ただ息をすることすら難しい

永遠

花々の話

今は昔。

私たちの住処に厄災が襲いかかった。それは流れ星のように突然で、私たちにはなす術がなかった。そしてその厄災はそこに住む全てのもの平等に襲った。

多くのものが命を落とした。

幸いなことに、厄災にも終わりはあった。厄災が終わった後、残った命は僅かだった。残った命が何を思ったかを知る術は今は何処。





「南天様、南天様。お慕い申しております」

瑞香は今日も開かない木の門の前でそう思いを口にする。返事はいつものようにない。

「南天様、あなた様のお家の桜は今年も美しく咲きましたね。私はここに来るまで何度も桜を見ました。どれもとても美しいものでしたが、あなた様のお家の桜は一等美しいと感じます。……私は私が待てるまでお待ちいたします。また明日、参りますね」

瑞香はそう言うといつものように手作りの菓子を置き、その場を去った。



瑞香が南天に想いを寄せ、こうするようになったかは瑞香ですら覚えていない。南天を好きになったその時から瑞香は様々な形で想いを伝え続けている。

決して自分を招かない家に赴き毎日想いを伝えること、それが瑞香の南天への意思の伝え方だった。



瑞香が南天に恋をしたのは今日のような桜咲き乱れる春の日だった。心地良い風が頬を撫でてとても気持ち良かった。瑞香はこの日の全てを覚えている。


"存在するが、あわぬもの"。

それが周りの南天への認識だった。瑞香も父母から

「町外れのお屋敷にはあるものが住んでいる。でも我らとはあわぬのだ」

そう幼い頃から言い聞かされていた。何者も幼い頃は興味を持ちやすい。瑞香はそう言い聞かされていたが、何度もこの屋敷には行っていた。しかしいつも門はしっかりと閉められていて、見えるものと言えば門と塀よりも高い屋敷部分と立派な桜の木だった。

その日も瑞香は町外れの屋敷へと向かった。あそこの桜は一等美しかったからだ。いつかあの桜を傍で見ることが瑞香の夢だった。

屋敷に着いて空を見上げる。薄桃色の花がひらひらと落ちてくる様はなんともいえず美しかった。落ちてくる花弁を捕まえたくて瑞香は様々に、踊るように動いた。

暫く捕まえられずにいたが、何度目かに手応えを感じて手を開くと見事に花弁がそこにあって瑞香は顔を綻ばせ喜んだ。誰かにこの喜びを伝えたくてきょろきょろと辺りを見渡すと、目の前の小さな門に隙間が見えた。今思うと、この屋敷の裏門だったのだと理解できる。

瑞香はその隙間をそっと広げて中に入った。そこはまるで別世界だった。何もかもが大きく立派で美しく圧倒された。そしてそんなものたちの中でぽつんと佇む何かを瑞香は見つけた。

父母や自分たちとは違う漆黒の髪、雪のような肌、ぱっちりとした大きな赤い目、豪華な服と飾りを身に付けたそれから瑞香は目を離せなかった。

「ここに何かが入るなど、どのくらいぶりだろうか。これも縁だろう。私は南天、そなたの名は?」

鈴を転がしたような声で南天と名乗ったそれは瑞香にそう問いかけた。唐突な問いに戸惑いつつも

「わ、私は瑞香といいます!あの、ここの桜があまりにも綺麗でいつも来ていました。落ちてくる桜の花弁も捕まえられたことが嬉しくて誰かに伝えたくて……そうしたらここに入ることができて」

と答えた。あんまりにも上手く話すことができずに瑞香はとても恥ずかしくなり、最後の方など消えいりそうな声だった。

そんな瑞香に南天は

「そうか、喜びは誰かと分かち合えば倍増するものだ。その誰かに選ばれたことを私はとても嬉しく思うよ。また落ちる花弁を捕まえられると願いが叶うと私は耳にしたこともある。瑞香、あなたに良きことがあることを願う」

とふわりと笑い返した。その笑顔がとても柔らかくて温かくて、綺麗で。

瑞香は南天に恋をしたのだ。


その後、瑞香は喜びを一通り南天に伝えいくつか言葉を交わした。やがて夕刻が近づき南天は瑞香にこう言った。

「私のことは父母殿から聞いているだろう。町に住まうものたちからも。私に会ったことはあまり他のものに話すべきではないだろう。周りを不安にさせるのは良くない。もうおかえり。縁があればまた会えよう」

瑞香はまだ南天に話したいことがあったが、確かに父母を不安にさせたくなかったので、何度も振り返りながら入ってきた場所から外に出た。

南天は見えなくなるまで瑞香に微笑みかけていた。

次の日瑞香は屋敷に行ったがどこも閉め切られていて、迎えてくれたのは桜だけだった。




それから何度も瑞香は南天に会いに行ったが、次に会えたのは初めて会ってから数年後のことだった。


会えたのはあれから季節が巡り、雪積もる冬の寒い日だった。

定期的に南天の屋敷を訪れていた瑞香はお酒を持ってその日も門を叩いた。

「南天様、本日はお寒いですね。本日は親戚から頂いたお酒をお待ちしたのです。私はお先に少々いただいたのですが、とても美味しく温まりましたの。南天様にもぜひ味わっていただきたく思いまして」

しかし瑞香に応えるものは無く。

「南天様、こちらに置いておきます。良い時に、どうかお試しくださいましね」

瑞香は門の前の雪を少し掘り起こしてそこに酒を置いた。瑞香にとってそれはここ数年の"いつも"であり、苦ではなかった。そして一礼して去ろうとした時に、瑞香は雪で思い切り滑った。

「い、痛い……南天様のお家の前でこんな無様を晒すとは……体も心も痛いわ」

すぐに立ちあがろうとしたが、足を挫いてしまったのか。中々立ち上がれずに涙が込み上げてきたその時に、門が少し開いていることに瑞香は気が付いた。それを見てしまったら、もう痛みなどに構っていられない。

火事場の馬鹿力とはおそらくこのことだろう。置いた酒を持ち直し、足を引き摺りながら瑞香は門を押して中に入った。


門の中もやはり雪で冬化粧をしていた。やはりこの屋敷は気持ちが良い。瑞香は思い切り深呼吸をした。

「また縁が繋がったと思えばそなただったか。うむ、久しい久しい」

ずっと聞きたかった声の元を探せば、以前と同じ場所で優しく佇む南天がいた。

「南天様、南天様!私、あれからずっとお会いしたかったのです。ああ、またこうしてお会いできて私は幸せでございます!」

瑞香は思わず駆け寄ろうとしたが足を怪我していたことを忘れていて、駆け出した足に走った痛みによろけてしまった。ああ、いけない。そう思いながらも倒れゆく自分の体を止められなかった。

