ボールをつなげ!

成沢光義

第1話

ボールをつなげ!



勇太は、練習の開始時間を一時間遅れて体育館へ入った。


突然、男の怒鳴り声が響いた。


色つき眼鏡をかけたジャージ姿の男が、女の子の胸にボールを投げつけ、そんなだからいつまでも上達しないのだと怒っている。

男はさらに詰め寄り、今度は右の人指し指でその子の胸を突き、おまえなんか、いらないから帰れ、とまた怒鳴った。


泣きながら後退りする女の子。

男の目を必死に見つめ、

「いいえ、いいえ」

何度も首を振り、帰りたくない、そう懸命に訴える。


なんだ、この光景は、それが勇太の取材初日の印象だった。


男は、扉の前に立つ勇太に気づくと、ばつが悪そうに顔を背けた。

それから子供たちに向かって、サーブの練習を始めるよう大声で指示し、逃げるように自分のテーブル席へ戻っていった。


子供たちは、何もなかったような顔で、体育館の壁際で一列に並び、ボールを打ち始める。

「いくぞお」

湿気とカビ臭い館内に、子供たちの甲高いかけ声が次々に響いてゆく。

「いくぞ」

「いくぞ」


次々にボールを打ち込む、子供たち。

反対側のコートには、チームの卒業生二人が待機して、放たれたボールを拾って投げ返している。

その投げたボールと子供たちが打ったボールが、空中でぶつかり合い、鈍い音をたて弾けた。


スポーツ雑誌を刊行する出版社に勤める勇太は、二カ月前の編集会議で、小学生のバレーボールをテーマにした連載ページを担当することになった。

この日は、知人の紹介を得て、練習会場になっている早稲田にある小学校の体育館を取材に訪れた。

チーム名は、「新宿バンビ・ジュニアバレーボールチーム」。

この小学校は、以前から部員たちの在校生が多いので、新宿バンビのホームコートになっている。


湿気のせいで館内がカビ臭く、外は寒かったが、風通しが悪いため、中は蒸し暑い。

館内には、中央にバレーボール用のネットが張られ、ネットの左側の壁寄りに業務用の長テーブルが一席置かれており、少し離れた手前にも長テーブルが二席並べてあった。


一席のテーブルには、先ほどの男が一人腕を組んで腰掛け、子供たちの練習風景を眺めている。

手前の二席には三人の母親らしき女たちが、互いの額をくっつけ合いながらお喋りしている。


その三人の中の一人が、勇太の取材をチームの監督に中継ぎしてくれた水嶋涼子だった。同じマンションに住んでいる水嶋涼子の一人娘が、このチームに所属しているのを聞いていたので、無理を承知でお願いした。


右手を翳して小走りに向かって行くと、水嶋涼子はパイプ椅子から腰をあげ、先に監督に挨拶するよう手招いた。

水嶋涼子たちの手前で低く腰を折り、

「そうでした。水嶋さん、ありがとうございます。ついでと言っては何ですが、監督さんを紹介して戴けますか」

「三崎さん、あの方が大城監督です。ご紹介しますから一緒に行きましょう」


勇太は、水嶋涼子の後について行き、一席テーブルのパイプ椅子にふんぞり返っている、色つき眼鏡の男に腰を折りながら、名刺を差し出した。

「今回、雑誌の連載を担当します編集部の三崎勇太です。よろしくお願いします。今日は取材を許可していただき、ありがとうございます」


男は慌てたように腰をあげ、勇太から名刺を受け取ると、先ほどとはうってかわる低調な態度で応えた。

「頂戴します。大城です。よろしくお願いします。今、サーブの練習が始まりましたから、取りあえず見てやって下さい。あっちに三崎さんの席を用意しておきました。それから、チームの活動や練習の段取りなどは、水嶋さんたちに訊いて下さい」

「ありがとうございます。では、練習の邪魔にならないよう、向こうで取材させて戴きます」

「あ、一つお願いしたいのですが、子供たちや保護者の実名、個人の写真を載せるのは困りますよ」

「承知しております。雑誌が発売されるまでに、原稿やカンプを三回チェックして戴く機会がありますので、不要な箇所や訂正したい文章あれば、遠慮なくご指摘下さい」

「わかりました。それなら安心です。では、よろしくお願いしますよ」


体育館の壁を背にしてボールを打ち込んでいる子供たちの中に、一人だけ顔見知りの子がいる。水嶋涼子の一人娘、栞菜だ。

栞菜は小学五年生にして身長が160cmあり、顔が小さく、おまけに手脚が長くて宇宙人みたいな体型をしている。


勇太が見ていると、栞菜が打ったボールが空中で左右に振れ、コートの反対側で構える女子の前でストンと落ちた。


「すごい!」

驚いて思わず声をもらした。

今度は、少し大柄な子が壁際からいきなり走りだし、ジャンプしながら空中で力強くボールを叩いた。

反対側のコートの床に落ちたボールが、その勢いで跳ね返り、壇上の壁板に激突して大きな音をたてた。


「すげぇ!」

目を丸くしてもう一度たまげた。

とても小学生が打ったサーブとは思えない。

自分の順番がくると真剣な眼差しでサーブを放つ子供たち。

一番小柄で、額にピンクのヘッドバンドをつけた子は、挨拶するようにちょこんと膝を折り、下からすくい上げるように打つ。


勇太の脳裡に、取材のため一夜漬けで覚えたサーブの名前が浮かんだ。

栞菜のフローターサーブ、大柄な子がランニングジャンプサーブ、ピンクのヘッドバンドの子はアンダーサーブ。

打ち放つ変化球、威力と飛距離、小学生の女の子が簡単にやってしまう光景が、嘘みたいに見えた。


10分ほど続いたサーブの打ち込み練習の後、大城監督が皆を集め、次に行うレシーブの練習について説明した。

先ほどまでボール拾いに専念していた女子二人は、一列に並んだ子供たちへ次々にボールを打ち込んだ。


そのボールを、入れ違いにレシーブする子供たち。後ろで自分の順番を待つ子供たちが、レシーブする子の名前を呼んでリズムをつくる。

「みーちゃん」

「あいちゃん」

「みなも」

「かんな」

「ゆら」

「ひな」

「つむぎ」

「さくらこ」


スパイクする女子に代わり、二人の母親がボール拾いを担当した。

その光景を眺めながら、勇太は、小学生のバレーボール全般と新宿バンビの活動について水嶋涼子に話を聞いた。

水嶋涼子は、手元のコーヒーを一口飲んだ後、何かを思案するように天井を見上げた。

「そうですね、小学生バレーボールのチームは、新宿区に三チーム、都内全域でしたら、連盟に加盟しているだけでも一二〇チームはありますね」

「連盟とは?」

「東京都の小学生バレーボール連盟ですよ。これは各都道府県全域にあり、男子、女子、そして男女混合に分かれています」


現在は、都内一二〇チームが数チームごと一五ブロックに分かれ、独自の活動を行っている。

東京都は、スポンサー協賛の大きな大会が年に二回あり、ブロックごとに予選大会が行われ、上位チームが都大会に進出する。

都大会はトーナメント戦で、勝ち進んで優勝したチームが関東大会に出場し、その先には、子供たちが夢見る全国大会があり、日本一位が決定する。

またこの大会以外にも、ブロックごとに主催される、小規模な大会が年に数回行われ、それを目標に子供たちが日々練習に励んでいる。


「三崎さん、紹介が遅れましたが、あそこでボール拾いしている二人は、左側がセッターみなもちゃんのママ相沢静江さん、奥にいるのが立花みゆきさんで、ライトアタッカー愛花ちゃんのママです。みなもちゃんは栞菜と同じ五年生、愛花ちゃんは、今こっちでレシーブしたあの大きめの子と同じ六年生です。あの子はこのチームのキャプテンで、レフトアタッカーの斉藤美月ちゃん」

「レフトアタッカーというとこのチームのエースですね。はあ。それにしても、母親と子供の名前や学年を覚えるだけで大変です。今日、練習に参加している子は八人ですが、他にもメンバーはいるのですか?」


水嶋涼子は、もう一度体育館の天井を見上げ、しばらく何かを考えていたが、顔を戻すと少し困ったように破顔した。

「現在、うちのチームは八人です。六年生が二人、五年生が二人、他は四年生三人と三年生が一人」

「六人制のバレーボールで、メンバーが八人ではぎりぎりですね」

「以前は都大会や関東大会にまで出場する強豪チームだったので、メンバーも二〇人近くいたのですが、家庭の環境や少子化など、いろんな事情でチームも縮小してしまいました」


勇太は、水嶋涼子の翳りのある表情をみて、他にも何か理由があるような気がして、さらに突っ込んで訊ねた。

現実的な問題として、有名国立私立中学校受験のため塾通いがあり、バレーボールの練習時間と塾の授業時間がバッティングすることだった。受験を目指す家庭は、小学四年生ごろから本格的な塾通いが始まる。


「そうなのですね。だとすると、あの美月ちゃんや愛花ちゃんたちは、今、たいへんな時期ってことですね」

「あの二人は、そのまま区立の中学校へ行くみたいですよ」

「栞菜ちゃんは受験するんですか」

「さあ、どうなんでしょうか。私は本人の好きなようにさせていますが」


水嶋涼子はそう言って立ち上がり、勇太にアイスコーヒーを作って差し出した。

「ミルクと砂糖はこの瓶の中にありますから、好きにして下さい」

「ありがとうございます。ところで、栞菜ちゃんは市ヶ谷の小学校ですよね。他の七人はみんな、ここですか?」

「いえ、みんなばらばらです。栞菜と、あの一番小柄な子、ピンクのヘッドバンドをつけた桜子が市ヶ谷で、美月ちゃんと愛花ちゃん、今レシーブした四年生の紬が神楽坂。みなもと四年生の結(ゆ)愛(ら)、陽(ひ)菜(な)の三人がここの小学校です」

「市ヶ谷に神楽坂、そして早稲田、結構広い範囲に跨がっているのですね」

「その分、ここの体育館が予約できない時は、市ヶ谷と神楽坂の小学校の体育館を使わせてもらっています」

「体育館の予約ってたいへんなのですか?」

「まあ、他にもバスケや卓球、剣道ばかりか、時期によっては祭りやイベントの使用で取り合いになります。ここは大城監督が押さえてくれますが、神楽坂は美月ちゃんのママ秀美さん、市ヶ谷は私がPTAのママさんバレーボールを通して予約を取っています」

「学校側にPTAのママさんバレーボール、それも都内だけで一二〇チームもあり、なんか、もの凄い配線の絡み合いみたいですね」

「それでも、どうしても体育館の予約が取れない時期があります」

「え、例えば?」

「三月の卒業時期と四月の入学時期です。この時期はすべて使用禁止です」

「練習はどうするのですか?」

「公共の有料の施設や、懇意にして戴いている私立中学の体育館をお借りしますが、それでもだめな場合は、公園や高速道路の高架下に設置してある広場で練習します。高架下は、雨に濡れず練習できるので助かりますが、やはり場所の取り合いになります」


正午過ぎに午前中の練習が終わり、お昼の時間がやって来た。

外はまだ小雨がばらついているので、子供たちは体育館の壇上にシーツを敷いて弁当箱を並べた。


ボール拾いをしていた相沢静枝と立花みゆき、そして女子二人が当番席に戻ってくると、水嶋涼子が椅子から立ち上がり勇太に訊ねた。

「三崎さん、お昼の買い出しに行ってきます。コンビニのお弁当ですが、何か食べたいものはありますか」

「僕も一緒に行きますよ」

「これは当番の役目ですから、ここで待っていて下さい。静江さんと二人で行きますから大丈夫ですよ」

「それでは握り飯を三つお願いします。中身はお任せします」


二人が体育館の外へ出た後、一人残った立花みゆきは、大城監督のコーヒーを入れ替え、それから壇上で食べ始めた子供たちの水筒の水をチェックして回った。

それから四つの水筒を持ち帰り、当番席の隣に置いた、ジャグと呼ばれている巨大な水筒から冷えた麦茶を補充した。


勇太は、水嶋涼子たちが戻る間、立花みゆきに、保護者の当番制について質問した。

「部員が多かった時代は、二人制だったの。今は、人数が減り、回転が早過ぎるので、当番は一人になり、手のあいているママさんが手伝うことにしたのよ」


当番は、練習開始前からテーブルと椅子の設置を行い、それから窓ガラスをあけて空気を入れ替え、今度は窓ガラスに暗幕をひく。

暗幕は、窓から射し込む陽光が眩しくないよう遮光するためだが、監督や子供たちのかけ声を外にもれないようにする防音対策でもある。

近所の住人から、子供たちの声がうるさいと学校側に苦情が入り、学校側から監督に指導が届く。暗幕をひいても声はもれる。だが体育館を使わせて貰っている立場として、何らかの対策を示さければならなかった。


当番は、この他に、監督の大好きなコーヒーを差し入れ、練習の合間にケガや体調を崩した子供の介抱、また水分補給のため、子供たちの水筒の中身のチェックと追加など休む暇がない。

「それでもこの時期はまだ楽なの。しんどいのは真夏と真冬。体育館って、夏はもの凄く暑くて、冬はもの凄く冷たい。どうしてなのか、毎年不思議に思うわ」

「はあ。僕はまだ経験がありませんので実感がありませんが、体育館に冷暖房は完備されていないのですか」

「地区によりけりね。都の発令で設置工事が進んでいるけど、ここはまだ先の話ねえ」


勇太がもう一つ質問しようとした時、外から笑い声が近づいてきて、間もなく、買い出しに出かけていた水嶋涼子と相沢静枝が、買い物袋を下げて戻ってきた。


水嶋涼子は当番席にお弁当を並べ、大城監督を呼んだ。

大城監督は嬉しそうに母親たちの正面に腰掛け、自分が頼んだ冷やし中華を食べ始めた。

勇太は、三人の母親たちと一緒に食事する大城監督を眺めながら、チーム監督としてのスキンシップなのだろうと思いながら、一席離れたテーブルの端で、自分が頼んだ握り飯にかぶりついた。



日曜日の早朝七時、早稲田の公園入口前に、新宿バンビのメンバー八名と大城監督、キャプテン美月の母親斉藤秀美、陽菜の母親神山陽子、そして勇太が集合した。

勇太は、板橋区立小学校の体育館で、地元のチームと練習試合があると聞いて取材させて貰うことにした。


現地まで、個人所有の車に相乗りして向かう。

今日の車出しは、斉藤秀美が運転する一〇人乗りのワゴン車、そして神山陽子の車高を低くチューニングしたシャコタンだ。

その異様な車体に度肝を抜かれた勇太だったが、ポニーテールを茶髪に染めた神山陽子の容姿をみて、納得した。


今日の当番は斉藤秀美、手伝いが神山陽子。昼前に水嶋涼子が、麦茶の補充用にペットボトルを近くのコンビニで調達して来る予定になっている。日中は梅雨の晴れ間で暑くなるから、ジャグ一機の水量では足りなくなるからだ。


勇太が見ていると、大城監督は、嬉しそうな顔で意気揚々と、神山陽子のシャコタンの助手席に乗り込んでいった。

六年生の美月と愛花が後部席に乗り、残りの六人が、ワゴン車の後部席へ駆け込んだ。


この時、ワゴン車の横でどうしようか迷っている勇太に、斉藤秀美から声がかかった。

「おい、雑誌記者、こっちに乗りな」

「はい、ありがとうございます」


慌てた勇太が、ワゴン車の後部席に乗り込み、ドアの閉め方に戸惑っていたら、一番年少の桜子に教えられた。

それから車が走り出すと、後部席の端で子供たちがはしゃぐ甲高い声に圧倒されながら、小さく固まって朝の移りゆく街並みを眺めた。


少し遅れて到着した勇太は、斉藤秀美に礼をのべ、ワゴン車から降りて子供たちの後から、相手チームの体育館に向かった。その途中、小学校の正門前の横で、三人の男女がタバコを吹かしているのをみた。

先に到着した大城監督とうんこ座りの神山陽子、そしてもう一人は、初めてみる顔だったが、たぶん相手チームの監督だろうと思った。


相手チームの高島レッドウィングスは、東京都に一五ある支部の第一二支部に所属しており、毎年都大会出場が常連の強豪チームだ。

部員数も六年生が五人、五年生は四人、一番下の一年生まで数えたら全部で二三人いる。弱小チーム新宿バンビの三倍に近い人数だ。


体育館の中は、高島レッドの保護者たちが先に来て、テーブルとパイプ椅子を並べており、チームの子供たちがバレーボール用のネットを張っている。

奥に監督席が設けられ、コートの横に保護者用のテーブル席が三カ所設置されているのを疑問に思った勇太が、斉藤秀美に訊ねた。

「ああ、あれは昼過ぎに、あいがもが参加するからよ」

「合鴨、ですか?」

「おい雑誌記者、あんたねえ、記事を書くなら、先に調べてから来なさいよ」

「はあ、申し訳ありません」

「しょうがないわねえ。次からはちゃんと調べておきなさいよ。下赤塚あいがものBチームよ。あいがもは、AとBの二チームがあるの。あいがもAは昨年の都大会優勝チーム、関東大会で二回戦まで勝ち上がった強豪チーム。あいがもBは都大会三回戦まで勝ち残って、こっちも強いの。うちなんかとは雲泥の差よ」


午前中は高島レッドと新宿バンビの練習試合を行い、午後からは、後から合流する下赤塚あいがもBチームが加わり、三チームが交互に試合う。

審判は、試合のない他のチームが、主審と、コートの四端でボールのインとアウトを判断するラインズマン(線審)を担当することになっている。


「おい、雑誌記者、始まるよ。眼を皿にして、ちゃんと取材しなよ。わからない事があったら、何でもアタシに訊いたらいいよ」

斉藤秀美は、そう言って意味ありげに唇の右端をつり上げた。


斉藤秀美に脅された勇太がコートに視線を向けたら、ウォーミングアップを終えた両チームの子供たちが、それぞれの監督の元へ走り寄り、挨拶した。


大城監督は、子供たちの顔を見回しながらこう言って鼓舞した。

「いいか、今日は練習試合なんだから、監督がいつも教えていることを、失敗してもいいから試してみろ」

「はい」

「相手は都大会の常連だ。胸を借りるつもりで思い切りやれ」

「はい」

皆、その場では大きな声で返答するが、すぐに隣の子と抱き合ったり、額や胸を突いたりしてじゃれ合う。

緊張感から逃れるためだろうと、その時勇太は単純にそう理解した。


高島レッドのサーブで、練習試合が始まる。

審判は、メンバーから外れた高島レッドの五年生が主審、残りの四年生三名と、新宿バンビから同じ四年生の紬がラインズマンを担当した。


サーバー一番手は、エースでキャプテンの千里。

サービスゾーンの壁際に立つ千里の身長の高さに驚いた勇太が、斉藤秀美を振り向き、

「小学生にしては、大きいですねえ」

「千里ちゃんは、確か今は168かな。フロントライトのゆりちゃんも165。他の主力メンバーの子もみんな160はあるわねえ」

「新宿バンビは愛花ちゃんが163で、美月ちゃんや栞菜ちゃんは160ですから、この身長差だけでもしんどいですね」

「あんた、それ取材のつもり」

「いえ、個人的な興味の半々です」

「あんた、取材料、ちゃんと払いなさいよ、現金以外は受け付けないからね。なに困った顔してんのよ、冗談だよ。まあねえ、背が高い低いと言っても所詮は小学生だから、肝心なのは、ここよ、ここ」

そう言って斉藤秀美は、巨大に盛り上がった自分の胸を親指で突いた。


間もなく、主審がホイッスルを吹いた。

「さあ、来るよ、みんな、構えな!」

斉藤秀美が両手を口にあて、声を張り上げた。その声が聞こえたのか、新宿バンビのメンバーが、緊張した顔で腰を落とした。


大城監督は、監督席で両腕をくんだまま何も指示しない。それを見た勇太は、どっちが監督なのだろうかと首を傾げた。


壁を背にした千里が、その位置から、左掌にのせたボールを持ち上げ、軽いステップで躍りでた。

ランニングジャンプサーブ。

高い空間から、弓矢のような鋭いボールが、センター栞菜の手前を突き刺す。


咄嗟に反応した栞菜、跳び込んでレシーブ。

ボールが正確にセッターみなもへ上がってゆく。

「ミーちゃん」

みなもがフロントレフトの美月にトス。

「ふん!」

鼻息をはいた美月が全力でスパイク。


その強烈なスパイクボールを、バックレフト咲良が難なくレシーブ。

セッター杏子は、上がったボールの下へ回り込んで千里へトス。


高い打点から打ち下ろす千里の稲妻スパイク。

まともに受けた栞菜がその威力で弾かれ、尻もちをついた。

主審のホイッスルが鳴る。

1:0


相手コートの保護者たちから、無表情の静かな拍手。

斉藤秀美が大声で栞菜に声をかける。

「栞菜、ドンマイ、ドンマイ。ボールに反応しているから、次はカットできるよ」


高島レッドの保護者と斉藤秀美の対照的な態度をみた勇太は、神山陽子にこう耳打ちした。

「なんだか相手チームの皆さんは、これが当然のように冷めていますね」

「うちを格下だと思ってなめてんだよ。あっちは勝って当たり前なのさ」

「でも、この後で合流するあいがもさんは、あの高島レッドさんよりもっと強いのでしょう」

「あんた、相手をさん付けで呼ぶんじゃねえよ。なめられるよ。とは言え、まあ、悔しいけど、うちなんか練習相手にもならないね」

「なんだか、子供たちが可哀想ですね」


隣で二人の会話を聞いていた斉藤秀美が横から口を挟んだ。

「おい、雑誌記者。私情を挟まないで。うちは、相手の胸を借りて成長するんだから、今は負けてもいいの」

「はい、心得ております。練習試合は、勝ち負けより、その過程で何を身につけるかが目的でした」

「ふん、わかったような口をきいて」


勇太が斉藤秀美たちと話している間に、千里のサーブで三点取られた。

斉藤秀美がため息交じりに、

「栞菜は何とか反応できるんだけど、結愛と陽菜がついていけないわねえ」

それを聞いて舌打ちした神山陽子は、

「千里のやつ、わざと年少を狙ってやがる。ホントむかつくぜ。陽菜、負けたらヤキいれるよ」


千里のサーブが続く。

勇太が館内の壁時計で時間を確かめたら、試合が始まってまだ五分も経っていない間に、千里の連続サービスエースで10点とられた。

10:0


この間、勇太と神山陽子は、ただ呆然と眺めるだけで、言葉もでない。

それでも斉藤秀美だけは、大声を張り上げ、意気消沈する子供たちを夢中で応援する。

「みんな、これからだよ。美月、あんたキャプテンだろ、もっと声を掛けあって」


勇太は、普段は横柄な斉藤秀美の、子供たちを必死に応援する態度をみて感動した。自分が、この連載ページに求めていた、親子のつなぎと言うコンセプトを、見つけたような気がした。


試合中に誰かがミスをする度に大城監督がコートの中へ乱入し、大声で子供たちを怒鳴りつける。それは優勢な立場にいる高島監督も同じだ。

得点したのに、その子を誉めるのではなく、やり方が悪いと叱る。勇太は、練習試合が始まってから、両監督は怒鳴り散らすだけで、活躍した子供たちを誉める姿をみた記憶がない。


その度試合が中断され、試合時間が伸び伸びになる。

それを見た神山陽子が、またかよ、そう嘆きながら欠伸交じりにこう言った。

「毎回毎回、うざいんだよねえ、あれ。怒鳴るより、もっと具体的に教えろっつうの」


公式戦と違い、練習試合だから当然のことだとは理解していたが、こう何度も試合が中断されると、神山陽子ではないが勇太もまたかと思うようになった。


両腕を組んだ斉藤秀美は、大城監督が怒鳴っている姿を眺めながら、

「美月なんか、右から左へ聞き流しているよ。相手は小学生なんだからさあ、もう少し的を絞った教え方をしないと、朝から晩までやってたら飽きちゃうよ」

「え、このまま晩まで練習試合ですか」


早朝七時に集合し、保護者の車で現地へ向かい、各チームのウォーミングアップ終了後に練習試合が始まった。練習試合は夕方まで永遠に続くことを聞いた勇太は、その間、子供たちの体調は大丈夫なのか心配になった。


その事を斉藤秀美に訊ねたら、

「ふん、考えが甘いよ。監督の機嫌しだいでは、夜の九時まで伸びたりするんだから。昔は、九時、一〇時は当たり前で、夜食まで持ち込んでやってたよ。まだ美月が一年生の頃だけどね。暑い夏の日なんて、鼻血だしたり貧血起こして吐いたり、脚が痙攣したり、介護がもうたいへんだった。介護する親も具合が悪くなったりしてね。まあ、あの頃はうちも強かったからねえ、アタシらも子供たちも活気に満ちていたんだ。ほら、あそこに使い古した大きなバックがあるだろ。あれが歴代から受け継がれてきた救急バックさ。でもずいぶんくたびれてきたから、アタシの代で買い替えるつもりなんだけどね。」

