第5話・納竿

幸せを「甘味」にたとえる事がおおい。だとしたら、罪悪感は「辛味」。過度にとれば苦しいが、全くないより少しあった方が美味しい。

橙田には確かに悪いことをしている自覚はあった。些かとはいえ、制度のルールの範囲外での関係を種井とともに楽しんでいた。互いに望んでいた事であり、誰も気づかない行動ではったが、ルール違反だという事には変わりなかった。だからこそ楽しかったのかもしれない。社会人のアイデンティティの主な要素は仕事だろうと思っていた彼は、仕事も無ければアイデンティティがあるかどうかも危うかったが、種井の場合はもちろんそうでもない。努力して手に入れた(であろう)仕事を彼のために危険に晒している、いや、晒してくれている。そこに愛情を感じて、応えたくなるのも、元々人の優しさに飢えている橙田であれば仕方の無い事。捉え方次第でそれを単なる友情と呼ぶ人もいるだろうが、初めてもらった情を区別できる程、彼は冷静な人間では無かった。早い話、惚れた。

メッセージを交わせるようになって、面と向かって言うのに勇気が足りない事も言えるようになって、等はどんどん大胆になった。一回送った文章であれば、次会った時にその話を種井が勝手に続けてくれるので心配するのも一瞬だけ。その状況下、どこまで火傷せずに日に手を寄せられるか試しやすい。どこまで距離を縮められるか。どこまで言えば許せられるか。戯言を吐いては反応を見る。

最初はくだらない渾名を付けてみた。火傷しなかった。

次は恋人の有無について聞いてみた。火傷しなかった。

遂に冗談っぽく言ってみた。「いっそずっとここに居ればいいのに」と。彼女から返っていたのは笑っている動物のキャラクターのスタンプと、数秒後に「どうしよう」という文字を浮かべて考え込んでいる様子のスタンプ。今度も火傷しなかった。たったの二つのスタンプだったが、まんざらでもなさそうだと橙田は納得した。もちろん、実際にあの汚くて狭い家で一緒に住んでくれるなんて彼すら期待していない。でも、まあ、あわよくば、ね。

しかしいくら大胆に成ったところでそれが限界で、告白するのは怖かった。それとなく自分の気持ちを分かってもらうように努めてはいたが、心の底では片思い止まりと半分諦めていた。出会ってから二ヶ月経った頃に、彼の欲張りな祈りが通じたのか、あろうことか種井の方から次の一段への招待状が届いた。帰り際に、玄関で戸惑う種井。

「ね・・・」と、彼に背を向けたまま話をかける。

「どうしたの?」

「私、もう、友達じゃ足りないかも。」

彼女の言いたい事を理解しながらもなんと返事すればいいか分からず、愕然とする橙田。種井はゆっくり振り返って、潤んだ目でかれを見つめて、僅かに震える唇で言う。

「橙田くん、好き。」

見事な一撃で彼の心にとどめを刺した。

「俺もだよ!」

「嬉しい」と言って小さく鼻をすすり、微笑む。「じゃあ、また明日ね?」

「うん!待ってるよ!」

過度な幸せも、時には耐え難い。その後寝るつもりだった橙田は、一睡も出来なかった。パソコンをいじろうとしても、アニメを観ようとしても、落ち着かなくて何も頭に入ってこない。好きだった女性に告白されたという事実の存在が脳をいっぱいにしていた。メッセージを送りたいが、こういう場合何を書けばいいのか、そもそも自分から書くべきかどうかが分からなかった。しかも、種井が帰ってから三時間。相手は間違いなく寝ているだろう。この時間はいつもそう。でも、寝れない自分がいるのなら、彼女も同じ状態かもしれないと思って、結局書く事にした。

「今日、ありがとう。すごく嬉しかった・・・明日が楽しみ。」

シンプルだが、それ以上何も言うべきことは無い。

でも返事は来ない。どうやら種井は寝たらしい。待つしかない。

彼女との再会までの一秒一秒がとんでもなく長く感じる。やっと彼女が起きているであろう時間にもなったが、未だに返事がない。心配はするが、行動に出るという事はない。午後になっても返事がない。下り始める太陽が心配を恐怖に変える。

もう夜の12時。種井は現れず。登りきった月が恐怖を絶望に変える。

その時、パソコンから通知音が鳴る。待ちに待っていた返事が来た。

「  橙田くん 、ごめんね

全部私のせいだ。自分の気持ちをこれ以上隠しきれなかったから、正直に言った

返してくれた言葉もすごく嬉しかった

でも、バレちゃった

すごく叱られたし、仕事もクビになった

私は 橙田くん が一緒に居てくれたらそれでいいと思っていたから、それだけだったら耐えれてたけど・・・ごめんね

制度のルールに違反したから、もうここに居ちゃだめだって言われた。家の荷物とかも無理やりまとめられて、すごく遠いところに行かなきゃいけないって言われた。二度と戻っちゃいけないって・・・制度違反は犯罪だから、見つかったら捕まるって

朝一の飛行機のチケット渡されて、それに乗るまでここを出るなって言われて見張りも付けられたし・・・

辛いけど、きっと 橙田くん の方が辛いよね

本当に本当にごめんね。私が我慢すれば良かった・・・好きすぎてごめん・・・

でも、

私行きたくないの

 橙田くん と一緒じゃないと嫌だよ?

絶対嫌だよ?

だから逃げたの

今、走っている

公園の近くのあの大きい橋に向かっている

バレたら携帯も取られるからもう連絡も出来なくなっちゃう

だから来て

私のところに来て

好きだよ

早く

おねがい

 橙田くん 」

何年ぶりの事か、彼は家を出た。ドアを締める手間すら惜しんで、ひたすら走った。公園までの道位は分かっていた。前にその場所について種井が話してくれていたからだ。誰もいない位街を通り、ようやく公園の近くの橋に着く。しかし種井はどこにも居ない。遅かったのか。もう見つかったのか。

よく見ると、橋の上に落とし物がある。いや、落とし物にしては置き方が綺麗すぎる、一足の靴。

種井は見つかっていなかったらしい。

依存していた家から離れていて、依存していた人を見失った彼は、今まで味わった事のない寂しさを知る。

そして、彼女のところへ行く。


朝のニュースに取り上げられた悲惨から数時間も経っていない。孤独な青年が一人死んだ事をどう捉えるかは人それぞれ。憐れむ人もいれば、弱い者が淘汰されるのは皆の為だと思う人も居る。どちらにせよ、社会はそれでも動き続けるしかない。社会人はそれでも働き続けるしかない。

昨日も夜まで働いていた人でさえ、休む事なく。

「初めまして。種井歩と申します。社会改善と生活充実の為の友達制度によって、あなたの友達として選んでいただきました。どうぞよろしくお願いします。」

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友達制度 Marco Godano @MarcoG

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