第2話 劣等感の花嫁

 重い瞼を持ち上げた璃歩は、一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。 いつもの自分の部屋とは違う壁紙の色に戸惑いを覚えたものの、午前中の出来事を思い出し、ここが藤堂家の一室であることを思い出した。どうやらあまりの現実味のなさに、頭が理解することを放棄して眠っていたらしい。

 それにしても、部屋全体を見回してみると、どの家具も驚くほど高級品揃いで、ドレッサーには有名な高級コスメブランドの化粧品が一式取り揃えられていた。立ち上がってクローゼットの中も確認してみたが、こちらも有名アパレルブランドの服だけでなく、靴や鞄までもが一通り揃えられていた。しかも、璃歩の好みに忠実に沿った品揃えである。

「一体どうやってここまで揃えたんだか…」

 驚きを通り越して呆れの色を浮かべながら、思わず溢した。

「気に入らないか?」 

 声に驚いて振り向くと、扉にもたれながらこちらの様子を伺っている紫清がいた。長い腕を組み、扉に寄りかかる姿でさえ様になりすぎて、思わず息を呑んだ。

「いや、私の好みを射抜いていすぎてびっくりしただけです…。」

「そうか、ならよかった。少しいいか。」

「はい?」

 璃歩が気に入った旨を告げると少しホッとしたような顔をしたが、それも一瞬のことだった。一瞬見えた笑顔はすぐさまどこかに消え、表情が読み取れぬ真顔をする紫清に、璃歩は少し不安を感じた。こんな冷酷と呼ばれている人とこの先ちゃんとやっていけるのかな、そもそも私にこの人の妻の役目が果たせるのだろうか。

 未だ自分の置かれた状況に理解が進まぬ璃歩に、紫清は淡々と屋敷の説明と使用人の紹介をした。

「そして、こっちが今日から璃歩の世話係となる和羽かずはだ。」

「和羽と申します。璃歩様、何なりとお申し付けくださいませ。」

 そう言って頭を下げた和羽は、璃歩より少し歳上くらいであまり歳が変わらない様子のかわいい女の子だった。和羽に違わずこの家の使用人は全員藤堂の分家の者たちであり、異能保持者でもあるそうだ。

「それと、藤堂家に来てもらったからにはどこに行くにも護衛をつけることになる。これだけはすまないがどうにもできない。他のことなら和羽か俺に言ってくれ。」

「はぁ…。あの、藤堂さん。明日からその、どうやって生活していけばいいですか?」

「紫清だ。あと敬語は使うな。」

「え、あ、はい?あ、うん、分かった。」

 歳上でしかもとっつきにくいほぼ初対面の人に向かっていきなり呼び捨てに敬語とはハードルが高い、と思いつつ、ひとまず頷く璃歩を見て紫清は満足したように頷いた。

「これからの生活だが、ひとまずは璃歩の好きなように過ごしてもらって構わない。出かけようが屋敷で過ごそうが何でもいい。出かける際は車を出すし、友人も呼んでもらって構わない。それと、」

 言いながら紫清はおもむろに璃歩の腰を抱き寄せて耳元で囁いた。

「俺の言うことは絶対だ、逃げようとするなよ。」

 そう言うと紫清は璃歩の額に優しく口づけた。

 耳元で囁いた声色だけで既に紫清に釘付けになっていた璃歩は、突然の出来事にただただ黙って頷くことしかできなかった。

「さて、とりあえず一通りの説明も終えたことだし、出かけるぞ璃歩。」

「へ?今から?」

「デートだ、デート。」

 抱いたままの璃歩を見下ろしながら紫清は微笑んでいた。胸が少しざわつくのを覚えた璃歩だが、ふとした時に見せるその微笑みに早くも心奪われそうになって慌てて頭を振って惚れかけていた頭を正気に戻した。



 軽く身支度を済ませた二人は車で街へ移動し、近くのショッピングモールへとやってきた。ただの誘い文句かと思っていたが、どうやら本当にデートらしい。

「何か欲しいものはあるか。」

「あれだけ一通り揃えてもらったから、今のところはないです…!?」

 言い終えた璃歩の額に再び口づけが降ってきた。

「ここ、外、!?」

「璃歩が敬語を使うからだ。今後敬語を使ったら罰ゲームだ。」

 そう言う紫清はしたり顔。あれほど冷酷主義者と囁かれていたのは嘘だったんじゃないかと思うほど、璃歩に対して紫清は様々な表情を見せてくれる。でもそれとこれとは別である。生まれてこの方彼氏がいたことのない璃歩にとっては額に口づけどころか抱きしめられることでさえ心臓がバクバクしすぎて居心地が悪いのだ。

