炎と海の話

俺曰く。

彼女との出会いはまるで物語のようだった。


俺が運動のために朝早くに砂浜の走り込みをしようと決めて海に行ったその日、彼女と出会った。朝日を浴びて歌う彼女の美しさといったら例えがない。彼女の歌を邪魔しようなんて思ってなかった。ただ俺の口からは

「女神か?」

とありきたりな言葉がもれて。

それに気付いた彼女が歌うのをやめて振り向いた時は、やってしまったと心の中の自分を殴った。

振り向いた彼女はニコッと笑うと、

「女神だなんて、とんでもない。私はしがない人魚ですよ」

と俺に言った。それに対して俺は

「女神だ」

と呟いて、また彼女に笑われた。

これが俺と彼女との出会い。俺的には物語のような出会いだった。実際にどこかにありそうだと思わないか?

運命の出会いってやつだったんだよ、俺の中ではな。



彼女はシーと名乗った。母なる海と同じ名なのだと、嬉しそうに俺に言った。それに対して俺も名乗った。俺の名前はエン。炎から取られた名なのだと告げた。それに対して彼女は

「名前に意味があるのは素敵よね。私の名前もあなたの名前もとっても素敵!」

とキラキラ笑った。

俺はその時心底両親に感謝したね。俺に意味のある、彼女に素敵と言ってもらえた名をつけてくれてありがとう、と。

その日は二言ほど言葉を交わすとシーが用事があるからと海に消えていってしまった。俺はそれを残念に思いながらも両親のために釣りをした。

大きな鯛が釣れたもんで、めでたいと。俺は大喜びで持ち帰って両親に感謝した。両親は喜びながらも俺の熱を測った。

失礼だと、孝行息子に何をするんだと思ったが、今までを思うと納得しかない行動だった。



その日から俺はシーに会いに海に通った。

シーに男らしさを見せたくて砂浜を走り込みしてバテて笑われたり。俺のことを知ってほしくて、一日中俺の話をしたりした。

シーは全てに付き合って反応をくれた。笑ってくれることが多かったな。俺はシーの笑顔が大好きだったからそれが嬉しくてしかたなかった。

シーの笑顔は特別なんだ。シーを見るだけで俺は幸せなんだが、笑顔は格別。俺の心がこう、ポカポカとあったかくなるんだな。幸せだって感じるんだ。

俺、語彙力が無いって言われるんだがこの感覚が伝わってるか?

まあ、シーの笑顔は俺を幸せにするんだよ。いや、会うだけで幸せだな。待て、シーがいるだけで幸せだ。

シーは存在するだけで俺を幸せにする。……やっぱり俺の女神だな。






私がエンと名乗る男性に出会ったのは、気持ちの良い朝のことだった。

私は海中を住処としているけれど、そこまで深いところには住んでなくて、陽の光が届く深さに住んでいる。その日は目が覚めたら明るくて、陽の光を浴びたくなった。

助走をつけて思い切り飛び出す。盛大な音を立てて水飛沫が飛び散る。それらは陽の光を浴びてキラキラと光っていて真珠のようだった。それを見ながら私の体はまた海に沈んだ。

とても気持ちが良いのがわかったから、今度はゆっくり水面から出て、浅瀬の岩に腰掛ける。

私は気持ちが良いと声を出したくなる。だから思い切り歌った。私は仲間の中ではあまり歌が得意な方ではない。褒められたことはなかったけれど、私は歌が好きだったからこうして歌うことはあった。

早朝だったし、ここに私以外の誰かが来るとは思っていなかったから、突然聞こえてきた男性の声と言葉に驚いた。

私が女神?とんでもないことだ。女神様に失礼すぎる。

ただ、そう言われたことに嬉しさを感じたのは確かなの。


エンの名前の由来は炎だと聞いた。

名前に由来、意味があることは素敵なことだと思うから素直に素敵だとエンに言った。でも実は私には炎があまりわからなかったの。

仲間には、陸の光で赤くてとても熱いものだと聞いていた。私が炎について知ってることはこれだけだった。

エンと別れてから私は改めて炎について考えたけれど、炎と太陽はやっぱり違うの?赤いということ以外は同じだと思ったから仲間に聞いてみたけれど、笑いながら違うと言われてしまった。

仲間に悪気がないことはわかっているから、そうなのか。と思う反面、私なりに一生懸命考えたことを笑われてしまったことに少しムスッとしてしまった。そこも笑われてしまって、私はちょっと拗ねてしまった。


