ver2

 二十二世紀。

 科学は驚異的なスピードで進歩していき、人類が地球外で暮らす時代が訪れていた。

 

 まるで青い猫型ロボットが登場する作品で描かれたような未来。

 ただ、そんな時代であったとしてもトラブルというものは常に起こり得るわけで。

 つまり何が言いたいのかというと。


「……何がどうなっているんだ」


 コレだ。

 ノイズが走っているかのようにハッキリしない頭脳を、頭を振って覚醒させようとする。

 ダメだ、いまいち記憶が定かじゃない。ボクはどうしてココにいる? ココはどこだ?


 疑問は人気のない屋内をふらふらしている内に解決した。

 冷たく強固な天井、壁、床、これらは宇宙の建造物に使われているものだ。さらに途中に会った壁のスイッチをONにしたら、壁の一部がパッと大きな窓のように切り替わった。


 見えたものはどこまでも広大な闇。星々の光。

 何よりも眼下に映った青い星。


「……そうだ。ボクがいるのは宇宙ステーションだった」


 コロニーと呼ぶには小型。その内部は一流の大型ホテルや豪華客船に似ている。

 煌びやかな船内には客室・ラウンジ・ショッピング・アクティビティ・シアターと様々な施設があった。

 でもどれだけ歩き回っても僕以外の姿はない。


 みんな揃って自室でぐっすり眠っているのだろうか。

 そういえば僕が目覚めたのもスリープカプセルの中だった気がする。誰もが寝静まる真夜中であれば、早々他の人には遭遇しないかもしれない。


「……それにしたっておかしいか」


 あまりにも静かすぎる。

 大災害によってみんな逃げ出したとか、そっちの方がしっくりきすぎる程に。

 途端に、一気に真っ黒な不安が押し寄せてきた。


「誰かいませんか!」


 重力制御されただだっぴろい通路を歩きながら声をあげる。

 返事は、ない。


 自分の声だけが虚しく響く船内は物悲しさの塊だ。

 地下シェルターに何年も籠ったらこんな気分になるだろうか。

 まずい、これは本当にまずい。このままでは寂しくて死ぬとかいう本当に間の抜けた終わりを迎えかねない。


 そんな時、案内板の文字が目に入った。


《カフェ&BAR:スプリングベガ》


「……一息つこう」


 どうやら昼と夜で入れ替わる営業スタイルらしい。

 いいね、もういっそこの船のコーヒーや酒を全部飲み干す勢いで溺れるのも悪くない。

 結局は、何度目になるかわからない「もしかしたら誰かが居るかもしれない」希望にすがってしまうのだが。


 するとどうだろう。

 こじんまりとしたレトロでシックな店から、声が聞こえてきたんだ。


「いらっしゃいませ。……お一人様でいらっしゃいますか?」

「!!」


 ひんまがっていた背中に棒が突っ込まれたかのように、背筋がピンとなる。

 いた! 誰かがいた! いてくれた!!


 未開の地で始めて話し相手を発見した人は、こんな気持ちになったに違いない。

 女性の姿がカウンターの奥に見えて、急いで駆け寄った。


「あの、あの! いきなりですみません、僕の事がわかりますか!?」


 無駄に、すごい変な質問が飛び出てしまった。


「……機械工学科の教員、アシヤ様ですね。胸ポケットの証明書によれば」

「え、あ……」


 本当だ。そこには僕の名前が書かれていた。

 なんで気付かなかったんだろう。


「何をお飲みになりますか? 精一杯おもてなしをさせて頂きますよ」

「あ、僕は下戸なんで」


「ちっ、酒も飲めないボウヤに用はありません。さっさと部屋に帰ってママのホットミルクでも飲んでなさい」


 やだ何この子、めっちゃ口悪い?

 いや! この際そんなのどうでもいいじゃないか。


 今はただ、この子に会えたことが嬉しくて仕方ない。

 絶望が希望へ変わる。うんうん、しかもこの子、よく見なくても人間離れした美少女でとってもかわい、い……? 