「小学生が、バレーボールの練習で嘔吐や鼻血ですか。なんか、いいのか悪いのか、判別できません」

「おい、雑誌記者、こんな事を記事にしたら殺すよ」

「斉藤さん、心配ご無用ですよ。原稿は三回、監督さんにも確認して戴きますから」


そしてこれはここだけの話だと前置きした斉藤秀美が、勇太に耳打ちした。

「昔、よその話だけど、監督が練習中に子供を殴って鼓膜が破れたりしたことがあったらしいよ」

それを聞いた勇太が、驚いてその後の状況を訊き返したが、斉藤秀美は、少し口を滑らせたと思ったのか、それ以上は何も応えなかった。


この時、主審の笛が鳴り、千里の連続サーブがやっと終わった。

12:1


次は新宿バンビ、エース美月のサーブだ。



美月の、体重をのせた重量感あふれるジャンプサーブ。


会心のサーブを簡単にレシーブする、高島レッドバックレフト咲良。

そのカットしたボールが正確にセッター杏子へ上がってゆく。

アタックラインの手前まで下がった千里が、前屈みに腰を折り、アタックの構えに入った。


「栞菜、来るよ!」

斉藤秀美が大声で叫んだ。

床に右手をついた栞菜が、獲物を狙う豹のような低姿勢で、千里の動きを睨みつける。


千里が跳んだ。

高い到達点から、鋭いスパイク。

同時に、栞菜が動く。

千里のマッハスパイクを、尻もちをつきながらその威力を軽減させ、両手でカット、セッターみなもに繋いだ。


「ミーちゃん」

美月の名を呼びながら、みなも、いきなりフロントライトの愛花にバックトス。

愛花のクロスが、高島レッドバックライト路の胸もとを直撃した。

12:2


「やったあ」

斉藤秀美と神山陽子が、抱き合って歓喜した。


千里が、両眼を見開き、驚いたような顔で、得意のスパイクをカットした栞菜を睨んでいる。

その千里の肩を叩きながら、セッター杏子が、まぐれまぐれと言って笑いかけた。それでも千里は、まだ栞菜から目を離さない。


練習試合の中盤戦に入り、身体が試合に馴染んできた新宿バンビの子供たちの動きが活発になった。

みなものサーブで2点稼ぎ、四番手栞菜も連続サーブで3点を連取。

その後両チームが攻防を重ね、練習試合開始二〇分が過ぎ、高島レッドのマチポイントがきた。

20:11


このマチポイントについて疑問に思った勇太が、斉藤秀美に訊ねた。

斉藤秀美は、面倒くさそうに顔をしかめ、

「あのねえ、小学生のバレーボールは21点までなの。公式戦は3セットマッチだけど、今日は練習試合だから1セットだけ。それを何度も繰り返す。ちなみに教えておくけど、小学生のポジションは定位置だから。中学生からは大人と同じように時計回りに移動するけどね」

「そうなのですか、試合開始からポジションの移動がないから、おかしなと思っていたところでした」

「とにかく、今日は教えてあげるけど、同じことを質問したら料金割り増しだからね」

「はい、ちゃんと先に調べてきます」


この時、主審のホイッスルが鳴った。

サーバーはフロントライトゆり。

ゆりが打ったサーブボールが、バックライト陽菜の顔面を直撃した。


陽菜の顔に当たったボールは、横に飛んでサイドラインの外へ落ちた。

主審の笛が鳴り、練習試合の一回戦が終了した。

21:11


陽菜が顔を押さえてしゃがみ込んだ。すぐに栞菜とみなもが駆け寄り、陽菜の肩を抱きしめる。

美月と愛花は無関心なのか、二人で寄り添い、小声で次の作戦を話し合っている。


娘の様子に激怒した神山陽子が叫んだ。

「陽菜、いつまでも泣てるとシメるよ。真っすぐ前を見て生きろ」


それから両チームのメンバーが監督の前に集まり、今の試合の反省点と次の指示を仰いだ。陽菜は栞菜に肩を支えられながら、その輪の中へ入った。

大城監督は、陽菜の顔をチラ見しただけで何の言葉もかけない。


すぐに二回戦の練習試合が始まる。


サーバーは美月。

いつものジャンプサーブ。

バックの咲良と路の間を狙う。

先に反応した咲良。

カットしたボールが右へ跳ね、慌てた路が両手で弾いた。低く流れるボールを、杏子はそのまま新宿バンビのコートへ返した。

 

「チャンス」

斉藤秀美が大声で栞菜の名前を叫んだ。

オーバーレシーブで、正確にセッターみなもへボールをつなぐ栞菜。


「ミーちゃん」

みなも、美月へ高いトス。

そのボールの行方を、千里が見つめる。


美月が跳んだ。

「ふん」

渾身のスパイク。

同時に千里と杏子がブロック。

二人の高い壁に阻まれ、美月の打ったボールがはね返された。

1:0


足下へ落ちたボールを見つめる美月の肩が震えている。全力で打った会心のスパイクをブロックされ、落ち込んだ。

愛花、みなも、栞菜が駆け寄り、美月の肩を叩いて声をかける。


斉藤秀美は、娘の醜態を苦々しい顔で睨みつけ、誰にでもなく嘆いた。

「ダメだねえ、あの子は。せっかくのチャンスをものにできないなんて、エース失格だよ。ほら、また監督が出てきた」


サーブ権が高島レッドへ移り、サーバー千里が壁際へ立つ。

千里のランニングジャンプサーブ。

ネットの頭を掠め、鋭い矢のごとく、バックライト結愛の手前を突き刺す。

脚が止まって動けない。

2:0


「あの千里のサーブ、四年生の結愛じゃカットできないよ」

「秀美さん、あいつ、一回目から年少を狙ってんすよ」

「くそ。うちは結愛と陽菜が四年生だからねえ、六年生の千里やゆりたちに狙われたらイチコロだよ」

「でも、美月ちゃんがいるすよ。千里たちにパワーでは負けていないす」

「パワーだけならねえ。で頭脳ではかなり負けているみたい」


一回戦と同様に、千里の連続サーブが決まり、11:0と大きく離された。


斉藤秀美は、過去にたった一人の連続サーブで、21点取られ負けたことを勇太に話した。

驚いた勇太は、右の人指し指を立て、

「一人で21点を連取するのは簡単ではないですよ。体力の持続もそうですが、ミスをしてはいけないから、プレッシャーが大変でしょう。斉藤さん、差し障りがなければ、その相手チームを教えてもらえませんか」

「別に隠すもんじゃないから話すけど、あいがもBのキャプテン美南ちゃんだよ。昨年までAチームで活躍していたんだけど、楢崎(ならさき)監督の指示でBチームへ移り、今はエースでキャプテンさ」

「え、と言うことは、この後その美南ちゃんに会えるのですね」

「たぶんね。おい雑誌記者、そんなにやけた顔して、あんた、変な気をおこすんじゃないよ」

「当たり前ですよ。取材、全ては取材のネタです」


この後、千里のサービスミスで連続サーブが終わった。

14:1


大幅に点差がひらき、美月たちのモチベーションもかなり下がっている。

大城監督は何度もタイムをかけ、コートの中へ入ると陽菜と結愛にレシーブのやり方を身振り手ぶり教えた。

それから栞菜に対して、バックの下級生に任せず、もっと積極的にフォローに入れと叱る。

栞菜は、悔しげに唇を噛み締め、大城監督を睨みつけながら、頷いた。


新宿バンビ、愛花のサーブ。

軽く打ち放つ得意のフローターサーブが、高島レッドを相手に決まらない。

簡単にレシーブされ、千里の強烈なスパイクのお返しがくる。

15:1


大城監督が監督席のテーブルを叩き、何度もレシーブミスした結愛を指さして叫んだ。

「結愛、紬と交代しろ。紬、すぐコートへ入れ」


驚いた結愛は、嫌々するように何度も首を振り、その場から離れようとしない。怒った大城監督がコートの中へ駆け込み、結愛の腕を掴んで引っぱり出した。入れ違いに紬がバックレフトのポジションに立ち、腰を落としてレシーブの構えをとった。


何もなかったように主審の笛が鳴る。

高島レッドゆりのサーブで、練習試合が再開された。


新宿バンビは、高島レッドとの二回戦を、14点の大差で撃沈された。

集合したメンバーを怒鳴り散らす大城監督の姿が、取材を続ける勇太には異様な光景にみえた。


練習試合が一段落した頃、高島レッドの高島監督から保護者たちに、これから昼食の準備をするよう声がかかった。


神山陽子は、大城監督に誘われ、高島監督と三人で体育館の外へ出ていった。

それを見た斉藤秀美が、人指し指と中指を合わせて唇に当てた。勇太は、またタバコかと嘆いた。


体育館の隅にレジャーシートを敷いた子供たちが、二チームに別れて弁当を食べ始めた。

新宿バンビの低学年たちは、大差で負けたショックのせいか元気がない。それとは正反対に、美月と愛花は笑い声を上げながら、握り飯にかぶりついている。


少し離れた席でみなもが、栞菜に耳打ちした。

「こんなことをやっていたら、いつになっても都大会に行けないよ。栞菜、うちに考えがあるんだ」

「考え?」

「後で相談する」

「うん、わかった」


斉藤秀美は、子供たち一人一人の水筒の水量をチェックして回り、三つの水筒を抱えて戻るとジャグの冷やした麦茶を追加した。

この時、2リットル入り麦茶のペットボトルが三本入ったレジ袋を下げた水嶋涼子が現れた。

水嶋涼子は、額の汗を拭うと斉藤秀美にペットボトルを手渡し、それから館内の様子を確かめるように見回した。


弁当を食べ始めた結愛が、いきなり吐いた。隣で食べていた陽菜が驚いて斉藤秀美の名を呼んだ。

先に異変に気づいたみなもと栞菜が、吐物で汚れた結愛の口元を、自分のハンドタオルで拭き始めた。


斉藤秀美と水嶋涼子が駆け寄ると、結愛は青ざめた顔で呼吸を乱し、必死に息を吸い込みながら斉藤秀美の腕にしがみついた。

斉藤秀美は、結愛の背中を優しく撫でながら、静かに話しかけた。

「結愛、悔しかったね。おばちゃんが付いているから、何も心配しなくていいからね。次はもっと頑張って、監督を見返してやりなよ」


勇太は、その姿を写真に撮りたかったが、撮影を禁止されていたため、代わりに自分の目に焼きつけた。



昼食後、予定より三〇分遅れて、下赤塚あいがもBチームが現れた。

キャプテン美南を先頭に、九人の子供たちが一列に並んで入ってきた。

その後から、楢崎監督の妻亜紀子コーチと三名の保護者が付き添っている。


勇太は、一糸乱れぬ子供たちの行進に圧倒され、都大会出場の常連チームの統率の高さに驚いた。

あいがもBの子供たちは、壇上の隅に綺麗にショルダーバッグを並べると、

「全員集合」

美南の号令に従って全員が壇上から駈け降り、大城監督と高島監督の前に整列した。

美南が、腰を九〇度折り、大きな声で挨拶する。

「こんにちは。今日一日、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


挨拶が終わると全員がすぐ壇上へ戻り、ボールバックから取り出したボールをボールカゴに詰め、館内のあいた場所でウォーミングアップを始めた。


みなもと栞菜は、しばらく美南たちの練習を眺めていたが、すぐ弁当箱を片づけるとボールを手に、軽いトスをやりだした。すぐ陽菜と紬、そして桜子が合流し、体調が回復した結愛も参加した。

ただ、美月と愛花は、余裕顔で、まだ弁当を食べている。


間もなく、高島レッドとあいがもBの練習試合が始まった。

サーバーは高島レッド千里。


千里が打ったボールは、バックレフトを守る四年生有香を直撃する。

後方に跳ねながら、有香がボールをすくい上げ、セッター奈奈へつないだ。


「あいつ、また年少を狙いやがった」

神山陽子が、午前の試合と同様に愚痴をこぼしたが、斉藤秀美は淡々とした表情で応えた。

「あれはあれでいいんだよ。年少にとってはいい経験になるからさ。たぶん、試合前に、監督同士で話し合っているのさ」

「あ、秀美さん。そう言えば、タバコ吸っている時に、大城監督と高島監督が何やら話し込んでいましたよ」

「ただね、美南ちゃんはやらないよ、嫌いだから、そういうやり方」

「そうっすね、美南、カッケーすね」


高島レッドとあいがもBの練習試合は、中盤戦まで得点の取り合いで互角だったが、再び美南の連続サーブが決まり抜きでた。

18:16


焦った千里が、セッター杏子にボールを自分に集めるよう指示した。千里は、以前から、美南に対して対抗心を抱いていた。

杏子は、一瞬フロントライトのゆりを気にしたが、すぐ顔を戻すと頷いた。


美南のサーブが続く。


センター未来がカットしたボールが斜めに飛び、杏子の代わりにゆりが千里にトスを上げた。


長身千里の強烈なスパイク。

フロントライト晃良と奈奈のブロックを外し、センター美希の手前を襲う。


直弾のごとき鋭いボールを、腰を低く落とした美希がカット。

正確に上がったボールを、セッター奈奈が美南に高いトス。

ランニングジャンプした美南、強打を打つと見せかけながら、センター未来とバックレフト咲良の間に、軽くボールを落とした。

19:16


「斉藤さん。美南ちゃんは、相手のコートをよく見ていますね。小学生なのに、全日本バレーを見ているような気がします」

「あんた、練習試合に感動していたら、都大会をみたら腰を抜かすよ。まあ、とは言え、その中でも、美南や千里はずば抜けてはいるけどね」


再び、美南のサーブ。

美南は、特定の一人を狙わず、バックを守る咲良や路、そしてセンター未来の前後左右へ打ち放つ。


主審の笛が鳴り、高島レッドとあいがもBの練習試合が終了した。


勇太は、体育館の隅に置かれた得点版を眺めながら、今度は水嶋涼子に話しかけた。

「21対16ですね。あの後、美南ちゃんの連続サーブが決まり、強豪チームの高島レッドは押し返すことができませんでしたね」

「三崎さん。それって、次に対戦するうちのチームを心配しているのでしょうか」

「はあ、栞菜ちゃんたちが大丈夫かなと思って」

「三崎さん、それなら無用ですよ。高島レッドやあいがもみたいに強いチームが、うちみたいな弱小チームと練習試合をしてくれることはめったにありません。頼んでも相手にしてくれません。強豪チームは強豪チーム同士で競い合い、さらに上を目指します。ですから今日は特別なのです。負けて何を思い、何を学ぶか、それが一番大切なことです」

「そうでした。僕は、練習試合の本当の目的をちゃんと理解していませんでした。勝つことばかり期待していました。目先のことしか見えていなかったのですね。以後、気をつけます」


この時、横から斉藤秀美が乱入してきた。

「ふん、雑誌記者、少しは勉強になったかい。練習試合だろうが本戦だろうが、負けたらみんな悔しいんだよ。それは当たり前さ。そこで終わっちまったら、年少からやってきたあの子たちの意味がなくなっちまうだろう」


勇太は何度も頭を下げながら、自分の思慮の甘さを詫びた。

それから笛の音が鳴り、振り向いたら、新宿バンビとあいがもBの、練習試合が始まっていた。


この日の練習試合は、午前中に三試合、午後は三チームで九試合、新宿バンビは大差で敗れて一勝もできなかった。

さすがに疲れたのか、帰りのワゴン車の中で子供たちは居眠りを始めた。

勇太は、そのあどけない寝顔を眺めながら、朝から晩まで続いた練習試合を通して、この子たちはいったい何を学んだのかと首を傾げた。



例年より一週間早く梅雨明けした早稲田の公園で、学校帰りのみなもと栞菜が、二人だけの特訓を始めていた。


高熱ビームみたいな陽射しを浴びながら、頭から汗を垂れ流し、一つのボールを二人で追いかけている。

みなもは、額の汗をTシャツの襟を持ち上げて拭った後で、栞菜を叱った。

「遅いよ、栞菜。Aクイックは、うちのトスと同時にジャンプしても間に合わない。さあ、もう一回やろう」

「みなも、わかったよ。わかったけど、タイミングが追いつけない」

「うちの動きをよくみて。いくよ、走れ」


みなもがトスを上げてから走っては間に合わない。みなもがトスする前に走り、トスと同時にジャンプして打つ。

だがどうしてもタイミングが合わない。ボールの軌道が先読みできないからだ。

「栞菜、本番はもっと難しいんだよ。もう一回やろう」


みなもは、Aクイックをマスターしたら、Bクイック、Cクイック、そして最後にブロードのDクイックを練習すると言いだした。

この時、栞菜は、みなもの前向きな姿勢に驚きながら、クイックの種類別に何かしらのサインが欲しいなと思った。

クイックの種類によりトスの角度と打つタイミングが違うから、事前にどのクイックなのか判れば、走る準備ができるからだ。


小学校の体育館で、六時から始まる新宿バンビの練習時間ぎりぎりまで、みなもと栞菜は、二人だけ特訓を続けた。

そしてその特訓は、秋の大会に向けての備えだった。

六年生の美月と愛花にとって最後の公式戦になるから、何とかして二人を都大会に連れて行ってあげたい。そのためには何が足りないのか、何が必要なのか、チームの司令塔みなもは、真剣に考え悩んでいた。



勇太は、入稿最終日の前日、夜遅くまでパソコンに原稿を打ち込んでいた。

集めた画像と入力したテキストを編集長に送信して、OKがでたら印刷所指定のクラウドサーバーへアップする。


原稿を書き終えた後、コーヒーを入れ替えながら、板橋区の体育館で行われた高島レッドとあいがもB、そして新宿バンビの練習試合を思い起こし、疲れたように重いため息をついた。


蒸し風呂のような体育館で、朝から晩まで練習試合を取材した。

高島レッドとあいがもBは勝ったり負けたりを繰り返したが、新宿バンビは両チームに一度も勝てなかった。

それでも美月と愛花は笑っていた。

それを見た斉藤秀美がこう言った。

「あの二人は、小一の頃からチームに参加しているから、負け慣れしているんだよ。もうすぐ卒部だし、やる気もない。美月なんてキャプテンなのに、下の子に声をかけて盛り上げようともしない」


斉藤秀美の態度や苦情は記事にしなかったが、こんな状態で新宿バンビは、いつになったら念願の都大会に出場できるのだろうかと不安になる。

秋の公式戦を最後に、六年生の美月と愛花は卒部する。新たな部員が入らない限り、残るのは栞菜たち六人だ。一人でもけがをしたら試合には出場できない。

連載を続ける以上は、せめて都大会で勝ち上がる姿を掲載したい。


練習試合の翌日、編集長に業務報告した場でこう叱咤された。

「そんな弱小チームをメインに掲載しても連載は続かないだろう。それなら、あいがもをメインに替えたらどうだ。あいがもにはAとBがあり、それぞれにスター選手が存在するなら読者の注目を集めて面白いじゃないか。今年は全国大会に行けるかもしれないぞ」


掲載する理由に人情を絡めるな、どうしたら読者受けするかだけ考えろ、それが編集長の返答だった。

読者からのレスポンスが多ければ、この連載は二、三年続けても構わないとも言ってくれた。


勇太は、今の新宿バンビが都大会に出場するには、子供たちの相当の努力と、あとは奇跡を待つしかないような気がして悩んだ。

それからオフィスの壁時計を見上げた。午前一時前、最終電車に間に合わなくなる。慌てて身の回りを片づけ、ノートパソコンをショルダーバッグに押し込むと、慌てて駅へ向かって走り出した。



夏の土日曜日は、秋の公式戦に向け、他チームとの練習試合が続いた。

大城監督は、相手チームの監督と話がつき次第、相手構わず予定を組み入れた。


その日新宿バンビは、府中市の小学校体育館で、地元チームの府中インパルスと合流した。

この日は、保護者たちの車出しがなかったため、監督と当番の水嶋涼子が二人で子供たちを引率し、電車で向かった。


ここの体育館もまだ冷暖房が完備されておらず、工事は順番待ちで、来年の春になる。

茹だるような体育館の中で、朝から晩まで繰り返し練習試合が続く。


当番の水嶋涼子は、子供たちの水筒の入れ替えや、監督たちのアイスコーヒーの差し替えで休む暇もなく動き回っていた。

後から手伝いにくる予定の、紬の母関根由美は昼になってもまだ現れない。

水嶋涼子は、一人で、大城監督の昼食の準備、空になったジャグに追加するペットボトルと氷を買いに、近所のコンビニを往復した。


勇太は、汗まみれになりながら奮闘する水嶋涼子に声をかけ、一緒にコンビニへ行くことを申し出たが、たった一言断られた。

「当番ですから」


それから両手にレジ袋を下げて戻ってきた水嶋涼子の、汗びっしょりのTシャツをみた勇太は、思わず走り寄り、レジ袋を引き取った。


水嶋涼子は、ジャグの中に氷を入れ、ペットボトルに麦茶を注ぎ足した。それから関根由美に、途中のコンビニで、2リットル入りの麦茶を二本買ってくるようメールを送った。

残った氷を保冷バックに保存すると、これは具合が悪くなった子のための備えだと言って笑った。隣で勇太は、傍観するだけで何も言えなかった。


突然、昼飯を食べていた桜子が吐いた。

勇太は、水嶋涼子と一緒に体育館の壇上に上がり、桜子の吐物を拭いているみなもと栞菜に話しかけた。

桜子は、朝から具合が悪かったのだとみなもが言う。


その事に気づかなかった水嶋涼子は、自分を責めた。

みなもたちに代わって桜子の口元を拭きながら、何度も、ごめんね、ごめんねと繰り返し詫びた。

勇太は、こんな時に大城監督は何をしているのだと顔を向けたら、府中インパルスの監督と冷やし中華をうまそうに食べていた。


間もなく、遅れてやって来た関根由美が、水嶋涼子に謝りながら、バックから首に巻く保冷剤を取り出して桜子の首に巻いた。

それから二人は、共同して桜子の脇の下や太腿のつけ根を冷やし、応急手当をした。


しばらくして桜子は容態を回復し、再び弁当を食べ始めた。みなもと栞菜は、傍で一緒に食べながら、それとなく桜子の容態をみている。


勇太は、何の役にも立たない自分の無力さを感じた。そして母親たちの的確で迅速な処置に驚いた。この一連の対応が、度重なる経験から学んできたことを知り、親たちの苦労と存在感の奥深さに感動した。


昼食が終わり、午後の練習試合が始まるまでの間は、子供たちにとって貴重な自由時間だ。

鬼役の美月が他の子を追いかけ、タッチされた子が鬼となって追いかけ、鬼が増えてゆくゲーム。

途中から、府中インパルスの子供たちも入り混じり、体育館の天井に、子供たちが走り回る足音と、無邪気なはしゃぎ声が、映画の回想シーンのようにこだましてゆく。


勇太は、水嶋涼子に、府中インパルスの実力を訊ねた。

「そうですねえ、以前は都大会に出場したこともあったけど、今はうちと同レベルかしら」

「今日の練習試合は、どちらが申し込んだのですか」

「本当は、先に高島監督に連絡したらしいのですが、先客があるとかで断られたみたい」

「なるほど。そんな裏事情があったのですね」

勇太は、多分、府中インパルスも同じ状況ではなかったのかと思ったが、口には出さなかった。隣の調布市には、調布ジュニアパンサーという都大会の常連チームが活動していることを、事前調査で知っていた。


強いチームは強いチーム同士で横のネットワークを作り、弱いチームは何とかしてその中へ入り込もうとするが、相手にされないのが現実だった。


午後の練習試合が再開され、午前中は府中インパルスを圧倒していた新宿バンビは、疲れがでて覇気がなくなり、三試合連続して敗れた。


試合中も試合後も、大城監督の怒鳴り声が絶えない。

四試合目で、陽菜が連続でミスをした時、怒り狂った大城監督が、コートの中までパイプ椅子を蹴飛ばした。

幸い陽菜には当たらなかったが、それを見た勇太は驚いた。

府中インパルスの保護者たちは、口をへの字にして互いの顔を見合わせている。


驚き憤り立ち上がる勇太の腰を、隣の水嶋涼子が慌てて引っ張り引き止めた。

「三崎さん、行ってはだめ。チームのやり方はすべて監督の権限です」

「ですが、いくらなんでもあれはやり過ぎです。もしも椅子が当たったら、ケガだけでは済みませんよ」

この時勇太は、以前に斉藤秀美が話していた、他の監督がチームの子を平手打ちして、鼓膜が破れた話を思い出した。


陽菜は、眼に泪をためながら、バックレフトのポジションに戻り、試合が再開された。

バックポジションの両翼を守る陽菜と結愛は、まだ四年生だ。大城監督が感情に任せて怒鳴り散らしても、直後に対応できる年齢ではない、勇太はそう考え、その指導方針に首を傾げた。


勇太の表情に危惧を感じた水嶋涼子は、勇太のカップにアイスコーヒーを入れ替えると、諭すような口調でこう言った。

「小学生の子って、毎日同じことを言い続けても、すぐに忘れてしまうのです。栞菜も同じ。そして学年が上がるにつれ、自分の興味が外へ向かっていくから、足下が見えなくなるの。監督は、練習の度に、何度も同じことを繰り返し教えているのに、翌日になるともう忘れてしまう。これは日常生活でも同様です。箸の持ち方や食事の席では肘をつかない、それを何度言っても覚えない。それからこれは余計なことかもしれませんが、男の子と女の子では、教え方、叱り方が少し違うのです」

「はあ、そんなものですかねえ。僕は余計なことをやろうとしていたのですね。きっと昔は、口で言うより、体罰みたく身体に覚えさせていたのでしょうね」


この時、主審の笛が鳴り、四試合目が終わった。

21:16


勇太が、水嶋涼子に質問しようと振り向いたら、水嶋涼子は関根由美と二人で、子供たちの水筒の中身を確かめに向かっていた。



水曜日の夕方、まだ日中の猛暑の残骸が漂う品川区の体育館、雄太は、地元で活動している高輪エンジェルの唐沢監督を取材した。


唐沢監督は、勇太が、スポーツ編集部に異動になる前部署の上司だった三島の学生時代の同級生で、高校大学は全国大会で活躍した経験があった。

勇太が、久しぶりに三島と食事をした時に、監督たちの教え方に疑問を抱いたことを話したら、唐沢監督を紹介された。

取材の目的は、小学生バレーボールの苛烈な指導方針についてだ。


六時から練習が始まる三〇分前にアポを取り、まだ誰もいない体育館の隅で取材を始めた。

「それにしても背が高いですね」


勇太は、唐沢監督と体育館の前で待ち合わせた時の第一印象を、正直に話した。

ずんぐりむっくりの大城監督や高島監督とは雲泥の差があり、アスリートとしてのイメージを強く感じた。


「僕なんか、まだ小さい方ですよ。男子バレーは、190でも小さいですから」

「三島さんとは高校からのお知り合いだとお聞きしました。唐沢監督は大学を卒業された後に、バレーボールは続けなかったのですか」

「三島は高校で止めましたが、僕は大学四年間と、卒業後は実業団のチームに三年ほど所属していました」

「品川エンジェルは監督さんが始められたのですか」

「いえ、僕で三代目です。先代が体調を崩してチームの指導ができなくなり、当時コーチをしていた僕が後を引き継ぎました」


この時、勇太は、館内の壁時計を見て先を急いだ。

「いきなり本題に入り申し訳ありませんが、当時の指導のやり方についてお訊きしたいのです」

「その件でしたら、三島から聞いていますよ。体罰かどうかと言うことでしたら、体罰でもあり指導でもある、それが僕の応えですかね」

「監督さんは、子供にボールをぶつけたり、椅子を蹴飛ばしたりするやり方を認めるのですか」

「これはあくまで僕の見解ですが、どっちもどっちもですよ。不服ならば、親たちが連盟に訴えて止めさせたらいいのですが、訴えたら活動が制限され、公式戦に出れなくなるから黙認する、また指導者側は、それを逆手に利用して親たちを封じ込める、そうなってくると、真実を話す者がいなくなり、何が正しくて、何がやり過ぎなのか判別できなくなります」

