ラクダのネクタイ

帆尊歩

第1話 カフェシーサイド「柊」

冬の塩浜海岸は寒々としていて、夏の海水浴場と同じ場所とは思えないくらい寂しい。

この砂浜には二頭のラクダの像がある。

そして上に王子様とお姫様が乗っている。

僕はその像を見上げた。

雄の方のクビに、ネクタイが締められている。

そんなに古い感じがしないから、今日の朝か、昨晩くらいに絞められたものだろう。

なぜこんな海岸のラクダの像に。

童謡に、砂漠を行く王子様とお姫様の歌がある。

その作者がこの辺りに住んでいたか、ここで思いついたかして、それを記念して建てられた物だ。

非常に有名な童謡だが、ここで思いついたのかと思う。

砂漠じゃないじゃんと突っ込んだものだ。

僕はお使いの途中なので、バイト先の海辺のカフェ「柊」に戻る。


「遅いぞ手代」

「だから遙さん、手代って呼ぶの止めてくださいよ」

「使用人の分際で油ー売るたーふてー野郎だ」

「いつの時代ですか」この二十代後半の女性が、ここの女主人の遙さんだ。

僕の雇い主にして、謎のオーナー。

こんなシーズンオフなんてレベルじゃない、真冬の海水浴場で、海の家のようなカフェを営業している。

当然客なんか来ないのだが。

「そういえば、砂浜のラクダの首にネクタイが締めらていましたよ。誰のいたずらだか」

「えっ」と急に遙さんの顔がこわばった。

「ごめん、ちょっと出てくる」と言って遙さんは着けていたエプロンを丸めると、僕に投げてよこした。

「えっ、ああ、いやちょっと」という僕をよそに、遙さんは、慌てふためいて店を出て行った。

まあ客なんか来ないから良いけど。


「こんにちは」と言って、数少ない、イヤもとい唯一の常連客、香澄さんがやって来た。

「いらっしゃい」

「あれ、眞吾君だけ。遙さんは?」

「いや、浜辺のラクダにネクタイが締められていて。それ言ったら慌てて出て行っちゃって」

「それってなんかの合図じゃないの」

「合図って?」

「合図は、合図よ」と口ごもるように香澄さんは言う。

「何の合図?」

「鈍いわね。だから眞吾君はだめなのよ」香澄さんはめずらしく怒ったように言う。

いきなり怒られてもと思ったけれど、僕には分からない何かを遙さんから感じとったのかもしれない。

何しろ香澄さんは、心から愛していた不倫相手の娘から、涙ながらに父と別れてくださいと言われ、自ら身を引いた幸薄い人なので、(前々回を参照してください)

「えっ、眞吾君、(前々回参照)って言った?誰に言ったの?」

「独り言です」と僕は言い切った。

「コーヒーで良いですか」

「眞吾君が入れるの?」

「だめですか」

「だめじゃないけれど・・・」


その時遙さんが帰ってきた。

遙さんの手には、僕が見たラクダの首に巻かれたいたネクタイがあった。

「ただ今。ああ、香澄さん、いらっしゃい」

「帰ってきてくれてよかった。眞吾君がコーヒー入れるっていうのよ」

「ええ、それは大変申し訳ありませんでした」謝るな!

「何だったんですか。ネクタイ持っているし?」

「うん、ちょっとね」

「ちょっと?ネクタイ外してきたということは。いたずらで遙さんが巻いたんですか」その時香澄さんが僕の腕をつかんで、遙さんの前から離れた。そしてしかめっ面で首を振った。

「あんたバカなの。男に決まっているでしょう」

「お、男!どういうことですか」

「なんかの合図に決まっているでしょ。遙さんが戻ってきたと言うことは・・・」

「そこの二人、そういうことはもっと影で声を潜めて言いなさいよ。まる聞こえだから」僕と香澄さんは、怒られた子供のように遙さんの前に戻る。

「まあ、確かに男だけど。ここのお金を出した人。たまに会いに来るんだけれど。雌のラクダの首にスカーフが巻いてあると、会いに来れる。

雄の首にネクタイが巻かれていると。今回はごめんていう意味」

「なんで、直接ここに来れば良いじゃないですか」その時僕の腕を強烈な肘鉄がきた。

香澄さんがもの凄い顔でにらんでいる。

「まあ、いろいろあるのよ」と遙さんにはめずらしく、寂しそうにつぶやいた。

遙さんは手に持っていたネクタイを、厨房の奥のロッカーの中にかけた。ちらっと見えたロッカーの中には、大量のネクタイが掛かっていた。

そしてスカーフは、二本しか掛かってなかった。ロッカーを閉めると遙さんは笑顔で、

「さあ、コーヒー入れましょう。今日は良いブルーマウンテンの豆があるので、特別価格で飲ませますね」

いつもは仕入れない、最高級のブルーマウンテンの豆だ。

「良いんですか、遙さん」と香澄さんが心配したように言う。

「ええ。今回は使う予定がなくなったから」

そんな遙さんを、香澄さんが悲しそうに見つめる。香澄さんはただでさえ風貌が幸薄そうなのに、あんな目で見つめたら、この世の不幸を集めたような感じになる。

ていうか。

この微妙な空気感は何?なにが起きてる。

何で二人で僕の分からない世界に入ってる?


次の月も、その次の月も、雌のラクダの首にスカーフが巻かれていたことはなかった。

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ラクダのネクタイ 帆尊歩 @hosonayumu

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