第1話 知らぬ間の花嫁

「お支度が整いました。」

 使用人の声と共に目の前に全身鏡が置かれ、見事に着飾った自身の姿を初めて目にした秋月璃歩は、思わずほぅ、とため息を漏らした。

 袖口から裾にかけて薄桃色から真紅に色濃く移ろう上等な生地に、金縁刺繍の大きな牡丹の花。長い黒髪は緩くまとめて、着物の牡丹と合わせた花飾りを見に纏った姿は、それまで毎日着ていた高校の制服や私服はもちろん、年末年始などの親戚が一堂に会する食事会で着てきた着物を纏ったどんな姿よりも綺麗に着飾っていると自分でも思うほどである。

「璃歩お嬢様、こちらへ。」

 そう案内したのは赤ん坊の頃から璃歩の世話をしてきた使用人の和津なつだ。異能を持つ父をずっと支えてきた母がいない間は、和津が璃歩の子守りをしていたことから、第二の母と呼んでも過言では無いくらい、璃歩にとっては大きな存在でもある。

昨日高校の卒業式を終えたばかりの璃歩であるが、今日は父から持ちかけられた縁談の顔合わせの日。本来ならば、大学を卒業してからの話であったが、近年妖の動向が良くない方向に進んでいるため、少しでも力のある者同士の結婚をし、その力を強め合って速やかなる妖退治をという風潮が強まりつつあることから、璃歩の縁談話も早急に進められたのである。

 異能保持者同士の結婚は、互いの力を増強させる働きがある。無論、誰とでもいいというわけではない。保持者同士の相性があり、その相性が良いと、会った瞬間の体内に流れている力の流れ方が変わるそうだ。といっても、未だその相手に出会ったことがない璃歩にはただの噂話と同様にしか思っていないのだが。

 璃歩には異能と呼べる力は無いが、妖の邪気を感じ、その姿を視、結界で己を妖から守ることのみ出来る。攻撃は一切出来ないため、妖が現れたら、保持者が来るまで結界で己の身を守ることしか出来ぬのだ。

 それなのに、だ。今日の縁談の相手が問題である。妖相手に攻撃で滅することが出来ない璃歩のパートナー候補は、何を隠そう、あの藤堂紫清しきだ。国内のみならず海外にも多くの大企業を抱える藤堂グループの次期当主でありながら、齢二十五歳にしていくつかのグループ企業の社長も務めている。

 だが、問題はそこではない。藤堂家は代々天権の力を持つ家筋である。現当主の辰紫はもちろん、紫清も天権の力を持っている。そんな最強の異能を持つ紫清がなぜ、異能と呼べるほどの力を持たぬ璃歩を妻として迎えようというのか。父から縁談の話を聞かされた時は、卒倒しそうになったほどである。

 璃歩の生家でもある秋月の家も、藤堂には及ばぬものの、それなりな大企業を築き上げてきた家系である。ゆえに、異能という点を除けば、今回の縁談の話はまぁよくある大企業の跡取り同士の政略結婚でまとめられる。秋月家現当主の志哉ゆきやとその妻である雪璃ゆりー璃歩の両親であるーも一介の異能保持者であるが、そこまで強い異能を持っているわけではない。だから、中学進学時にこの縁談の話があがってからというもの、六年間璃歩は縁談の話が出るたびになぜ私なのだ、と疑問を浮かべるばかりであった。

「失礼致します。秋月家より参りました、秋月璃歩と申します。本日はよろしくお願いいたします。」

 和津によって開けられた襖の向こうに本日のお相手、紫清が静かに座っていた。

「藤堂紫清です。お久しぶりです、璃歩さん。」

「え?」

 挨拶とともに下げた顔を驚きとともに上げてみれば、そこにはこれまで見たこともないような整った顔立ちの紫清がいた。テレビでよく見る俳優やモデルでも勝てないほど綺麗な顔は言うまでもなく、その姿までもが周りにいる人全てを惹きつける風貌であった。

 と、思わず見惚れてしまった璃歩だが、先刻紫清は久しぶり、と言った。だが、璃歩には紫清と会った記憶はない。こんな綺麗な人に人生で一瞬でも出会っていれば忘れるはずもないのだが、全く覚えがない。

 困惑する璃歩をよそに、和津は紫清にずいぶんご立派になられましたねぇ、などと話している。和津でさえ面識があるのに、なぜ私は覚えていないのか、頭の中は疑問符でいっぱいだった。