 そんな璃歩を知ってか知らずか、紫清はさも当然と言うように距離を詰めてくる。これでは今日を無事に終われるかすら怪しい。

 その後は終始紫清が手を離してくれないため、慣れない恋人繋ぎをしたままあてもなく歩いて回った。が、突然紫清が立ち止まり、璃歩の前に出た。

「来る。」

 紫清がそう言うやいなや、目の前に妖が現れた。

 通常、妖は人には視えない。異能保持者にのみその姿が視え、退治することが出来る。それゆえに妖が現れた際には、一般人に危害が及ぶ前に退治するか、結界を張って害が及ばぬようにする。

 璃歩は視えるが倒すことはできないので、せめてもと結界を張ろうとしたが、構える暇もなく紫清が一瞬のうちに退治してしまった。

「強い…」

「当たり前だ。俺を誰だと思っている。」

 最強の力とも言える天権の力の持ち主なだけある。息つく暇もなく退治してしまったのは、それが低レベルの妖だからだけではないだろう。

 最初の一匹を倒してから、群れとなって他の妖たちも襲い掛かろうとしてきたが、たちまち紫清に瞬殺されてしまった。

「低レベルがこれだけ群れているということは、やはり…。」

 紫清は疲れた様子もなく、何か呟いて考えていたが、それ以上妖が出てくる気配がないことを悟ると、再び璃歩の手をとり、歩き始めた。

「今日は夕飯を外で食べる。希望はあるか?」

「特には…」

 普段から璃歩の前には妖が現れることが多かったが、今日のように集団で何匹も現れたことはない。それゆえに、まだ戸惑いを拭いきれずにいた。

 自分は異能を使えない。両親は異能保持者で、それなりの実力があるのに。兄の聡志だって、紫清に次ぐ若さで多数の功績を修めるくらい実力があるのに、璃歩にだけないのだ。この現実に、幾度となく璃歩は自身の無力さを恨んできた。妖が視えたって、退治できなければ意味が無い。ただ結界を張ってその身を守ることしか出来ないのだから。それならば妖の姿さえも視えない方が良かったとさえ思う。ただ守られるだけの存在ではいずれ足手まといになりかねないから。妖を視ることができても退治することができないと分かった幼少期から、妖に出くわす度にそんな足枷の念がついてまとっていた。



 紫清に連れられて来たのは、雑誌やテレビでも話題になるほどの有名ホテルにあるレストランだった。開店と同時に座席は満席、予約を取ろうにも半年先まで予約が空いていないらしい。

 そんなレストラン、一体いつ予約を取ったのだろうと考えながら支配人らしき人に案内されたのは、最奥の個室だった。

「すごい、こんな有名なレストランの個室席なんて…。」

「藤堂グループの傘下のホテルだからな。」

 なるほど、だからホテルの入り口に入った時も、レストランの入り口に入った時も名乗ってもいないのにいらっしゃいませ、藤堂様と揃って頭を下げられていたわけだ。納得した璃歩は、ホテルの最上階にあるレストランからの景色を楽しむことにした。

 色とりどりの豪華絢爛な食事を楽しみながら、紫清は口数が少ないながらもこれまでの生活などを話題に、決して気まずい雰囲気にはならなかった。

 食後のデザートが来るまでの間、コーヒーを楽しんでいると、紫清に名前を呼ばれた。

「今はまだ、この結婚の意味が分からなくて戸惑いばかりだろう。けれど、そう遠くないうちに璃歩にも俺が必要だと、俺を夫として、生涯のパートナーとして添い遂げる以外の選択肢はないことに気づくはずだ。だから、お願いだ。そのことに気づくまでは窮屈かもしれないが、耐えてくれ。」

 また、だ。今朝父にも同じことを言われたことを思い出した。なぜ、この人たちは私が必ず必要で、私にとっても紫清が必要になってくると断言できるのか。

 確かに紫清は容姿端麗で天権の力を持ち、藤堂家の次期当主である。そんな雲の上のような立場の人がなぜ、自分のような異能を持たぬ家柄だけが一人歩きするような私を必要としてくれるのだろう。戸惑いを隠しきれない璃歩は俯いたまま黙ってしまった。

「私には異能と呼べる力はないの。妖を視ることはできるけど、ただそれだけ。自分とその周囲に結界を張って、異能保持者が来て妖を退治してもらうまでは何も出来ない。」

 今まで自分の力についてはそれこそ両親にさえもあまり話さなかった璃歩は、初めてその胸の内を明かした。

「ただ、守ることだけで、退治は出来ないの。それならば、最初から妖の姿なんて視えなくてよかった。」

 そう胸の内を溢しながら、いつしか璃歩の頬に涙が伝っていた。

「結界を張って守ることも一種の異能だ。普通の人間ならば妖の姿を視ることは出来ないから、視えないナニカに突然襲われても、逃げるか、運が悪ければ逃げ遅れて攻撃される。でも璃歩は視えるから、正確にその場にいる人たちを結界によって守れるんだ。その場に居合わせた異能保持者たちも、結界で人が守られていると分かったから安心して妖を退治できたんだ。」