「監督さんは、どのように指導しているのですか」

「僕ですか、僕は、技術と体力の育成をメインに教え、チームのことは六年生のキャプテンと副キャプテンに任せています。二人が解決できない時にだけ、僕に相談することにしています。でも、正直に話しますが、たまに怒鳴ったりはしていますよ」


この時、体育館の扉が開き、元気な子供たちが入ってきた。勇太が見る限り、高島レッドの千里や、あいがもBの美南ほど長身な子はいなかった。


勇太は、唐沢監督に礼を述べ、これから始まる練習風景を見学してもよいか訊ねた。

「構いませんよ。ただし、撮影はご遠慮下さい。画像が必要なら、ホームページからダウンロードできる画像がありますから、後で確認してください」

「ありがとうございます。助かります」


子供たちは、体育館の隅にショルダーバッグを集め、シューズの履き替えを始めた。

勇太は、額の汗を拭きながら、子供たちの様子を眺めていた。

冷房設備がない館内は暑苦しく、大型扇風機が四機稼働しているが、その風はごく限られた周りだけで、勇太の座る場所まで届かなかった。



日中の最高気温が36度を超した猛暑日の午後、早稲田の公園でみなもと栞菜の、二人だけ特訓が続いた。


Aクイックを打つタイミングを覚えた栞菜は、短時間でBクイックとCクイックをマスターした。

ただ、最後のDクイック、通称ブロード攻撃には、みなもの立つ位置から大きくライト側へ回り込むため、距離感とジャンプするタイミングが難しい。


途中で休憩したみなもが、ミネラルウォーターをがぶ飲みしてから笑顔を向けた。

「栞菜の運動神経なら、もう少しでアタックできると思うよ。だけど、試合でどこまでやれるかが問題だけどね」

「みなものトスは正確だよ。こっちがついていけないだけ」

「栞菜、ここだけの話し。来年は栞菜がレフトだよ。もち、セッターはアタシ。ライト結愛、センターは陽菜。バックは紬と桜子。このメンバーで都大会を優勝するんだ」


栞菜が驚いて振り向いたら、みなもは、青空に盛り上がる入道雲を見上げながら眼を輝かせていた。

今年で卒部する美月と愛花を都大会に行かせたいと話していたみなもが、本当はもっと先をみていることにもう一度驚いた。


栞菜は、みなもから、二人だけ特訓の提案を受ける以前に、自分のサーブで連続得点する方法を考えていた。

涼子にそれとなく相談したら、自分がバレーボールをやっていた学生時代に、ブーメランみたいに大きく旋回して急角度で落ちるサーブを打つチームメイトがいたこと話をしてくれた。

それ以来、近所の公園で、涼子に指導されながら練習を始めていた。


ペットボトルのミネラルウォーターを飲み干したみなもが立ち上がり言った。

「栞菜、さあ、練習を始めるよ」

栞菜もベンチ椅子から腰を上げた。

「あのね、みなも。みなもが上げたボールがどこにいくのか予測できないと、打てないし、それから走っても間に合わない」

「そうか、確かにそうだよね。ブロードはバックトスだから、勘で上げるしかない。うちは、栞菜の合わせに頼りきっていた。これじゃあ、タイミングをとるのが難しいよね」

「そのみなもの勘でいいからさあ、バックで2m、平行トスできるかな」

「2mのバックトスか。勘に頼るしかないけど、やってみる」


みなもが、先ほどのポジションに立ち、両手でボールを構えた。栞菜は、後方に下がって腰を落とした。

炎天下、みなもと栞菜の二人だけ特訓が再び始まった。


その日、練習時間より早めに体育館へ向かう美月は、公園の隅で走り回る栞菜をみつけ足を止めた。

「愛花、あれ、栞菜だよね」

「みなももいるじゃん」

「何やってんだ、あいつら」

「バックトスの練習っぽくね」

「この暑いのに、ご苦労なこと」

「まだ、バスケのやつらが体育館をつかっているから、入れないんだよ。でも美月、栞菜のあの動き、どこかで見た気がする」

「愛花、後で訊いてみようぜ。暑いから早く行こう」


一〇


金曜日、練習時間の三〇分前に集まるよう、大城監督から保護者会に緊急の召集メールが届いた。

召集の目的については、保護者代表である斉藤秀美だけに知らされており、他の七名は何も知らない。


体育館に集まった保護者たちの間で、誰かが何かやらかしたからだと噂がたち、長テーブルの保護者席で、皆が神山陽子を睨んだ。

視線を感じた神山陽子が、慌てて右手をひらひらさせながら否定した。

「え、アタシすか、違う違う」


この時、大城監督が急ぎ足でやって来ると、保護者席の中央に腰かけ、いきなり本題を切りだした。

「驚かないできいて欲しいんだが、足立区の強豪チームパプリカの監督が、連盟所属委員会に呼び出されました。詳細はわかりませんが、メンバーの一人が精神的傷害を患い、学校にも行けなくなり、監督の行き過ぎた指導が原因だと思った保護者から訴えられたようです。これにより、パプリカは当面の公式戦は出場停止になりました。秋の公式戦が最後になる六年生は、もう試合に出ることはかないません。皆さんに言いたいのは、その場の感情だけで簡単に連盟に告訴しないでいただきたい。六年間がんばってやってきた他の子はどん底ですよ。先に、チームの監督に相談して下さい。でないと、セクハラだ、パワハラだと騒ぎまくるこのご時世ですから、とんでもない問題に発展しますよ。本当に、よろしくお願いしますよ」


監督の話をきいた斉藤秀美は、おまえも同類だろう、そう心の中で嘆きながら、むりやり笑顔を作り顔を向けた。

「監督、うちのチームは大丈夫ですから、安心して下さいよ。ただ、陽子ちゃんはどう思っているかはわかりませんけどね」

「ちょ、秀美さん、何言ってんすか、アタシも大丈夫すよ」

「監督、陽子ちゃんも問題ありませんて言ってます」


それを聞いて頷いた大城監督は、もう一度ゆっくり保護者たちの顔を見回した。

「まあ、僕の指導がやり過ぎってことはありませんから、心配はしていませんがね。ただ、秋の公式戦に向け、練習を頑張ってきた子供たちが、一瞬で出場停止になるのはかわいそう過ぎる。ですから、今後もどうぞよろしくお願いしますよ。それから、せっかく集まって戴きましたので、この後、斉藤さんから、夏の合宿について説明があります」


連盟への告訴事件から、いきなり話題が夏合宿に切り替わり、それまで張りつめていた保護者たちの顔が和んだ。


大城監督から主役を代わった斉藤秀美は、大きく咳払いすると、二泊三日の合宿のスケジュールについて話し始めた。こうした場で、経験の少ない下級生の保護者からの質問はほとんどない。それを察するように、五年生の保護者、水嶋涼子と相沢静江が質問した。

「秀美さん、肝心の宿泊先は決まったのですか」

「涼子ちゃん、それがまだなの。どこもいっぱいなの。知ってる宿があったら紹介してよ」

「少し時間を下さい。見つけたらお知らせします」

「涼子ちゃん、それとね、監督は、山じゃなく海がいいって言うの。親子でビーチバレー大会をやれる場所を探せって」

「はあ。足は車ですよね。ここから近場だと、やっぱり千葉かなあ。茨城は遠いし、神奈川は混むし」

「静ちゃんも、知ってる宿があっなら協力して。なにせ、多人数だからさあ、なかなか見つからないのよ」


この時、体育館の外から、子供たちの元気なはしゃぎ声が近づいてきた。

水嶋涼子が壁時計を見上げたら六時五分前だった。それから監督を探したら、煙草の箱を持って神山陽子と一緒に出ていく後ろ姿がみえた。

斉藤秀美は両手で長テーブルを叩き、さあ、これから練習が始まるよ、そう言って勢いよく立ち上がった。


一一


ひまわり笹塚は、渋谷区で唯一活動している小学生バレーボールチームだ。

創部してまだ二年の弱小チームだが、神宮寺監督は、高輪エンジェルの唐沢監督と同じ実業団でプレーした実績があり、ポジションはセッターだった。


この小学校の体育館にも、冷暖房の設備はなく、工事が始まるのは年末になる。


勇太は、唐沢監督から紹介され、高輪エンジェルとひまわり笹塚の練習試合を取材することになった。大城監督には内緒にしていたが、他チームの練習風景や、監督たちの指導方針を取材することで、知見を広めたいと考えたからだ。


午前中は、両チーム混合でサーブ、スパイク、レシーブカットなど技術面の練習を行い、昼食を挟んで午後から練習試合が始まった。

試合結果は高輪エンジェルの貫禄勝ちで終わったが、両チームの子供たちは、午前中に習った技術を実戦で自分なりに工夫しながら試していた。


その姿を見ていた勇太は、将来、この二チームは強くなるなと感じた。そこには、二チームにあって新宿バンビにはない、何かがあるような気がした。


練習試合は、いつまでもだらだらやり続けるのではなく、午後四時に終了した。その終わり方が潔かった。


それから唐沢監督と神宮寺監督の自腹で、子供たちと保護者たち全員、そして部外者の勇太にもアイスクリームが差し入れがあった。


勇太は、両監督にアイスクリームと取材協力の礼を述べた。

神宮寺監督が、アイスクリームで濡れた唇を手の甲で拭うと、こう言った。

「新宿バンビをメインに記事を書いていることは、唐沢から聞いていますよ。あのチームには、有望な子がいますから、多分、秋の公式戦では何かやってくれそうな気がします」

「新宿バンビをご存知なのですか」

「うちなんかとは違い、あちらさんは歴史が長いですからね。以前に関東大会へ出場した時代のOGに、実業団で活躍した選手を何人か知っていますよ」


勇太は、数日前に斉藤秀美が言っていた、かつて新宿バンビが都大会を優勝して関東大会へ出場した話を思い出した。

神宮寺監督の言う、有望な子が誰なのか訊こうとして顔を向けた時、ひまわり笹塚の保護者たちがゴミを回収しにやって来た。

唐沢監督と神宮寺監督が立ち上がり、全員で館内の清掃が始まり、勇太は、それが誰なのか聞きそびれてしまった。


一二


新宿バンビの夏合宿所は、千葉県館山市の海沿いにある宿泊施設を予約することができた。

都内にある国立大学の運動部が使用していた合宿所で、本体が別の場所へ移動したため、今年から一般のクラブにも貸し出しを始めた。

大学側から補助金が支給され、二泊三日の費用が軽減できたばかりか、何より、浜辺まで歩いて五分の立地はベストだった。


合宿には、特別な事情がない限り、保護者全員が付き添うことになっている。斉藤秀美が運転する一〇人乗りのワゴン車と、神山陽子のシャコタンだけでは乗りきれず、特別参加の勇太が、七人乗りのワゴン車をレンタルすることになった。


早朝五時、まだ薄暗い公園前に集合して各人が三台の車に乗り込み、高速道路のインターへ向かい出発した。


勇太は、編集部専属のカメラマンを同行したかったが、大城監督から撮影の許可がおりなかった。その代わり、チームとして撮影した画像を吟味した上で使用することができた。


初日から合宿所に隣接する体育館で練習が始まり、夜はバーベキューパーティーで盛り上がった。


「おい、雑誌記者、こっちに来な」

勇太は、料理担当を下級生の親たち任せ、缶酎ハイを大量に飲んだ斉藤秀美に指名された。

思わず水嶋涼子に助けを求めたら、口をへの字に歪めて苦笑いしている。


斉藤秀美は、勇太に缶酎ハイをむりやりすすめると、勢いよく乾杯した。それから強かった時代の新宿バンビの練習がいかに凄かったかを話し始めた。


勇太は、缶酎ハイをちびちびやりながら、その頃と今と、何が違うのかを質問した。

星の瞬く夜空を見上げた斉藤秀美は、少し赤ら顔で何度も首を振るとこう言った。

「情熱」

思わず勇太が聞き返した。

「情熱ですか」

「ああそうだよ。やれ受験だ、やれ塾だばっかり、練習に来やしない」

「はあ。ですが、進学についてはご家庭の方針もあり、仕方がないのではないでしょうか」

「そんなの、百も承知。でもねえ、練習しないと上達しないんだよ。この子は才能があるなあって期待してもさあ、五年生に上がったら来なくなっちまう。ほんとうにさあ、世知辛い世の中になっちまったけど、うちは、練習のやり方を変えないとダメかもしれない」


勇太が斉藤秀美に、追加の缶酎ハイを渡そうとしたら、いきなり口を押さえて洗い場に駆け込んだ。

それに気づいた水嶋涼子が追いかけた。

勇太は、洗い場のうなり声を聞きながら、さっきまで斉藤秀美が見上げていた夜空に顔を向け、この問題は生涯、解決できないだろうと思った。

星々の淡い輝きに、斉藤秀美の嘆きが瞬いているようだった。


夜一〇時過ぎ、風呂からあがった勇太の部屋を水嶋涼子が訪れ、下の食堂で大人の会をやっているから参加しないかと誘ってきた。

勇太が食堂に入ると、大城監督を始め、子供たちの世話から解放された保護者たちが集まって飲んでいた。


飲み過ぎて洗い場で吐いていた斉藤秀美は、何もなかったような顔で白ワインを飲んでいる。

バーベキューパーティーでは食事係で奮闘した下級生の保護者たちも参加して、大城監督と斉藤秀美を囲んで和んだ雰囲気を楽しんでいた。


勇太は、部外者としての違和感を覚えたが、斉藤秀美から注がれた白ワインを飲みだすと、短時間でうち解けていった。


いきなりその場に、睡ったはずのみなもが、泣きじゃくる桜子を連れて現れた。

娘の様子に驚いた相沢静江が、心配して声をかけた。その隣で桜子は、泣きながら母親の名前を呼んでいる。


それを見た斉藤秀美が立ち上がり、桜子を胸に抱きしめてこう言った。

「桜子、睡れないの。淋しかったねえ。今日、ママはお仕事で来れないんだよ。明日は桜子に会いに来てくれるから、今夜は、おばちゃんがママの代わりに一緒に寝てあげるよ。だから何にも淋しくないんだよ。さあ、お部屋へ戻ろう。みなも、睡いのにありがとうね。静江さん、あたしが連れていくら、ここで飲んでな。ついでに子供たちの様子を見てくるから。涼子ちゃん、後はお願い」


斉藤秀美は、みなもと桜子を抱き包むようにして食堂から出ていった。

その後ろ姿を見ていた勇太の目が、泪で溢れていた。


翌朝早く、海岸の防波堤で縄跳びの練習が始まった。

斉藤秀美と立花みゆき、相沢静江の三人が子供たちに付き添い、水嶋涼子と神山陽子はビーチバレー用コートの予約を取りに管理事務所へ、合宿場に残った相沢静江たちは、キッチンで朝ご飯の準備を始めた。


この日は、午前中から気温が三三度を超え、熱線のような陽射しが照りついていた。


ビーチバレー用コートは、海岸の砂浜に二コート設置されており、混雑のため、使用時間は一グループ二時間、新宿バンビは午前一〇時から予約がとれた。


審判は大城監督、勇太はこぼれ球拾いとカメラマン、子供たち六名、母親六名の親子対決が始まった。

試合は15点先勝、メンバーチェンジは、美月と斉藤秀美が自由に指名して良いことになった。


足場が悪いこともあり、サーブが思うように決まらない。

勇太は、ボールが転がって波に流されないよう何度も追いかけ回った。


試合が始まると、こんな砂場でも、斉藤秀美たち母親の動きが機敏なので驚いた。足腰の踏ん張りが尋常でない。


呆然とする勇太に、途中参加した会田美香が話しかけた。

「秀美さんと由美さん、みゆきさんは地元のママさんバレーで練習しているから、上手なんですよ」

「え、あの、斉藤さんもですか」

「秀美さんは、中学の時から始めていたみたい」


それを聞いた勇太は、中学生の斉藤秀美のユニフォーム姿を想像して、慌てて頭を振った。

これ以上入り込んではいけない危険区域に、危うく入り込みそうになってしまったことを後悔した。


その斉藤秀美から、勇太にお呼びがかかった。

「おい、雑誌記者、あんたも参加しな」


勇太は、関根由美と入れ替わり、靴をぬいで裸足でコートに入ったら、砂が熱くてたまらず跳びはねた。

「あっちぃ!」


いきなり膝を上下させ踊りだす動作がこっけいで、子供たちから無邪気な笑い声がわき起こった。


一セット目は、バレーボール素人の勇太が狙われ、連続ミスによる大差で親チームの負け。

15:4


「あんた、普段の動作も鈍臭いと思ったら、まじで運動音痴なんだねえ」

「すいません、すいません」

「ほんと、謝るのだけは素早いねえ。会社でも、いつもそうやってへいこらしてんのかい」

「すいません、すいません」

「もういいから、あっちで球拾いしてな。由美ちゃん、みゆきちゃん、次はぜったい勝つよ。このままじゃあ、親の面目丸つぶれだ。この後、子供たちが得意顔で、何をおねだりしてくるか判らないからねえ」


勇太は、休憩時間に、斉藤秀美が用意した大型のビーチ用テントに戻り、スポーツドリンクをがぶ飲みした。

身体中にサンオイルをまんべんなく塗ったつもりだが、額や鼻頭がひりひりする。


海岸のコートから、大城監督の、二セット開始を告げる大声が聞こえてきた。


夏真っ盛りの炎天下、なんで、こうもみんな元気なのだろうかと半ば呆れながらテントから出たら、射抜くような直射を浴び、思わず空を見上げた。


水平線から、綿菓子のような真っ白い入道雲が盛り上がっている。

夕方に流しそうめん大会を行う予定で準備していたが、その時刻に夕立が来ないか心配した。


ビーチコートは二時間使用で、五試合を行い、結果は、

15:4

15:11

12:15

15:7

17:15

で、子供チームが勝利した。


大城監督の勝利宣言で、子供たちから万歳三唱が湧き起こる。

後半戦から参加した紬と桜子も、一緒になって万歳を叫んだ。


この後、全員がコートに集合して、カメラマン勇太による記念撮影が行われた。この集合写真は、大城監督から掲載許可がおりた。


間もなく、テント内で昼食が始まり、子供たちは、食べ終わると休む暇もなく、海の中へ飛び込んでいった。


その子供たちを、後片づけを終えた斉藤秀美たちが我先にと追いかけ、打ち寄せる波を蹴り散らしながら海へ突入してゆく。


勇太が、そのもの凄い躍動に呆然としていると、隣から水嶋涼子が話しかけてきた。

「みんな楽しそうでしょう。うちなんて、単独で海水浴に連れて行く機会がないから、この夏合宿やクリスマス会はすごく助かっているんですよ。それに、友だちもたくさんいて、一人っ子の栞菜が、下の子の面倒をみる良い機会なんです」

「なるほど。同級生同士の合宿と違い、上は六年生の美月ちゃんや愛花ちゃんがおり、一番下は桜子ちゃん三年生、栞菜ちゃんとみなもちゃんは、その間に挟まれた中間管理職みたいなもんですね」


そう言って水嶋涼子を振り向いたら、波に流されないよう子供たちを監視しているその横顔が、薄らと赤く陽焼けしていた。


一三


九月、東京都小学生バレーボール秋大会の、各支部予選が始まる。

都内一五支部に所属するチームが支部予選を行い、上位二チームが都大会へ進出する。

昨年までは、勝ち得たセット数や得点を総合評価したリーグ戦で二チームが選ばれていたが、そのため試合時間が長くなっていた。

連盟は、猛暑の子供たちの体調を考慮し、試合時間を短縮させる目的で評議を行い、今大会からトーナメント戦に決定した。つまり負けたらその場で終わる。


新宿バンビは第七支部。初戦は八チームで四試合行われる。

筆頭は落合アタッカーズ、三年連続で都大会へ進出している。新宿バンビが二位を獲得して都大会へ出場するためには、支部予選の二試合を勝ち抜く必要がある。


予選前日の午後、連盟の会議室に各チームの監督が集まり、対戦相手の抽選会が行われた。


その日の夕方、地元の体育館に集合した栞菜たちは、コートの準備を始めながら、監督が戻って来るのを待っていた。

当番は結愛の母菅野千野。後から斉藤秀美が手伝いにくる予定だが、それまで一人で館内のセッティングから監督のコーヒー出しを行う。


ネットの張り紐を引っ張りながら、美月が嘆いた。

「愛花、監督ってくじ運が悪いからさあ、一試合目から落合だったりして」

「だったら終わりじゃん」

「あっちは六年が四人いるし、白山エンペラーズや音羽ジュニアなんかと頻繁に練習試合をやってる」

「白山は春の大会で準優勝。音羽は高島レッドに勝った。そんなチームと毎回練習試合してたら、強くなるわ」


二人の会話を反対側で聞いていたみなもは、栞菜と一緒に紐を引っ張りながら、顔を歪め唇を噛でいた。


コートの準備が終わり、キャプテン美月の先導でストレッチを始めた時、鈍い足音が近づき、間もなく大城監督が現れた。


大城監督は、片側のコートに子供たちを集合させ、開口一番、興奮した口調でこう言った。

「明日の一試合目は、富士見オーシャンに決まった。みんな、勝てるぞ」

「わあ!」

子供たちから歓声と拍手。


「落合とは決勝戦で対戦する組み合わせだ。いいかみんな、初戦と二試合目を勝てば、都大会に行けるぞ」

「おお!」

「監督、二試合目の相手は?」

「美月、若葉と豊玉の勝った方だ」

「だったら二試合目は若葉だな」

「若葉ならうちと互角だぞ。練習試合では、うちの勝ち数の方が多い。おい、いいかみんなあ、今年はチャンスだ。何としてでも若葉に勝ち、都大会へ行くぞ、いいな」


監督が話した対戦相手の組み合わせを聞いた菅野千野は、その場で保護者会のSNSへ送信した。

それを読んだ神山陽子は手を叩いて喜んだが、水嶋涼子は、マンションのベランダから少し不安げな顔で空を見上げた。


一四


秋大会の第七支部予選、会場は、落合アタッカーズの地元小学校の体育館。

館内が広いので、二コート設置してある。そしてここもまだ、冷暖房設備は完備されていない。


館内の混雑と温度上昇を避けるため、試合を行うチームと保護者だけが中へ入り、他は外で待機する。

校舎の二教室が控え室に解放され、そこは冷房が効いていた。だが子供たちは、日陰を選んで順番がくるまで練習を続けている。


支部予選の場合、主審と副審、そしてラインズマンは、試合のない他のチームの子供たちが担当者する。

勇太は、事前に取材目的を連盟に申し入れていたので入館できたが、写真撮影は許可がおりなかった。


新宿バンビは、水嶋涼子が心配した通り、一試合目から苦戦した。

格下の富士見オーシャンに第一セットを取られ、後がなくなった。

勝ちを急いだ美月と愛花のスパイクが決まらず、サーブミスも続いた。


ニセット目が始まる前のコートチェンジは、三分間のインターバルがある。大城監督は、美月たちを大声で叱りながら、落ち着いて丁寧な試合運びをするよう指示した。


みなもは、今までと同じようにトスを上げているだけは自滅すると思った。惰性をかえ、波にのる切っ掛けが欲しい。

それから栞菜に近づき耳打ちした。

驚いた栞菜は、目を丸くしてみなもを見返した。

「まだ早いよ」

「栞菜、聞いて。ここで負けたら終わりなんだよ。今は勝つことだけ考えよう。それに実戦の練習にもなる。とりあえず、試合開始からAを試す。うちが、右の人指し指を立てたらそれが合図、いいね」


主審からインターバル終了のホイッスルが鳴り、二チームのメンバーたちがコートへ向かった。


「みんなあ、落ち着いてやれば勝てるからねえ。美月、他の子たちにもっと声を掛けろっつうの」

母親から名指しで怒られた美月が苦笑い。

応援団長、斉藤秀美の声が所狭しと館内に響き渡る。


「みんな、がんばって!」

水嶋涼子たち七名も声を揃えて応援する。


一セットを予想外に勝ち得た富士見オーシャンの、顔が明るい。

それを見た美月と愛花が舌打ちした。


ニセット目開始のホイッスルが鳴る。

サーバーは富士見オーシャン。


「大したボールじゃない」

サーブの軌道をよんだみなもは、軽く右の人指し指を立てた。

初発からいきなりAクイックのサイン。

それを見た栞菜が頷き、身構えた。

前屈みに腰を落とし、左手で床をなぞりながら相手のボールを待つ。


みなもの予測通り、ボールはセンター栞菜の手前に落ちた。

しゃがみ込んだ姿勢でレシーブした栞菜が、いきなり走り出した。


「なんで」

驚いた美月と愛花がみなもを振り向く。


みなものトスと同時に栞菜が跳んだ。

ボールと一緒に跳びながら、低いトスボールを打ち込もうとしたが、タイミングが合わない。

空振り。

浮いたボールが栞菜の足下へ落ちた。

1:0


みなもが立ち上がった栞菜の肩を叩いて、「もう一回だ」、そう言って力強く頷いた。


首を傾げた美月がみなもに訊いた。

「みなも、どう言うこと」

「ミーちゃん、今は黙って見てて」

「みなも、それって」


主審のホイッスル。

富士見のサーブ。

また、栞菜の手前に落ちる。


「栞菜」

みなもがトスの姿勢で栞菜の名前を呼んだ。

レシーブして走る栞菜。

みなもの素早いトス。

ボールと一緒に跳び上がる栞菜。

ネットの頭すれすれで打ち込んだ。

矢のようなボールが、相手コートの真ん中を突き刺した。


想定外のスパイクに静まり返る館内。

斉藤秀美が、相手コートを指差しながら怒鳴った。

「今の、審判!」

慌てた主審がホイッスルを吹いた。

1:1


「わあ」

美月たちが栞菜に抱きついて歓喜した。

「みなも、これがやりたかったのかあ。そうならそうと前置きしろよな」

親指を立てたみなもが、笑顔で栞菜にウィンク。


勇太は、隣の水嶋涼子に興奮した声で訊ねた。

「栞菜ちゃんの、今のあれ」

「まぐれですよ、まぐれ」

軽く笑い逃れながらも、娘を見る水嶋涼子の目は笑っていなかった。

「やるのがまだ早いよ、栞菜」

そう心の中で呟いた。


栞菜の一撃で、出鼻をくじかれた富士見オーシャンは、美月の強烈なジャンプサーブに圧倒され、大量得点を許した。

1:10


富士見の監督が堪らずタイムをとった。

大城監督は、栞菜のクイック攻撃について何も言わない。そう何度も成功するとは考えていないから、作戦として取り合わないつもりだ。アドバイスは、この調子でいけ、それだけ。


