僕らの未来
廃工場は草木が放置されっぱなしで、建物には蔦が絡まっていた。
工場のシャッターは開いたままで、窓はスプレー缶で落書き。
壁の至るところにも、落書きの跡が見受けられた。
俺はシャッターを潜って、中に入る。
大きな工場ではないし、迷う事はないだろう。
「おい。来たぞ!」
大声で叫び、あちこちに目を配る。
中には放置された機械やら資材が置かれていて、僅かな物音に注意を払う。
「信吾、来ちゃダメ!」
声のした方を向く。
摩耶はシャッターを潜って、すぐの場所にいた。
まるで、注意を引くように。
何かおかしい。
気づいた時には遅く、後頭部に衝撃が走った。
「い、って」
振り向いて間もなく、今度は頬を殴られる。
とにかく顔は守り、相手の人数を確認した。
相手は、一人だった。
熊をモデルにしたキャラ物のパーカーを着ている。
顔はフードは深く被っているせいで見えない。
そいつは見た目は細いくせに、結構な力の強さで、腹を踏まれた俺は動けなくなった。
「っ、はぁ、……くそ、ボケェ。いきなり、良いもんくれんじゃねえか」
立ち上がろうとすると、肩を踏まれた。
日本村にこもっていた俺は、誰かに恨みを買った覚えはない。
誰とも会ってないからな。
けど、そいつがゆっくりとフードを取った時、一人だけ心当たりがあった事を思い出す。
「久しぶり、シンたん」
口を尖らせた、金髪の女。
肌は真っ白で、前髪は以前より伸び、初めて会った時より病んだいで立ちをしていた。
「……カリナ」
「会いにきちゃった」
にっと笑った。
不思議な事に、俺は相手の正体がわかると、緊張が解れてしまった。
「どうやって、摩耶の事知ったんだよ。つか、何で生きてんの?」
「酷いなぁ」
「刺しただろ!」
俺の声が反響する。
摩耶には、何が何だか分かっていない様子だった。
「あんな刺し方で死ぬわけないじゃん。放っておかれたなら、まだしも。オデットがすぐに止血したから」
しゃがみこんで、顔を覗いてくる。
怒ってる、というより別の感情がカリナに宿っている気がした。
「あれから、日本の人たくさん殺したよ。ペット風情が立ち上がれないように。アメリカからの依頼は金払い良いからね。喜んでやったよ」
これが現実だ。
世界は友達じゃない。
飼うか、飼われるかだけ。
俺が何も言えずに黙っていると、カリナがさらに近づいてきた。
「日本の人、……みんな、いなくなるかもね」
「八つ当たりか?」
「元々、サンドバックみたいなもんじゃん」
「ここに呼び出したのは、復讐か何かか?」
カリナは黙っていた。
潤んだ目はじっと俺の顔を見つめるだけで、瞳には凶悪さは感じられなかった。
いつの間にか、カリナは魔女ではなくなっていた。
「これ。オリジナルのチョーカー」
首に巻かれたのは、壊そうと思えば、いつだって壊せる。
脆いチョーカーだった。
「私、シンたんが好き。ずっと、頭から離れなかった」
摩耶の前で言ってくるあたり、分かってて言ってるのだろう。
カリナの目つきが一瞬鋭くなるのは、摩耶を見るときだけだ。
「もし、私がいらなくなったら、今度は殺していいよ」
「そしたら、俺がオデットに殺される」
「オデットはもういない」
こいつが何を言ってるのか、分からないほど前の俺とは違う。
「ジュールは足を洗った」
膝を突いて、額と額を合わせてくる。
「お金が尽きたら、私は生きていけない」
摩耶の見ている前で、答えろ、という事だろう。
摩耶を裏切るって事は、取り返しがつかない。
一丸となって、日本の人達で集まり、生活をした大事なコミュニティ。
本格的に、一人で生きていけない時代になっているから、命綱と言っても過言ではない。
カリナは、俺に命綱を切れと言う。
どうして、こいつは俺に心の準備をさせないんだろう。
おかげで、お別れの言葉すら言えない。
「信吾。どうして黙ってるの?」
「俺……」
「おかしいよ。そいつ、信吾の事を虐げた奴なんだよ!? 私の事はいいから、逃げて警察呼んで!」
カリナはこぼれてきた涙を拭き、ブーツから何かを抜いた。
それはナイフだった。
「カリナっ!」
「大丈夫」
振り向くと、カリナは俺の見ている前で摩耶を刺した。
摩耶の胸を刺して、摩耶のスマホを操作する。
それを無造作に投げ捨て、顔だけで振り向いた。
「どうする? 時間がないよ?」
支配から逃れるのは、きっと不可能だ。
一度、浸食されたら根っこから洗うしかなくて、それは容易な事ではなかった。
俺が今後、どうするべきか。
すぐに答えが出た。
「ごめん、摩耶」
立ち上がり、深呼吸をする。
分かってる。
俺は、今この瞬間から生きてる価値なんてない。
「お前と、一緒に生きるよ。でも、簡単に死ぬのは嫌だ」
「本当にいいの?」
「お前、表社会での生き方知らないだろ。だから、俺が教える」
復讐ではない。
支配ではない。
こんな俺だけど、人として本当に大事な事を知っている。
大事な事をカリナに教え、生きていける所まで生きていく。
摩耶が弱弱しい眼差しを向ける中、俺は最低な行為をした。
近づいてきたカリナの頭を掴み、乱暴に口を塞ぐ。
こいつに触れただけで、俺の体は反応した。
心が活きた。
「早く行くぞ。救急車、呼んだんだろ」
「うん」
「金は電子マネー?」
カリナは頷く。
だったら、身一つで他の場所に行けるな。
カリナの細くなった腕を掴み、俺は摩耶を捨てて、光の漏れるシャッターの向こう側へ歩いて行った。
可憐な殺し屋と飼われる少年 烏目 ヒツキ @hitsuki333
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