 違和感を感じて、僕の目線が人形のように美しい彼女の頭から足元へと順番におりていく。

 明るい薄紫色のショートヘアーに二十代くらいの整った顔立ち。皺ひとつなくピシッと決まった黒ベストに白Yシャツ。


 そして、腰から下には二本の足が……無かった。

 代わりに、椅子の真ん中からのびてる柱? みたいなのが生えている。


「あまり脚部をじろじろ見ないで欲しいのですが……もしかしてから笠お化けフェチの方ですか?」

「そんな特殊フェチいる!? ――じゃなくて! その足は……?」


「今となっては骨董品なのは理解できますが、それにしても驚きが過ぎます」

「骨董品……って」

「ご安心くださいお客様。私は最新型にも見劣りしないサービスをご提供させていただきますよ」


 そう彼女はどこか感情のない口調で続けた。

 まるで機械のようだ。


 ……機械?

 そうか、この子は……。


「キミは、アンドロイドなのか……」

「当店自慢の看板娘兼スタッフにしてバーテンダーの乙姫(おとひめ)と申します、以後お見知りおきを」


「は、はは……そうか……勘違い、か」

「動揺されてますが、もしや飲む前から急性アル中にでも?」

「キミの言葉は変に厳しいなぁ……。そうプログラムされてるのかい?」

「元々こんな感じです」


 クールに言い放つ乙姫は、下半身さえ気にしなければ表情も動作も人間そっくりだ。

 この辺りは最新型アンドロイドと遜色ない。

 さっきは人間だと思って接したから冷たく感じたが、アンドロイドだと思っていればむしろ人間味がある。



「何をご注文されますか? それとも文無し野郎でしょうか? でしたらさっさとお帰り下さいませ、営業の邪魔です」

「その発言はどうなんだい。そんなんじゃお客さんも怒るだろう」


「いえ? むしろ皆さんこぞって『いいぞ姉ちゃん、もっとやれww』と嬉しそうに煽ってらっしゃいますが」

「マジか……」


 レトロバーに来る客は感覚もレトロなのだろうか。

 彼女が言う皆さんとは、クールで毒舌な女の子を肴にする、身体と懐のデカイ海賊みたいな荒くれ者どもだったりするのか?


「何かお悩みですか。愚痴を聞き流す程度でしたら私も可能ですよ」

「う、うーん……確かに悩んではいるんだけどキミに話してもなぁ」


「うじうじすんなや玉無しかてめぇ」

「段々口悪くなってない!?」

「失礼、今のはバグです」

「バグ」


「ええ。もちろんバグですから、私には何の罪もありませんが」

「いやいや、今のは正真正銘キミの意志――要はわざとだよね」


「何でも構いませんが。どうかお客様、私のためだと思ってまずはお座りになってくれませんか?」


 彼女が無愛想な表情から一転してニッコリと笑いかけてくる

 不覚なことに、それは僕の胸をときめかせる十分な破壊力が備わっていた。


「わかったよ。それじゃあ精々話に付き合ってもらおうじゃないか」


 まるで一目惚れでもしてしまったかのように、僕はやれやれと溜息を吐きながら席についた。



 ――それから幾度となく、この椅子に座ることになるとは知らずに。



  

 乙姫と出会って、ボクは絶望と希望を得た。


 まず、僕以外に目覚めた人はどこにもいなかった。

 乗組員も住人も管理者もだ。


 バーテンダーの乙姫が知っているのは基本的にお店の業務に必要な事。

 誰かと連絡を取る手段や権限はほとんどなかった。一応、唯一可能な相手として上司いたようだが、応答はなかったらしい。


「またサボリですかね」


 淡々と言い放つ彼女はそこはかとなくイラッとしてるように見えたが、それもまた高性能な彼女が僕にそう見せただけか。いずれにせよ事態が急速に解決することはないという絶望感は拭えなかった。


 だが彼女との交流は想像以上の幸運だったと言える。

 乙姫には相手の話を聞いて心のケアに務める機能があったようで、話し相手には最適だった。何度も繰り返し会話している内に、初めて物事を教えてもらった時のように僕のぼんやりした部分が埋まっていくのが心地いい。


