四十雀の恋 🌼

上月くるを

四十雀の恋 🌼





 春の朝、かすかな瀬音が聞こえる森のなか、一輪の花がひっそり咲き初めました。

 朝日を浴びた紫色の六枚の花弁をイナバウアーみたいにそっくり返らせています。

 


 ――春の妖精(スプリング・エフェメラル)。



 そんな名前で呼ばれることもある片栗かたくりの花は、別の名を堅香子かたかごともカタコとも。

 地下で眠っていた茎がときを得て地上に生え出て、ようやく陽の目を見たのです。


 その凛とした気高さといったらどうでしょう、まさに妖精が舞い降りたかのよう。

 ブナもケヤキもスギもモミジも、森の木という木たちが思わず吐息を漏らします。


 


      🧚‍♂️




 とそこへ、一羽の四十雀しじゅうからがやって来ました、白地に黒で、背に黄色い差し色があり、のどから下腹にかけてネクタイのような黒い縦線がある、ダンディな野鳥です。

 

 

 ――ツーピツーピ ツーピピッ  やあ、森の樹木のみなさん、こんにちは~。

   ツィピーツィピーツィピー  きょうは久しぶりにいい天気みたいですね。

   チュチュパーチュチュパー  ぼかあこう見えてヴォーカリストなんです。

   パチュパチュパチュパチュ  菜種梅雨だった分までうたっちゃいますよ。



 たてつづけに朗らかにおしゃべりをしながら、森の木の枝から枝へとわたっていた四十雀は、ん? 首をかしげました、あんなところに初めて見る花が咲いているよ。


 つい先日デビューしたばかりの四十雀にとって、それはなんとも魅力的な花……。

 粋な黒ネクタイのヴォーカリストは、たちまち恋のとりこになってしまいました。


 

 

      🦜




 それから四十雀は森へ通いつめ、片栗の花にうたってやるのが日課になりました。

 両親やきょうだいに「せっせとどこへ行くの?」と訊かれても頬を染めるばかり。


 ただ、曇りや雨の日はがっかりです、紫色の神秘の花はかたく閉じたきりなので。

 逆に、よく晴れた朝は、そんなにも? というほどのイナバウアーに反るのです。


 四十雀はそんな恋人のすがたを見るのが愉しくて、胸が躍って仕方がありません。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、片栗は恥ずかしそうに咲いているばかり。♡




      🎇




 そろそろ梅雨がやって来ようかというある朝、四十雀の胸は、どきっとしました。

 ない、ない、ない、ない……愛しい片栗がありません、こんなに晴れているのに。



 ――ヅーピヅーピ ヅーピピッ  ねえ、森の樹木のみなさん、これって何事?

   ヅィピーヅィピーヅィピー  愛しいあの妖精はどこへ消えてしまったの?

   ヂュヂュパーヂュヂュパー  ぼくだけ置いて、いなくなるはずないよね?

   バヂュバヂュバヂュバヂュ  あ、わかった、やんちゃ風の仕業でしょう?



 うろたえた四十雀は悲鳴をあげ、あっちの木、こっちの木と訊いてまわりました。

 みんな困っているので、ブナの老樹が代表して四十雀青年に説明してやりました。



 ――あのな、なあんも心配はいらんよ。

   片栗の花は、夏眠かみんに入ったのじゃ。


  

 春、ありったけのパワーを出して咲いた片栗は来春まで地下で休むのだそうです。

 そして、十分に養分が蓄積されると、満を持して地上に芽を出し、花を咲かせる。


 太古のむかしから繰り返されて来た営みと知った四十雀はもう嘆きませんでした。

 それなら、ぼくは春まで待っているよ、せいぜいヴォーカリスの腕をみがいてね。

 



      🌳




 せせらぎ沿いの森をきれいな風が吹きぬけ、きらきら木洩れ日を降らせています。

 しずかに季節はすすんで、梅雨が明けると真夏になり、秋になり、冬になり……。


 そして、あの心弾む恋の季節を綿のようにふんわりした牡丹雪が連れて来ました。

 大人になった四十雀は、黒光りするネクタイを整えて、片栗の花を待っています。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

四十雀の恋 🌼 上月くるを @kurutan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