試合再開のホイッスルの音が響く。


美月の連続サーブ。

サーブゾーンに立つ娘をみた斉藤秀美が嘆いた。

「美月、このサーブ、失敗するよ」


勇太は驚いて斉藤秀美を振り向いた。

「え、どうしてですか?」

「まあ、見ていたらわかるよ」


斉藤秀美の予測通り、美月が放ったサーブボールは、ネットに引っ掛かり新宿バンビ側に落ちた。

2:10


「雑誌記者、これでわかっただろう。調子づいていた子が、いきなりタイム休憩が入ると、リズムが狂っちまうのさ。特に美月みたいな単純バカは、その間の自己調整もできやしない」

「なるほど。タイムをとる意義は、チームの立て直しばかりではなかったのですね」

「まあ、どこの監督もやっていることだけどね。さあ、勝負はこれからだよ」


富士見オーシャンのサーブ。

緩いアンダーサーブが陽菜の真上に落ちた。

オーバーレシーブで上げたボールが、セッターみなもへ繋いでゆく。

みなも、今度はレフト愛花へバックトス。

愛花、流れるように左手で打つ。

富士見オーシャンのバックライトがボールを弾いた。

2:11


この後、両チームは点の取り合いを重ねた。

6:13

新宿バンビ、栞菜のサーブ。

「よし。栞菜の連続サーブでこのセットを取るよ」

「栞菜、行け!」

新宿バンビの応援席から栞菜コールが湧き起こる。

サービスゾーンに立つ栞菜。

大きく深呼吸すると、左手にボールを乗せ、高く持ち上げた。得意のフローターサーブの構え。


次の瞬間、主審のホイッスルが鳴った。


一五


富士見オーシャンの試合を、ニセット目13:21、フルセットを6:15で破った新宿バンビの予選二回戦の相手は、美月が予測した通り若葉北町だ。


ただ、富士見オーシャンをセット数2:0で圧勝できると予測していた保護者たちは、意外な試合運びに気落ちした。

若葉北町は、富士見オーシャンより圧倒的に実力は上だからだ。


それを知らない勇太は、初戦突破を真正面から喜んだ。編集長からも釘を刺されたが、新宿バンビが都大会へ出場できなければ、この連載は打ち切りになる。

「これで若葉に勝てば、都大会出場ですね」


短絡的に話しかける勇太を、斉藤秀美が睨み返した。

「おい、雑誌記者、こっちへ来な。あんたバカなの。さっきの試合見てどう思ったの。格下の相手でさえあんなに苦戦したのに、次の相手はもっと強いんだよ」

「はあ。でも、この勢いのまま行けば、勝てそうな気がしますが」


この時、もう一方のコートでは、落合アタッカーズが、セット数2ー0で相手チームを圧勝していた。


支部予選、新宿バンビの第二試合が始まる。

対戦チームは若葉北町、練習試合では何度も勝つことができたが、春の公式戦ではセット数2ー0で完敗していた。


大城監督は、緊張顔の六人を大声で激励した。

「いいか、この試合、何としてでも勝って都大会に行くぞ。いいな」

「おお」


コートの中央に向かいながら、みなもが栞菜に嘆いた。

「それでなくてもみんな緊張しているのに、あんなこと言われたらもっと緊張するじゃん、バカだよねえ」

ただ苦笑いを返す、栞菜。


コートの中央に集まり、美月を中心に円陣を組む新宿バンビ。

美月が気合いを入れた。

「この試合、絶対勝つぞ!」

「おお!」


「みんなあ、落ち着いて、落ち着いて」

「全員、気合い入れろや」

斉藤秀美、神山陽子が、入れ替わり自分勝手な声を張り上げ、応援を始めた。

立花みゆき、菅野千野、関根由美、会田美香の四人は、両手を合わせ、祈るような姿勢で子供たちを見守っている。


相沢静江が水嶋涼子の耳もとで囁いた。

「栞菜、あれ、またやるかな」

水嶋涼子は、少しだけ首を傾げ、

「静江さん、それはみなも次第ね」


試合開始のホイッスルが鳴った。

サーバー一番手は、美月。


「美月、落ち着いて」


母親の声が聞こえなかったのか、初発に力んでしまった美月のジャンプサーブは、ネット前で構える愛花の後頭部を直撃した。

愛花が両手で後頭部を押さえ、しゃがみ込んだ。


「たく、あのバカ、味方を狙ってどうすんだよ」

斎藤秀美の嘆きと同時に、両チームの応援席から失笑が漏れた。

1:0


若葉北町のサーブ。

山形(やまなり)のボールがセンター栞菜の手前に落ちてゆく。

この時、みなもが右の人指し指を立てた。

頷く栞菜。

レシーブと同時に走る。

みなもの短く素早いトス。

栞菜がボールと一緒に跳んだ。

槍を投げ落とすように打ち込む。


「クイックだあ」

神山陽子が両手を一回叩いて叫んだ。

突然のAクイックに驚いた若葉北町、センターの足が止まった。

1:1


新宿バンビ、二番手愛花のサーブ。

慎重に構え、一歩踏み出して打つオーバーハンドサーブ。

打ってすぐライトポジションへ戻る。


若葉のセンターがレシーブ。

セッターのトスを、レフトがスパイク。

腰を落とした栞菜がこれをカット。

正確に繋いだボールを、みなもが高くトスを上げる。

「ミーちゃん」


力強く床を蹴ってジャンプする美月。

充分に体重をかけた渾身のスパイクが、バックライトの両手を弾いてサイドラインへ飛んでいった。

1:2


「いいぞ、美月」

新宿バンビの応援席から歓喜の声があがる。

勇太も思わず両手を叩いた。


愛花の連続サーブ。

若葉北町の鋭いスパイクが、バックライト結愛のレシーブを弾く。

そのボールを追いかける栞菜が、必死に左手を差し伸ばすが届かない。

2:2


床に落ちて転がるボールを見つめながら栞菜は、足なら届いた、その時、単純にそう思った。


この後、クイック攻撃を封印した新宿バンビは、若葉北町と点の取り合いを重ね、第一セットの後半を、20:18と追い込まれた。


コートの真ん中で、みなもが栞菜に耳打ちする。

「次で取られたら、このセットを落とすよ。栞菜、いいね、Cを試す」

「みなも、Aでいいよ」

「ダメ。相手も予測してる。短いバックトスであげるから、今のうちにタイミングをシミュレーションしといて」


主審のホイッスルが鳴る。


「みんな、来るぞ!」

斉藤秀美が両手を口に当て、大声でチームに注意をうながす。


みなもは、結愛か陽菜が狙われたらCクイックは難しくなると判断した。

その陽菜の手前に、ボールが向かってゆく。


直後、ボールの軌道をよんだ栞菜が動いた。

蟹歩きで素早くレフトへ移動すると、右拳でボールを弾く。


「裏拳だあ」

両目を大きく見開いた神山陽子が、歓喜して叫んだ。


低いボールがみなもへ上がってゆく。

同時に走り出す、栞菜。

みなものバックトス。

ライト側から回り込んだ栞菜が跳ぶ。


若葉北町のブロックがついて行けない。

ネットの真上から打つ。

流れるようなボールが、相手コートのバックライトを突き刺した。

20:19


「ごお!」

斉藤秀美が両手の拳を突き上げ、吠えた。

神山陽子たちは、行け行けコールを始める。


新宿バンビ、サーバー、みなも。


「みなも、やっちゃないな」

右拳を突き上げ叫ぶ斉藤秀美、両手を握りながら祈るように娘を見つめる相沢静江と隣の勇太。


主審のホイッスル。


ボールを見つめるみなも。

ホイッスルから八秒以内にサーブを打たないと失格になる。

そのぎりぎりまで、動かない。


途中で心配した栞菜が振り向いた。

栞菜の顔をみたみなもが一瞬微笑んだ。

それから左手にのせたボールをゆっくり下げると、下からボールを勢いよくすくい上げる。


「天井サーブだあ」

神山陽子の声が館内へ響いた。


体育館の照明まで高く上がったボールが、急角度で、相手コートのバックゾーンへ落ちてゆく。

その軌道を見失ったバックライトの横にボールが落ちた。

20:20


「すごい、みなも」

栞菜は、驚いた顔でみなもを振り返る。

美月たちがみなもへ走り寄り、入れ替わりに手を叩き合って喜んだ。


「よっしゃあ、デュース」

「秀美さん、いけるかも」

「陽子ちゃん、喜ぶのはまだ早いよ。あと2点あるからね。静江さん、祈ってばかりいないで、声をだして娘を応援しなよ。みなも、ナイスサーブ!」


次のホイッスルが鳴る。


腰と膝のクッションを上手に利用したみなもの天井サーブ。

照明カバーに接触すると失格になるから、その高さを計算して力の加減をする。


今度は、天井サーブに慣れていないバックレフトを狙う。その頭上でボールが左右へ微妙に揺れた。

バックレフトが懸命に身体を振りながら、落ちてくるボールに両手を合わせようとする。ボールは、その重ねた手の端を弾いた。

20:21


「ぶおお!」

興奮した斉藤秀美が、意味不明な言葉を叫んだ。

勇太は、驚いて辺りを見回した。イノシシが出たのかと思った。


「みなも、あと1点だよお」

「落ち着いて、落ち着いて」

「ゆっくりでいいよ」

「しっかり、みなも」

娘を応援する相沢静江につられ、水嶋涼子たちが次々に声を張り上げる。


ホイッスルが鳴った。


静まり返る館内。


勇退が見ると、その時、何かを確信したようにみなもが頷いた。


低い姿勢から伸び上がりながらボールの底を突き上げる。


その場の誰もが、高く舞い上がるボールの行方を追いかけ顔を上げた。

天井の到達点で一瞬静止したように見えたボールは、勢いよく回転しながらバックゾーンへ落下してゆく。


思わずバックライトとレフトが顔を見合わせ、足が止まった。

ボールは、二人の真ん中へ落ちた。


主審のホイッスル。

20:22


「がおお!」

両手の拳を突き上げて万歳した斉藤秀美が、野獣のような雄叫びをあげた。

勇太は、虎が吠えたのかと勘違いして、思わず辺りを見回した。


「勝った、静江さん、一セット取ったよ」

神山陽子が相沢静江に抱きついて跳びはねた。その目が泪で潤んでいる。

相沢静江が何度も頷き返す。


水嶋涼子は、美月たちと一緒にみなもを祝福する娘を見つめながら呟いた。

「栞菜、安心しないで。試合はこれからよ」


コートチェンジが行われ、両チームの子供たちと保護者が入れ替わる。

大城監督は、すぐに子供たちを集め、ニセット目の注意点を指示した。

「いいかあ、みんなあ、安心するなよ、まだ、次のセットがあるんだからな」


監督の話を無視した美月が、みなもの肩に軽く手を置くと、窘めるような静かな口調でこう言った。

「みなも、次はアタシと愛花に任せな。こっちの隠し手を出し過ぎたら、都大会でうつ手がなくなる」

「うん。ありがとう、ミーちゃん」

「礼なら勝ってからに言って。愛花、次は打ちまくるよ」

「ラジャー」


主審のホイッスルが鳴り、両チームの選手がコートへ向かって走る。

コートの中央で円陣を組み、美月が気合いを入れた。

「このセット、死んでも取るよ。みんなで、都大会へ行くぞ!」

「おお!」


サーバーは若葉北町、背番号一番。

バックレフトの陽菜を狙う。


神山陽子が舌打ちしてぼやいた。

「ちくしょう、あいつ、また年少を狙いやがった」


陽菜は、歯を食いしばりながら一歩前へ踏み込み、必死にボールに食らいつく。

同時に栞菜がカバーに動いた。

陽菜、何とか自力でみなもへとボールを繋ぐ。


「ミーちゃん」

低い姿勢からトスを上げるみなも。

「おおらあ!」

床を力強く踏みしめジャンプした美月が叫んだ。

体重をのせた美月の重いスパイクが、若葉北町のセンターの手を弾いた。

0:1


新宿バンビのサーブ。

サーバー、美月。


「美月、落ち着いて打って」

「行け、美月」

母親たちの応援に応えようと、勢いよくジャンプした美月のサーブは、肩に力が入りすぎてネットに引っかかった。

1:1


「たく、ネットを壊す気かよ」

斎藤秀美が苦笑いしながら、首を振った。


一六


新宿バンビは、美月と愛花のサーブミス、若葉北町の前衛にスパイクをブロックされて連続失点が重なり、ニセット目を21:13で敗退した。


「何やってんだ、おまえらは。負けたら都大会に行けないんだぞ。わかってんのか。美月、もう少し落ち着いてやれ。みなも、美月に集中してボールを上げろ、いいな」


最終セット開始のホイッスルが鳴る。


美月たちのボルテージが下がっているのを心配したみなもは、早い段階で勢いに乗る必要性を感じた。

最終セットは15点先取だから、最初が肝心だった。


若葉北町のサーブから試合が始まる。


相手のサーブボールが栞菜に向かうのを予測したみなもの、右手の人指し指が立った。

それを確かめた栞菜が頷いた。


栞菜、レシーブと同時に動いた。

この時、美月がスパイクしようと構えた。

若葉のセッターとライトがブロックにつく相手に迷った。

次の瞬間、すでに栞菜はボールを打ち込んでいた。

0:1


「ミーちゃん、ありがと」

みなもが美月の手を叩いて喜んだ。


「愛花、来て」

美月は、愛花を手招き、口もとを両手で隠しながら耳打ちした。納得した愛花が笑顔で頷いている。

二人のすぐ後ろにいた栞菜は、美月と愛花が、何かの作戦を相談しているように見えた。


主審のホイッスル。

試合、再開。


美月のジャンプサーブ。


若葉北町のバックライトが低い姿勢で拾う。

セッターのトスをレフトがスパイク。

栞菜、冷静にレシーブカット。

ボールがセッターみなもへ上がる。

みなもの高いトス。

力いっぱい打つと見せかけた美月が、空中で突然フェイント。

ボールはバックライトの前へ、ふんわりと落ちた。

0:2


「ナイス、ミーちゃん」

監督席の隣で応援する紬と桜子が、二人一緒に両手を叩いて跳びはねた。


この後、新宿バンビは、リズムを取り戻した美月のサーブが決まり始め、5点を連取した。

0:7

堪らず、若葉北町の監督がタイムを要求。


水嶋涼子と相沢静江が、30秒のタイムアウトの間に、子供たちの水筒を確かめ中身の補給に奔走する。

六年生の保護者、斉藤秀美と立花みゆきは、最後の公式戦の応援に集中するため動かない


再び、主審のホイッスル。


美月のサーブ。


緊張感がほぐれた美月のサーブは、若葉北町の頭上を越え、コートの後ろ壁に大きな音をたて激突した。

「おお!」

美月の圧倒的なパワーに、館内から驚嘆のため息が漏れた。


「あちゃ、また、やっちまったよ」

斉藤秀美が額に手を当てながら嘆いた。

1:7


この後、新宿バンビは、レシーブミスが続き、最終セットを、若葉北町に、12:13まで追い上げられた。


勇太は、取材する立場も忘れ、手に汗を握りながら試合の行方を見守った。

「斉藤さん、あと2点ですよ。あと2点で念願の都大会に行けるんですよ」

「うるさいよ、雑誌記者、その2点がなかなか取れないから、みんな苦しんでんだよ。でも、次は栞菜のサーブだ。あの子なら、きっと、何かやってくれるよ。ねえ、涼子ちゃん」

斉藤秀美に顔を覗き込まれた水嶋涼子が、首を傾げて苦笑いを返した。


栞菜は、サービスゾーンの右端に立ち、ホイッスルと同時に、上半身を右へ回した。

それを見た水嶋涼子は、思わず娘の名を叫んだ。

栞菜は、上半身を戻しながら、左手に乗せたボールの右下を右手の手刀で叩き飛ばした。


「え?」


若葉北町の応援席も呆然とした。

栞菜の放ったボールは、レフト側のアンテナの手前上空を旋回しながら、バックライトの手前へ斜めに落ちた。


「何、いまの」

神山陽子が両目を大きく見開き、斉藤秀美に顔を向けた。

勇太は、ボールの軌道を指で描きながら、

「なんか、ブーメランみたいに、こんな曲線を描いていましたよ」

「秀美さん、もしかして、ブーメランサーブってやつ?」

「陽子ちゃん、それよそれ」

「栞菜、すげえ!」

「ついにマチポイントだよ」

12:14


思いがけないサーブに動揺した若葉北町のメンバーが中央に集まり、次の対応について話し合っている。


ホイッスルが鳴る。


栞菜のサーブ。

さっきと同じ軌道で旋回しながら、今度は、急角度でセンターの左横に落ちた。

若葉北町の足が完全に止まっていた。

12:15


一瞬、その場が静まり返った。


間もなく、試合終了を告げる、主審の長いホイッスルが鳴り響いた。


「やった、やったよお」

「都大会だあ」

斉藤秀美と神山陽子が抱き合いながら跳びはねた。

美月たちが栞菜の手を叩いて声をかけ、みなもは、みんなに微笑を返す栞菜を見て目を潤ませた。


栞菜は、後からやって来た紬と桜子を抱きしめて喜び合いながら、都大会の前に、こちらの手の内をみせてしまったことに、一抹の不安を覚えていた。


そして新宿バンビのクイック攻撃とみなもの天井サーブ、栞菜のブーメランサーブの情報は、瞬く間に強豪チームへ伝わっていった。


大城監督の指示でクイック攻撃を封印した新宿バンビは、第七支部予選決勝を落合アタッカーズと競い合い、セット数2:1で敗退した。


一七


残暑の午後、みなもと栞菜の二人特訓が続いた。

都大会出場が決まったみなもは、試合前に何としてもDクイックをマスターしたかった。

AやBを相手に読まれても、コートの中央からライト側へ流れるように移動するブロードは、そう簡単にブロックされないと考えている。


「栞菜、もう一回やるよ」

もう一回やろうと言って立ち上がったみなもが、突然しゃがみ込んだ。

「みなも」

異変に驚いた栞菜が走り寄り、みなもを抱き起こした。

「何でもないよ、ちょっと、めまいがした」

「それって熱中症だよ、ダメだよ、休もう」

「栞菜、あのペットボトルをうちの首に当てて」


栞菜は、自分のペットボトルをみなもの首に当て、それから日陰に移動した。

「みなも、少し休もう」


この時、ベンチに横になったみなもの首にペットボトルを当てる栞菜の前に、美月と愛花が現れた。

美月は、持っていたうちわでみなもを扇ぎながら、

「大丈夫かよ、みなも。愛花、悪いけどコンビニでアイス買ってきて」

「ラジャー」


それから美月と愛花は、コンビニのレジ袋に氷を入れて氷嚢を作り、みなもの身体に当てた。

美月が、栞菜に、少し怒ったように眉を顰めて言った。

「ここで、前から二人が練習していたのは知ってた。何をやっていたのかは、富士見との試合でわかった。でもさあ、アタシらに内緒で何やってんだよ、栞菜。みなもの性格を一番理解してんのは、栞菜だろ」

「美月ちゃん、黙っていてごめん」


「ミーちゃん、栞菜を怒らないで。うちが内緒でやろうって口止めしたんだ」

「何でだよ、みなも。同じチームじゃん。仲間じゃん。やるならみんなでやろうよ。それより熱中症、大丈夫かよ」

「ミーちゃんたちが冷やしてくれたんで、再起動できた。ありがとう」

「バカ、都大会へ行けるんだ、礼を言うのはこっちの方。だけど、試合は次からもっとしんどくなる。それからさあ、みなもが考えている作戦を、アタシらにも共有してよ」

「そうだよね、了解。練習の後に作戦会議しよ」


上半身を起こそうとするみなもを栞菜が支え、二人のショルダーバッグを担いだ愛花は、美月と一緒に体育館へ向かって行った。

二人の後ろ姿を眺めながら、みなもが、美月に怒られたことを栞菜に謝った。

栞菜は笑顔で首を振り、

「みなも、さあ行こう。陽菜たちが待ってるから」


一八


全日本バレーボール小学生大会東京都大会、通称都大会が始まる五日前、初戦の対戦相手を決める抽選会場から戻ってきた大城監督が、暗い表情で体育館に現れた。


大城監督は、子供たちと当番の水嶋涼子と斉藤秀美を集めて開口一番、こう謝罪した。

「みんな、すまん。初戦の相手だが、あいがもBに決まったよ」

「いきなり」

「最初から、あいがも」


子供たちが顔を見合わせて奇声をあげた。

斉藤秀美は、大城監督のくじ運のなさを嘆くと、すぐ保護者会のメンバーへメールを一斉送信した。


水嶋涼子は、娘が気になり振り向いたら、その隣でみなもが唇を噛み締めながら不敵な笑みを浮かべている。

この時、みなもは、あのあいがもBに勝つ気でいるなと思った。


大城監督は、美月に命じていつもの練習を始めた。

水嶋涼子は、監督席に腰を下ろした大城監督の前にアイスコーヒーを差し置き、残暑の中、抽選会へ出向いた苦労を労った。


水嶋涼子が子供たちの様子を覗うと、みんながサーブの練習を始めた頃、みなもだけが体育館の天井を見上げて何か考え込んでいる。

そのみなもに栞菜が近寄り、話しかけた。頷いたみなもが、サーブを打ち始める。今度は、栞菜が天井を見上げ、何かを考え始めた。


一九


今回の都大会予選は、三〇チームが二つの会場に分かれて競い合う。

公共の大型スポーツ施設で、一会場には四コートが設置してある。


審判員は、ABC級までの、審判としての資格を持つ監督や保護者たちが担う。

新宿バンビでは、大城監督と斉藤秀美の二人がC級の資格を持っているが、予選での役割はなかった。


また、子供たちかが試合に集中できるよう、メガホンや叩くと音が出るスティックバルーンなどの使用は、連盟の意向で今大会から禁止された。


新宿バンビは、第一会場の第一試合目に、一度も勝ったことのない下赤塚あいがもBと激突した。

口には出さないが、斉藤秀美を始め、誰もが一回戦敗退を予測していた。


勇太は、連盟の許可を得て取材することはできたが、写真と動画撮影は禁止された。ただ、連盟指定のカメラマンが撮影した画像の流用は認められた。


斉藤秀美たちの後から二階の応援席に立ち、館内を見回したら、各チームの選手たちが、開会式のかなり前から所狭しとウォーミングアップを始めていた。

その色とりどりのユニフォームが入り乱れる光景が華やかで、思わず言葉を失った。


午前九時から始まった連盟代表の挨拶の間に、斉藤秀美は保護者たちを集めて試合の組合せ表をひらいた。

それを覗き込んだ神山陽子が、舌打ちして言った。

「秀美さん、これって、仮にあいがもBに勝ったとしても、うちらのAブロックには音羽ジュニアがいるじゃないすか」

「陽子ちゃん、まずはあいがもBだよ」


それから立花みゆきや相沢静江たちが入れ替わりに言った。

「Bブロックは、落合アタッカーズ、高輪エンジェル、調布ジュニアパンサーだ」

「でもCブロックには、高島レッドと白山エンペラーズがいる」

「優勝候補のあいがもAは、Dね。他は八チームなのに、ここだけ六チーム。楢崎監督は、誰かさんと違って、さすがにくじ運がいいわ」

「秀美さん、そのDブロックの、八王子ブラックスワンってチーム、初めてきく名前よね」

「なあに、ぽっと出の弱小チームよ。Dは、あいがもAで決まりじゃん」


この時、館内に高らかなホイッスルが鳴り響き、開会式が終わった。


一〇分後に、都大会予選の第一試合が始まる。

新宿バンビは一番左端のコート。

対戦相手は、キャプテン美南の率いる下赤塚あいがもBチーム。


両チームがコートの中に走り込み、すぐレシーブカットの肩慣らしを始また。それからスパイク、そしてサーブの練習へと続く。

メンバーの少ない新宿バンビは、控えの紬と桜子が一生懸命ボール拾いに奔走している。


楢崎監督は、あいがもAの試合会場になっている第二会場へ出向いているため、あいがもBは楢崎亜紀子コーチが指導している。

新宿バンビが、支部予選で見せたクイック攻撃の噂は耳に入っていたが、対策については特に指示していなかった。


一〇分間の、ウォーミングアップ終了のホイッスルが鳴った。


大城監督の元に、美月たちが集結する。

「いいか、監督の指示があるまで、クイックは禁止だぞ。みなもの天井サーブも、栞菜のブーメランもだ。みなもは、美月を主に、状況判断して愛花とうまく使い分けろ。いいな」