 異能の家系に産まれたにも関わらず、異能を持ち合わせなかった事実にしか目を向けていなかった璃歩は意表をつかれた。確かに、自分が今まで妖と居合わせた時は、周囲に怪我人は全く出なかった。それは璃歩が結界によってしっかりと民間人を守ってきたということ。これまで無意識に結界を張って人々を守って来たと言う事実に改めて向き直した璃歩は、何か突っかかりのようなものをきれいに飲み込めたような感覚になった。

「…ありがとう、紫清。」

 今まで感じていたわだかまりのようなものがすうっと解けていく感覚に少しくすぐったさを覚えつつ、自分の根源にあった自責の念をほんの少しだけ許すことができた璃歩の頬には涙が溢れていた。

「俺の前では我慢などするな。それと、隠し事は無しだ、お互いに。」

 そう言って紫清は璃歩の頭を優しく撫でた。



***


 夢を見た。夢のはずなのに、今見ている景色が夢と認識できているのはなぜだろう。

 目の前には大きな満開の桜の木がある。その根本には二人の男女がいる。何を話しているかまでは聞き取れない。巫女の姿をした女性は泣いているようにも見えるが、美しい着物袴着た男性が不意に抱きしめたために、それ以上二人の顔は見ることができなかった。

「この力は、きっと…」

 女性が何かを話したが、やはり聞き取れない。

「運命として、全てを受け入れよう。そなたが私のせべてなのだからー…」

 男性がそう言うと、風が巻き起こり、桜吹雪によって二人の姿は見えなくなってしまった。




 夢から目覚めた璃歩は、涙が頬を伝っていることに気づいた。夢の内容をこれほど鮮明に覚えていることは今までなかったので、しばらくの間今見た景色が頭の中から離れなかった。

 初めて見た景色のはずなのに、どこか懐かしさを覚えた。桜の木なんてそこかしこにあるし、どの木も他の木と見分けなんてつくはずがないのに、今の夢の桜の木だけは他と違うと確信があった。そして、その木がどこにある木なのかも璃歩には分かっていた。

「初めて行く場所のはずなのに…。」

 なぜ訪れたことのない場所にある桜の木が夢の中の場所だと確信が持てるか分からないが、そこに行かなくてはいけない、そう思った。

 藤堂家に来て二日目の朝。秋月の家でも朝食と夕食は家族が揃って食べるのが習慣になっていたが、この屋敷でも同じであるらしい。といっても、璃歩が紫清と暮らしている屋敷は藤堂の本家ではなく、別宅であり、元々紫清が一人で住んでいた屋敷らしい。璃歩がダイニングの席につくと、紫清は既に席について新聞を広げていた。

「おはよう、紫清。」

「おはよう璃歩。眠れたか?」

「うん。ぐっすり。」

 璃歩が頷くと、紫清も満足そうに微笑んだが、使用人によって朝食が運ばれてきたため、その微笑みはすぐに消えてしまった。

 目の前には豪華な朝食が並べられた。今日は和食の朝食で、煮物からお魚、お味噌汁にいたってもどれも美味しそうで思わず璃歩のお腹も腹の虫が鳴る寸前だった。いただきます、と手を合わせてから食べ始めるが、どれも美味しい。これなら外食を進んではしたくなくなりそうである。

 秋月の家では基本は使用人が家事炊事をしてくれていたが、週末は母の手料理を楽しむ習慣になっていたので、色んな人の味付けを楽しめて、璃歩の料理への好奇心もくすぐられる。一応は料理は母に教えてもらって出来るが、ここの料理人にもその味付けの基本をおしえてもらおうかな、などと考え始めたところで、今日やりたいことを思い出した。

「紫清、今日ちょっと行きたいところがあるんだけど、いい?」

「今日は俺も休みだし、璃歩が行きたいところならどこでも。」

「ありがとう。多分ここからそんなに離れてはいないと思うんだけど。」

 紫清は璃歩の動作一つ一つに愛おしさを感じながら、今日のこの後の予定を考えていた。もちろん、璃歩には紫清が自分に対して愛おしさを感じていることなど知る由もないのだが…。

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神に見初められし花嫁 咲砂 あねも @0pas-gerbera0

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