「私はこの屋敷からは逃げない。だから落ち着きなさい。瑞香、今足を治してあげよう」

瑞香を助けたのは南天だった。南天は瑞香を抱きとめると、片手に酒を片手に手を取り椅子まで導いた。

「このような日に外での治療になってしまい申し訳ない。だが私の屋敷にそなたを入れることはできないゆえ、許してほしい」

瑞香を椅子に座らせると、南天はその前に跪きそっと足を持ち上げた。

「な、な、南天様?!とんでもないことを!こんな……もったいなく!私には身に余る光栄でございます。私の怪我など雪で冷やしておけば治ります!」

「そんなことをしてはならない。なによりそなたの怪我の要因は私だ。それにそこまで畏まられる理由が私にはないよ」

「私にはあるのです!」

顔を真っ赤にして手で隠す瑞香に構わず南天は治療を始めた。その治療は瑞香の知らないものだった。

南天は患部を見つけるとそこに軽く手を当てたあと口を近づけ小さな声で何事か唱え、ふーっと息を吹きかけた。

「これで怪我は治っただろう。何か気になるところはあるか?」

そう問われた時には足の痛みは無くなっていて、あるのは優しいぬくもりだった。

「すごいです、流石南天様です!私はこのような治療方法を初めて受けました。南天様からこのような施し、この上ない幸せです!」

幼子のような反応をする瑞香を見て南天は笑う。

「そなたは大袈裟だ。ただこのような治療方法はそうだな、そなたは早々受けないだろう。異常が出たら医師を頼ると良い」

「南天様の治療が間違えているはずありませんわ」

「数度言葉を交わしただけでこのように信頼されることになるとは。言葉にはやはり力があるのだろうな。瑞香、この後時間はあるだろうか?良ければ共にそなたが持ってきてくれた酒を飲まないか?」

「私で良ければどこまでもお供いたします!」

間髪入れない答えに笑う南天を、瑞香は昔と全く変わらず美しいと思った。


「南天様、どうして私を誘ってくださったのですか?」

「……私は瑞香たちと関わることをあまり良しとしていない。そなたの父母もそれをそなたが私と関わることをあまり良しとしないだろう。ただ私は良きものは皆で分かち合いたい。それだけだ」

そう言うと南天は酒を飲む。

「うむ、美味いな」

その言葉を聞くことのできた瑞香は満面の笑みを浮かべた。

「このお酒は私の家で造ったお酒なのです。南天様にそう言っていただけて幸せですわ」

「そなたも幸せか。それは良かった。私はそれを聞きたかった」

南天は酒を傾けながら辺りを見回す。

「ここには最早私しかいない。それは仕方のないことだ。……しかし、まだこうして誰かとこの景色を観ながら酒を飲み言葉が交わせるとは。生きてみるものだ……」

そう言うとまた酒を飲む。

瑞香には南天の言っていることがよく理解できなかったが、南天が幸せそうに今を過ごしている姿を見るだけで幸せだった。


それから酒は空になり、日も落ち始めたところで南天は瑞香に帰るよう促した。

瑞香も仕方なしと帰ることにした。

「南天様、会えなくてもまた参ります。どうか、どうか南天様が健やかでありますように」

門が閉まる時、瑞香は南天にそう言った。南天はそれに切なそうに笑い手を振った。



そしてまた瑞香は開かない門へと毎日毎日通い始めた。

またいつか会える、だって二度も会えたから。それを支えに瑞香は通い続けた。

そんな瑞香の努力が実ったのは雪が溶け始め、様々な命の鼓動が活発になる春の始めだった。



その日も変わらずに南天の屋敷を訪れた瑞香は門が開いていることに気が付き、思わず中に入ってしまった。

南天を探すと、南天は大きな桜の木の下に佇んでいた。

「南天様、南天様!私、出会えることを楽しみにしておりました。」

そうして瑞香は南天に駆け寄った。南天は瑞香に背中を向けたまま、こう応えた。

「瑞香、そなたは沈丁花を知っているか?」

「沈丁花……でございますか?」

「ああ、ちょうどこの時期に花をつける。強いが良い香りを放つ、良い花木だ。寿命は20年から30年と他の花木に比べると少々短いがな」

そう言って振り向いた南天の手の上には栞があった。緑を基調にして、ところどころに白い花弁らしきものがみえる。

「そなたにこれを渡そう。ぜひ受け取ってほしい」

南天からの贈り物に瑞香はそれこそ飛び跳ねて喜んだ。

「これを私にくださるのですか?!嬉しいです!この白い花弁が沈丁花でしょうか。素敵です……南天様からこのようなものを頂けるなんて……瑞香は幸せでございます」

栞を胸元でぎゅっと大切に幸せそうに抱きしめる瑞香を見て、南天は満足そうに微笑む。

「今までの礼だ。喜んでもらえて良かった。さて、瑞香。今まで本当に感謝する。今まで色んなことがあったが、私はさいごのさいごにそなたに会えて幸せだった。そなたがこの門から外へ出たら、もう二度とこの門が開くこともなければ私と会うこともない。そういう定めなのだ。ああ、このようなさいごを迎えられようとは、本当にそなたには感謝しかない」