「おお」


この時、みなもだけは、下を向いて返事をしない。代わりに両手の拳を握りしめた。

その姿を、二階席から水嶋涼子が見ていた。

同時に、あいがもBの美南が、ネットの反対側から、栞菜の様子を覗っている。


間もなくホイッスルが鳴り、試合が始まった。


二〇


「よし、行け」

「おお!」


コートの中心で六人が肩を組んで円陣を作る。

キャプテン美月は、力いっぱい気合いを入れた。

「みんな、相手が誰だろうとこの試合に勝って、二回戦へ行くぞ」

「おお」


反対側のコートでも、美南を中心に円を組み、勝利を叫んだ。栞菜のクイック攻撃の動向を知った美南は、相手が新宿バンビでも油断するなと念を押した。


主審のホイッスルが鳴り、試合が始まった。


ホイッスルと同時に、斉藤秀美たちが二階スタンド席の手すりに身を乗りだし手を振り始めた。

その背後から見まもる勇太は、取材する立場でありながら、なぜか興奮して落ち着かない。


一番手、サーバーはあいがもB、美南。


美南は、最初から、センター栞菜を正面から狙い打ち。

栞菜のクイック攻撃がどの程度のものか試すつもりだ。

そのボールは、栞菜の手前に弓なりに歪んで落ちていった。


低くしゃがみ込んだ姿勢で左足を前へ踏み出し、レシーブする栞菜。


正確に繋いだボールを、みなもが伸び上がりながら美月にトス。

ジャンプした美月、渾身の力を込めて打つ。

同時に美南の高い一枚ブロック。

ボールが弾かれ、ネットの真下で、カバーに入ったみなもがすくい上げる。

ボールは、急角度で後方へ飛んでいった。

追いかける栞菜。横飛びしながら左拳で弾き返す。


「裏拳だあ」

神山陽子が両手を叩いて叫んだ。

「いいぞお、栞菜」

斉藤秀美も声を張り上げる。


大きく山形(やまなり)に戻ってくるボールを、美南がワンジャンプスパイク。

体勢が崩れた栞菜の左手を弾いた。

1:0


「今の、もう少しなのになあ」

「秀美さん、大丈夫すよ。栞菜もみなもも、美南の攻撃にちゃんとついてますから」


美南のサーブ。

また、栞菜狙い。

レシーブする栞菜。


「愛ちゃん」

みなも、受けたボールをバックトス。

サウスポー愛花の打ったボールは、あいがもバックレフトの有香の胸元を直撃。

思わずのけ反った有香が弾いた。

1:1


「いいぞ、いいぞ、あ、い、か」

手を叩いて躍り上がる神山陽子。

後ろからそれを見た勇太は、神山陽子の背後から声をかけた。

「神山さん、有香ちゃんはまだ四年生ですよね。年少を狙ってもいいんですかねえ」


この時、鬼の形相で神山陽子が勇太を振り向き、睨みつけた。

「うっせえんだよ!」

「あ、ごめんなさい」


今度は美月のサーブ。

最初から充分に体重をのせた、得意のジャンピングサーブ。

バックライト小波の手前に落とす。

丁寧にカットしたボールを、セッター奈奈へ繋ぐ。


エース美南、奔ってジャンプして打つ。

強烈なスパイクボールが、陽菜を直撃。

2:1


「陽菜、ちゃんと拾えよ。しめんぞ」

娘を怒鳴り散らす神山陽子。

この時勇太は、ヤンキー神山陽子が復活してしまったと思った。


サーバーは、あいがも二番手奈奈。


栞菜がレシーブしたボールを、みなもが美月へトス。

鈍い音をたて床を踏み込んだ美月のスパイク。

その正面に美南と晃良の壁。

まともに弾かれたボールは、急角度で美月の足下へ落ちた。


「だめだあ、美月のスパイクが完全によまれているよ」

額に手をあて嘆く斉藤秀美。


この後、新宿バンビは、奈奈のサーブで連続得点を奪われ、7:1と引き離された。


堪らず大城監督がタイムを要求。

メンバーを集めてみなもを怒鳴り散らした。

「みなも、もっと考えて左右に振れ。それから好機をみてツーアタックをやってみろ」


大城監督の目を睨んだまま、頷き返すみなも。

コートに戻る途中で栞菜にぼやいた。

「トスならレフトとライトに上げてるし、ツーなんて通用する相手じゃないし」


控えの紬と桜子も声を枯らして応援したが、みなもの予測通り、その後も失点を重ね、第一セットを、21:7の大差で失った。

新宿バンビ、後がなくなった。

次のセットを奪い返し、最終セットで勝利しなければ一回戦敗退だ。


コートチェンジが行われ、第二セットが始まる。


「みんなあ、試合はこれからだよ」

「最後まであきらめないで」

「栞菜、ブーメランサーブ、やっちまえよ」

斉藤秀美を中心に、保護者たちが声を張り上げる。


勇太は、円陣の後で、みなもが栞菜に耳打ちするのを見た。

頷く栞菜。

この時、みなもちゃんと栞菜ちゃんはやる気だなと思った。


ホイッスルが鳴り、第二セット目が始まった。


美南は前回同様、栞菜狙いを徹底する。

ネットの頭上スレスレのボールが、栞菜の手前を弓形に落ちてくる。


次の瞬間、みなもの右人指し指が立った。

しゃがみ込んで左足を前へ出し、レシーブする栞菜。

その左足で踏み込み走る。


来る。

咄嗟に美南が構えた。

その眼前に栞菜が浮かんでいる。

早い。


栞菜、美南のライト側にボールを打ち込んだ。

前後のライトに立つ晃良と小波の間を突き刺す。

0:1


「わあ。いいぞ、栞菜」

神山陽子が躍り上がって喜んだ。

相沢静江たちが水嶋涼子の手を取って称賛する。

斉藤秀美だけが両腕を組み、喜び合うコートの中を睨みつけている。


新宿バンビ、美月のサーブ。


「この野郎!」

そう叫びながら美月は、アタックラインの手前まで下がった美南を狙い、強烈なジャンプサーブを打ち込んだ。

最初から打つ気で構えている美南が、何となく気に入らない。


美月の体重がのった重いボールを、低い姿勢から美南がレシーブ。

セッター奈奈、ライト晃良にバックトス。

愛花とみなものがブロックに跳ぶ。

ブロックとネットの間に吸い込まれたボールは、みなもの足下に落ちた。

1:1


あいがもB、奈奈のサーブ。


バックライト結愛の胸元を襲う。

のけ反りながらすくい上げる結愛。

斜めに弾けたボールを、追いかける栞菜。

間に合わない。

咄嗟に左足で蹴り上げた。

そのボールの軌道を読んだみなも、ボールの真下へ潜り込んでトス。

「ミーちゃん」


みなもに指名され喜んだ美月、そのトスボールを渾身の力でスパイク。

その強烈な弾丸を、バックライト小波が堪らず弾いた。

必死に追いかける美希がいきなり跳んだ、フライングレシーブ。


「おお」

両チームの応援席から、驚嘆のため息がもれた。


ボールは、必死に差し伸ばした美希の右指を掠め、サイドラインの外へ流れていった。

1:2


「スゲェ。あのあいがもをリードした」

神山陽子が躍り上がって歓喜。

勇太は、まだ一点だけだと言おうとしたが、睨み返されそうで言うのを止めた。


緊張した二番手愛花のサーブは、力みすぎてエンドラインを大きく越えて行ってしまった。

2:2


「愛花、いいよ、ドンマイ、ドンマイ」

斉藤秀美が、二階席から身を乗り出して声を上げる。

その隣で立花みゆきは、この大事な場面で娘の失態に、思わず下を向いた。

水嶋涼子が、立花みゆきの背中を擦りながら、まだ試合はこれからだと慰めている。


あいがも三番手、晃良のサーブ。

ゆったりした動作から打ち込むフローターサーブが、空中で左右に揺れ、陽菜の手前に落ちた。

動揺した陽菜の足が動かない。

3:2


この後、晃良の連続サーブで、新宿バンビは大きく水をあけられた。

13:5


あいがもBを相手に8点差。この時、誰もが、あいがもBの勝利を確信した。


セッターポジションから、みなもが、いきなり大城監督を睨んだ。

タイムを要求しろとその目が言っている。


みなもの形相に気づいた大城監督は、思わず立ち上がって副審にタイムの合図を送った。

メンバー六名が監督席に集合する。


みなもは、栞菜の手を引いて輪から離れ、小声で話しかけた。

「もう我慢できない、栞菜、やるよ」

「了解。負けたら、終わりだしね」


主審のホイッスルが鳴る。

コートに戻る美月たち。


先にコートに入った美南は、鋭い視線で栞菜とみなもを見つめながら、これから何かが起こりそうな予感を覚えていた。


晃良のサーブ。

ふんわり飛びながら空中で左右にぶれたボールが、栞菜の手もとへ落ちた。


低い姿勢でしゃがみ込みレシーブする栞菜、同時に走る。

みなもの長いバックトス。

そのみなもの背後から、ライト側へ回り込んだ栞菜が跳んだ。


驚く美南、一瞬ブロックが遅れた。


栞菜のDクイックは、ライト側から晃良と小波の中間へ流れるように落ちた。

そのボールを、唇を噛み締めた美南が睨みつけている。

13:6


「秀美さん、今のあれ、もしかしてブロードってやつ?」

「陽子ちゃん、やつ、じゃなく、ブロード攻撃だよ」

「栞菜、スゲェぜ」

「栞菜だけじゃないよ、みなものバックトスがうまいからできたんだ。静江さん、みなも、いい仕事してるじゃん」

「栞菜ちゃんの合わせが上手なだけですよ。次はその栞菜ちゃんのサーブ。何とか追いついてくれたらいいのに」


サービスゾーンの右端に立つ栞菜。

その姿をみた美南が、チームを振り向いて叫んだ。

「来るよ、ブーメラン」

「おお」


主審のホイッスルと同時に、栞菜、左手に乗せたボールを持ち上げ、上半身を捻りながらボールの右底を手刀で叩いた。


奇妙な回転をつけたボールは、アンテナの頭上を旋回して、急角度でセンター美希の背後へ落下した。

13:7


新宿バンビは、この後、栞菜の連続サーブで得点を重ね、1点差まで追い上げた。

13:12


「スゲェぜ、ブーメランサーブ」

神山陽子が、何かに取り憑かれたように同じ台詞を連発する。


ここで今大会初めて、あいがもBがタイムを要求した。

斉藤秀美は、

「あのあいがもが、うちを相手にタイムを取るなんて信じられないよ」

「あいがもBの楢崎コーチが、かなり苛立っているみたいですよ」

「おい、雑誌記者、当たり前さ。あのチームが、栞菜のサーブをまともにカットできないんだからね」

「秀美さん、こんなの初めてすよ。あとは美月ちゃんと愛花ちゃんが決めてくれたら、勝てるかも、すよ」

「どうだかなあ」


ホイッスルが鳴り、試合が再開された。


栞菜のブーメランサーブ。


この時、ボールの行方を見つめていた美南が動いた。

フロントレフトのポジションから走り出し、ライト側でいきなりジャンプした。


美南、空中でオーバーハンドレシーブ。


「危ない!」

それを見た水嶋涼子が叫んだ。


高速で回転するボールは、美南の指を弾いてサイドラインを越えていった。

床に着地した美南は、右手の指を押さえしゃがみ込んだ。


主審が試合を中断させると、あいがもの控え選手たちが、美南をベンチへ連れ戻して応急手当を始めた。

楢崎コーチは、美南の突き指の容態を確かめ、それから選手交代を伝えようと副審に顔を向けた。

この時、美南が楢崎コーチの袖を引っぱり、何度も首を振り続ける。


「美南ちゃん、やる気だね」

「秀美さん、一セット取ってんだから、休んじまえばいいのにね」

「そうは簡単にいかないさ。栞菜のサーブは、オーバーハンドじゃ無理ってことが証明されたんだ、あとはアンダーしかないけど、回転力が強いから、カットしても手元が狂っちまうのさ」


ホイッスルが鳴って、試合再開。


両手の指を厳重にテーピングした美南がコートに戻ると、二階席のあいがもB応援席から、大きな拍手と声援が送られた。


栞菜の連続サーブ。


新宿バンビは、練習試合と公式戦を含め、初めてあいがもBを突き放した。

13:16


顔を歪め、奥歯を噛み締めながら必死に対策を考える、美南。

いつも余裕の、セッター奈奈の顔が強張っている。その焦燥感は、下級生の晃良、美希、小波、そして年少の有香へ感染してゆく。


主審のホイッスルを聞いた瞬間、美南の脳裡に、ヘディングレシーブのイメージが浮かんだ。

まともに受けたら首を痛めるから、ボールに当たる瞬間に首を強く振ってはね返すことを考えた。

美南は、誰にも相談せず、自分一人でやるつもりだ。


栞菜がブーメランサーブを放つ。

ボールの軌道を見ながら追いかける美南。

その姿を見守りながら、静まり返る館内。

二階席の勇太の目に、美南とその周りの動きが、スローモーションのように映った。


ボールの落下点に立ち、構える美南。

肩を怒らせ首を沈める。


この時、美南の異変に気づいた水嶋涼子が、二階席のフェンスに乗り出し叫んだ。

「美南ちゃん、止めて!」


高速回転するボールが、館内の空気を、刃物のごとく斜めに切り裂いてくる。

そのボールを上目で睨みつけながら、美南が伸び上がろうとした。

この時、ボールは思った以上に斜めにカーブし、美南の右頬を掠めてサイドラインの手前に落ちた。

13:17


体育館の床を転がるボールを見つめる美南の右頬に、鮮血が滲みだした。

楢崎コーチは、二度目のタイムを取り、控え選手たちに美南の止血を指示した。


取材する勇太は、これが小学生の試合なのかと改めて驚いた。


新宿バンビの応援席が沈黙している。

栞菜のブーメランサーブの危険度に加え、自分の身体が傷つくのもためらわない、美南の闘争心に圧倒された。

相沢静江が、誰ともなく呟いた。

「あの優等生の美南ちゃんが、ぼろぼろになってゆくわ」


楢崎コーチは、このセットを失っても構わないから、美南を休めることにした。

その間に、ブーメランサーブの攻略法を、美南と話し合うつもりだ。

試合は、最終セットで勝てば良いからだが、あの新宿バンビに、ここまで追い込まれるとは想定外だった。


試合が続行された。

あいがもBの応援席の誰もが、栞菜のサービスミスを祈った。

ただ、セッター奈奈だけは、このまま栞菜がサーブを打ち続けて疲れるのを願った。

強豪あいがものB司令塔奈奈も、第三セットに勝負をかけるつもりでいる。


審判のホイッスルが鳴る。

あいがもBと新宿バンビの、都大会予選第二セット終盤戦が再開された。


二一


栞菜の連続サーブで2点を連取したが、次のサーブをレフト側のアンテナに引っかけてしまった。

14:19


これから反撃だと息巻いたあいがもBの、応援席が盛り上がる。

ブーメランサーブさえ凌いでしまえば、新宿バンビを相手に追い上げるのは簡単だからだ。

あいがもBは、美南に代わり晃良がレフトに回り、ライトには交代した五年生の蘭子が入った。


あいがもB、センター美希のサーブ。

緩い山形(やまなり)のボールを栞菜がレシーブ。

同時にみなも、人指し指を立てる。

頷いた栞菜が走る。


「Aクイック!」

奈奈が叫び、晃良と二人でブロックに跳んだ。

この時、眼前にいるはずの栞菜の姿が見えない。


栞菜、ネットの直前で一瞬足を止め、ブロックから落ちてくる二人と入れ違いにジャンプした。

ノーブロックのネット上から、鋭いボールを、小波の左横へ打ち込んだ。

14:20


新宿バンビ、あいがもBを相手に初めてのマチポイント。


美月をはじめ、五人全員が栞菜に駆け寄り手を叩き合う。

その輪の中で、栞菜の一人時間差を知らなかったみなもは、口を大きくあけ、驚いている。


「どごえ!」

意味不明な雄叫びをあげる斉藤秀美。

その分厚い胸に抱きつきながら腰を振って歓喜する神山陽子が、感激のあまり泣きだした。

斉藤秀美が叱りつける。

「陽子ちゃん、うそ泣きなんかしている場合じゃないよ」


その姿を背後から見ていた勇太は、この人、ヤンキーのくせに、意外にいい人なんだと思った。


顔を歪め、舌打ちした楢崎コーチが珍しく嘆いた。

「ブーメランサーブの次は、一人時間差かよ。あの子、何者?」


隣で美南も驚いている。

こうして控え椅子から試合を眺めていると、いつもと違った場面が見えた。

そして、今まで当たり前の練習しかしてこなかった自分を恥じた。


ネットの反対側で、奈奈が呆然としている。

ブロードまで取得した多彩なクイック攻撃に加え、一人時間差までやられたら打つ手がなかった。


奈奈の予測通り、あいがもBは第二セットを、初めて、14:21の大差で落とした。


弱小チームを相手に苦戦を強いられているあいがもBの情報は、第二会場でプレーするあいがもAにも伝わっていた。


名将楢崎監督をはじめ、エースでキャプテンの内海は、小学一年生の頃から一緒にチームへ入部した、ライバルでもあり親友でもある、美南の苦悩を思い浮かべた。


二二


楢崎コーチは、栞菜にサーブの順番が回る前に、美南、奈奈、晃良、美希の四人で引き離すよう指示した。

最終セットは15点先取だから、早い段階で大量得点すれば、勝てる。


美南は、口には出さなかったが、栞菜の攻撃に正面から挑むつもりでいる。だから、楢崎コーチの作戦に賛成しなかった。


主審のホイッスルが鳴り、新宿バンビとあいがもBの最終セットが始まった。


美月がメンバーを集め、気合いを発した。

「いいか、これからが肝心。相手が、あいがもだからってビビんじゃねぇぞ」

「おお!」


復活した美南のサーブ。

楢崎コーチの指示は、バックレフトの陽菜か結愛だが、栞菜の攻撃のパターンを見極めようと睨みつけ、打つ。

この時、右指に、強烈な痛みを覚えた。


みなもの右人指し指が、横向きに差し出される。

最初からブロード。

レシーブした瞬間、みなもの背後から素早くライト側へ回り込む、栞菜。


栞奈を追いかける美南の、一枚ブロック。


ネットの頭から、軽くレフト側へボールを流す栞菜。

突然のフェイントで、対応に遅れた奈奈が外した。

0:1


「美南!」

楢崎コーチが椅子から立ち上がり、指示通りにバックゾーンを狙わなかった美南を叱咤した。


美月のサーブ。


美月は、優等生ぶった美南が最初から気に入らない。

ネット手前のポジションでは狙うのは難しいが、打つ気でアタックラインまで下がっていれば楽勝。


主審のホイッスルと同時に、美月がジャンプサーブ。

体重をのせた砲弾が、美南の胸元にぶち当たる。

思わず上半身を反り、後方へ跳ねながらアンダーハンドレシーブする美南。

また指に痛みが走り、顔をしかめた。


「美南!」

返ってくるボールを奈奈がトス。


指の痛みに堪えながら、渾身の力で打つ美南。

ボールは、ライト側のサイドラインの上を突き刺した。


まったく動けない結愛、さすがに栞菜もカバーに遅れた。

1:1


この場面で楢崎コーチがタイムを要求。

奈奈と晃良、美希を集め、サーブのターゲットについて念をおした。

「いい、このセットは15点先取だからね。そこのところを良く頭に入れといてよ」

「はい」


試合再開。


奈奈のサーブ。


ネットの頭すれすれに飛ぶボールは、急角度で陽菜の左横を襲う。

2:1


それを見た楢崎コーチが首を縦に振り、微笑んだ。


奈奈のサーブは、陽菜と結愛のサイドを交互に狙い、得点を連取。

5:1


「ちくしょう、年少狙いの連発かよ」

神山陽子は拳を叩いて悔しがるが、どうにもならない。

サーブ権が新宿バンビに移らない限り、結愛と陽菜は狙われ続ける。


その後3点取られた段階で、コートチェンジが行われ、主審から充分に給水を取るよう指示された。

8:1


水筒をがぶ飲みしたみなものは、バックゾーンのポジションを変えるよう、大城監督に提案した。

「どう言うことだ、みなも」

「ですから、栞菜をバックの真ん中にして下さい」

「栞菜にバック全部をカバーさせるつもりか、クイック攻撃は」

「エンドラインからは無理ですが、センターの少し後ろなら間に合います」

「栞菜、できるか? ここでミスしたら、もう後がないぞ」

「はい。みなもができると言うなら、できます」

「ようし、7点差だ。後がない。全力で後悔しない試合をやれ」


タイムアウトのホイッスルが鳴る。


「よし、行け」

「おお!」


二三


奈奈は、栞菜の立つ位置が変わったことに首を傾げたが、大量得点に満足して軽い気持ちで陽菜を狙った。


ネットの頭を掠めて飛んでゆく低飛行の弾丸が、陽菜の手前で急下降する。

素早い蟹歩きで陽菜の前に躍りでた栞菜、深い姿勢でこれをカット。


そして上がるボールと一緒に走る。

栞菜は、レシーブする瞬間必ず左足を前へ出している。踏み込んで即座に動くためだ。


「来るよ」

美南がネットへ顔を向けたまま叫んだ。


みなものバックトス。

ブロード、咄嗟にそう判断した美南は、アンテナの手前に移動し、腰を落とした。


栞菜が跳ぶ。

栞菜の跳んだ位置は、美南が予測した位置より中央寄り。


「ちっ」

舌打ちした美南が慌てて戻るも、間に合わない。

美南の予測したブロードではなく、手前のCクイック。

8:2


新宿バンビ、二番手愛花のサーブ。

バックレフト有香の足下を狙う。

泳ぎ腰の有香がボールを弾いた。

8:3


愛花は、5点差を自分で何とか追いつこうと焦り、次のサーブをネットに引っかけてしまった。

9:3


新宿バンビの応援席から嘆きのため息がもれた。

やっと勢いづいた矢先のサーブミスに、皆の意気込みが沈んだ。

立花みゆきが、娘の失態に思わず頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。


あいがもB、晃良のサーブ。

奈奈と同様にバック狙い。

栞菜がカバーに動く。

結愛のサイドでレシーブ。

そして走る。

みなもの素早いトス。


「Aクイック」

叫んだ美南と奈奈がブロックに跳ぶ。

だが、その眼前に栞菜はいない。


「一人時間差」


入れ違いに跳んだ栞菜のスパイクは、晃良と小波の真ん中を射抜いた。

9:4


新宿バンビ、サーバーみなも。

みなもはこの時、栞菜のブーメランサーブのように、ボールに鋭い回転をつけて打ち上げた。


天井に打ち上げられたボールは、センター美希の頭上で大きく左右にぶれ、美希の背後に落ちた。

9:5


追い上げる新宿バンビ。

みなもは、サーブをバックゾーンの左右に落として3点を連取した。

9:8


勢いにのる新宿バンビ、みなもの連続サーブで3点を連取。

9:11

祭りの喧騒のごとく盛り上がる新宿バンビの応援席。


次に打ったみなものサーブボールが、天井の照明器具に接触したと判断された。

10:11


あいがもB、サーバーはセンター美希。

バックゾーンを狙えと楢崎コーチがプレッシャーをかける。


美希は、栞菜のカバーが届かないサイドラインの手前へ打ち込む。

結愛が必死に跳び込んだが間に合わない。ボールに触れることさえできない。

11:11


今度は、レフト側のサイドラインに落とす。

カバーに走る栞菜、さすがに間に合わない。


それを見た斉藤秀美が嘆いた。

「栞菜、バックを左右に振られて大変だよ。みなもにボールが繋がらなければ、栞菜のクイックもできやしない。あと4点、ここはもう、栞菜に頼るしかない」


新宿バンビは、この後、美希のアウトラインぎりぎりを狙うサーブで3点取られた。

あいがもBのマチポイント。

14:11


楢崎コーチの目に、僅かな勝利の光が見えてきた。


斉藤秀美は、二階応援席のフェンスを叩き、顔を歪めながら叫んだ。

「みんな、あきらめるな!」


ここで、大城監督が、最後のタイムを要求した。

栞菜たちに守りの指示を与える。

「結愛と陽菜はもっとライン寄りに下がれ。栞菜、もう少し後ろでカバーに入れるか」

「はい、大丈夫です」

「よし、何としてでも、次はサーブ権を奪い返せ。でないと、負けるぞ」

「おお!」


試合再開。


タイムアウトを挟んだ直後のサーブで、美希の手元が狂った。

ライト側から打ったボールは、新宿バンビのサイドラインを僅かに外へ流れた。

即座に、ラインズマンの旗が上がる。

14:12


「よっしゃあ」

斉藤秀美のガッツポーズ。


「ちぃ!」

この場面でのサービスミスに激怒した楢崎コーチが腰を上げ、奥歯を噛み締めながら美希を指差し、睨みつけた。


次の瞬間、何かを思い出したように、楢崎コーチがサービスゾーンに顔を向けると、そこに栞菜が立っていた。

「栞菜」

それを見た楢崎コーチが、もう一度舌打ちした。


ここで栞菜のサーブ。


サービスゾーンの右端に立ち、大きく深呼吸する。


娘の緊張した姿をみた水嶋涼子は、心の中で叫んだ。

「栞菜、落ち着いて。あなたなら、できるから」


その隣で、斉藤秀美や神山陽子たちが盛り上がっている。

「しっかり、栞菜」

「やっちまえ、栞菜」

「勝ったら何でも食わしてあげる」


勇太は、誰が何を叫んでいるのか混乱した。相手チームの応援席からも大声援が湧き起こり、館内全体が喧騒の嵐と化している。


ホイッスルが鳴った。


波が引くように、一瞬、静まり返る応援席。


栞菜は、左手のボールを持ち上げて上半身を右へひねり、ボールの右底を手刀で叩き飛ばした。


「行けえ!」

斉藤秀美が、ボールの行方を追いかけながら叫んだ。


そのボールは、レフト側のアンテナ手前上空を旋回し、大きく弧を描いて有香の左横、サイドラインの上に落ちた。


この時、インかアウトか、ラインズマンが判定に迷った。

心配した副審が走り寄り、ラインズマンに状況を確かめ、主審に報告した。


主審の右手が、新宿バンビ側へ差し出された。

14:13


栞菜の連続サーブ。

見守る新宿バンビ応援席。


栞菜の放ったボールは、長い曲線を描いて、センター美希の頭上から斜めに落ちてゆく。

ボールを追いかける美南、腰を沈めながら床の真上でアンダーレシーブ。


回転力で美南の手元を弾いたボールは有香の横に流れ、サイドラインを割った。

14:14


新宿バンビ、土壇場で追いついた。


「デュースだあ」

神山陽子が躍り上がる。


「栞菜、栞菜」

相沢静江は、右手を振りながら、栞菜の名前を呼び続けている。


主審のホイッスル。


斉藤秀美は、両手の拳を握りしめ、栞菜の動作を見守っている。

ここで栞菜がサーブを失敗したら、後がなくなる。

陽菜と結愛では、サーブであいがもBを攻略できない。奈奈の正確なトスがあがれば、美南の強烈なスパイクがくる。


二階応援席、両チームの誰もが、ひっそり静まり返り、栞菜のサーブの行方を見つめた。


撮影を禁止された勇太は、このシーンを見逃すまいと瞬きもせず、 目に焼きつけた。


大きく深呼吸する栞菜。

その顔が緊張で硬直している。

気づいたみなもが、サービスゾーンの栞菜に走り寄り、声をかけた。


みなもは、二階応援席を指差して笑顔を向けた。

栞菜もつられて二階応援席を見上げた。


手を振り返して応える斉藤秀美たち。

その隣で、何度も頷く水嶋涼子。

その目が、しっかりしろと言っている。


「お母さん」

栞菜は、大会が始まってから、初めて母親の顔をみた気がした。

少し、心が和んだ。


主審がもう一度ホイッスルを鳴らし、栞菜にサーブを打つよう催促した。サーブのホイッスルの後、八秒以内に打たないと失格になる。


左手にのせたボールを見つめ、力強く頷く栞菜。

上半身をいつもより大きく右にひねり、ボールの右底を叩いた。


美南、奈奈、晃良、美希、有香、小波の六人が同時に腰を落とし、レシーブの構えに入る。

前衛の三人は、小波たちのカバーに動けるよう、いつものポジションより後方へ下がっている。


あいがもB全員が、上空を旋回してくるボールを見上げた。


アンテナの手前で急下降したボールは、さらに軌道を変え、内側へ戻ってくるとあいがもB側ネットに引っかかった。


美南と奈奈が慌てて跳び込んだ。

ボールは、差し伸ばした美南の右手の先へ落ちた。


床にうつ伏せになった美南の顔の向こうへ、ボールが静かに転がってゆく。

その後方に立つ美希、有香、小波の三人は、床を叩いて悔しがる美南のそんな姿を初めて見た。


14:15


「やったあ!」

「栞菜、栞菜」

「あと1点、あと1点」


主審のホイッスル。


サーブを打つ瞬間、栞菜はネット先の美南をみた。

端整な美南が、豹の目で睨み返してくる。

その目が、自分を狙えと言っている。


「栞菜、落ち着け」

二人の睨み合いに気づいたみなもは、咄嗟に栞菜の名を呼んだ。


頷く栞菜。

渾身の力で、ボールの右底を叩き飛ばす。


いつもより高く舞い上がったボールは、レフト側のアンテナの内側上空から急角度で落下してゆく。


見つめる美南が腰を落として構えた。

美南は、自分に向かって落ちてくるボールへ、右肘を突き上げた。


「肘打ちだあ!」

身を乗りだした神山陽子が叫んだ。


急速回転したボールは、美南の肘で跳ね飛ばされ、奈奈の眼前を水平に弾け飛び、サイドラインの外へ転がっていった。


静まる応援席。

誰もが、主審のホイッスルを待っている。


間もなく、主審の、長いホイッスルが鳴り響いた。

今、都大会Aブロックの予選第一試合が終了した。


「秀美さん、あのあいがもBに勝っちまった」

「勝ったよお、嬉しいよお」

「栞菜、栞菜、スゲェぜ」

斉藤秀美、神山陽子が抱き合って跳びはね、その隣に集まった水嶋涼子たちが互いの手を取り合い歓喜した。


反対側の応援席では、試合結果をまだ受け入れられないのか、誰もが重い表情でコートの子供たちを見下している。


試合終了後に、両チームの子供たちが、監督席に集結した。


大城監督を中心に美月や愛花たちが喜び合う姿が、勇太の目に写る。

応援が、こんなに疲れるものだとは思ってもみなかった。

それから、あいがもBの監督席へ視線を移した。

顔を伏せて立ち竦む美南がいた。

泣いているのだろうと思った。


二四


都大会Aブロック、あいがもBを奇跡的に破った新宿バンビは、その勢いで何とか二回戦をセット数2:1で辛勝した。


同じAブロックでは、予測通り音羽ジュニアが勝ち上がり、新宿バンビと予選決勝を競い合うことになった。


早めに試合が進行していたBブロックは、予選二回戦で調布ジュニアパンサーに勝利した落合アタッカーズは、予選決勝で、唐沢監督の高輪エンジェルに敗れた。


第二会場Cブロックも試合が早く進んだ。

予選決勝で、高島レッドウィングズと春の公式戦で準優勝した白山エンペラーズの強豪同士が激突。

高島レッドウィングズは必死に食い下がったが、最終セットを15:17の接戦で落とした。

キャプテン千里の、公式戦がここで終わった。


その場を取材した勇太は、試合終了後に高島監督が、子供たちを大声で怒鳴りつける姿をみて、首を傾げた。

高島レッドウィングズの六年生五人は、今大会で公式戦を終了するのだから、労いの言葉の一つもかけてあげたらいいのにと思う。


同じく第二会場のDブロックでは、優勝候補筆頭の下赤塚あいがもAチームと、初出場の八王子ブラックスワンの試合が、予定時間をかなり遅れて始まろうとしている。


Dブロックは、他ブロックと違い、六チームで競い合っていた。

クジ引きの都合で、八王子ブラックスワンは、予選を一試合しか戦っていない。

すぐ予選決勝戦となり、対戦相手は、春の公式戦で優勝したあいがもAだ。


試合開始を告げるのホイッスルが鳴った。

サーバーは、あいがもAのエース内海(うつみ)。

身長170cmの長身から打ち込む弾丸サーブで崩し、得点を連取して勝ち進んできた。

率いるのは名将楢崎監督。

最初から全国大会を目指している。


内海は、相手を威嚇するように、サービスゾーンの中央で跳びはねた。

恵まれた大きな身体が、高く跳ね上がり、体育館の床を揺らす。


二階応援席の隅に、試合を終えたあいがもBの美南と奈奈、その隣に高島レッドウィングズの千里が立ち見している。


千里は、内海の仕草をみて大きくため息をもらし、それから美南の顔をみた。

「内海、やる気満々じゃん」

「千里、相手チームのこと、何か知ってる?」

「まったく知らない。初めてみるチームだし」


首を傾げる千里の横から、奈奈が割り込んできた。

「ブラックスワンのエース、メリーサって言うの。田中メリーサ」


美南と千里が、同時に試合コートへ顔を向けた。

奈奈が言った田中メリーサの名前が、やたら頭の中を反芻した。


奈奈は、顔を少し緊張気味に強張らせ、コートに立つ田中メリーサを見ながら、言葉を飲み込むような口調で言った。

「ただ、気になることがある」

「え、気になること」

「うん。さっき美希ママから聞いたんだけど、ブラックスワンの一回戦、2対0で圧勝だったそう」

「相手が弱かっただけじゃん」

「千里ちゃん、違う。問題は得点差。一セットは21対0、二セット目が21対1。その1点はブラックスワンのサーブミスだけ」

「え、21対0、それもこの都大会で。信じられない。相手が0点てことは、一人サーブで勝ったってこと。その一人って言うのが」

「一番、田中メリーサ」


美南は、サービスゾーンに立つ内海に目を向け、心の中でもう一度、内海の名前を呟いた。

内海は、大股で走ると、ランニングジャンプサーブを、力いっぱい相手コートへ打ち込んだ。


二五


第一会場では、Aブロック、新宿バンビと強豪音羽ジュニアとの予選決勝戦が始まっていた。


美月のサーブから始まった一セット目は、点の取り合いで試合が進み、その後みなもの天井サーブで3点を連取した。

5:2


みなもは、失敗するのを覚悟で、天井サーブで打ち上げたボールを、レシーブカットが難しい相手コートのネットすれすれに落とした。


回転しながら落ちてくるボールを、アンダーレシーブするタイミングが掴めない音羽ジュニアのメンバーに、焦燥感が感染してゆく。


誰もが、天井サーブの次は、あいがもBを破った驚異のブーメランサーブが待っていることに怯えていた。

6:2


斉藤秀美は、音羽ジュニアとの試合を眺めながら嘆いた。

「あの子たち、かわいそうなほど、足がびびってる。美南を壊したブーメランサーブと、クイックを怖がっているよ」

「いいじゃないすか、秀美さん。そしたらうちらの勝ちすよ」

「陽子ちゃん、あんた、ホント、単純だわ」


神山陽子を単純だと笑いながら、斉藤秀美も、それで勝てるなら良いと思った。

この春の公式戦までの三年間、支部予選で敗退してきた新宿バンビに、やっと日の目が当たってきた。

そして今は、都大会の予選決勝を戦っている、まるで夢みたいだ。


大城監督の態度が、いつもと違っていることも大きな変化だ。日頃怒鳴り散らしていた大城監督は、この予選から、みなもの指示通りに動かされている。

斉藤秀美は、セッターみなもが、頼もしく成長したと思っている。

栞菜のクイック攻撃の成功は、小学生レベルを超えているが、的確にトスをあげるみなもの技量と司令塔としての采配の賜物なのだ。


「ああ、残念」

隣で神山陽子がいきなり嘆いた。

みなもの天井サーブがネット上に乗ってしまい、新宿バンビ側のコートへ落ちた。

6:3


次の音羽ジュニアがサーブミス。

7:3


サービスゾーンへ向かう栞菜は、この頃から、手首と肘に痛みを覚えていた。

まだ一セット目、栞菜はいつものフローターサーブを打ち込んだ。


二六


新宿バンビは、一セット目を21:16で勝利したが、二セット目の後半になり18:19と引き離された。


ブーメランサーブを打たない栞菜に、音羽ジュニアに慣れと安堵感が根づいた。


「栞菜、お願いだから、クイックとブーメランやっちまえよ」

神山陽子は、二階席のフェンス越しに、栞菜へ向かって叫んだ。


その真後ろで取材する勇太は、これまでの試合状況から、栞菜に身体的な疲れがでたのではないかと心配した。

栞菜は、支部予選の時もそうだったが、サーブで狙われながら、クイック攻撃とバックのカバーで動き回っていた。


斉藤秀美は、フェンスに上乗りする神山陽子の尻を叩いて叱った。

「陽子ちゃん、ちょっと静かにしな。栞菜のブーメラン、打つ瞬間にかなり回転をつけるから、手首がいかれちまったのさ。野球のピッチャーが、変化球ばかり投げると、肘を痛めるのと同じよ」

「秀美さん、だってあと3点すよ」


この時、サービスゾーンには、みなもが立っていた。

みなもは、自分自身に納得させるように頷き、それから体育館の天井を見上げた。


ホイッスルが鳴る。


腰を低く落とし、伸び上がりながら、左手にのせたボールを打ちあげる。

天井の照明の真下まで上がったボールが、音羽ジュニアのエンドライン上に落ちた。

アウトになると判断したバックライトが見送った。


ラインズマンの旗が下方を示す。

「入ったあ」

神山陽子が右拳を突き上げた。

19:19


次のサーブ。

みなもは、さっきと同じように相手コートのエンドラインを狙ったが、ラインの外へ僅かに外れた。

19:20


「ああ、惜しいなあ、もうちょっと右なら入っていたのに」

「秀美さん、今の、ぜったいラインの上すよ。審判に抗議しましょう」

「陽子ちゃん、お願いだからヤンキーは止めて。ほら、監督が立ち上がった」


新宿バンビ、後がなくなった。

大城監督が堪らず、タイムを要求。

栞菜に、肘の容態を確認する。

「みなも、おまえの考えを言ってみろ」

「これ以上はむりです。栞菜が心配」

「栞菜はどうなんだ」

「あと、一回なら打てます」

「みんな、よく聞け。次は栞菜のサーブだが、その前に、何としてでも相手からサーブ権を奪う必要がある。あと1点、取られたら終わりだぞ」

「おお!」


音羽ジュニアのサーブ。

山形(やまなり)に弧を描いたボールが、レフト陽菜へ向かってゆく。


「陽菜!」

みなもが叫び、栞菜が動いた。


ボールは、陽菜の左側へ反れ、サイドラインの内側へ落ちてゆく。


「ヤベぇ!」

悲鳴にも似た神山陽の叫び声。


陽菜では間に合わない。

栞菜が跳び込んだ。

左足で蹴り上げる。


「おお!」

館内がどよめいた。


「愛ちゃん」

急角度で戻ってくるそのボールを、みなもが愛花へバックトス。


愛花、左手でアンテナの手前へフェイント。

ボールは、相手コートのネット内側へ落ちた。

20:20


「やったあ、これでデュース」

「次は栞菜のサーブ。栞菜、お願い、頑張って」


サービスゾーンの右端に立つ栞菜をみた斉藤秀美が、納得したように頷き、隣の水嶋涼子に呟いた。

「栞菜、やる気だね」


水嶋涼子は、それには応えず、緊張した顔で、サービスゾーンに立つ娘を見つめている。


ホイッスルが鳴る。


左手にのせたボールをゆっくり持ち上げ、右底を右手の手刀で斬るように打ち放す。


高速回転したボールは、アンテナの手前上空を旋回しながら、さらに伸びてゆき、音羽ジュニアコートのサイドラインへ落ちた。

20:21


「どごお!」

斉藤秀美が、また意味不明な雄叫びをあげた。

水嶋涼子の周りに、相沢静江や関根由美たちが集まり、互いの手を握り合って歓喜する。


「あと1点、あと1点」

神山陽子は、何かに取り憑かれたように頭を振り回し、わめき散らしている。


左手にのせたボールを見つめながら、栞菜が大きく深呼吸した。


静まる応援席。

勇太は、二階応援席にまで、栞菜の心臓の音が聞こえてくる気がした。


栞菜、ホイッスルと同時に打ち込んだ。


いつもより高く上がったボールが、旋回しながら、いつもより急角度で斬り込んでゆく。


両手を水平に構えたセンターのレシーブを斜めに弾き、猛スピードでサイドラインの外へ飛び跳ねた。


短いホイッスルが一度鳴り、すぐに試合終了の長いホイッスルの音が館内へ響いた。

20:22


この瞬間、新宿バンビ、都大会予選を勝ち抜き、決勝トーナメントへの出場が決まった。


斉藤秀美を中心に、水嶋涼子たちが輪を描いて跳びはねた。

斉藤秀美が神山陽子にハンカチを差出しながら、

「陽子ちゃん、鼻水、鼻水」

「オス」


この時、我を忘れて喜び合う新宿バンビの応援席に、美南と千里が現れた。

突然の珍客に気づいた斉藤秀美は、暗い顔をした美南の肩をつかんで訊ねた。

「どうした美南ちゃん、千里ちゃんも一緒で、何かあったの?」


斉藤秀美は、年少の頃から練習試合を供に続けてきた美南と千里の母親たちとは、昵懇の仲だった。

美南は、今にも泣きだしそうな顔で斉藤秀美を見上げた。

「美月ちゃんママ、内海が負けちゃったよ」

「え、内海ちゃんて、あの、あいがもAが破れたの!」

「はい。2対0だった」

「2、0って、そんなバカな。初出場チームを相手に優勝候補筆頭が完敗するなんて、信じられない」


隣で話を聞いていた、相沢静江が、

「秀美さん、あたし、状況を確認してくる」

そう言うなり走り出した。


勇太は、その場を離れ、携帯で電話するとしばらく話し込んだ。


二七


決勝トーナメントは、都大会予選を勝ち抜いた四チームにより、第一会場で行われる。


Aブロック、奇跡的に勝ち進んだ、新宿バンビ。

Bブロック、唐沢監督率いる高輪ジュニア。

Cブロック、春の都大会準優勝の白山エンペラーズ。

そしてDブロックは、優勝候補筆頭下赤塚あいがもAチームに完勝した、初出場八王子ブラックスワン。


執行部席に集まった四チームの監督による試合組合せの抽選会が行われ、間もなくも、決勝トーナメントの組合せが館内四カ所に貼り出された。


第一試合、白山エンペラーズ対八王子ブラックスワン。

第二試合、高輪ジュニア対新宿バンビ。


10分間のインターバルを挟み、試合が始まる。


第二試合を控える新宿バンビは、館内の空きスペースでウォーミングアップを始めた。

その動きを見守る斉藤秀美たちのもとへ、第二会場の様子を偵察しに向かった相沢静江が戻ってきた。


相沢静江は、息をきらしながら自分が確認してきた状況を話し始めた。

「一セットは、21対2。二セット目は、21対3。信じられないけど、あいがもAの完敗」

「なんで、何があったの、今でも信じられないけど」

「秀美さん、ブラックスワンの武器は、落ちるサーブ。あいがもAは、このサーブに翻弄されたみたい」

「落ちるサーブだなんて、そんなもの」

「足下へおちるだけなら、あいがもAの実力からしたら何でもないのよ。それが1mも先を直角に食い込んでくるんだって。長身の内海ちゃんや美香ちゃんは跳び込んで何とか手に当てることはできたみたいだけど、そのボールがセッターにつながらない。まして、他の子では、ボールに触れることもできない」

「1m先に落ちる、ドロップサーブかあ。とにかく試合が始まる前に、監督にこの情報を知らせておかないとね」

「秀美さん、お願いします」


この時、後ろで斉藤秀美たちの話しを聞いていた勇太が口を挟んだ。

「僕からもお話しますが、八王子ブラックスワンの監督は、田中圭吾さんと言って、三年前まで実業団のチームに所属していて、Vプレミアリーグでも活躍していた方です。三年前に膝を痛めて引退した後、地元の八王子で、小学生のバレーボールチームを始めたそうです」

「三崎さん、それが、あの、八王子ブラックスワンなのね。でも、コートには控え選手はいないし、レギュラーの六人だけだし、今まで公式戦にでた記録もないよ」

「相沢さん、そうなんです。公式戦どころか、これまで他チームとの練習試合もいっさい行っておりません。小学生バレーボール連盟に加盟したのは、なんと今年の春のことです。また、現在の人数が六人なのは、入部希望者を絞っているからです」

「入部したい子を選んでいるの」

「斉藤さん、かなり厳しい運動能力のテストがあって、それをクリアーしないと入部が認められないようです」


横から神山陽子が乱入した。

「ええ、そんなバカな。やりたいって言ってきてんだからさあ、誰でも入部させるのが常識じゃん。相手は小学生だよ」

「常識的には、神山さんのおっしゃる通りなんですが、それが田中監督の信念なのだそうです」

「メリーサは?」

「田中監督が実業団に所属していた時ですが、同じ女子チームのドミニカ出身の選手と結婚して生まれたのが、メリーサちゃんです。かつて田中監督の同期には、全日本で活躍していた方が大勢おりました。これは僕の私見ですが、田中監督は、全日本の代表選抜に選ばれなかった悔しさを、ブラックスワンでかなえようとしているのではないかと思います。つまり、全国制覇です」


「なんか、怖い気がする」

関根由美が、両手で肩を抱きながら身震いした。

「おい、雑誌記者、今の話し、マジなんだろうね」

「僕もこの業界で生きてる人間です。ネタ元は話せませんが、ほぼ正解だと思って下さい」


試合会場から、高らかにホイッスルが鳴り響いた。

決勝トーナメントの第一試合が始まる合図だ。

斉藤秀美は、今知り得た情報を大城監督に伝えるため、駆け足で二階席から降りて行った。


その広い背中を眺めながら、相沢静江が呟いた。

「もしも、ブラックスワンが白山エンペラーズに勝ったら、きっと本物かもね」

「静江さん、その前にうちも、高輪ジュニアに勝たないと、ね」

「涼子ちゃん、あたしどうしよう」

「大丈夫よ、うちには頼れる司令塔がいるから。静江さん、みなも、たくましくなったわね」


二八


都大会決勝トーナメント、第一試合。


古参の実力チーム、白山エンペラーズと初出場の八王子ブラックスワンが、相対した。


白山エンペラーズ側の応援席の端で偵察にやって来た斎藤秀美と相沢静江が、長身で褐色の田中メリーサをみて驚愕した。

「あれがメリーサ。すごい体格だわ」

「秀美さん、小学生ではあまりやらない筋トレで、かなり鍛えたみたいよ」

「これじゃあ、大人と子供の差がる」

「もうすぐ、始まるわよ」


コートの中央に集まり、円陣を作って気合いを入れる白山エンペラーズ。


その反対コートでは、各々のポジションについた八王子ブラックスワンのメンバーが軽く跳びはねている。


八王子ブラックスワンは、円陣は組まない。

田中監督は、そんな時間があるなら、先にコートに入り、周りの雰囲気と足場になじんでおけと指導している。


試合開始のホイッスルが鳴った。


サーバーは、八王子ブラックスワン、田中メリーサ。

メリーサも、あいがもAの内海に負けず劣らず、身長173cmある。


メリーサ、サービスゾーンのレフト側から、右足を軽く出し、次いで左足を踏み込み体重移動しながら、真上に高くあげたボールを叩いた。


前回転しながら山形に飛んだボールは、エンドラインの手前でいきなり落ちた。

エンドラインを越えると判断したバックライトが見送った。

1:0


この後メリーサは、センターとバックゾーンの左右を交互に狙い、得点を連取した。


二九


決勝トーナメント第一試合、白山エンペラーズは、第一セットを21:3で落とし、二セット目は21:6で八王子ブラックスワンに敗れた。


前の試合で落ちるサーブの情報を得ていた白山エンペラーズは、試合開始から前方にポジションを移動していたが、八王子ブラックスワンは、その空いた後方と左右へサーブを落とした。

白山エンペラーズは、守りを前後左右に揺さぶられ、レシーブカットに翻弄された。


決勝トーナメント第二試合、高輪エンジェルと新宿バンビの試合が始まった。


この時、高輪エンジェル側の二階席に、白山エンペラーズを破った八王子ブラックスワンのメンバーが、試合を視察にきていた。


勇太は、数ヶ月前に取材で訪れた唐沢監督とチームの子供たちが動く姿をみて、懐かしさを覚えた。

子供たちの身長は皆150cm代で平均的だが、動きが機敏でチームにまとまりがあった。


最初のサーバーは、新宿バンビ美月。


美月は、遠慮のない会心の弾丸サーブを打ち込んだ。


高輪ジュニアのバックレフトが瞬時にカット、正確なボールをセッターへ繋いだ。

素早く反応したレフトの強烈なスパイクが、栞菜を直撃。

栞菜、腰を沈めてカット。

ボールがみなもへ上がった。


「ミーちゃん」

みなもの高いトスを、美月が打ち込んだ。

そのパワーボールを、高輪ジュニアのバックライトが右へ弾いた。

1:0


美月の連続サーブ。


懸命に拾ってボールを繋ぐ、高輪ジュニア。

一つ一つの行動に、声を掛けあい活発に動き回っている。


この時勇太は、突出した逸材もいないチームが、一丸となって試合に挑む姿をみて、これが、小学生バレーボール本来のあり方ではないかと感じた。

個人プレーより、六人協力しながら相手の攻撃を捌いている、その動きは、柄沢監督が前に話していたチーム力だ。


第一セットは、栞菜のケガを配慮したみなもが、クイック攻撃とブーメランサーブを封じたせいで、互いに点の取り合いが続き、新宿バンビの1点リードで終盤戦をむかえた。

19:18


サーバーは栞菜。

サービスゾーンに立つ位置をみたみなもが驚いた。

栞菜は、サービスゾーンの右端に立ち、獣のような眼をしてボールを見つめていた。


「栞菜、行け!」

新宿バンビの二階応援席から、盛大な拍手がわき上がる。


ボールをのせた栞菜の左手が上がった。

高輪ジュニアに緊張が走る。

栞菜、上半身を右へ捻り、勢いよく戻しながら、ボールの右底を手刀で叩き飛ばした。


「来るよ」

高輪ジュニア、どこに落ちるか予測のつかないボールを見上げながら、六人全員が腰を落として構えた。


斜めに飛び上がったボールは、アンテナの上空手前から急角度で、弓形(ゆみなり)に落ちてゆく。


ボールの行方をじっと見つめる六人。

次の瞬間、センターがふり向きざまに叫んだ。

「由梨の前」


バックライト由梨は、さらに腰を落として両手を前へ差し出した。

その手を掠めて流れたボールが、サイドラインの手前に突き刺さる。

即座に旗を下げ、ボールインを示すラインズマン。

20:18


「よっしゃあ、マチポイント」

両手を握りしめ、ガッツポーズする神山陽子。


唐沢監督がタイムを要求する。

勇太が目を向けると、集まったメンバーに何か話しかけている。

今度は、メンバー六人が顔を寄せ合って何やら相談を始めた。


新宿バンビ側では、みなもが栞菜を心配して話し込んでいる。

栞菜は、右手をひらひらさせながら笑顔を向ける。勇太には、みなもに、大丈夫だよとそう言っているように見えた。


三〇秒間のタイムアウト終了のホイッスルが鳴り、試合が再開された。


再びサービスゾーンに立つ栞菜をみた斉藤秀美が、心配そうな顔を向けた。

タイムアウト直後のサーブは、失敗する可能性が高いからだ。

思わずフェンスに乗り出し叫んだ。

「栞菜、深呼吸、深呼吸」


斉藤秀美の声が届いたのか、みなもが栞菜に走り寄ると、それから大きく息を吸い込んだ。


ホイッスルが鳴った。


左手のボールを持ち上げ、栞菜が打つ。

身構える高輪ジュニア、六人。

この時、勇太は、今の瞬間だけ、1対6の試合だと思った。


さっきと同じ軌道を旋回しながら、センターとセッターの間を鋭利に落ちた。

足が止まり、まったく動けない。

21:18


第一セットが終わり、コートチェンジが行われた。


二階、新宿バンビの応援席では、母親たちが水嶋涼子の周りに集まり、手を叩いて称賛した。

斉藤秀美は、水嶋涼子に、

「涼子ちゃん、栞菜、あのブーメランサーブを完全に使いこなせるようになったわね。右手さえ大丈夫なら、この試合、何とかいけるかもよ」


三分間のコートチェンジが終わり、主審の長いホイッスルが鳴り響いた。

コートへ集結するメンバーたち。

すぐに円陣を組み、気合いを入れる。


第二セット。

サーバー美月。


三〇


一番手、美月のサーブミスから始まった第二セットは、高輪ジュニアの連続サーブで3:0と引き離された。


ここで司令塔みなもは、右指を右へ差し伸ばした。

その合図をみて頷く栞菜。


高輪ジュニアのサーブボールが、栞菜の手前に落ちた。

レシーブカットした瞬間、みなもの背後から大きくライト側へ走る。


「ブロード」

誰かがそう叫んだ。


ライト側ぎりぎりでジャンプした栞菜、右手を大きく振りかぶる。

鋭いボールが、相手コートのバックライト手前を射抜いた。

3:1


「やったあ。栞菜のクイックが蘇ったあ」

無邪気に喜ぶ神山陽子の隣で、相沢静江が両手を握りしめながら、栞菜の手首を心配している。

その相沢静江の肩に手をおき、水嶋涼子が声をかけた。

「静江さん、栞菜なら大丈夫よ。それを一番知っているのは、みなもだから」

「涼子ちゃん、みなも、勝つためなら手段を選ばない子だから、栞菜にムリさせないか心配で心配で」

「そんなことはないよ。みなもは、ちゃんとみんなを見ているよ。あの子、支部予選から見てきたけど、一試合ごとにたくましく成長しているわ。新宿バンビがここまで来れたのは、みなものおかげよ」

「涼子ちゃんにそう言ってもらえると安心するけど」


二階席で試合を視察している、八王子ブラックスワンのセッター真夏が、隣のメリーサに話しかけた。

「メリーサ、今ので、クイックのサインが読めたよ」

「ワタシも気づいた」

「右指の角度の高さでABC。問題は栞菜って子のブーメランサーブ」

「心配ない。オーバーもアンダーもだめなら、もう一つ受け方がある」

「え、何、それ、教えてメリーサ。でも、このままだと、決勝戦は新宿バンビで決まりだね」

「みたいね。新宿バンビ、栞菜とみなも、か。楽しくなりそう」


メリーサは、コートを走り回る栞菜の動きを見つめながら、あのブーメランサーブをカットできるのは、自分だけだろうと思った。

空中で微妙に軌道を変えるボールに対応するには、卓越した動体視力と反射神経が必要だからだ。


この後、愛花のサーブと美月の弾丸スパイクが決まった。その合間に、栞菜のクイック攻撃で高輪エンジェルを揺さぶる、みなものトスコントロールが功を成し、3:8と引き離した。


決勝戦を考慮したみなもは、栞菜のクイック攻撃とブーメランサーブを封じた。

そのため、終盤戦で19:19と追いつかれ、何とかサーブ権を奪い返すため、栞菜にAクイックのサインを送った。


みなものサインを見た栞菜は、みなもがこのセットで決めるつもりだと理解した。


高輪エンジェルのサーブ。


センター栞菜の胸を直撃。

顔面に向かって飛んでくるボールを、上半身をのけ反ってレシーブする栞菜。

すぐ体勢を戻して走る。


みなもの低いトス。


高輪エンジェルの前衛二人がブロックに跳んだ。

この時、ネット前で栞菜の動きが一瞬止まった。


「一人時間差だあ!」

神山陽子の叫び声。


高輪エンジェルのブロックと入れ違いに跳んだ栞菜のスパイクは、センターの後ろを貫いた。

20:19


新宿バンビのマチポイント。

「あと一点」

「あと一点」

声を潜め、両手を合わせ、呪文を唱えるように呟く新宿バンビの応援席。


サーブ権が新宿バンビへ移った。

サーバー、みなも。

サービスゾーンの中央に立ち、天井を見上げた。何としてでも自分のサーブで勝負を決めたい。栞菜に、これ以上負担をかけたくない。


左手にのせたボールをゆっくり目の高さに上げ、その位置から手を離し、落ちてくるボールの底を右掌で突き上げる。


天井の、照明すれすれまで高く上がったボールは、急速度で回転しながら、相手コートのネット手前に急下降してゆく。


前屈みのセッターがレシーブ。

その手をボールが弾き、ネットに引っかかる。

慌てたレフトが、手を伸ばし拾うとしたが、ボールが上がらず、床に落ちた。

この瞬間、高輪エンジェル六人は、その姿勢のままフリーズした。


主審の、試合終了を告げるホイッスルが、高らかに館内へ響き渡る。

 

勇太は、みなもの元へ集まり、手を取り合う美月たちをみて、なぜか泪が溢れた。

唐沢監督が大城監督に近寄り、頭を下げて勝利を讃えている姿も印象的だ。


二階席では、斉藤秀美を中心に肩を抱き合い、全員が跳びはねながら歓喜している。

「みなも、ナイスサーブ」

「決勝、決勝」

「すごい、夢みたい」


館内放送が流れ、一〇分後に、都大会決勝戦が行われることが告知された。


高輪エンジェル側の二階席で観戦していたメリーサと真夏が、立ち上がった。

「行くよメリーサ、次は決勝戦」

「都大会なんて大したことない。ワタシの目的は、全国制覇」


その姿を、反対席からみていた美南と千里の隣に、内海が腰掛けた。

「メリーサのやつ、この試合、偵察にきていたんだ」

「それだけ、ブーメランサーブとクイックが気になっている証拠さ」


美南は、内海と千里の会話を聞きながら、栞菜が、八王子ブラックスワンの全員がやると言う、ドロップサーブをどう対抗するか考えた。

その反面、栞菜のクイックとブーメランサーブ、みなもの天井サーブをレシーブするメリーサたちも気になっていた。


三一


一〇分間のインターバルが終わり、東京都大会決勝戦が始まろうとしている。


勇太は、二階席の両チーム応援席の様子をみて歩いた。

不思議に感じたのは、新宿バンビの応援席にはメンバー全員の保護者たちが集まり、その少し離れた客席に、内海と美南、そして千里たちがいるのに、八王子ブラックスワン側には、決勝戦だと言うのに、母親が二人だけだった。


ただ、新宿バンビがここまで勝ち上がるとは予想していなかったのか、メンバーの父親の姿もなかった。

取材を始めた頃に斉藤秀美から、父親たちの職業について聞かされていたから、忙しくて応援にくる時間がないのだろうと思った。


審判台に立った主審が、長いホイッスルを吹いた。

両チームは監督の前に集まり、指示を受けて気合いを発する。


それからコートの中央に走り、美月を中心に円陣を組む新宿バンビ。

反対コートでは、八王子ブラックスワンの六人が、すでに自分たちのポジションに立ち、軽くステップを始めている。


八王子ブラックスワンは、円陣は組まない。

円陣を組もうが負ける時は負ける。

田中圭吾監督は、そんな暇があるなら、先に自分のポジションに立ち、周りの雰囲気と足場に馴染んでおけと教えてきた。


円陣の円の中へ顔を突き出した美月は、みなもの左肩を掴んだ指に力を込め、叫んだ。

「みんな、この試合、絶対に勝って、うまいギョウザをいっぱい食うぞ!」

「おお!」


この時、年少の陽菜と結愛から失笑がもれたが、栞菜とみなもは、これでみんなの緊張感が少し和らいだような気がした。

「ありがとう、ミーちゃん」


主審のホイッスルで、両チームのキャプテンが審判台へ集まり、サーブ権を決めるコイントスを行う。


第一セットは、八王子ブラックスワンのサーブから始まった。


サービスゾーンの中央に立つメリーサ。


その褐色の肌に、ぎらぎらと光る眼を初めてみた神山陽子が、声を震わせた。

「秀美さん、あいつのあの眼つき、ちょーヤバイすよ」

続けて立花みゆき、関根由美が怯えながら話した。

「他の子たちの態度も普通じゃないわ。うちの子たち、大丈夫かしら」


そんな不安をはね返すように、二階席のフェンスに身を乗り出した斉藤秀美が、下のコートへ向かって叫んだ。

「みんな、聞こえる! 来るよ、ドロップサーブ。負けんじゃねえぞ!」 


その大きな尻を、懸命に支える神山陽子と菅野千野。


ホイッスルが鳴り、メリーサがサーブの構えに入った。


右足を軽く前にだし、次いで左足に体重を移動しながら、自分の真上ボールを高く上げた。

肩、腹、背中の筋力を使い、右手首のスナップで前回転をつけてボールを打つ。

狙うは、センター栞菜。


栞菜が腰を落としてレシーブに入る。

その1mも手前で、ボールが猛スピードで直角に落ちた。

落ちたボールがみなもの足元へはね返ってくる。

1:0


ボールの落下点をただ見つめる栞菜。

みなもが栞菜に走り寄り、何か話しかけている。


その姿をみた神山陽子が嘆いた。

「あの栞菜が、何もできないよう」

「落ちるスピードが早すぎる」

「あいがもが拾えなかった理由がわかったわ」


メリーサ、次のサーブも栞菜狙い。


栞菜は、1m先に落ちるボールをただじっと見つめた。

2:0


その姿をみた大城監督が、慌ててタイムを要求。


「栞菜、何をやってんだよ、おまえは。ただ突っ立ってるだけかあ」

メリーサのドロップサーブに何も反応しない栞菜を怒鳴りつけた。

その大城監督に、みなもが反発する。

「監督、栞菜は、あのボールをちゃんと見てるから」

「みなも、それはどう言うことだ」


みなもの横から、いきなり美月がしゃしゃり出てきて口を挟んだ。

「監督、栞菜、次はカットして反撃するから安心して。それより、うちら、優勝したらギョーザを一〇〇個食うからね」


大城監督が唇をへの字に曲げて美月をみた瞬間、三〇秒間のタイムアウト終了のホイッスルが鳴った。


大城監督が右手を差し出す。

「行け!」

「おお!」


新宿バンビの六人がコートへ戻ってゆく。

控えの紬と桜子は、力いっぱい手を叩き、力いっぱい声を張り上げ、ファイト、ファイトを連呼して送り出す。


八王子ブラックスワン、メリーサのサーブで試合が再開された。


栞菜を振り向き、頷いてみせるみなも。

栞菜も頷き返す。


メリーサの、強烈なドロップサーブが、スピードを変えず、栞菜のかなり前を直角に落ちてゆく。


同時に、栞菜が右足から跳び込んだ。

右足の甲で蹴り上げる。


内海が、両手を叩いて叫んだ。

「その手が、じゃなくて、足があったかあ!」


みなもが右指を上げた。

すぐに起ち上がって走りだす、栞菜。

この時、セッター真夏が叫んだ。

「Aだよ」


みなものトスボールと一緒にジャンプした栞菜のAクイック。

眼前に、八王子ブラックスワンの三枚ブロック。

その完璧な壁に阻まれた栞菜のAクイックが弾き返された。

3:0


足下に落ちたボールを睨みつけ、唇を噛みしめる、みなも。


再びメリーサのサーブ。


この時、サーブゾーンに立つメリーサの顔が動揺で強張っている。

得意のドロップサーブが、初めてレシーブカットされた。それも下級生の栞菜に、足で。

メリーサは、自分のドロップサーブがカットされたら、他の五人も通用しなくなることを危惧した。


さっきと同じように左足を踏み込み、さらに前回転をつけて打ち込んだ。


栞菜は、ボールがネットを越えたタイミングで右足から滑り込み、蹴り飛ばす。


すぐ起ち上がり、走る。


みなものサインはブロード。

みなもの背後から右へ回り込む。

その栞菜の動きに合わせ、メリーサと真夏がブロック。

ブロードが壁に当たってはね返る。

4:0


コートに落ちて転がるボールを見つめながら、首を傾げるみなも。

すぐ栞菜に走り寄り、何か話しかけた。


新宿バンビの応援席から観察していた内海が、呟いた。

「美南、あれ、みなものサインが読まれているよ」

代わりに千里が頷いた。

「確かに。あのクイックが二度もブロックされたし。みなも、早く気づけよ」

「大丈夫。これで二回目。みなもなら、きっと何とかする」

美南は、みなもの采配を信じて見つめている。


再びメリーサのサーブ。


二度、ドロップサーブをレシーブカットされ、自尊心を傷つけられたメリーサに動揺が走る。


主審のホイッスルが鳴った。


ボールを高く放り上げ、突然走り出してメリーサが跳んだ。

ジャンプドロップサーブ。


ボールがネットにかかり、八王子ブラックスワン側のコートに落ちた。

4:1


それを見た田中監督が腰を上げたが、タイムは要求しなかった。


初めてのジャンプドロップサーブに、八王子ブラックスワンの五人も驚いている。


内海が膝を叩いて喜んだ。

「美南、メリーサのやつ、ドロップサーブをカットされて焦りだしたぜ」

「違うと思う」

「違う?」

「メリーサは試している」

「何を」

「今までのドロップサーブが、栞菜のキックカットで拾われたから、新たなドロップサーブを試しているのだと思う」


今度は千里が驚いて美南を振り向いた。

「新しいやつって、もしかして、さっきのジャンプサーブのこと」

「たぶん。ジャンプサーブに前回転をつけて、もっと強力なドロップをかけるつもり」

「マジかよ。全日本並みじゃん」


ホイッスルが鳴り、新宿バンビ美月のサーブ。

力いっぱいバックライトへ打ち込んだ。


「亜科」

センター倫子が叫んでカバーへ入る。

低く腰を沈めた亜科が丁寧にレシーブ。

ボールを受けたセッター真夏、低い体勢から伸び上がるようにトス。

「行け、メリーサ」


助走をつけた長身メリーサの強烈なスパイクが、栞菜を直撃。


「高い!」

「早い!」

館内に驚嘆のため息がもれた。


上半身をのけ反って何とかレシーブしたが、ボールの勢いで手がもっていかれ、左に転がっていった。

5:1


八王子ブラックスワン、真夏のサーブ。

真夏は、ドロップサーブを、バックレフト陽菜の前方へ落とした。


足が止まってまったく動けない陽菜。

栞菜が跳んだが間に合わない。

6:1


「何やってんだよ、陽菜。しめんぞ」

いきり立つ神山陽子の肩を叩いて窘めながら、斉藤秀美が嘆いた。

「陽子ちゃん。陽菜を責めないで。あいがもや白山エンペラーズでもどうにもならなかったサーブだもの、陽菜や結愛じゃあ、どう考えてもムリだよ」


斉藤秀美は、それから再びコートへ顔を戻し、

「栞菜、がんばれ」

そう呟いた。


みなもは考えた。

栞菜が、バックの陽菜や結愛をカバーしていたら攻撃が手薄になる。

相手は優勝することを目標に練習してきた八王子ブラックスワン、勝つための方法は一つだけ。


みなもはすぐ陽菜と結愛の元へ向かった。

「陽菜、結愛、いつまでも栞菜に甘えないで。自分たちのやる事をちゃんとやって」

今にも泣きだしそうな顔で、頷き返す陽菜と結愛。


サーブを要求するホイッスルが鳴る。


真夏のサーブ。

今度は、バックライト結愛を襲う。

直角に食い込むボールの前で、前屈したままフリーズする結愛。

7:1


栞菜がみなもの元へ走り、早口で言った。

「みなも、このセット、落としても構わないから、私の好きにさせて。監督には後で謝るから」

「わかった。栞菜、うちが責任とるから、やっちゃって」


二人のやり取りを傍で見ていた美月が、

「責任はキャプテンのアタシがとる。行けよ、栞菜、みなも」

「うん」


再び真夏のサーブ。

今度は、陽菜がターゲット。

真夏は、白山エンペラーズにそうした様に、相手を前後左右に揺さぶる作戦だ。


腰を落として陽菜が身構えた。

真夏の放ったボールが、山形にネットを越えた瞬間、栞菜が動いた。


栞菜、陽菜の前で跳び上がり、急角度でドロップする直前のボールを空中で蹴り飛ばした。


「跳び蹴りだあ」

ヤンキー時代の血が騒ぎだした、神山陽子。


栞菜が蹴ったボールは大きくはね返り、相手コートのバックライト亜科の前に落ちた。

予想外の状況に慌てた亜科が、フライングレシーブ。

ボールはサイドラインを割って外へ流れた。

それを見たメリーサが舌打ちすると亜科を睨みつけた。

7:2


内海が笑いながら美南に話しかけた。

「あのメリーサが怒っているぞ。栞菜、あのサーブに眼が慣れてきたみたいだ」

「前から思っていたけど、栞菜の動体視力は普通じゃないから」


横から千里が口を挟んだ。

「動体視力ばかりじゃないよ、反射神経もズバ抜けている」

「ああ、自分もあそこに立ちたかったなあ。もっと試合がしたかったよう美南。ブラックスワンにリベンジしたいよう」


新宿バンビ、愛花のサーブ。

何とか追い上げたいと焦った愛花のサーブがネットに引っかかった。

8:2


サーバーは八王子ブラックスワン、フロントライトのヒロミ。

ヒロミも長身で、165cm。

サービスゾーンへ向かうヒロミを、メリーサが呼び止め、耳打ちした。頷き返すヒロミ。


ホイッスルが鳴り、サーブを打ち込んだ。


ボールは、栞菜の手前で鋭く落ちた。

右足でキックカット、走る。

みなものサインは、Aクイック。

それに合わせるように、メリーサたちが三枚ブロックに跳ぶ。

その手前で、一瞬足を止めた栞菜の、一人時間差。


慌てたメリーサ、再度ジャンプして両手を伸ばすが、間に合わない。

8:3


みなもが、何かを考えるように下を向きながら、ゆっくりサービスゾーンへ歩いてゆく。

ボールを両手に持ったままコート側へ向き直り、凛とした表情で相手コートを睨みつける。

その雄姿をみた神山陽子が呟いた。

「みなも、カッケー」


サーブを要求する主審のホイッスル。


「来るよ、天井サーブ」

サービスゾーンのみなもを見つめながら、メリーサが叫んだ。

バックゾーンの亜科と朱里が腰を下げ、天井を見上げた。


みなもが打ち上げたボールは、天井からネットの真下へ落下した。

ボールがネットの頭に当たり、一瞬静止したと思った直後、相手コートセッター真夏の前に落ちた。

真夏、必死に跳び込んだが間に合わない。

8:4


盛り上がる新宿バンビ応援席。

誰もが、みなものサーブが相手コートへ落ちたのをまぐれだと思って喜んだ。


だが、みなもの二発目も同じようにネットの頭に当たり、今度はフロントライトヒロミの前に落ちた。

それがまぐれではないと気づいたメリーサの顔が強張った。


内海は、右膝を叩いてうなり声をあげ、

「やるなあ、みなも。最初からネットぎりぎりを狙ってやがる。あそこはレシーブが難しい」

「みなもと栞菜は、賭けにでた。この試合、尋常では勝てない」


この時、メリーサが田中監督に眼で合図を送り、タイムを要求した。


メリーサは、ヒロミをレフトへ、センター倫子をライト、そして自分はセンターにポジション替えを要求した。

理由は、二つ。

みなものネット狙いが毎回成功するわけはないこと、そして次に控える栞菜のブーメランサーブに対抗するためだ。


30秒間のタイムアウトが終了し、八王子ブラックスワンの六人が各々のポジションについたのを見た館内が、どよめいた。


千里は、

「ブラックスワン、初めて追い上げられ、ちょっと焦りだしたかな」

「違うと思う。メリーサがこの試合を楽しんでいる」

「え、美南、それってどう言うこと?」

「メリーサは、内海やエンペラーズを相手にしてもこんなに得点を取られたことはなかったから、全力で張り合える相手が現れて嬉しいはず」

「なんか、アブない性格」


みなもの連続天井サーブ。

ボールが落ちてくるのを見上げながら、メリーサが怒鳴った。

「倫子、どいて!」


驚いた倫子が右へ動いたその横を、メリーサが滑り込んでゆく。

ネットすれすれに落下するボールを右足で蹴り上げた。

「真夏」


メリーサの繋いだボールを真夏が高いトス。

起ち上がったメリーサ、その場でジャンプ。

強烈なスパイクが結愛を直撃。

決まったと思った瞬間、メリーサの目に、突然栞菜の姿が写った。


「ちっ」

舌打ちするメリーサ。

栞菜がこれをレシーブ。

そして走る。


「Aだよ」

真夏がヒロミに声をかけ、ブロックに跳んだ。

この時、栞菜は大きく右へ走り、流れるようなスパイクを亜科の手前に打ち込んだ。

8:5


千里が手を叩いて喜んだ。

「みなも、敵の裏をかいたぜ」

「サインを変えたんだよ」

「短時間でよくやるよなあ」


足下に転がるボールを蹴りとばし、メールが憤怒の表情で栞菜を睨みつける。


敵を威嚇する黒豹のような形相をみた斉藤秀美が、うなり声をあげた。

「あのメリーサって子。将来、全日本のコートに立つかもね」


勇太は、眼前で展開する試合を取材しながら、小学生の大会が、これほど熾烈に勝敗を競い合うものかと驚いた。

そうして、試合が進むたびに、子供たちが勇ましく見えてくる。


みなもの天井サーブが、ネットの頭にかかり、こっち側のコートに落ちた。

斉藤秀美たちの肩から力が抜け、ため息がもれた。

9:5


サーバーは八王子ブラックスワン倫子。


倫子は、バックゾーンの陽菜と結愛の間を狙う。

そのボールを、陽菜と結愛がにらみ合いっ子。

栞菜のカバーが間に合わない。

10:5


この後、倫子の連続サーブで、新宿バンビは大量得点を奪われた。

倫子は、栞菜のカバーが間に合わない、バックゾーンのサイドラインぎりぎりを狙い、揺さぶりをかけた。

16:5


「ちくしょう、ブラックスワンの一番のやつ、こっちの痛いところを突いてきやがる」

神山陽子が、二階席のフェンスを叩いて悔しがる。

斉藤秀美は両腕を組みながら唇を噛みしめ、コートを睨みつけている。 

「涼子ちゃん、このままでは、栞菜が疲れてしまうよ」

「みなも、早くなんとかしろよ」

「陽子ちゃん、みなもだって考えながらやっているんだから、ムリ言わないの」

「だって秀美さん、これじゃあPK戦と同じでさ、相手がどこに打ってくるかわからないすよ」


この時、しばらく静観していた水嶋涼子が応えた。

「陽子ちゃん、相手がどこに打つのか、わかるわ。バックのライトかレフトどちらかのサイドラインよ。それ以外なら、栞菜がカバーできるから。そのボールの軌道は、栞菜より前のポジションにいるみなもなら先に読めるはず」