「いらっしゃいませお客様。本日もこんな些末なバーにいらっしゃるとは、よほど暇のようですね」

「常連客にそんな出迎え方をしてよいの!?」

「あら、何度も通って下さるからこそのサービスです。それとも機械的な対応がお好みですか? このロボフェチめ」

「……から笠お化けフェチよりマシだけどさぁ」


 僕の身体データから心情を押し量っているのだろうか。

 乙姫は、ツッコミせざるを得ないような冗談を口にした。きっと僕がそういう会話が好みだと理解しているのだろう。

 おそるべしメンタルプログラム。


 けど、ありがたい。


 ステーション内の設備や物資がなんとか使えたのは助かるが、孤独はどうしようもない。

 静かすぎるこの場所で、僕が正気でいられる時間なんて一生に比べたらたかが知れている。

 ところどころ隔壁が下りて立ち入り禁止になってる場所もあったので、本当に大きな事故か何かによって人々はみんな避難してしまったのかもしれない。


 事情は不明だが、隕石でも直撃したか強烈な電磁波でも受けたか? 通信系はほぼイカれてるみたいだし。

 それにしても、強く想う。


「ああ、ほんとにキミがいてくれてよかったよ」


 強めの酒を煽りながら何度目になるかわからない感謝を口にすると、乙姫は眉をひそめた。

 下戸だったはずの僕が、今やすっかりいっぱし一場の酒飲みだ。


「お客様。今日だけでその言葉を聞くのは10回目ですよ、いい加減聞き飽きました」

「それぐらい伝えたい言葉なんだ」

「気持ちの伝え方でしたらもっとバリエーションがあるでしょう。あまり言い続けても意味はないように思えます」


「そっか、是非ともこの気持ちを理解できるようになってくれると嬉しいな」

「あなたの性癖に合致するようバージョンアップをしろと?」

「命令じゃないよ。そうなって欲しいなって願いさ」

「……レトロでポンコツな私には難しい注文ですね。せめて脚のある新しい型番の子にお願いするべきです」


 グラスを磨く手を止めずにしつつも、乙姫は自嘲気味に目を伏せた。

 話す度に彼女の感情プログラムは進化している気がしてならない。

 それともコレは、僕が彼女に感情移入とやらをしてしまっているだけなのだろうか。


 何度も僕らは対話した。


「ねえ、乙姫って呼び捨てにしてもいい?」

「ご自由に。なんでしたら型番もお教えしましょうか?」



「乙姫! 何か面白い話を!」

「無茶振りです。命令するならもっと正確に。「何か面白い」なんて大雑把すぎます」



「隣の家に囲いができたってね」

「うぉ~~る。……教えてもらったコレ、ほんとに面白いですか?」



 話す度に僕の情報をアップデートしていく乙姫が面白くて、何度も足しげくバーに通ってしまう。

 長居する時間も随分増えた。お酒を飲みながら彼女と話す時間が孤独を紛らわせてくれる。


 乙姫の存在が僕の中でとても大事な物に変わっていく。

 そうなってくると、だんだん物足りなさが出てくるのは生来の欲深さゆえなのだろうか。


「あー、乙姫と一緒にどこかへ遊びに行きたいなぁ」


 ぽつりと秘めた欲求が口から零れ出ていた。


「お客様は一体何を言っておられるのでしょうか。まさか私とデートしたいなどという妄言を?」

「いいね、デート。したいなぁデート」


「無理です」

「なぜだい?」


「私は、この場にいる限りは業務に徹する義務があります」

「そんな命令、書き換えてしまえばいいじゃないか」

「誰が書き換えるんですか」

「……僕、とか。キミのためなら頑張れそうだ」


「それで? お客様は私の事を担いで連れ回すおつもりですか」

「あ」


 すっかり失念していた。

 彼女には二本の足がない。それでは確かに担いでいくしかないか。


「いやいや、車椅子とかさ。探せば飛行ユニットもあるかも――」

「私用の車椅子なんてありませんよ。飛行ユニットもです」


「……規格違いってことかい」


 乙姫が珍しく押し黙ってしまう。

 その様子は、とても残念がっているように思えた。


「理解が早くて助かります。お客様のご提案はとても面白い物でしたので、今度誰かに『面白い話をして』と注文されたらご提供してみましょう」

「人の真剣な話を肴にするのはちょっと嫌だなぁ……」


 つまりアレか。

 乙姫の頭脳はこう判断したわけか。


『あなたの提案は面白い。だって叶うはずがないのだから』と。


 上等じゃないか。


「今日はコレで帰るよ」

「いつもよりお早いお帰りですね。どうぞ、肝臓を大事になさってください」

「ご忠告どーも。安心してくれよ、僕の肝臓は鋼鉄製みたいだから」


「寝言は寝てからどうぞ?」

「辛辣! でも、見くびらないでくれ。これでも僕は、やる時はやるヤツを目指してるんだ」



 それからしばらくの間。

 僕は製造室に引きこもった。


 ステーションには大抵の物が揃っている。

 その中にはスキルアップするための本やプログラムがあるのは発見済だ。

 もちろんロボット工学のもある。


「よし、やってみようか!」


 唯一のパートナーともいえる乙姫のために。

 僕はものすごいスピードで新たな技能の習得をはじめた。


 一心不乱に打ち込み続けた成果は割とすぐに訪れる事となる。



「乙姫! 今日はキミにプレゼントがあるんだ!」

「……先に言っておきますが、何か不埒なものだった場合は実力行使で排除させていただきますが?」

「こわいなぁ。大丈夫だよ、キミのために用意した素敵な物だから」


 台車で運んできた包みの布を、大きく取り払う。

 さすがにこの中身は予想できなかったのだろう。乙姫はしっかり目を丸くしていた。


「それは……」

「そう! キミの《足》さ!!」


 出来立てほやほやの最新版。

 あちこちメタリックな部分は多いが、それで立派なレッグパーツが――乙姫の足がそこにあった。


「その、色々と不恰好なところもあるんだけど……是非キミに履いてみて欲しい」

「…………」

「禁止コードに引っかかってしまうかな?」


「違います。あなたの行動力に驚いているのです」

「え」

「こんな立派な物を……この短期間で……」


「気にしないで、僕がやりたかっただけさ」

「……あの、私だけではしっかり装着することができませんので手を貸してもらえますか」


「もちろんさ」


 学んだ知識を生かして、彼女の下半身パーツをカチャカチャと付け替えていく。

 性別的には女性な彼女の腰から下に触れるのはちょっと気恥ずかしいが、僕は顔が熱くしながらも黙々と作業していった。


「できた!」


 動作確認をしてみたが、少しぎこちなさはあるものの概ね上手く動いているようだ。


 自分で動かせる足を手に入れた彼女が、初めてカウンターの中から出てくる。

 その足取りは生まれたばかりの小鹿のようでもあったけれど、外の世界への希望に満ちているようだ。


「……すごい」


 彼女の短くもハッキリとした感嘆の言葉に、胸と目頭が熱くなる。

 涙腺をキツく閉めなければ水分が零れ落ちてしまうところだ。


「よかった、深刻な問題は無さそうだね」

「強いていうなら耐久性と柔軟性、それから可動域とバランスに少々難がありそうですが」

「うっ……そので0田は何と比べたものなの?」

「いつも付けていた一本足や多脚型ですね」


「た、多脚かぁ……」


 乙姫の腰から下に6~8本の足が付いているのを想像する。

 うん、神話に登場するアラクネみたいにしかならないな。


「でも、こっちの方がキミも気に入ってくれると思うんだけど」


 そう呟いている間も、乙姫は決して広くはないバーフロアをゆっくりと行ったり来たり歩き回っている。

 表情こそやや無愛想ないつもの感じだが、その頭部からは「♪」が浮かび上がっているように思えた。


 少なくとも気に入らないって事はなかったらしい。


「ありがとうございますお客様。コレで私はよりレベルの高い業務にあたれることでしょう」

「いや、それはまた今度にしよう」


「?」

「その……キミはずっと休みなく働きづめだったろう? 偶には休日が必要だ。今の時代じゃアンドロイドにも最低限の休みを取らねばならない法律があるのに、なんでかキミは守っていないじゃないか」

「私は燃費がいいですし、働くのは嫌いじゃないので」


「そういうのはワーカーホリックっていうんだよ。だ、だから……えっと、キ、キミさえ良ければなんだけど」

「なんですか歯切れの悪い。玉無し野郎の再発ですか」

「再発してるのはキミの下品さだろ! じゃなくて……そう! 足の調子を見たいから、ちょっと一緒に船内を歩いて回らないかい?」


「つまり、私とデートがしたいと」

「うぐっ。理解が早いのは助かるけど、もうちょっと情緒ってものがさぁ……」


 僕のまごまごした態度を彼女の言葉がズバッと斬って捨てる。

 その反応はストレートすぎるよ乙姫。


「いいですよ」

「…………え?」

「許可したのです。言われてみれば以前から休息を取るべしと注意喚起がされていました。その際、いつ・どう休むかは私が決定できますので」

「そ、そうなのかい!? でも、それならもっと早く休みをとるべきだったんじゃ」


「そんなことをしたら、あなたは私以外の誰に管をまくのですか。毎日このバーに通っているというのに」


 その言葉に、体温がボッと燃えたように瞬間上昇した。

 今の言葉に嘘がなければ乙姫は僕のために休みを取らなかったことになる。


 仕事だからかもしれない。そうプログラムされているからかもしれない。

 だけど、乙姫はいつも僕を待ってくれていたのではないか。そう考えてしまうのは、うぬぼれだろうか。


「待って、それはつまりキミが僕のことを好きだと判断しても――」

「拡大解釈しすぎですよお客様。そんな妄想よりも、今は紳士らしくエスコートするべきではないですか」

「う、うん!」


 それからの船内デートはとても楽しかった。

 本当に、とてもとても楽しかったんだ。


 バーで会話するだけだった乙姫と別の場所で共に歩くだけで、こんなにも世界が広がって見える。

 二人だけしかいないダンスホールで行われたパーティは互いにぎこちなくて、時折足を踏んだり転んだりした。その度に、僕らは顔を見合わせて可笑しそうに笑いあう。


 普通の人が今の僕を見たら、変だと感じるだろうか。

 それでも構わない。


 僕は彼女とこうしていることによって、何度でも胸をあたたかくできるのだから。

 

 コレは、なんなのだろう。

 こんなに熱い感情は初めてだ。


 その答えはすぐに思いあたったが、僕にはまだソレを受け止められる自信がなかったので。


「どうかしましたか?」

「ちょっとね」


 可愛らしい乙姫の質問には、上手く答えられなかった。

 

 ――後々になって後悔することになるとは知らずに。


 

 ◆◆◆


「乙姫、なにかあったかい? どこか元気が無いように見えるよ」

「そもそも私に元気も何もあったものではないでしょう」

「それはそうだけど……」


 だが、乙姫の様子がおかしいのは明らかだった。

 これまでの彼女であれば、よどみなく業務をこなしていたはずだ。

 なのにお酒を零したり、コップを滑らせたりとミスが目立つ。


 ほとんど水のような酒を飲みながら、僕は提案することにした。


「一度メンテナンスを受けてみたら? この船のメディカルマシーンは立派なものだよ」

「……あの」

「ん?」

「一緒に、ついてきてくれますか?」

「ッ、もちろんだよ!」


 

 人間用のメディカルマシーンがあるように、アンドロイド用もある。

 液体で満たされたカプセル型に入っていく彼女を見送って、僕は起動スイッチを押した。内緒だが、この日のためにメディカルマシーンの説明書は暗記するほどに読みこんでいる、問題はない。


