カレーパン

〆張

カレーパン

暖かい、油の塊。気分が沈んでいる時に買う。

しかし、その行為は好物と暗い気持ちを結びつけるようになってしまって嫌になってきてしまったので、いつからか飛び上がるようなラッキーが起きた日も、心が微笑むだけのラッキーが起きた日もそれを買うようになった。買う場所は近所のコンビニだ。周辺にあるパン屋と提携していて、美味しくて安いものが手に入るから。カレーパンが心に寄り添ってくれるような気がしていたが、その対象はこんな俗っぽいものなのはカッコ悪いと感じてもいた。

卒業式の朝、私は重めの気持ちで学校へと向かった。学校は嫌いだ。でも行かないと将来が不安になる。自分が行きたくて選んだ高校ですら続かないなら社会に出るなんてどだい無理な話だ。私が学校が嫌いなのは理由がある。学校が嫌いな気持ちと同じぐらい嫌いな子がいるのである。その子は私のことが大好きなのだから拒絶もできず。

「おはよう!」

「おはよう」

私を捉えた視界があからさまに明るくなったのが気持ち悪くて、そんなことで気持ち悪くなっている自分が気持ち悪かった。多分人生において最も意味のない思考。

さて、本日は卒業式である。高校入試を終え、結果を待つ最中にありのはいささか意地悪ではないかと思いもしたが、よく考えるとこれはその逆、優しさからきているのだろうな。もし志望校に受かっていなかったらじめりとした暗い気持ちでみんなに合わなくてはいけない。私は受かっていても落ちていても今日という日は晴れやかな気持ちで迎えられたに違いない。あのこと別れられるからである。

卒業式で涙を流すのはもはや定番だ。私は生徒の合唱の最中にはほろほろと泣いてしまった。なんとか我慢して歌い切ったが涙声になっていないか心配だ。卒業は私にとって嬉しいことのように感じているかも知れないが、私だって、三年間過ごして母校を離れるのは辛いし、記憶が蘇ってきて懐かしくもある。会場ではなく人と泣かない人の比率が三対一ぐらいだった。「あのこと別れられるから」なんて変な動機でなくような人は存在するわけないので、これはきっと本当に母校との別れが惜しかったのだ。


中二の春からである。

「おはよう!」

綺麗な朝だった。昨晩降った雨の影響で空は澄んでいて、私に声をかけてくれたその子は光に助けて栗色になった髪を肩まで伸ばして、濃いまつ毛は丁寧に目の縁を紡いでいて、とても美しい女の子だった。

「あ、ん、おはよう」

目を奪われていた。意識を取り戻した私は汚い吃音を混ぜながら挨拶を返した。

「去年何組?何部?」

「3組。テニス部」

「そうなんだ!私は吹奏楽部の四葉 三里。よろしくね」

ここまで綺麗な子は。綺麗ゆえの自信を身につけているんだろうな、と私の感覚が言っていた。

最初に挨拶を交わして以来、私が顔を合わせて、目を見て話す頻度は減っていくどころか、限りなくゼロに近かった。当たり前だが、そのクラスで一番合う人間が見つかったからだ。私と彼女の関係は、クラスで話し合う時に時々意見を聞かれる程度。「仲良くなれそうな人」から「クラスの明るくて綺麗な人」になるまでそう時間は掛からなかった。

三年生の春、ここからカレーパンを買う習慣ができた。受験勉強のストレス発散のためである。「油分を摂取すると人は幸せになる」と、姉が言っていたからだ。ほんとかどうかは知らない。実際、美味しいから幸せになっている。カレーパンは、暖かいうちに食べないと完全に別物になってしまう。賞味期限は三十分。

あの子とは、塾が同じであることが発覚した。あの子の学力は知らないが、二年生の時あの子のテストの点数を勝手に見た誰かが「嘘でしょ」と漏らしていたので、きっとみるに堪えないものなのだ。そんなことはなかった。クラスの中心人物は頭もいいのである。卑屈すぎる自分の脳が可哀想である。あの子がだんだん遠くに行ってしまうことに対して、当然に思うような、悔しいような気持ちがあった。