「あぁ、覚えていないか。まぁ璃歩はまだ5歳にもなっていなかったから当たり前か。」

 先程初対面と思って挨拶した紫清だが、どうやら璃歩が幼い頃に顔を合わせていたらしい。

 しかし、そんな昔にたった一度会った相手をこうもいきなり呼び捨てで呼ぶものであろうか。こんなイケメンに名前を呼び捨てにされたらどんな女性でもイチコロであろう。璃歩も例に漏れず一瞬蕩けそうになった。

 だが、紫清の次の一言で璃歩は強制的に夢から目覚めさせられてしまった。

「今日から璃歩は俺の妻だ。すぐに婚姻を結び、藤堂璃歩として藤堂の屋敷で俺と生活を送ってもらう。」

 璃歩はパチクリと目を瞬かせながら紫清の顔を眺めた。待て待て、今日は顔合わせと聞いていたのだが、私の聞き間違いであろうか。すぐ妻になって藤堂の家で生活を送ると言った気がする。

「えっと、私今聞き間違えましたか?」

「何をだ。」

 目の前で腕組みをしてさも当然のように私がはい、妻になりますと答えるだろうと思っているであろう紫清の顔は、真っ直ぐと璃歩の目を射抜いていた。危うくその瞳にはいと即答しそうになったが、すんでのところで堪える。

「今日この場で婚姻関係を結ぶんですか?」

「そうだ。そう言っただろう。」

 逆になぜそんなことを聞いてくるのだと言わんばかりの不可解な顔をしながら紫清は答えた。

 この状況でむしろ璃歩の悩みどころが分からないとでも言いたげな顔の紫清を横目に、璃歩は頭を抱える様にしてその場にうずくまった。なんで昨日高校を卒業したばかりなのに、その翌日にはほとんど何も知らない人の妻にならねばならぬのだ。この状況を誰か詳しく説明してくれ、と言いたいところである。

「あれ、璃歩ちゃん、なんでうずくまってるの〜?」

「お父様!?」

 うずくまる璃歩の隣に父である志哉と母の雪璃が現れた。私の救世主、と思いおもむろに璃歩は立ち上がり、今この状況を説明しようとするが、璃歩が口を開く前に紫清が両親と話し始めてしまった。

「ご無沙汰しております、志哉様、雪璃様。」

「久しぶりだねぇ、紫清くん。少し顔を見ない間に本当に男前になっちゃったねぇ〜。」

 父の話し方は相変わらず緩いし、母もその隣でニコニコしながら紫清の整った顔立ちに魅入っている。

「それにしても、まさかとは思いますが志哉様、璃歩にはなんの説明もせず今日この場に連れてきたのですか?」

 自分以外に興味がない冷酷家とも呼ばれているはずの紫清も、流石にこの状況を理解していない璃歩に対し、いささか驚きを隠せていない様子だ。その顔には少しの困惑が見てとれる。

「だって璃歩ちゃん、多分今日顔合わせじゃなくて結納に等しいってこと説明してたら今日なんとしてでも逃げちゃってたでしょう?」

「お父様、それを分かっていて何でこんな騙すようなこと…!?」

 どうやら今日は顔合わせという名目の結納に等しい場になることを、父はおろか母も理解した上で、実の娘の璃歩を騙すような形で連れてきたらしい。さすがの璃歩も呆れすぎて何も言うことができなかった。

「ごめんね〜璃歩ちゃん。でも紫清くんとの結婚はどうしても避けられないんだ。それに、今すぐに心を打ち解けさせるのは無理かもしれないけれど、そう遠くないうちに璃歩ちゃんにも紫清くんが必要不可欠な存在となってくるはずだよ。」

 そう言い終えると父はいつもの優しい眼差しで璃歩を見た。

 志哉と雪璃は恋愛結婚だったそうだが、出会った時にお互いの力の相性の良さが一瞬で分かったらしい。それを証明するかのように身も心も結ばれた際には二人とも自身の持つ異能の力が上がったそうだ。

 だが、なぜ紫清との結婚が避けられないうえに、私にとって紫清が必要不可欠となることが、二人には分かるのだろうか。自分にはさっぱり分からない。異能と呼べる力を持たないためか、両親が言っていたような力の相性の良さは紫清に会った瞬間にも感じられなかった。何が何だかもうさっぱりである。

