旧笑

 「パパ!」

そう言って僕が抱き着いたのは父である南雲裕生である。

「あらあら、泰生ったらパパが大好きなのね~」

傍から微笑んで見守るのは母の南雲香織である。

父の経営する会社に連れて行ってもらったところだ。

「こんにちは、泰生くん」

この人は父の部下で、斎田 音というらしい。

「泰生、パパはお仕事の話をしてくるから待っててくれな」

そう言って音さんと奥の部屋に行ってしまった。

「泰生はママと待っていようね」

今なら分かるが、この時から母は父の不倫を疑っていたようだ。しかし、まだ幼かった僕はそんな父の裏切りも両親の亀裂も知りもしなかった。もっとも両親も子供の前ではそんな諍いを見せないようにしていた。


 そんな平穏に見えた日常も突如として終わりを告げる。母が死んだ。それは幼い僕にとってはとてつもなくショッキングな事実だった。「死」というものを理解していないとしても、母がいないということだけは嫌でもわかる。葬式も済み、たった数日しかたっていないある日、音さんが家に来た。なんでも父が呼んだそうだ。

「今日からよろしくね」

そう言ってほほ笑む音さんを見ていると心強く思えた気がした。

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高笑 ろーでー @Road03ziyujin

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