少なかった。
だが金もなく時間だけがる今はそうもいかなかった。
好きだった漫画を読んでも空虚。
テレビを付けてもただの環境音。
何かしていても何もしていなかった。
恥ずかしさからか職場では事情を隠していたが人の口に戸は立てられぬもの。
先輩である
「
「ええ、なんとかなってます」
無理です、とも言えるわけがない。
「いや愚問だったね、すまない。次の土曜日時間あるかい? 山川君をある所に連れていきたいと思ってね」
どこにも行く気はしないが先輩の頼みである。
「あの、僕今……そのですね」
「ああ、大丈夫お金がかかるところじゃないし、足は僕が出すよ」
土曜日、佐藤先輩は車でアパートまで迎えに来てくれた。
車の中では他愛もない世間話に相槌を打っていた。
「着いたよ、ここだよ」
着いた場所はホテルとも大学とも似てる施設だった。
エントランスの看板を見ると「A会館」とあった。
A教は最近ではあまり聞かなくなった仏教系の新興宗教だ。
「山川君は嫌な顔しないんだね。他の人は嫌な顔したり、入る前に帰ったりと散々だったよ」
出来れば僕も帰りたい。
面と向かってそれを言う勇気がないだけだ。
「今日はね、
会館の中は大小多くの部屋があった。
その中でも最も大きい「本臨堂」という名の部屋に連れられて入った。
中は軽く三百人くらいは収容できそうな大部屋だった。
準備されていた椅子に座っていると次々と老若男女様々な人が入ってきて各々椅子に座り談笑し始めた。
そして部屋の半分くらいが埋まった時アナウンスが入り、部屋の前方にある教壇のようなところに橘と紹介された男が立って挨拶をした。
和服でひげを伸ばした初老くらいのイメージをしていたが、橘は二十代か三十代くらいの見た目で小奇麗なスーツに身を包んでいた。
彼の話は当り障りのない物ばかりで特に響くものはなかった。
彼の話が終わってお開きかと思いきや座談会が始まった。
僕のグループでは佐藤先輩の他に零細企業の社長の
そこでは宗教的な話はまったくされず、身の上話に始終した。
「山川さんは佐藤さんと同じところに勤めてるのですよね?」
ずっと黙っていたが気を遣わせたのか京川さんに話題を振られてしまった。
ぽつりぽつりと自分のことを話し始めると止まらなくなった。
知らない人だからこそ話せるとこともある。
それに三人の相槌と質問の仕方が僕の言葉を次から次へと引き出す。
「どうだった? また連れてこようか」
帰りの車の中で佐藤さんが僕に聞く。
「いえ、もうその必要はないです」
「そうか……」
「次は一人で来ますから」
あれから何度かA会館の座談会に参加してA教のことがわかってきた。
意外にも戦前からある宗教であること。
入信も退会も書類手続きだけ済むこと。
橘さんが僕の住むB支部の責任者に就任したこと。
その日の帰りに入信手続きの書類をもらった。
正直A教に帰依しているかと聞かれると怪しい。
しかしここにいる人たちはいい人ばかりだ。
その人たちと同じコミュニティに所属すると考えれば悪くない。
僕は必要なサインを済ませ会館の受付に提出した。
A教に入信し一年が経った。
週一で会館に通い、多くの人と話すようになった。
自分の悩みなんて小さいと思えるくらい大きな問題を抱えてる人が僕の話を真剣に聞いてくれる。
僕も他人の悩みを聞くようになった。
誰かの役に立てる、これほど自己肯定感を高めてくれることはない。
「山川君、最近よく来るね。ここが気にいってくれたようだね」
本臨堂を出て帰ろうかというときに橘さんに声を掛けられた。
「お疲れ様です。はい、ここに来てからうまく言葉にできないんですけど充実してます」
橘さんは責任者という立場にも関わらず気さくに信者に声をかけてくださる。
「ここに来た時の挨拶、つまらなかっただろ? あれ本部であらかじめ台本ができててね、それをただ読んだだけ。 内緒だよこれ話したってバレたら怒られるから。威厳がどうの、神秘性がどうのって」
「そうだったんですか? 僕もなんかちょっと……陳腐というか平凡って感じて『あぁ、A教ってこういう感じか』なんて思いましたね」
「信者の方々にあんな話しても退屈だし、それ以外でここに来る人なんて悩みに悩んでさらに勇気を出してここにきてるのに何の利益にならない話しても逆効果だよね」
「おっしゃる通りです」
僕もそうだった。
佐藤さんに連れてこられただけだったが現代において歴史の浅い宗教に対する風当たりは強い。
「A教は一に現世利益を謳ってるんだから役に立たないとね」
A教には寄付制度もある。
自分もいくらか寄付しようかしたが佐藤さんや橘さん話す人全員に止められた。
「寄付といっても持ってる人が無くて困ってる人に分配する、それを教団が仲介してる形なんだ。社会人一、二年目のペーペーがする行為じゃないよ」
その代わりに頼まれたのは困ってる人や悩んでる人が居たら連れてきてほしいということだった。
一方的に利益だけを被ってることに後ろめたさを覚えていた。
悩みを聞くと言っても文字通り聞くだけだった。
もっと多くの人に役立ちたい。
あれから半年の間に学生時代の友人を中心に連絡を取り、A会館に連れて行った。
全滅だった。
皆それぞれ悩みを抱えてる様子ではあったがA教の名前を聞くだけで九割は帰ってしまった。
床田さんなんて一年で五、六人は参加者を増やしている。
皆の前で友人たちに振られるのは辛かったが諦めずに誘い続けた。
これで一人でも救えるのなら……
しばらくして佐藤先輩は会社を辞めた。
噂によれば会社の金を使い込んだとのことだ。
用途は見当がついている。
そしてどうしてそんなことをしたのかも。
気が付けばA教の信者以外に友人はおろか知り合いもいなくなってしまった。
高校や中学の友人たちも誘ったが僕の噂が出回ってるのか、誰一人として首を縦に振らなかった。
社内でも佐藤さんと関りが深かった僕は孤立している。
それでも構わない。
そんな気がした。
多くの場合、宗教勧誘の目的は信者を増やすことではない。
勧誘行為により信者を孤立させること。
人間関係を滅茶苦茶にすることである。
結果、頼れるものが宗教だけになるからだ。
崇拝者 杠明 @akira-yuzuriha
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます