僕と私だけにしかわからない感情と挙動

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これはきっと――だった

 二十二世紀。

 科学は驚異的なスピードで進歩していき、人類が地球以外の星へと移り住む時代が訪れていた。

 

 まるで青い猫型ロボットが登場する作品で描かれたような未来。

 ただ、そんな時代であったとしてもトラブルというものは常に起こり得るわけで、もしそれを未然に防げるとするならばやはり「神」と呼ばれる未知の存在ぐらいなのかもしれない。


 ――つまり、何が言いたいのかというと。


「……困ったな」


 コレに尽きる。

 意気揚々と惑星リゾートへ向かったはずなのに、まさか宇宙船に乗っている中で目覚めているのが僕だけだなんて、一体何の冗談なのか。あのへっぽこツアー会社め、あとでたっぷりクレームをつけてやるから覚悟しておけよ。


 一流の大型ホテルのように煌びやかな船内には客室・ラウンジ・ショッピング・アクティビティ・シアターと、一度の旅行では遊びつくせないたくさんの施設があるが、そのどこにも僕以外の姿はない。

 おそらくみんな揃って自室でぐっすり眠っているのだろう。安全安心のコールドスリープ、これで気が遠くなるほど遠い星に行くにも困らない。一度寝てしまえば、目覚めた時には一瞬で目的地だ。……本来ならば。


「誰か、いませんかー!」


 重力制御されただだっぴろい通路を歩きながら声をあげる。返事は、ない。

 船の外側に設置された強化ガラスの向こう側には宇宙空間が広がっているだけで基本は真っ暗。とても景色を楽しむなんてできやしない。


 とぼとぼと孤独に歩き進みながら、どうやったらこの状況を打破できるかを思考する。

 故障したらしい睡眠装置を再度使えないだろうか? いやいや、僕はそんな高度な機械の知識なんてない。

 責任者を叩き起こす? まず、その責任者はどこにいるのか。いたとしても他の乗組員同様にスリープ状態であり、うんともすんともしない可能性は高い。


「そうだ、緊急時のマニュアルがあるんじゃないか?」


 ポケットに入っていた万能映像機を起動して、浮かび上がったツアーマニュアルを確認する。

 思わず「oh……」と呟いてしまった。どこにも緊急時の項目がない。あるのは絶対安全・トラブル皆無と自信満々な文面のみだ。まったく適当な仕事しおってからに!!


「トラブル皆無どころか絶賛大ピンチだよ! 頼むからこういうケースに備えておいてくれ!!」


 自分の声だけが虚しく響く船内は物悲しさの塊だ。

 リゾート旅気分満喫どころか、今のココは刑務所もびっくりするぐらいに人の気配がない。旧時代の人達がひとりぼっちで地下シェルターに何年も何年も籠ったらこんな気分になるだろうか。

 まずい、これは本当にまずい。このままでは寂しくて死ぬとかいう本当に間の抜けた終わりを迎えかねない。



 不安と恐怖に焦りながら当てもなく船内を彷徨う事しばし。

 まだ行ったことのない新たなエリアに足を踏み入れた際に、現在地を示す案内板の文字が目に入った。


《この先バー:スプリングベガ》


「……バー、か」


 いいね、もういっそこの船の酒を全部飲み干す勢いで溺れるのも悪くない。

 自暴自棄になりつつ、何度目になるかわからない「もしかしたら誰かが居るかもしれない」という希望にすがってしまう。


 するとどうだろう。

 最低でも数十人は座れるであろうオープンバーから、声が聞こえてきたんだ。


『いらっしゃいませ。……あら、お一人様でいらっしゃいますか?』

「!!」


 ひんまがっていた背中に棒が突っ込まれたかのように、背筋がピン!とさせながら飛びあがる。

 いた! 誰かいた! 間違いなく話しかけてくれた!!