 ただ、結果は予想を超えていた。


《大幅な長期稼働を発端とした経年劣化、及び深刻なエラーが発生している可能性有。改善方法・該当なし》


 そんなバカな事があってたまるか。

 僕は何度も再チェックを施した。だが、やっぱり同じ結果が出てしまう。


「結果はどうでしたか?」


 おそるおそる僕にそう尋ねてくる乙姫に隠し事はできない。

 僕は検査データをそのまま彼女に見せるしかなかった。


「……そんな顔をしないでください。あくまで可能性が有るだけとも言えます」


 逆に言えば、打つ手無し。

 乙姫の挙動は日増しに悪くなっていくようだった。


 ◆◆◆


「クソ! クソぉ!!」


 思わず声を荒げてテーブルを強く叩く。

 調べれば調べる程に、どうしようもない事だけが判明していた


「自分を責めないでください。思えば私もずいぶん古い者です。だから、他の子達よりも寿命が近いだけ」

「そんな……」

「むしろ、こんなポンコツがちゃんと動いているのが不思議なくらいで――」


「違う、違うよ……キミはポンコツなんかじゃない。絶対にポンコツじゃないんだ」

「泣いているあなたの涙をぬぐう事すらしないのに?」


 そう言ってくる彼女は、カウンターの向こうではなく僕の隣に移動していた。

 職務熱心な乙姫がだ。

 よほどの理由がなければ頑として動かなかった彼女が、寄り添うように隣にいてくれる。


 そんなキミをポンコツだなんて、誰が言える。


「オトヒメ。僕に出来る事は何もないのかな?」

「では、またいつでもお店を尋ねに来てください。可能な限りサービスさせてもらいますので」


「いけないお店の誘い文句みたいだね」

「冗談を言う余裕はあるようで何よりです」


「僕は諦めないよ。このステーションでどうにもならないなら、他の場所がある。きっとそこには僕より優れた技術者だっているはずだ」

「……ええ、可能性はゼロではありません」



 だが、僕らに残された時間は――想像以上に短かった。

 彼女がこの世界からいなくなる日は、。


 今、乙姫はバーカウンターに突っ伏している。

 ただそこはプライドが許さないのか、なんとか顔だけはお客様である僕の方へ向けられていた。


「不覚です。これしきのエラー如きで……」

「無理しないで」


「ですがお客様のお相手をしないと……」

「今は気にしないで。じっとして」


 計算上、彼女が起動停止するまで幾ばくもない。

 少し動いただけでもその時間は短くなるかもしれないので、そのままでいてほしい。


「お客様」

「ん?」


「寂しくなりますか」

「そうだね」


「申し訳ありません」

「いいんだ」


「もし足が向くようでしたら、このコード:010でご注文してください。お客様が通った回数分蓄積したデータから最適なお飲物をご提供できますので」

「ありがとう。きっと毎日通うよ」


「どういたしま……して……またのお越し、を……」


 乙姫の瞳から光が消え、僕を見つめたまま動かなくなる。

 

「……そんな顔をしないでおくれよ」


 停止してもなお、乙姫は心配そうな表情のままだった。そのままだと全身から一気に人間味が失われただけに見える彼女のまぶたを掌で閉じてあげると、ただ可愛らしい女の子が眠っているだけのようになる。


「コレで……ひとりぼっちだ」


 とうに覚悟は決めていたはずなのに。

 こうなるとわかっていたはずなのに。


 いまだに考えてしまう。僕には、もっと彼女のためにしてあげられる事があったのではないかと。


「最後まで、乙姫は僕の名前を呼んでくれなかったね。僕は、それが少し悲しかった」


 けれど。

 決して何も感じていなかったわけではなく、すべてが業務上の関係でもなかったはずだ。

 その証拠に、彼女は僕が作った脚を付けたままで眠りについているのだから。


 エラーの原因になったかもしれないパーツ。

 もし乙姫が真にプログラムのみに沿って動く機械であったのなら、そんなものはとっくのとうに廃棄していたはずだ。


「寂しいよ……乙姫」


 涙はとうに枯れていたはずだ。なのに後から後から零れてくるコレはなんだ。

 僕が彼女に抱いたこの気持ちの正体はなんだ。


「もしかしなくても、コレが――――なのかな」


 返事は無い。

 ただひたすらにその事実が悲しい。

 もう何もかもがどうでもよくなるような凄まじい喪失感だ。


 視界の隅に、鋭くとがった道具が目に入る。

 乙姫が氷を削るのに使っていたアイスピックだ。


 ゆっくりとソレに手を伸ばす。

 うん、この長く鋭い一本のニードルなら問題ないだろう。


 逆手に構えたアイスピックの柄を両手で握りしめる。

 狙いは心臓だ。


 彼女が居ない孤独な世界に未練などない。

 きっとコレが、ココにはもういない乙姫に最も早く再会するための方法なのだ。


「ッッ!!」


 気合と力をこめて、内側に振り下ろす。

 

 ――嫌な感触と共に自分の意識を暗闇が覆い始めていく。

 その中で僕は祈った。



 どうか、乙姫とすぐ再会できますように。




 ◆◆◆



「オトヒメ~? そろそろ一旦休憩を――ってえ!? ど、どしたん! なんであんためっちゃ泣いてんの!!」


 仲の良い同僚が驚いている。

 当然か。私だって友達がこんな風になっていたら同じ反応をしただろう。


「うっ、ぐすっ、う、うぅ~~、ひぃんひぃん……」


 座っている車椅子の向きを変えながら、私は被っていた最新側のマルチヘッドディスプレイを外そうとして……止めた。こんな顔は仲の良い友達にも見せられない。


「普段なら絶対やらない設定でやってみたのぉ。そしたら……無理よこんなのォ」

「な、何があったの……?」


「あ、あのね……私と一緒に過ごしてくれたAI――彼が、アシヤが……全部叶えてくれたの、私のやりたかったこと全部。そ、それで、私がいなくなったら……じ、自死を選んで」

「え!?」

「お願い! 今回のデータをいますぐ全部保存して! 早く!! 彼が数字の向こうに消える前にッ」



 仮想世界のAIがプレイヤーに――をした。

 前代未聞のニュースは、特定の界隈であっという間に広まったという。

 

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僕と私だけにしかわからない感情と挙動 ののあ@各書店で書籍発売中 @noanoa777

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