「と、いうことで今日からよろしく。俺の奥さん。」

 何一つ疑問が解消されないまま、璃歩は有無を言わさずの雰囲気の中、婚姻届にサインをすことになってしまった。


***


 桜もとうに散り、初夏の暑さが滲み出してきた六月初旬。梅雨入りしそうなお天気が数日続いた久しぶりの晴れ間の日。小学校を終えた璃歩は珍しく両親が校門まで迎えにきてくれたことに喜んでいた。まだ入学して二ヶ月しか経っていないが、ようやく小学校生活にも慣れてきた頃だった。

「璃歩ちゃん、ごめんね。少しの間学校をお休みして遠くのところへ行かなければならなくなってしまったの。」

 そう説明する母の顔にはいつもの優しい笑顔を見せる一方で、どこか焦りのようなものも見てとれた。

「遠くのところ?でもお兄ちゃんもいるから、璃歩は寂しくないよ!」

 そう言って璃歩は七歳歳の離れた兄の聡志に抱きついた。

 兄の聡志は中学入学と同時にそれまでの異能習得修行により切磋琢磨するようになったため、璃歩とは家で顔を合わせる時間がめっきり取れなくなってしまった。

 歳の離れた兄妹だけあって、聡志はいつでも璃歩を守り、優しくしてくれた。そんな兄のことを璃歩は両親以上に慕って、家の中ではいつも一緒に過ごしていた。

 しかし、兄が修行に精を出すようになってからは滅多に家で顔を合わせることがなくなったので、今日からしばらく一緒にいられることがとても嬉しかったのだ。

「遊びも大事だけど、ちゃんと勉強もするからな。」

 そう言う兄の顔はいつもの優しい笑顔だった。

 しばらく車が走り、目的地に着いたのは日も暮れる頃。海辺の別荘地に着いた秋月家は車を降りた。ちょうど日が完全に沈む寸前で、水平線がキラキラと夕陽を取り込んでいくようだった。いつもと違う別荘に完全に嬉しくなった璃歩は聡志の手を握って家の中を探検し回った。


 それから一月が経った頃。仕事に疲れたから養生しに来たと説明されていた別荘地での生活はある日突然幕を閉じた。

 毎日早朝、昼過ぎ、そして深夜に父は聡志を連れ立って外に出ていたが、璃歩は敷地内からは外に出てはいけないという決まりに少し窮屈さを感じ始めた頃。その日も午前中は勉強をし、午後から海辺に出ようかと支度をしていた璃歩は、いつもは出かけているであろう聡志に呼ばれて居間に行った。

「璃歩ちゃん、我慢してくれてありがとうね。明日にはいつものお家に戻って学校にも行けるようになるよ。」

 そう言った父の顔は、仕事に疲れたから養生しに来たはずなのに、疲れが全然とれていないように見えた。しかし、母の顔には以前ここに来た日のような焦りは無く、どこかすっきりした表情をしていた。

「またここに来れる?」

「ここは私の持ち物だからね、またすぐ来れるよ。」

 そう言って父は璃歩の頭を撫でた。海と朝日、夕日が綺麗に見えるこの場所を璃歩はとても気に入っていたので、もう来れなくなるのかと少し不安になったが、いつでも来れると聞いて安心した。

 秋月家を乗せた車は別荘の前からゆっくりと発車した。敷地外へと出たその瞬間、璃歩はこちらの様子をそっと伺う兄と同じくらいの年頃の少年と目が合った。整いすぎた顔に思わず目を奪われたが、少年もまっすぐと璃歩を見つめ、バイバイするかのように手を振っていたのを、璃歩は揺れる車内から見送ることしか出来なかった。


***


 久しぶりに幼い頃の夢を見た。あの時はただただ長い休みに、綺麗な海辺の別荘に嬉しさが勝って深く考えなかったが、あの日々は一体何だったのだろう。養生しに来たと言っていたが、帰りの車内で寝るまで父からは疲労しか感じられなかった気がする。安堵の表情も母との会話から見てとれたが、それよりもやはり疲労感が拭えていなかった。

 兄は特に疲れた表情はしていなかったが、帰宅した翌日にはやはり、異能習得の修行のため朝から晩まで顔を合わせることは無くなってしまう日々に戻っていた。

「お父様かお母様に聞けばいい話なんだけどね…」

 月日が経つにつれ、なかなか聞き出しにくくなって今に至る。もう秋月の家を出たのだから、気にせず聞いてくればよかったと少し後悔した。

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