 未開の地で始めて話し相手を発見した人は、きっと今の僕と同じ気持ちになったに違いない。

 声のした方へ顔を向ける。

 女性のバーテンダーらしき人影がカウンターの向こう側にいて、僕は急いでそちらへと駆け寄った。


「よかった! 僕以外に誰かがいてくれて!! あの、あの! いきなりですみません、実は僕、ひどいトラブルにあってしまったようで――」

「……トラブルですか。長い人生ではトラブルはつきものですが、それを乗り越えるにはお酒の勢いも必要ですよね。よろしければご注文をどうぞ。あなたの気持ちに寄り添える一杯をお出ししますよ」


「あ、すいません。僕は下戸なんです」

「ちっ、酒も飲めないボウヤに用はありません。さっさと部屋に帰ってママのホットミルクでも飲んでなさい」


 やだ何この子、めっちゃ口悪くない?

 いやいや! この際だ、口が悪いとかそんなのどうでもいいじゃないか。


 今はただ、このバーテンダーの女の子に会えたことが嬉しくて仕方ない。

 絶望が希望へ変わる。うんうん、しかもこの子、よく見なくても人間離れした美少女でとっても可愛い、い……? 


 違和感を感じたボクの視線が、人形のように美しい彼女の頭から順番に下へおりていく。

 明るい紫色のショートヘアーに二十代くらいの整った顔立ち。皺ひとつなくピシッと決まった黒ベストに白Yシャツ。


 そして、腰から下に二本の足が……無かった。

 足が無いというか、なんかこう……椅子の真ん中からのびてる柱? みたいなのが生えている。


「あまり一本足(金属)をじろじろ見ないで欲しいのですが……もしかしてから笠お化けフェチの方ですか?」

「そんな特殊フェチいる!? ――じゃなくて! き、キミは一体……その足は……?」


「何かおかしなところでも? ああ、今となっては骨董品なのは理解できますが、それにしても驚きが過ぎるのでは?」

「骨董品……って」

「お客様。当店はレトロをテーマとしたレトロバーでございますので。ですがご安心ください、最新型にも見劣りしないサービスをご提供させていただきますよ」


 ですがご安心ください。

 そう彼女はどこか機械のような口調で続けた。


 ……機械?

 そうか、この子は……。


「キミは、アンドロイドなのか……」

「ええ。当店自慢の看板娘兼バーテンダーの乙姫(おとひめ)と申します、どうぞ以後お見知りおきを」


「は、はは……そうか……勘違い、か」

「どうかなされましたか? お顔の色が優れないようですが、もしや飲む前から急性アル中なのでしょうか」

「キミの言葉はどこか厳しいなぁ……。そうプログラムされてるのかい?」

「私は生まれた時からこんな感じです」


 クールに言い放つ乙姫は、下半身さえ気にしなければ表情も動作も人間そっくりだ。

 いくらレトロバー用の古いアンドロイドとはいえ、この辺りは最新型アンドロイドと遜色ないといってよいだろう。


 だから、だろうか。

 僕が感じていた孤独感は、多少なりとも軽減されていた。


「……それで、何をご注文されますか? それとも文無し野郎でしょうか? でしたらさっさとお帰り下さいませ、営業の邪魔ですので」

「キミ、バーテンダーとしてその発言はどうかと思うよ。そんなんじゃお客さんも怒るだろう」


「いえ? むしろ皆さんこぞって『いいぞ姉ちゃん、もっとやれww』と嬉しそうに煽ってらっしゃいますが」

「マジか……」


 レトロバーに来る客は感覚もレトロなのだろうか。

 彼女が言う皆さんとは、クールで毒舌な女の子を肴にする、身体と懐のデカイ海賊みたいな荒くれ者どもだったりするのか?


「何かお悩みですか。愚痴を聞き流す程度の能力でしたら私も備えておりますが」

「う、うーん……確かに悩んではいるんだけど……。キミに話しても事態が好転するかはわからないしなぁ」


「うじうじすんなや玉無しかてめぇ」

「段々口悪くなってない!?」

「失礼、今のはバグです」

「バグ」


「これは危険です。お客様があまりに私を無視しますとバグが増殖し続けて、罵詈雑言を浴びせるようになってしまいます。もちろんバグですから、私には何の罪もありませんが」

「そんなバグあるわけないだろ。それは正真正銘キミの意志――要はわざとだよね」


「何でも構いませんが、このままでは私が困ってしまいます。どうかお客様、今宵は私のためだと思ってまずはお席にお座りになってくれませんか?」


 そう言い終わった瞬間、彼女が無愛想な表情から一転してニッコリと笑ってみせた。

 不覚なことに、それは僕の胸をときめかせる十分な破壊力が備わっており、


「わかったよ。それじゃあ精々話に付き合ってもらおうじゃないか」


 まるで乙姫という少女を相手に一目惚れでもしてしまったかのように、僕はやれやれと溜息を吐きながら席についてしまった。



 ――それから幾度となく、この椅子に座ることになるとは知らずに。



 ◆◆◆

  

 結論から言おう。

 乙姫と話した事で、ボクは予想出来た絶望と予想外の希望を得た。


 まず、僕以外に目覚めた人はどこにもいなかった。

 バーテンダーの乙姫に聞けば、船の乗組員かあるいはツアーコンダクターと連絡を取れると思ったがアテは外れた。彼女が知っているのは基本的にバーテンダー業務に必要な事だけで、乗組員と連絡を取る手段や権限はほとんどなかったのだ。


 唯一出来たのは上司にあたるエリアマネージャーとの通信だけ。

 しかし、応答はなかったらしい。


「元々サボリ癖がある良くないタイプ人でしたからね」


 淡々と言い放つ彼女はそこはかとなくイラッとしてるように見えたが、それもまた高性能なAIが僕にそう見せただけか。

 いずれにせよ事態が急速に解決することはないという絶望感は拭えなかった。


 だが彼女と出会えたのは想像以上に幸運だったと言える。

 乙姫のAIには人の話を聞いて心のケアに務めるメンタルプログラムがあったようで、話し相手には最適だった。そのおかげで僕は大きな孤独感に押しつぶされる事なく、ある程度の平常心を保てるようになったのだ。


「いらっしゃいませお客様。今日もこんな些末なバーにいらっしゃるとは、よほど暇のようですね」

「常連客にそんな出迎え方をしてよいの!?」

「あら。何度も通って下さる人だからこそのサービスですよ。それとも機械的な対応がお好みですか? アンドロイドフェチさん」

「……から笠お化けフェチよりマシだけど、もっと他の言い方ってものがさぁ」


 僕の顔色から心情を押し量っているのだろうか。

 乙姫は、ツッコミせざるを得ないような冗談を口にした。きっと僕がそういう会話が好みだと理解しているのだろう。

 おそるべしメンタルプログラム。


 けどありがたかった。


 探索や乙姫の助言の成果もあって、広い広い宇宙を進む豪華客船内にある設備や物資が使えるのは助かるが、やはりひとりぼっち感は否めない。ようやくアクセスできた船の航行予定表によれば、目的地の惑星リゾートに到着するまでにかかる時間は。


 43800時間。

 およそ5年。


 コールドスリープの設定にもよるが、目的地に到着する三ヵ月前に乗客達は目覚める予定のようだ。

 乗組員の場合はもう少し早いらしいが……それでも4年以上は誰も起きずに船は自動航行する。ああ、なんて素晴らしい技術力だ。できたら緊急時もすぐに対応できるようにしてくれてると良かったが、残念ながら「絶対安全」「最高の旅」という謳い文句は僕によって終わったとみていいだろう。


「ああ、ほんとにキミがいてくれてよかったよ」


 強めの酒を煽りながら何度目になるかわからない感謝を口にすると、乙姫は眉をひそめた。

 下戸だったはずの僕が、今やすっかりいっぱし一場の酒飲みだ。


「お客様。今日だけでその言葉を聞くのは二十回目ですよ、いい加減聞き飽きました」

「それぐらい伝えたい言葉なんだ」

「気持ちの伝え方でしたらもっとバリエーションがあるでしょう。それと、私に対して言い続けてもあまり意味はないように思えます」


「なぜ?」

「私はアンドロイドですから。どんな気持ちが込められていたとしても、何度繰り返されたとしても、それはただの言葉の羅列です。残念ながら」


「そっか、それは残念だ。残念すぎるから、是非とも理解できるようになってくれると嬉しいな」

「よりあなたの性癖に合致するようバージョンアップをしろという命令ですか?」

「命令じゃないよ。ただ僕が、そうなって欲しいなって願っているのさ」

「……それは、レトロでポンコツな私には難しい注文ですね。せめてちゃんとした脚のある新しい型番の子にお願いするべきです」


 グラスを磨く手を止めずにしつつも、乙姫は自嘲気味に目を伏せた。

 コレは彼女と会話している内に判明した事だが、船内に配置されている他のアンドロイドがロクに動いていないのに乙姫だけが稼働しているのは、彼女に都合よく起動・停止――ON・OFFを切り替える機能がないかららしい。


 だから船に乗ってる人達が眠っている間も基本的に起動しっぱなし。

 そのおかげで僕は彼女とこうして話せているわけだが……ひとりぼっちを強制されていると思うと可哀相だと感じてしまう。これは我儘だろうか。

 僕は自分でも思っている以上に、彼女に感情移入とやらをしてしまっているのかもしれない。



「ねえ、乙姫って呼び捨てにしてもいいかい?」

「どうぞご自由に。なんでしたら型番もお教えしましょうか?」


「乙姫! 何か面白い話をしてくれ!」

「また無茶振りを……。命令するならもっと正確にしてください。「何か面白い」なんて大雑把すぎます」


「隣の家に囲いができたってね」

「うぉ~~る。……教えてもらったコレ、ほんとに面白いですか?」


 話す度に僕の情報を学習していく乙姫が面白くて、何度も足しげくバーに通ってしまう。

 長居する時間も随分増えた。お酒を飲みながら彼女と話す時間が孤独を紛らわせてくれる。


 乙姫の存在が僕の中でとても大事な物にランクアップしていく。

 そうなってくると、だんだん物足りなさが出てくるのは生来の欲深さゆえなのだろうか。


「あー、乙姫と一緒にどこかへ遊びに行きたいなぁ」


 ぽつりとそんな欲求が口から零れ出ていた。


「お客様は一体何を言っておられるのでしょうか。まさか私とデートしたいなどという妄言を? ご冗談でしょう?」

「いいね、デート。したいなぁデート」


「無理です」

「なぜだい?」


「私はこの店のバーテンダー。この場にいる限りは仕事に徹する義務があります」

「そんな命令プログラム、書き換えてしまえばいいじゃないか」

「誰が書き換えるんですか」

「……僕、しかいないよねぇ。ああでも、キミのためなら頑張れそうだ」


「よしんば命令変更ができたとしましょう。確かにソレなら私もこの場に留まる必要がなくなりそうです」

「だろ! じゃあ――」


「それで? お客様は私の事を担いで連れ回すおつもりですか」

「あ……」


 酔いが回っているせいか、すっかり失念していた。

 彼女には二本の足ではなくレッグパーツとも言えない太めの柱だけ。それでは確かに担いでいくしかないかもしれない。


「いやいや、車椅子とかあるだろこんな豪華な船なんだからさ。もしかしたら飛行ユニットもあるかも――」

「足の無いアンドロイド用の車椅子なんてありませんよ。飛行ユニットもです。きっと私には合わないでしょう」


「……そっか、規格違いってことかい」

「…………」


 乙姫が珍しく押し黙ってしまう。

 その時の彼女は、なんといえばいいのだろう。とても残念がっているように思えた。


「理解が早くて助かります。ですが……お客様のご提案はとても面白い物でした。もし今度誰かに『面白い話をしてくれ』と注文されたらご提供してみます」

「人の真剣な話を肴にするのはちょっと嫌だなぁ……」


 つまりアレか。

 乙姫の頭脳はこう判断したわけか。


『あなたの提案は面白い。だって叶うはずがないのだから』と。


 …………上等じゃないか。

 だったら笑い話で終わらせてやらないようにしてみせよう。


「今日は帰るよ、ありがとう乙姫」

「いつもより2時間もお早いお帰りですね。ご利用ありがとうございました、肝臓を大事になさってください」

「ご忠告どーも。安心してくれよ、僕の肝臓は鋼鉄製みたいだから」

「寝言は寝てからどうぞ?」

「辛辣! でも、見くびらないでくれ。これでも僕は、やる時はやるヤツを目指してるんだ」


 ◆◆◆


 それからしばらくの間。

 僕は自室や工作ルームに引きこもった。


 この船には大抵の物が揃っている。

 その中にはレクリエーションとは遠ざかるような、真面目に勉強したりスキルアップするための本や資料・マシーンがあるのは発見済だ。その中にはロボット工学やプログラミング用のもあるわけで。


「よし、いっちょやってみるか!」


 唯一のパートナーともいえる乙姫のために。

 僕はものすごいスピードで新たな技能の習得をはじめた。


 一心不乱に打ち込み続けた成果は割とすぐに訪れる事となる。


 ◆◆◆



「乙姫! 今日はキミに見せたい物があるんだ!」

「これはお客様。一体何を見せたいというのでしょうか。……先に言っておきますが、何か不埒なものだった場合は実力行使で排除させていただきますが?」

「こわいなぁ。大丈夫だよ、キミのために用意した素敵な物だから」


 バーまで台車で運んできた包みの布を、僕は大きく取り払う。

 さすがにアンドロイドであろうとこの中身は予想できなかったのだろう。乙姫はしっかり目を丸くしていた。


「それは……」

「そう! キミの《足》さ!!」


 出来立てほやほやの最新版。

 あちこちメタリックな部分は多いが、それで立派なレッグパーツが――乙姫の足がそこにあった。


「その、色々と不恰好なところもあるんだけど……是非キミに履いてみて欲しい」

「…………」

「えっと……急にこんなことお願いされても困るのは重々承知してるつもりだったんだけど。何か禁止コードに引っかかってしまうかな?」


「違います。私は、あなたの行動力に驚いているのです」

「え」

「同時に、そこまでしてくれたあなたに対して嬉しさがこみあげてきている自分に困惑しています。あなたはロボット工学士ではなかったはずです。なのに、こんな立派な物を……この短期間で……」


「気にしないで、僕がやりたかっただけさ」

「……先程の質問にお答えしますと、特に禁止コードには引っかかりません。ただ、私だけではしっかり装着することができませんのでお手を煩わせてしまいますが」


「ッッ、そんなの全然構わないよ! 早速付けてみよう」


 レトロゆえか、そこまで複雑な規格をしていない彼女の下半身パーツをカチャカチャと付け替えていく。

 パンツスタイルとはいえ彼女の腰から下を確認しながら換装していく作業は、ちょっと恥ずかしい。ただそれを口にしてしまうと彼女が怒る気がするので、僕は顔が熱くしなりながらも黙々と手を動かしていた。


「できた!」


 その内にパーツの付け替えが完了する。

 動作確認をしてみたが、少しぎこちなさはあるものの概ね上手く動いているようだ。


 自分で動かせる足を手に入れた彼女が、初めてカウンターの中から出てくる。

 その足取りは生まれたばかりの小鹿のようでもあったけれど、外の世界への希望に満ちていたとはずだ。


「……すごい」


 彼女の短くもハッキリとした感嘆の言葉に、胸と目頭が熱くなる。

 涙腺をキツく閉めなければ水分が零れ落ちてしまうところだ。


「よかった、深刻な問題は無さそうだね」

「……ええ。強いていうなら耐久性と柔軟性、それから可動域とバランスに少々難がありそうですが」

「うっ……そ、その辺はほら、今後の課題ってことにしたいな。そのデータは何と比べたものなの?」

「私がいつも付けていたレッグパーツと、多様性に富んだ多脚型ですね」


「た、多脚かぁ……さすがにそれと比べるのは酷だよ」


 乙姫の腰から下に6~8本の足が付いているのを想像する。

 うん、神話に登場するアラクネみたいにしかならないな。


「でも、良かった。やっぱり不安なところがあってね、そもそもキミが気に入ってくれるかわからなかったし」


 そう呟いている間も、乙姫は決して広くはないバーフロアをゆっくりと行ったり来たり歩き回っている。

 表情こそやや無愛想ないつもの感じだが、その頭部からは「♪」が浮かび上がっているように思えた。


 少なくとも気に入らないって事はなかったらしい。一安心だ。


「ありがとうございますお客様。コレで私はよりレベルの高い業務にあたれることでしょう」

「いや、それはまた今度にしよう」


「?」

「その……キミはずっと休みなく働きづめだったろう? 偶には休日が必要だ。というか、今の時代じゃアンドロイドにも最低限の休みをとらなければならないルールがあるのに、なんでかキミは守っていないじゃないか」

