Ⅹ.

「やれやれ、七千億円ぽっちじゃ割りに合わない重労働だったわ」

 竹丸港の片隅に安置されたみずしま銀行金庫室を階下に見下ろし、凛子はふうと溜息を付いた。

「なんだい凛子君。随分強盗らしい事を言うじゃないか」

「強盗らしい、って何よ。善良な女子信金職員をつかまえて……」

 戦いを終え平穏を取り戻した、夕暮れのたけまる信金屋上。

 埃塗れの凛子と、柴犬の姿に戻ったダディは、疲れ切った身体をベンチに預け、地上で現金を運び込む男性職員達をぼんやりと眺めていた。

 止めの一撃で気を失った土光門は、芳野の通報に駆けつけた警察に運ばれていった。

 誰が見ても防衛の為とは思えない、過剰な火力を持ったギガバンクみずしま銀行、新湾岸本店の存在。頭取土光門の企みは銀行法以外の部分で罪に問われ、そして国内経済のあり方を中心に物議を醸し出すだろう。埃と汗にまみれた顔を拭いながら、魚頭はそんな事を凛子に話した。

「まあ、強盗自体は成功したんだから。私達の勝利、よね?」

 本当にこれで、勝ったのだろうか。今ひとつ勝利の余韻に浸れない凛子の胸中を、ダディは察してくれたようだ。

「ああ。みずしま銀行がたけまる信金に対し、敵対的買収を目論んでいた事については証言もある。それに幸いな事に、どちらにも死者は出ていない。私達は勝ったのだよ、この戦いにはね」

 励ましてくれるダディの言葉にも、どこか踏ん切りが足らない。やはり、これで終わったとは彼も思っていないのだろう。凛子はそう感じた。

 土光門からライブロンズのバックパックは回収し、たけまる信金の映像も、おそらくヘリと共に今は海の底に沈んだ筈だった。だがいずれその技術の存在は国内に広まり、リアップ上武とたけまる信金は、否が応にも衆目に晒される事になるだろう。このあまりに大掛かりな防衛戦に携わった誰もが、確信に近いその予感を抱いていた。

 しばらく続いた重い沈黙の中で、ダディは珍しく、ひどく言い辛そうに口ごもる

「……アレの事だが、その」

「ん、何?」

「ジョンだ。アレのやった事だが、その、親の私から言うのもどうかとは思うのだが、許してやってもらえないだろうか」

 凛子は、そしてダディも、土光門から取り上げた手元のバックパックをちらりと見やる。

「ああ、うん。そうね、許してあげないとかわいそうかなとは思ってたわ」

 凛子の思い出し苦笑いを、ダディはきょとんと見つめる。

 プロポを操作し奪い返した後、金庫室の固い天井の上で、ジョンはダディに正座させられていた。そして、あの獣神の姿のダディの拳で、微量の電流を流されながらこめかみをぐりぐりと抉られる事、十数分。

「ゴメナサアアアア! ダディゴメナッサアアアアアッ!」

 謝っているのか悲鳴を上げているのか、もはや判別の付かない程に泣き喚き続けたジョン。その一部始終を何故か見せ付けられながら、許してあげなきゃこの人面白黒人じゃなくなっちゃう、と凛子は内心思っていたのだった。

「そうなのか、それはありがたいが……うむ」

 不思議そうに小首を傾げながらも、一応納得した様子のダディ。この強く優しい父親の存在に、凛子は微笑み、そして彼との出会いから今日までの事を、思い返していた。

 たった一週間の間で強く結ばれた、ダディとの不思議な絆。強盗と信金職員、一般市民と宇宙人。普通ならあるはずの無かった、この不思議な宇宙人達とのめぐり会い。

 凛子の胸は愛しさにも似た熱い心に、満たされ、そして高鳴り続けていた。

「さて、そろそろ私は失礼しよう。やれやれ、今日は本当に長い一日だった」

「え、あ、うん! えっと、待って!」

 そして唐突に訪れた、同時に最初から来ると解っていた別れの時に、凛子は戸惑った。

 戦いの中で折れそうだった自分の心を、ずっと支えてくれた彼に、伝えたい事はまだ山ほどあった。

「あの……そ、そう! 今回の報酬! いくら、どこに振り込めばいいの?」

「ああ。ジョンが土光門から貰った小遣いがある、それで十分さ」

 さらりと返すダディに、凛子は再びうつむき、口を噤む。そうじゃない。そうじゃなくて。

「え、えっと、その。じゃあ、また遊びに来てよね! ここにでも! 家でもいいからさ!」

「どうかな? 次に会うのはまた、現金のご相談に来る時かもしれん。いや、さすがに私でももう、ここの防衛を突破できる気はしないな」

 笑うダディを、どうしても、凛子はまともに見る事が出来なかった。

 凛子は必死に語彙を巡らせ、ありとあらゆる言葉を探す。自分が本当に彼に伝えたいこの気持ちは、どんな言葉なら、ぴたりと当て嵌まるのだろう。

 下らない台詞ばかりが喉に詰まる。どうしよう、何て言えばいいんだろう。大事な言葉を紡げないまま、凛子は黙り込んでしまった。

 だが、俯き固まったままの凛子を、ダディは優しく待っていた。

「凛子君?」

 この世で一番頼もしいその声で、やわらかく自分の名を呼ばれ、凛子はゆっくり顔を上げる。


 まぶしいオレンジ色の夕日と海を背にして。

 行儀良くお座りしながら、右の前脚をちょんちょんと持ち上げるダディが見えた。


 凛子は膝を折ってしゃがみ込み、視線をダディと同じ高さに合わせる。ダディは優しく、凛子に伝える。

「この星に私がいる限り、送ったお見積書は永久に有効だ。本当に困ったら、また呼んでくれたまえ」

 ダディの黒い瞳の奥に、泣き出しそうだった自分の顔が一瞬で笑顔に変わるのを。凛子は確かに見つけた。

 差し出されたダディの右手を、凛子はその両手で、包み込むように握り締める。やっぱりこの人は、最強のダディだ。

「うん……うんっ!」

 顔を真っ赤にして、一生懸命に頷くばかりの凛子の手から、ダディはそっと自分の手を抜く。

「ありがとう凛子君、お父上に宜しくな」

 最後の言葉とウインクを残して、白い大きな柴犬は、助走をつけて空へと駆けた。

「ありがとうダディ、またね、またね!」

 銀の翼の青い炎が、夕闇の果てへ消えてしまうまで。

 凛子の瞳はずっと、去って行くもう一人の父の姿を追い続けた。

 そして、ほんの少しだけ零れた涙を拭って、

「さあて、月末処理、月末処理!」

 凛子は元気一杯に、お客様窓口へと駆け下りて行った。


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セフトバンク・ダディ トオノキョウジ @kyz

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