私があの子に対して捻じ曲がった感情を持ったのは、その一ヶ月後のことである。

修学旅行だった。泊まったホテルの布団が私には合わずなかなか寝れなかったので、こっそり部屋を抜け出して眠気が来るまで散歩していたところだった。啜り泣きの声が聞こえてきたのだ。声がする方に近づいてみると、トイレの手洗い場で顔を押さえているあの子を見つけた。

「どうしたの、しんどいの?」

苦しそうにしている人間を見て、こう声をかけない者はそんなにいない。

「…」

よほど苦しかったのだろうか、なかなか返事がこない。

「大丈夫?」

背中をさする。

「ごめん、もう大丈夫」

吐息を多く含んだ声で彼女は答えた。

「もう苦しくないよ」

「…今まで、苦しかったの?」

「苦しかったよ。全く、全然わからなくて」

人工的な光が彼女の顔に影を産む。

「わからないってどういうこと」

「私、勉強も運動もそれなりにできる方なんだよね」

「?」

「だけど、何かが足りなくて、楽しくなかったの。わからなかったんだよねその何かが。」

「でも、四葉さんは友達多いじゃん」

「友達は友達だよ」

「あ、そう」

何が言いたいのか全く察することができずもどかしい。

「あなたのことが好きになってからわかったんだ」

「え?」

「だって、さっき私に心配の言葉をかけてくれたでしょ。あなただけ、こんなになってる私に気を遣ってくれたの。それでわかったんだ」

「待って」

「どうしたの?」

私は偶然気づいただけ。近寄ろうなんて全く思ってなかった。

と、いいかけて、彼女のこちらをみる目が異常であることに気づく。少なくとも今は言うべきでないことを理解する。

「ご、ごめん、続けて」

「ありがとう。でね、私に足りなかったのは恋愛だってことに気づいたの。さっきあなたが背中をさすってくれた時に気づいたんだ」

私は、もしかしたら一学期の一番初めにした会話から親しみを持ってくれていて私のことが好きになってくれたのでは、今まで半ば無理に合わせていた視線から私のことを好きになってくれたのでは、時々する会話から私のことを好きになってくれたのでは、と言う期待を持っていた。実際は、私があの子の心の隙間にたまたま入り込んだから、だけ。誰だってよかったのだ。たまたまそれが私だっただけ。

めちゃくちゃにすごく気持ちが悪かった。帰りの空港でカレーパンを買って食べた。美味しかったが冷めていた。

それ以来、私は彼女に対して手作りのお菓子を渡してきたり、帰りに商業施設に行くよう誘ったりとやたら親しげに接してきた。適度に気を使ってくれたりもしたし、側からみれば良好な友人関係であったように思う。しかし、彼女は私に確かに愛情を向けていたし、私は彼女のことが嫌いだった。


行事としての卒業式が終わった。少し肌寒く、気分を変えたかったので暖かいカレーパンを買おうとコンビニへ足を進めようとしたところだった。

「ねぇ」

彼女の声がした。

「どうしたの?」

ああ、せっかく別れられると思ったのに。

「あのさ、今までごめんね。ちゃんとした理由もないのに刷り込みみたいに好きになってごめんね。お菓子食べさせたり、放課後に連れ回してごめんね。その後も…。ううん、とにかく、時間奪っちゃってごめん。ごめんね」

「え」

あまりにも衝撃が強い言葉だった。

「気持ち悪かったよね。高校も別のとこ行くし、今までのことは、全部、忘れて」

「あ」

待って。私別に嫌じゃなかったよ。

「じゃあ、元気でね」

ひとしきり言い終わった後、彼女は駆け足で去っていった。

私はそのままコンビニでカレーパンを買ったが、この習慣はもうやめようと思う。感情と結びつけられるというデメリットがあまりにも大きい。

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カレーパン 〆張 @shimecham

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