「私は燃費がいいですし、働くのは嫌いじゃないので」


「そういうのはワーカーホリックっていうんだよ。だ、だから……えっと、キ、キミさえ良ければなんだけど」

「なんですか歯切れの悪い。玉無し野郎の再発ですか」

「再発してるのはキミの下品さだろ……。じゃなくて……そう! キミにプレゼントしたその足の調子を見たいから、ちょっと一緒に船内を歩いて回らないかい!」


「つまり、私とデートがしたいと」

「うぐっ。理解が早いのは助かるけど、もうちょっと情緒ってものがさぁ……」


 僕のまごまごした態度を彼女の言葉がズバッと斬って捨てる。

 その反応はストレートすぎるよ乙姫……。


「いいですよ」

「…………ん?」

「許可、と言ったんです。言われてみれば以前から休息を取るべしと注意喚起がされていました。その際、いつ・どう休むかは私が決定できますので」

「そ、そうなのかい!? でも、それならもっと早く休みをとるべきだったんじゃ」


「おかしなことを言いますねお客様。そんなことをしたら、あなたのメンタルがやられるでしょう? 私以外に話し相手がいなくて、毎日このバーに通うぐらいなのですから」


 その言葉に、体温がボッと燃えたように瞬間上昇した。

 今の言葉に嘘がなければ乙姫は僕のために休みを取らなかったことになる。


 仕事だからかもしれない。そうプログラムされているからかもしれない。

 だけど、乙姫はいつも僕を待ってくれていたのではないか。そう考えてしまうのは、うぬぼれだろうか。ああ、僕は孤独のあまりいつからか流行りだしたアンドロイドフェチに目覚めてしまったのか。


「ちなみにアンドロイドは嘘をつきません。ご存じだと思いますが」

「あ、ああ……そうだったね。いや待って、それはつまりキミは僕のことを好きだと判断して良いって――」


「拡大解釈しすぎですよお客様。そんな妄想よりも、今は紳士らしくエスコートするべきではないですか」

「う、うん! 任せてくれ!!」


 始まった船内デートはとても楽しかった。

 本当に、とてもとても楽しかったんだ。


 バーで会話するだけだった乙姫と別の場所で共に歩くだけで、こんなにも世界が広がって見える。

 二人だけしかいないダンスホールで行われたパーティは互いにぎこちなくて、時折足を踏んだり転んだりした。その度に、僕らは顔を見合わせて可笑しそうに笑いあう。


 普通の人が今の僕を見たら、変だのおかしいだのと感じるだろうか。

 それでも構わない。


 僕は彼女とこうしていることによって、何度でも胸があたたかくなるのだから。

 

 コレは、なんなのだろう。

 こんな湧きあがってくる気持ちは初めてだ。


 その答えはすぐに思いあたったが、僕にはまだソレを受け止められる自信がなかったので。


「どうかしましたかお客様?」

「ちょっとね、でも気にしないで」


 可愛らしい乙姫の質問には、上手く答えられなかった。

 

 ――後々になってその言動を後悔することになるとは知らなかったのだ。


 


 ◆◆◆


「乙姫、なにかあったかい?」

「どうしてですか」


「その、どこか元気が無いように見えるよ」

「おかしな事を言いますねお客様。この血の通っていないボディの私に、元気も何もあったものではないでしょう」

「そ、そうだね……」


 だが、乙姫の様子がおかしいのは明らかだった。

 これまでの彼女であれば、よどみなくスムーズにバーテンダー業務をこなしていたはずだ。

 なのに、ある日を境にお酒を零したり、コップを滑らせたりとミスが目立つようになった。


「……ねえ、乙姫。もしかして、どこか不具合が起きてるんじゃないのかな?」

「不具合、ですか」


 ほとんど水のような酒を飲みながら、僕は提案する。


「一度メンテナンスを受けてみるのはどうだい。この船のメディカルマシーンは良く出来てるから、異常があればすぐ判明するし対処法だってわかるよ」

「……あの」

「ん?」

「一緒に、ついてきてくれますか?」

「ッ、もちろんだよ!」


 

 人間用のメディカルマシーンがあるように、アンドロイド用のマシーンもある。

 液体で満たされたカプセル型に入っていく彼女を見送って、僕は起動スイッチを押した。内緒だが、この日のためにメディカルマシーンの説明書は暗記するほどに読みこんでいる、問題はない。


 ただ、その結果は予想外だった。


「《深刻なエラーが発生している可能性有。なお、原因は特定できず》……?」


 そんなバカな事があってたまるか。

 僕は何度も再チェックを施した。だが、やっぱり同じ結果が出てしまう。


「結果はどうでしたか?」


 おそるおそる僕にそう尋ねてくる乙姫に隠し事はできない。

 僕は検査データをそのまま彼女に見せるしかなかった。


「……そんな顔をしないでください。あくまで可能性が有るだけとも言えます。しばらくは様子見です」


 逆に言えば、打つ手無し。

 乙姫の挙動は日増しに悪くなっていくようだった。


 ◆◆◆


「クソ!!」


 思わず声を荒げて自室のテーブルを強く叩く。

 乙姫の不調をどうにかしようと、僕は一日の大半を調べ物に費やしていた。

 だが、脚を作ろうとした時のように成果はでない。むしろ調べれば調べる程に、どうしようもない事だけが判明していく。


 そんな事をしている内に、僕は重大な事実に辿りつく。

 色んな知識を身につけて再度乙姫のデータを隅から隅まで確かめたら、エラーやバグに相当する箇所を発見したのだ。


 ――それは、


「……僕が作った、足に関連した箇所…………?」


 原因がわかった。

 乙姫を壊しかけていたのは、僕だったのだ。


 ◆◆◆


「どうして教えてくれなかったんだ!?」

「…………」


 いつものバーで立っている彼女に詰めよって、僕は叫んだ。


「キミは最初の段階で気づいていたはずだ。なのに、どうして……」

「落ち着いてください、お客様」

「これが落ち着いて――――」


「その質問は、私にとってとても残酷で苦しいものなのです。だからどうか、落ち着いてください」

「…………ご、ごめんよ。僕はどうかしてた」


 アンドロイドは人間に対して嘘をつけない。

 それは高度なAIを持つ彼女達は隠し事が出来ないという意味であり、命令さえされれば決して話したくないものすら暴かれてしまう事を意味する。


 僕は危うく一線を超える所だったのだ。


「ちゃんとご説明しますと、私の不調はお客様のせいではありません」

「どういうことだい」


「ココはレトロバー。バーテンダーを務める私もずいぶん古き者になります。だから、他の子達よりも寿命が近いのです」

「寿命って……」

「有体に言えば経年劣化です。お客様は作った脚が原因で私がおかしくなったとお考えでしょうが、根本的な理由はもっと別のところなのですよ」


「でも! それならメディカルマシーンのデータはどういうことなんだッ、やっぱり壊れて……」

「あの機械は正常です。ただ、その私のようなポンコツまではカバーしきれなかっただけですよ」


「違う、違うよ……キミはポンコツなんかじゃない。絶対にポンコツじゃないんだ」

「何故そう思うのですか? 私はいま、泣いているあなたの涙をぬぐう事すらできないというのに」


 そう言ってくる彼女は、カウンターの向こうではなく僕の隣に移動していた。

 職務熱心な乙姫がだ。

 よほどの理由がなければ頑として動か鳴った彼女が、寄り添うように隣にいてくれる。


 そんなキミをポンコツだなんて、誰が言えるのか。


「…………なんとかしよう。いや、なんとかするんだ」

「あまり落ち込まないでください。幸いというべきか、数年もすれば目的地に到着するのですから。そしたら、どうとでもなります」

「僕に出来る事は、何かない?」

「そうですね……。では、また御気の向くままにお店を尋ねに来てください。可能な限りサービスさせてもらいますので」


「いけないお店の誘い文句みたいだね」

「冗談を言う余裕はあるようで何よりです」



 そのとおりだ。

 乙姫の言うとおり、のはずだった。


 だが、僕らに残された時間は――数年もなかった。

 彼女がこの世界からいなくなる日は、目的地に着くよりも早く訪れてしまう。


 今、乙姫はバーカウンターに突っ伏している。

 ただそこはプライドが許さないのか、なんとか顔だけはお客様である僕の方へ向けられていた。


「不覚です。これしきのエラー如きで……」

「無理しないで」


「ですがお客様の相手をしないと……」

「今は気にしないで。じっとして」


 計算上、彼女が起動停止するまで幾ばくもない。

 少し動いただけでもその時間は短くなるかもしれないので、そのままでいてほしい。


「お客様」

「ん?」


「寂しくなりますか」

「そうだね」


「申し訳ありません」

「いいんだ」


「もし足が向くようでしたら、このコード:010でご注文してください。お客様が通った回数分蓄積したデータから最適なお酒をご提供できますので」

「ありがとう。きっと毎日通うよ」


「どういたしま……して……またのお越し、を……」


 乙姫の瞳から光が消え、僕を見つめたまま動かなくなる。

 