穏やかな表情でそう言う南天に瑞香は詰め寄った。やっと距離が縮まったと思ったらこの発言である。瑞香からすれば唐突すぎた。

「な、南天様。急に何を申されるのです?もしかして毎日参るのがご迷惑でしたか?でしたら三日に一度に努力して控えます。それとも私が何か粗相を?それでしたら仰ってくださいませ!なおします!だからお願いいたします……そんなこと仰らないでくださいませ……」

瑞香は南天の前に膝をつき手で顔を覆い泣いた。それを南天は苦しそうに見つめる。しかし決して瑞香を抱きしめたりはしなかった。声をあげて泣く瑞香に手を出さず、ただ見つめるだけだった。

暫くして、瑞香は泣き止んだ。そして懐から何かを取り出した。

「南天様、あなた様にも訳がおありなのでしょう。我儘を言ってはいけないとわかっておりますが、これだけは受け取っていただけませんか?」

そう言うと瑞香は南天の手を取り無理矢理取り出したそれを握らせた。

「これは……」

「ミヤコワスレを中に入れた袋です。南天様をお慕いしてから……愛してからいつかお渡ししようと思って作っておいたものです。南天様と会えぬ間、憩いとなるように。また会えるようにと願いを込めて作りました。南天様、私はいつまでも南天様をお待ちいたします。いつまでもお慕い、愛しております。南天様のお気持ちがどこにあろうと、私も気持ちがそうあることをどうかお許しくださいませ」

瑞香は泣きながらふんわりと南天に微笑んだ。

「想いはそう簡単に変えられぬことを私は知っている。……瑞香、これを受け取ろう。私はそなたの幸せを祈っている。そなたが幸せであれば良い。ありがとう」

南天がそう言うと瑞香は花吹雪に襲われて門の外へ押し出されてしまった。

「南天様!南天様!私はずっと、ずっとあなたを愛しております!愛しております!」

花吹雪の合間から瑞香が見た南天の姿は最初に出会った時そのものだった。




あれから何度も何度も瑞香は南天の屋敷を訪れたが、南天が最後に言ったように門が開くこともなければ南天に会えることもなかった。

しかし瑞香は今日も南天に想いを告げに屋敷へ赴くのだ。







南天はいわゆる生き残りであった。

昔襲った、多くの命を奪い去った厄災。南天はそれに仲間も家族も奪われ、多くを失った。

生き残った南天は皆で過ごしたこの場を離れられずに、この地をまた住処とし屋敷を建てた。その後厄災は来ることなく、木々が育ち水や風が流れ、かつての姿を取り戻した。南天はそれに大層喜んだ。


ある日この豊かな地を住処にしようと、南天とは違う種族がやってきた。

南天はこの地を一人で堪能しようとは思わなかったので、この種族を受け入れた。しかし南天とこの種族は姿形が違った。言葉が通じたことは奇跡といえよう。

南天はこの種族の全てを受け入れたが、新たにきた種族は南天を受け入れることができなかった。だから南天を拒絶した。そのうち、お互いは干渉しなくなった。南天は屋敷の門を閉ざした。

新たにきた種族は南天のことを"存在するが、合わぬもの・会わぬもの"とした。


南天は種族は違えど、また誰かと話したかった。笑いたかった。幸せを分かち合いたかった。

それが叶ったのは、南天の寿命が尽きる寸前のことだった。

南天は満足だった。

幸せにこの世から去った。



瑞香が今なお通う南天の屋敷。

美しい桜の木の根元には、物言わぬ南天の骨とミヤコワスレの入った袋が静かにある。


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