エンはあれからずっと海に来ている。

ひたすら砂浜を走り回って倒れたり、私と楽しくおしゃべりをしてくれた。

倒れてしまった時は慌てたけれど、エンが笑っていたから私も笑ってしまった。

エンが笑うと私も笑ってしまうの。

エンの笑顔は素敵だと思う。エンの笑顔には私を笑顔にするという力がある。最近ではエンが笑顔でなくともエンの姿を見るだけで笑顔になれる。

エンは凄いと思っているの。





俺は今日もシーの元へ向かう。

道を進むことには慣れたが、いかんせん体力が追いつかん。これはおかしい。前より疲れやすくなっている気がするのはどうなのだろう。

……もしかしてシーに会えるという喜びに体力というか、気力を使っているのか?それなら納得ができる。

海が見え始めたところで俺の足は早くなる。早くシーに会いたい。今日はどんなことをしようか。ああ、こういうところでも体力を使っているんだな。

いくら体力がついてもこれじゃあ追いつかないな。俺のシーへの想いは体力がつく早さよりよっぽど早く募っている。

シーの姿が見えてきた。今日も俺は幸せだ。

そろそろ、俺の好意をシーに言葉にして伝えたいな。





エンは毎日私の元に来て、私をたくさん笑顔にしてくれる。エンに会うのが毎日とても楽しみ。

ということを仲間に話したら

「シーはそのエンとやらがとても愛しているのね」

と言われて衝撃を受けたと同時に納得した。最近エンいる時は心がポカポカ温かくて、とても幸せだった。でも何故こうなるのか私にはわからなかった。

そうか、これが愛するということなのか。私はエンを愛しているのか。

……いつ、この想いをエンに伝えよう。






シーに会いにいけなくなってしまった。

俺は会いたいのに、両親に海に行くことを止められるようになった。

両親は俺に言った。

「海に行くのはもうやめなさい。たまに行く程度ならば良かった。ただお前はあまりに頻繁に行きすぎた。お前があまりにも楽しげに出ていくから、こうなってしまう前に止められなかった責任が私たちにもある。その責任を今、お前を止めるという形でとろう。……悪かった」

俺はその言葉を横になりながら聞いていた。確かに俺の体は不調だが、それが両親のせいだとは全く思わない。何故こうなって、こんなことを言われているのかわからない。

どうであれ、俺はシーに会いたい。

体を起こそうとするが体に力が入らず起き上がれない。これではシーに会いに行けない。懸命に俺が思いつく色んな方法でなんとか起きあがろうとしたが、徒労に終わった。

イライラが溜まり、思わず拳を床に叩きつける。拳を振り下ろすことすら、しんどかった。





エンが来なくなった。

毎日毎日エンを待っているけれど会えない。私からエンに会いに行ければ良かったけれど、私には陸を歩くための足が無かった。

ねえ、エン。どうして来ないの?

何があったの?

エンに話したいことや聞きたいことだけがつもっていく。ねえ、このつもる想いをどうしたら良い?エン、教えて。






限界きたる。

俺は今夜、海に行く。夜だからシーはいないかもしれない。でも夜が明ければ朝になる。シーに会えるかもしれない。

あれから俺の不調は続いていて、むしろ悪化している気すらする。そんな俺に両親は甲斐甲斐しく世話をしてくれた。俺は両親に恵まれたと思う。こんなもういい年の野郎の世話をしてくれるなんて、感謝しかない。

ただそれと俺がシーに会いたい気持ちは別であって。

不調ながらも頑張って集めた道具などの確認をする。両親の夜は早い。そろそろ爆睡に入るんじゃないだろうか。

耳を澄ませば父の大イビキが聞こえてくる。これは両親が爆睡に入った合図だ。

準備した道具の内の木の棒を使いなんとか重たい体を起こす。全く、俺は老人か。

荷物を持って静かに行ってきますと呟く。ごめんな、母さん父さん。俺は死んでもシーに会いたいんだ。俺の好意を、愛をシーに伝えたいんだ。

重い体を引きずって、俺は海に向かい始めた。






今日は。今日なら。そうして私はエンを待つ。待つことしかできない自分がもどかしい。

今日も太陽が昇って朝が来た。

小さくなってしまった希望を抱き、私は今日もエンを待つ。もしかしたら、今日は会えるかもしれない。随分と小さくなってしまったけれど、私はこの希望を捨てたくなどなかった。





「シー!」

待ちに待った声だった。

見た目は随分変わってしまい、とても辛そうだけど声は変わっていない。ずっとずっと聞きたかった声。

ああ、待っていて良かった。やっと会えた。


「エン!」

シーは変わらずそこにいた。

もしかして俺を待っていてくれたのか、と自惚れてしまった。誰だってこれは自惚れるだろう。そしてやはりシーは俺の女神だ。声を聞いただけで元気が出てくる。

ああ、会いにきて良かった。やっと会えた。




「シー」

エンが言う。

「エン」

シーが言う。

「伝えたいことがある」

二人の声が重なった。









昔の襲った厄災は、去った後も傷痕を残した。

エンが海に行くために通る大地には、その厄災が毒を残した。その毒は遅効性かつ致死率も高くなかったが、確実にエンの体を蝕んだ。

自然治癒で事足りるはずだったが、エンは大地の毒を自然治癒ではどうにもできない状態まで溜め込んでしまった。




エンとシーが交わした言葉は穏やかな波の音によりお互いしか知ることはできなかった。


後日、エンの両親がエンとシーが言葉を交わした海にやってきた。

そこにはただ穏やかな海があり、砂浜には濡れた花束がうち上げられているだけだった。


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