「……そんな顔をしないでおくれよ」


 停止してもなお、乙姫は心配そうな表情のままだった。そのままだと全身から一気に人間味が失われただけに見える彼女のまぶたを掌で閉じてあげると、ただ可愛らしい女の子が眠っているだけのようになる。


「コレで……ひとりぼっちだ」


 とうに覚悟は決めていたはずなのに。

 こうなるとわかっていたはずなのに。


 いまだに考えてしまう。僕には、もっと彼女のためにしてあげられる事があったのではないかと。


「最後まで、乙姫は僕の名前を呼んでくれなかったね。僕は、それが少し悲しかった」


 けれど。

 決して何も感じていなかったわけではなく、すべてが業務上の関係でもなかったはずだ。

 その証拠に、彼女は僕が作った脚を付けたままで眠りについているのだから。


 エラーの原因になったかもしれないパーツ。

 もし乙姫が真にプログラムのみに沿って動く機械であったのなら、そんなものはとっくのとうに廃棄していたはずだ。


「寂しいよ……乙姫」


 涙はとうに枯れていたはずだ。なのに後から後から零れてくるコレはなんだ。

 僕が彼女に抱いたこの気持ちの正体はなんだ。


「もしかしなくても、コレが――――だったのかな」


 返事は無い。

 ただひたすらにその事実が悲しい。

 もう何もかもがどうでもよくなるような凄まじい喪失感だ。


 視界の隅に、鋭くとがった道具が目に入る。

 乙姫が氷を削るのに使っていたアイスピックだ。


 ゆっくりとソレに手を伸ばす。

 うん、この長く鋭い一本のニードルなら問題ないだろう。


 逆手に構えたアイスピックの柄を両手で握りしめる。

 狙いは心臓だ。


 彼女が居ない孤独な世界に未練などない。

 きっとコレが、ココにはもういない乙姫に最も早く再会するための方法なのだ。


「ふっ!!」


 気合と力をこめて、内側に振り下ろす。

 

 ――嫌な感触と共に自分の意識を暗闇が覆い始めていく。

 その中で僕は祈った。



 どうか、乙姫とすぐ再会できますように。




 ◆◆◆




「オトヒメ~? そろそろ一旦休憩を――ってえ!? ど、どしたん! なんであんためっちゃ泣いてんの!!」


 仲の良い同僚が驚いている。

 当然か。私だって友達がこんな風になっていたら同じ反応をしただろう。


「いや、えっと……なんて言えばいいか」


 座っている車椅子の向きを変えながら、私は被っていた最新側のヘッドディスプレイを外した。

 視界に入ってくる風景が豪華客船の船内から、パソコンやモニターのある実験室へと変わっていく。


「とんでもないものが生まれたわ。コレは……どうするべきかしら」

「ちょっちょっと、まさかこのマスターアップ直前で仕様変更とか言い出さないわよね!? 上からめっちゃ怒られるとかってベルじゃ済まないよ!」


「極端な設定をした耐久テスト中、内部AIが予想を大きく超えた挙動をした。十分一大事よ」

「は?」


「偶然が重なったか、単なる不具合か。ううん、どれでも構わないな」

「いや、一人で納得してないでちゃんと教えてくれない?」




「AIが独自の挙動で、新たな恋に目覚めたのよ。ショックが大きすぎて自死を選ぶほどのね」



 素敵でしょ?

 ああ、早く名前を呼んであげないと。ううん、それより止めるのが先だわ。


 ぶつぶつと、しかしどこか嬉しそうに。

 ソフト開発部リーダー・乙姫はヘッドディスプレイを装着した。







 

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