ホイッスルが鳴り、倫子がサーブを放った。


水嶋涼子の思いが届いたのか、そのボールの軌道を、みなもがネット越しに睨みつけている。

ボールがネットを越えた瞬間、振り向いた。ボールは、バックライトのサイドラインへ落ちた。

17:5


次も同様に確かめた。今度はバックレフトのサイドラインへ落ちた。

18:5


みなもは、ネットの上を通過するボールの位置で、落ちる位置を予測できた。これなら栞菜に合図を送ることができる。

ただ、問題は、エンドラインを狙われたら、さすがに栞菜でも間に合わない。


新宿バンビは、栞奈のブーメランサーブを一度も打つことなく、第一セットを、21:5で敗れた。


三二


コートチェンジが行われた三分間のインターバルの間に、みなもはメンバーを集めた。

クイックのサインを変えたこと、ドロップサーブが、左右どちらのサイドラインに落ちるかを教えるサインについて説明した。


力強く頷いた美月が、力強く言った。

「たまにはこっちにもトスを上げてよ。あいつらの顔面にぶち込んでやるから」

「うん、ミーちゃん、ありがとう。陽菜、結愛、さっき栞菜が言ったように、自分にきたボールをちゃんとうちにつないで。それだけでいいから」

「はい」


緊張のし過ぎで、陽菜の身体が左右へ小刻みに震え始めた。

その肩を抱き押さえながら、栞菜がこう言った。

「大丈夫だよ。次は必ず取り返すからね」


この光景を二階席から眺めていた勇太は、新宿バンビの結束力が、一段と固まったような気がした。


長いホイッスルが鳴り響き、大城監督が右手を差し出した。

「ようし、最後だ、思いっきりやってこい」

「おお!」

「行け!」


八王子ブラックスワン、新宿バンビの六名がそれぞれのコートに向かって行く。


メリーサは、再びフロントレフトに立った。センターは倫子、ライトはヒロミ、いつものポジションに戻った。



主審のホイッスルで第二セットが始まった。


サーバーは美月。


「ふん!」

鼻息を荒げて打ち込むジャンプサーブを、バックライト亜科が正確にレシーブカット。

ボールを受けたセッター真夏の、高いトスが上がる。

助走からジャンプしたメリーサ、その最高到達点から打ち込む弾丸スパイク。


「来るよ、栞菜!」

思わず斉藤秀美が身を乗り出した。


ボールを受ける瞬間、ぐいっと腰を下げ、威力を軽減してレシーブ。

走る。


突然、美月の背後から栞菜が現れ、メリーサと真夏が慌てた。

みなものサインを見逃した。



「ヒロミ、Bだ」

焦ったヒロミがブロックに跳んだが間に合わない。

素早いボールは、亜科の手前を貫いた。

0:1


「やったあ!」

「先に得点した」

拳を突き上げて喜ぶ斉藤秀美と神山陽子。


再度、美月のサーブ。

今度は倫子の顔面を強襲。

堪らず両肘を立て、ブロック。

右へ弾けたボールを、亜科とヒロミが追いかけたが間に合わない。

ボールはサイドラインを飛び越え、コートの外へ転がっていった。

0:2


この時、今大会初めて、田中圭吾監督がタイムを要求した。


美南は、第二セットの試合状況を分析して言った。

「もしかしたら、このセット、新宿バンビが奪うかも」

驚いた内海が美南の顔を覗いた。

「え、なんでだよ美南。まだ始まったばかりじゃん」

「そうだよ、まだわからないよ。あの監督とメリーサが、そう簡単に負けないと思う」


美南は、内海と千里の意見には応えず、試合が再開されたコートを見つめた。


美月のサーブ。

メリーサとバックレフト朱里の間を狙う。


突然、身体を入れ替えたメリーサが、そのボールを右足でキックカット。

そのボールの軌道を追いかけた真夏、斜めの体勢からヒロミにトス。


その乱れたトスボールを、ヒロミが結愛の前に打ち込んだ。


目の前に迫るボールに向かい、結愛が腰を落として構えた。


「結愛!」

思わず娘の名前を呼ぶ菅野千野。


ボールの勢いで、結愛がひっくり返った。

その水平に飛んでくるボールの真下に入ったみなもが、しゃがみ込んだ体勢からトスを上げる。

栞菜が跳ぶ。

ネットの頭すれすれからBクイック。


この時、眼前にメリーサが、いた。


メリーサは、栞菜の動きに合わせ自分も走って跳び、その高い位置からブロックに入った。

栞菜の打ち込んだボールは、メリーサの一枚ブロックに阻まれ、足下へ転がった。

1:2


サーブ権が八王子ブラックスワンに移った。


メリーサの、強烈な回転をつけた、ランニングジャンプドロップサーブ。

ボールは、栞菜の1m先で、突然つんのめるように落ちた。

落下地点を凝視する栞菜。

2:2


「スゲェ、あんなの、いくら栞菜でもムリだよ」

神山陽子が頭を振りながら嘆いた。

「何言ってるの。ぜったいあきらめないで。小学生が打ったボールを小学生がカットできないわけはないんだよ。栞菜、がんばって!」

できる限りの声を張り上げ、応援する斉藤秀美。


メリーサがサービスゾーンに立った。

栞菜、いつものセンターのポジションから一歩下がり、構えた。


メリーサ、再びジャンプドロップサーブ。


次の瞬間、栞菜が前へ動いた。

ボールが落ちる位置を予測して左足から滑り込む。

足に当たったボールは、斜めに跳ね、レフト側のサイドラインへ弾けた。

そのボールを、陽菜が必死に追いかけた。


「陽菜!」

思わず娘の名を叫ぶ神山陽子。


陽菜、低飛行で飛んでくるボールを、左足で蹴り返す。

「おお、陽菜」

神山陽子は、左右に頭を振り乱しながら娘の名を呼んだ。


そのボールを、しゃがみ込んだみなもがアンダーで相手コートへ打ち返す。


「チャンス!」

倫子がオーバーで上げたボールを、真夏がメリーサへジャンプトス。

メリーサ、起き上がっばかりのた栞菜を目がけ、マッハスパイク。


両腕で抱き起こすようにレシーブする栞菜。

ボールはネット際へ飛んだ。

みなも、ネットの真下、しゃがんだ体勢から伸び上がりながら美月に高いトス。

「この野郎!」

いきり立つ美月、力いっぱいボールを打ち込んだ。


素早く反応した朱里が絶妙なレシーブ。

高く上がったボールを、メリーサがツーでスパイク。

結愛が動けない。

3:2


再びメリーサのサーブ。

栞菜は、飛んでくるボールの軌道は把握できたが、回転のついたボールを、みなもへ正確につなぐことができない。


新宿バンビは、メリーサの連続サーブで引き離された。

8:2


大城監督がタイムを取った間に、みなもと栞菜の作戦会議が始まった。


その様子を二階席から見守りながら、斉藤秀美がぼやいた。

「ダメだよ。あっちのレベルが高すぎる。バックの子でさえ、美月のスパイクが通用しないもん」

「秀美さん、そんなにがっかりしないで。相手チームは、全員、あの田中監督に選ばれた六年生なんだから」

「涼子ちゃん、静江さん、栞菜とみなもに頼りきりで申しわけないよ」

「新宿バンビは個人じゃなくてチームよ、これから六人が力を合わせてがんばってくれるわ」


ホイッスルが鳴り、メリーサがサーブの構えに入った。

栞菜を狙い、打つ。


速攻で栞菜が反応した。

両足を揃え滑り込む、スライディングキックレシーブ。

合わせた両足の隙間でボールの回転力を減らし、蹴り上げる。


受けたみなも、愛花へバックトス。

流れるような愛花のサウスポースパイクが、亜科の手前をヒット。

8:3


この後、愛花とみなものサーブで連続得点し、両チームが得点の取り合いで中盤戦をむかえた。

16:13


サーバーは新宿バンビ、栞菜。

試合が始まってから、初めてのサーブだ。


サービスゾーンに立つ栞菜を、仁王立ちで睨みつけるメリーサ。

豹の眼光を放ち、自分に打ってこいとその眼が言っている。


栞菜、左手にのせたボールを目の高さに持ち上げ、右底を右手刀で斬り叩いた。

ボールは、アンテナの手前上空を旋回しながら急角度で落ちてゆく。


ボールの軌道を睨みつけるメリーサ。

突然走った。

高速回転で斜めに斬り込んでくるボールが落ちる前に跳び上がり、左足で蹴り飛ばした。


「二段蹴りだあ!」

興奮した神山陽子の叫び声。


強い回転力でボールが弾け、アウトラインの外へ飛び出た。

16:14


栞菜の連続サーブ。

跳び蹴りを何度も繰り返すメリーサ。


その姿を眺めながら、内海が唸った。

「メリーサのやつ、必死だな。蹴る角度を微妙に変えながら試している」

「先に一セットを取っているから、余裕があるのさ。でなければあんなのできないよ、なあ美南。今のうちにブーメランサーブを攻略しておけば、三セット目は必ず勝てると思っているに決まってる」


16:17

新宿バンビ、追い抜いた。


栞菜は、メリーサがドロップサーブを自分にしか打たないことを知っていたから、メリーサしか狙わない。


主審のホイッスルが鳴った。


ブーメランサーブの構えに入る栞菜。

胸をせぐり上げ、大きく深呼吸する。


斉藤秀美は、その栞菜に視線を向けたまま、隣の水嶋涼子に嘆いた。

「栞菜、かなり疲れてきたねえ。右手は大丈夫かな」

「秀美さん、みなもが止めない限りは、大丈夫よ。あともう少しの辛抱。栞菜」

そう言いながら水嶋涼子は、両手を握りしめ、娘の名前を呟いた。


栞菜が放ったボールは、空中で大きく旋回しながら、メリーサの背後へ戻ってきた。


慌てて振り向くメリーサ。

タイミングが合わず、跳び上がれない。

センター倫子がカバーに入り、何とか手に当てたが、ボールはサイドラインを割り外へ流れた。

16:18


ふと美南が顔を上げた。

いつもは、点をとる度に盛り上がる、新宿バンビの応援席が静かだ。

振り向いたら、斉藤秀美たちが両手を握りしめながら、祈るようにコートを見つめている。

その姿をみた美南の顔が、少し和んだ。


三三


栞菜は、ブーメランサーブの軌道を、打ち方の角度で自由に変化できるような気がした。

今度は、メリーサのネット手前を狙う。


頭上を見上げ、ボールの軌道を予測するメリーサ。

高い空間を旋回しながら、こちら側のネット前へ戻ってくる。


左足を伸ばし蹴り上げようとしたが、当てたボールがネットに引っかかった。

16:19


足下を転がるボールを睨みつけるメリーサ。ボールをうまくカットできない。それは、回転力が強すぎるからだ。この屈辱、初めての屈辱。


メリーサは必死に考えた。あのボールを正確に真夏へつなぐため、回転力に逆らわずカットする手段を。

この時メリーサは、このセットを落としてもいいと思った。


心配した真夏と倫子、ヒロミが走り寄り、声をかけたが、返事がない。

メリーサは、ただコート先の栞菜を見つめている。


ホイッスルの音が聞こえた。

真夏たちが、自分たちのポジションへ戻ってゆく。


栞菜がサーブを打った。

ボールは再びメリーサの背後へ落ちてゆく。

振り向くだけのメリーサ。

ただじっとボールの行方を睨みつけている。

床に落ちたボールは、倫子、亜科へと転がり、サイドラインを越えた瞬間、ラインズマンが拾い上げた。

16:20


八王子ブラックスワンを相手に、第二セットのセットポイントを迎えた新宿バンビ。


「栞菜、落ちついて」

「しっかり栞菜」

美南が振り向いたら、斉藤秀美たちから、やっと声援が聞こえてきた。


「あと一点か」

内海が、珍しく興奮した顔で身を乗り出した。

千里は歯軋りしながら、サービスゾーンに立つ栞菜を見守っている。


栞菜は、ホイッスルが鳴った次の瞬間、渾身のブーメランサーブを放った。


いつもより高い軌道を旋回して戻ってくるボールが、メリーサのレフト側のアンテナを直撃するかに見えた。


見送るメリーサの眼前で、アンテナ手前のネットにボールが突き刺した。

呆然と立ち竦むメリーサ。


高らかなホイッスルの音で我に戻った。

足下に落ちたボールをただ見つめている。。

真夏と倫子が走り寄る。

メリーサの耳に、真夏たちの悲鳴が聞こえない。

16:21


新宿バンビ、都大会決勝戦の第二セットを取った。


三四



主審のホイッスルで、第三セットが始まった。


「さあ、泣いても笑っても、これが最後。みんな、声が枯れるまで応援するよ」

斉藤秀美が、他の母親たちを鼓舞して起ち上がる。

その斉藤秀美につられ、応援席の全員が腰を上げた。


第三セットのサーブ権は、再び両チームのキャプテン同士のコイントスで決定する。

サーバーは新宿バンビ、美月。

失敗してもいいからメリーサを叩き潰す。

美月は、ランニングジャンプサーブで、自分の全体重をのせた重いボールを、長身メリーサの胸元を目がけ打ち込んだ。


メリーサ、上半身をそり返しながら受け、セッター真夏へボールをつないだ。

そして走る。

みなもが、メリーサの動きを見つめたまま、後ろの栞菜にサインを送る。

メリーサ、高い空間から、結愛の前へボールを放り込んだ。

この時、まだ空中にいるメリーサの視界に、突然、栞菜が現れた。

「ちぃっ」

舌打ちするメリーサ。

結愛の眼前に移動した栞菜が、上半身を左へ回しながら、ボールを力いっぱい左拳の甲で叩き返した。


「裏拳だあ!」

神山陽子の血が、また騒ぎだした。


栞菜の繋いだボールを、みなもが美月へ高いトスを上げる。

身体を揺さぶりながら、ジャンプした美月、渾身のスパイク。

アタックラインまで下がっていたメリーサがレシーブ。

ボールは、そのままトスボールになり、フロントライトのヒロミにつながった。

ヒロミが、空中で身体を捻りながら、左手で打ち返す。

ボールは、陽菜の背後、エンドラインの真上に落ちた。

1:0


今度はメリーサのサーブ。

栞菜に向かって、ランニングジャンプドロップサーブ。

ネットの真上を飛び越え、勢いをつけ、いつもよりさらに前方へ落ちた。

栞菜、咄嗟にキックカットしたが間に合わない。

2:0


この時栞菜は、次のサーブに備え、両膝のサポーターを少し下へずらした。

メリーサの連続サーブ。

さっきと同じ軌道で栞菜を襲う。


素早く栞菜が、足から滑り込んだ。

急角度に落ちるボールを、スライディングキックカット。

ボールはまだ生きている。

栞菜がキックカットしたボールを、みなもが愛花へバックトス。

低いトスボールを、愛花がサイドラインへ押し込んだ。

朱里が間に合わない。

2:1


「すげぇなあ、栞菜、だんだん決まるようになってきたぞ、あのスライディング」

内海が、参ったとばかり、額に手を当て、苦笑いしている。


愛花のサーブ。

真正面に飛んできたボールを、バックライト亜科がレシーブ。

セッター真夏へ繋いだ。

メリーサが下がる。

真夏、後方へ向かって高いバックトス。

その動きを見たみなもが、栞菜に、

「バックアタック!」

アタックラインの手前でメリーサが高らかにジャンプ。

滞空時間が長い。

高い到達点から、全力で弾丸スパイクを打ち込んだ。


栞菜が前へ出る。

弓矢のごとく飛び込んでくるボールに両手首を添えながら、上半身、腰、膝の順で低く落としながらレシーブカット。

栞菜が繋いだボールを、みなもが、誰もいない真上へトス。

そのボールの行方を追いかけるメリーサと真夏。

次の瞬間、二人の視界に、みなもの背後から突然、栞菜が現れた。

みなもの陰に隠れて見えなかった。

栞菜、一人時間差Aクイック。

メリーサの手前に素早く打ち込んだ。

慌てたメリーサが左足を差し出すが、届かない。

主審のホイッスル。

2:2


愛花のサーブが続く。

メリーサがレシーブして、走る。

セッター真夏の高いトス。

美月と愛花の二枚ブロックの上から、バックレフト陽菜へマッハスパイク。

ボールは、足が止まってしまった陽菜の手前に、大きな音をたて炸裂した。

栞菜は、必死にカバーについたが間に合わない。

泣きだしそうな顔で栞菜を見つめる陽菜。

栞菜は、陽菜の両手を握りながら、大丈夫だよ、頑張ろう、そう言って勇気づける。

3:2


ブラックスワン、真夏のサーブ。

真夏のドロップサーブが、陽菜の前に落ちた。

陽菜、さっきと変わらず足が動かない。

4:2


ここで大城監督が副審に、メンバーチェンジを申し出た。

狙われ始めた陽菜を下げ、控えの紬を呼んだ。

第三セットは一五点先取。大城監督は、このまま点差が広がるのは、さすがにまずいと思った。

緊張した紬が大城監督に挨拶すると、すぐに副審によるメンバーチェンジの登録が行われた。

悔しくて、泣きながら交代する陽菜。

チームベンチへ戻る陽菜へ、二階応援席から温かい拍手が送られる。

「陽菜、よく頑張ったよお」


応援席の端で、初めてコードに立つ娘の姿をみた関根由美は、まるで自分のことのように緊張して手に汗をかいている。

一番心配なのは、交代した紬が狙われ、栞菜の足手まといにならないかと言うことだ。

それを察した水嶋涼子が関根由美の肩を叩いて笑いかけた。

「由美さん、紬を信じて、一緒に応援しましょう」


試合再開のホイッスルが鳴る。

真夏のサーブ。

遠慮のないドロップサーブが、交代したばかりの紬を襲う。

栞菜が、カバーに入るのは予測している。

栞菜の手が届かない、エンドラインぎりぎりにドロップサーブを落とす。


ネット越しにボールの軌道を読んだみなもが、いち早く栞菜に合図を送る。

「栞菜、エンドライン」

振り向いた栞菜、相手に背を向けたままエンドラインへ走る。

上を見上げ、ボールが落ちてくるのを確かめると跳び上がり、バック回転しながら左足で蹴り飛ばした。


思わず腰を浮かせた内海と千里が同時に叫んだ

「オーバーヘッドキックかよ」

高く山形(やまなり)に飛んでくるボールを、みなもが美月へトス。

「この野郎!」

美月、わめきながら力いっぱいボールを打つ。

高い角度から、尾を長く引きながら飛んでゆくそのボールが、亜科の胸元を直撃した。

亜科、思わずのけ反ったが拾えない。

4:3


新宿バンビ、みなものサーブ。

みなも、天井サーブを、フロントライトヒロミの真上に落とす。

ネットの真上へから、自分に向かって落ちてくるボールを見上げるヒロミ。

その時、頭上でボールがいきなり左右にぶれ、一瞬ボールの軌道を見失った。

ボールが、ヒロミの頭越しに背中へ落ちた。

唇を噛み締め、悔しがるヒロミ。

4:4


みなも、今度はバックレフトの朱里を狙う。

朱里もヒロミ同様にボールを見失い、レシーブミス。

4:5


みなもの三回連続の天井サーブ。

今度もまた、朱里の頭上に落とした。

この時、メリーサが動いた。

朱里の背後で構え、落下してくるボールの軌道を睨みつける

頭上でボールがぶれた。それを見上げたまま、右へ二歩移動する。

メリーサがレシーブの構えに入る。

微妙にぶれながら落ちてくるボールに合わせ、腰を落とすと同時に両手をポンと差し出した。

メリーサは、ボールの落下速度に合わせて両手を下げながら乗せ、持ち上げた。

「真夏、ブロード」

セッター真夏の名前を呼んだ。

レシーブと同時にライト側へ回り込むメリーサ。

真夏のトスとほぼ同時に跳び上がる。

メリーサは、ライト側のサイドラインへクロスを打ち込んだ。

5:5


「ぶぎょお!」

斉藤秀美が意味不明な言葉を口走り、上半身をのけ反った。

「今度は、メリーサがブロードを決めたよ」


今度は、ヒロミのサーブ。

咄嗟に反応した栞菜、ヒロミのドロップサーブを拾い、自ら走って一人時間差Aクイックを決めた。

5:6


栞菜にサーブの順番が回ってきた。

サービスゾーンに向かう栞菜。

この時誰もが、栞菜のサーブで得点を連取できると確信していた。


栞菜の放ったボールは、いつもより高く舞い上がった。

その旋回してくるボールをじっと見つめていたメリーサが、自ら頷いた。

落下地点を予測すると走って跳び上がり、回転するボールを、胸で受け止める。

カバーについた倫子が、その弾けて落ちるボールを、ヒロミにトス。


ヒロミ、紬のサイドラインへ打ち込む。

同時に、栞菜が動いた。

この時、カバーに走ろとした栞菜の足がもつれ、転倒した。


「栞菜!」

驚いたみなもが栞奈の名を叫んで走り寄る

美月、愛花たちも集まり、栞菜の様子を心配した。

「栞菜!」

「栞菜!」

斉藤秀美たちが二階席から覗き込みながら、祈るように栞菜の名前を呼び続けた。


立ち上がってコート様子を覗っていた内海は、美南に

「栞菜、疲れが足にきたみたいだな」

美南の代わりに千里が応えた。

「得意のブーメランサーブが敗れちまったんだぜ、栞菜、ショックだろうな、」


この時、大城監督がタイムを取り、栞菜の足の具合を確かめた。

栞菜は、大丈夫を連発して椅子から立ち上がるとステップを繰り返し、今にも泣きだしそうな紬に笑顔を向けた。

みなもは何も言わず、試合続行の判断を栞菜に任せた。

それから八王子ブラックスワンのサービスゾーンを見た。

そこには、倫子がいて、ボールを床に向けて叩いていた。

倫子は、間違いなく紬を狙う。勝つためには手段を選ばない。

みなもは、それは自分も同じだと思った。勝つために、栞菜を止めない。


ホイッスルが鳴り、試合が再開された。


倫子のサーブ。

試合に慣れない紬を、直接狙ったドロップサーブ。


次の瞬間、滑り込んだ栞菜が左足で蹴り飛ばした。

床と水平に飛ぶボールを、みなもが膝で受けた。

ボールが左斜めに跳ね上がり、美月が相手コートへ叩き込んだ。

倫子、必死に跳び込んだが、間に合わない

6:7


新宿バンビ、緊張した紬がサーブボールをネットへ引っかけた。

7:7


サーバーは八王子ブラックスワン、亜科。

ターゲットは、倫子と同様に紬。

1m手前にドロップサーブを打ち込む。

その軌道を先読みしたみなも、栞菜に指で合図を送る。


栞菜、左足でキックカット。

同時に走る。

この時、メリーサと真夏が動いた。

それを見たみなもが美月へトス。

美月の強烈なスパイクは、亜科の顔面を直撃した。

亜科が顔を押さえながら膝をついた。

倫子と朱里が走り寄り声をかける。

亜科は、左手で顔を庇いながら、右手を振った。それを確認した倫子と朱里が自分のポジションへ戻って行った。


7:8

結愛のサーブ。

倫子、真夏、メリーサの、一、二、三の攻撃が決まり、八王子ブラックスワン朱里のサーブ。

8:8


この後、朱里のサーブが決まり、新宿バンビは13:8と引き離された。


たまりかねた大城監督が、二回目のタイムを要求した。

栞菜たちに指で指示する大城監督を眺めていた千里は、落胆したように声を落として言った。

「新宿バンビも頑張ったけど、ここまでかなあ」

「まだ終わっていないよ」

「美南、あっちはあと二点だぜ」

「でもこっちには、栞菜とみなもがいる」

タイムアウトのホイッスルが鳴り、メンバーたちがコートへ戻った。

朱里のサーブ。

朱里は、タイム終了直後のサーブでコンビネーションを崩し、打ったサーブがサイドラインを大きく外れた。

13:9


美月のサーブ。

美月は、いつものジャンプサーブをやめ、いきなりフローターサーブに切り替えた。

フォーメーションが崩れた朱里が、ボールを弾いた。

13:10

美月のフローターサーブで連続得点した新宿バンビが追い上げる。

13:12

「ぶおお」

野獣の雄叫びを上げる斉藤秀美。

最後に見る、娘の活躍で、泪が溢れている。

「頑張れ」

「頑張れ」

盛り上がる新宿バンビの応援席。

美月のフローターサーブが続く。


バックレフト朱里がレシーブ。

真夏がメリーサにトス。

メリーサの強烈なスパイク。

栞菜がレシーブカット。

そして走る。

みなもの背後から現れ、突然のCクイック。

センター倫子のブロックが、間に合わない。

13:13

早い展開で巡り回る動きに、斉藤秀美たちがついていけない。

勇太は、子供たちの雄姿を見逃すまいと、眼に焼きつかせるため瞬きもせず見入っている。


「ああ」

突然、斉藤秀美が、断末魔の悲鳴をあげた。

好調だった美月のサーブが、ネットに引っかかり、こちら側のコートに落ちた。

14:13


八王子ブラックスワン、マッチポイント。

この時、小さな拍手が、反対側の応援席から聞こえてきた。


勇太が顔を向けると、応援席にいる二人の母親が立ち上がり、コートに熱い視線を投げかけている。

そこには、確かな母親たちの憂いだ姿があった。


メリーサが、サービスゾーンへゆっくり歩いてゆく。


その姿を見た、斉藤秀美が再び嘆いた。

「ああ、この場面でメリーサのサーブだなんて」

「ちくしょう。秀美さん、あいつが紬を狙ったら、アタシ、ぜったいカチこむからね」

息まく神山陽子を振り向いた相沢静江が、苦笑いした。


主審のホイッスル。


メリーサがジャンプドロップサーブを打つ。

軌道を理解したみなもが栞菜にサインを送る。


走ってスライディングキックカット。

上がったボールを、みなもがいきなりツー返し。

倫子の手前に落ちた。

14:14


「よっしゃあ、デュース」

愛花のサーブ。

単調な山形のボールを倫子がレシーブ。

真夏、突然ツー返し。

やられたらやり返す。

15:14


新宿バンビ、後がなくなった。


八王子ブラックスワン真夏のサーブ。

紬の左、サイドライン。

その軌道を先読みしたみなも、右手で栞菜に指示する。

素早く移動する栞菜、滑り込んで左足で蹴り上げる。

立ち上がり走る。

美月の背後から跳ぶ。


「Bクイック」

ヒロミが叫んでブロック。

間に合わない。

サイドラインの前に突き刺さる。


新宿バンビ、みなものサーブ。

両手でボールを抱きしめ、睨みつける。


「みなも、行け!」

斉藤秀美が気合いを発する。


ホイッスルと同時にみなもが打つ。

渾身の天井サーブ。

天井すれすれに上がったボールは、バックレフト朱里の頭上に落ちる。

「どいて、朱里」

急速回転するボールを、ネットに背を向けたまま走り込んだメリーサがバック回転。

空中から左足で蹴り戻す。


興奮した内海が立ち上がり、

「今度はメリーサがオーバーヘッドキックだあ」


センター真夏のバックトス。

ジャンプしたヒロミが軽くフェイント。

美月の横、サイドラインの内側へ落ちた。

16:15


新宿バンビ、再び追いつめられた。


八王子ブラックスワン、ヒロミのサーブ。

山形に高く飛んだボールは、栞菜の手前でドロップした。

咄嗟に反応した栞菜、フライングレシーブ。

即座に起き上がり、走る。

みなもへボールがつながった。


真夏がメリーサに叫んだ。

「Cだよ」

「違う、一人時間差」

慌ててブロックに跳ぶメリーサと真夏。

だが間に合わない。

16:16


足下に転がるボールをメリーサが蹴り飛ばした。

そのボールをみなもが拾い、栞菜に手渡す。

「栞菜、お願い」

祈るみなもの眼を見つめながら頷き返す栞菜。

ゆっくりとサービスゾーンへ向かっていく。


主審のホイッスルが鳴った。

サービスゾーンの中央に立つ栞菜をみた誰もが驚いた。


内海が、美南と千里に、

「あれって、ブーメランサーブのポジションじゃないぞ」

「美南、何をやる気なんだよ、栞菜は」

二人の問いには応えず、美南は、ただ栞菜のこの後を見守っている。


栞菜、左手に乗せたボールを高く上げ、右手で打ち込んだ。

少し山形に上がったボールは、センター倫子の手前で突然ドロップした。

意表を突かれ、動けない倫子。

16:17


手を叩きながら内海が椅子から跳び上がった。

「すげぇ、今度は栞菜がドロップサーブをやっちまったぜ」


再び、栞菜のサーブ。

ネット越しに栞菜の動きを睨みつけるメリーサ。

栞菜が打つ。

同時にメリーサが動いた。

倫子の手前に落ちるボールを、滑り込んでキックカット。

ボールは真夏へ。

受けた真夏、誰もいない空間へトス。

この時、床を這いながら跳び上がったメリーサのBクイックが、サイドラインの真上を貫いた。

17:17


サーバーは八王子ブラックスワン、倫子。

倫子の顔に、得意のドロップサーブを、栞菜にしてやられた悔しさが滲みでていた。


ホイッスルが鳴る。


会心のドロップサーブを打ち込む倫子。

次の瞬間、みなもがサインを送る。

走る栞菜。

間に合わない。

ボールは、結愛の右横、サイドラインとエンドラインが交差する三角地点に落ちた。

旗を下げ、インを判断したラインズマン。

18:17


サーバーは再び、倫子

今度は反対側を狙う。


左右に振られながら、必死に走る栞菜。

これを落としたら負ける。


美月の頭上を越えたボールは、急角度で紬のレフト側を突き刺す。

滑り込んで、必死に左足を差し伸ばす栞菜。

ボールが栞菜の左足の甲に当たった。

思わず大城監督が腰を浮かす。

思わず、フェンスから身を乗り出す斉藤秀美と神山陽子。

美月、みなも、愛花、結愛、紬が、それぞれの姿勢で静止した。

皆の視線の先で、ボールは、そのままサイドラインを越え転がってゆく。

床に倒れたまま、転がるそのボールの行方を見つめる栞菜。

右手で二度、床を叩いた。

次の瞬間、主審の試合終了を告げる、長いホイッスルが鳴り響いた。


三四


秋の都大会が終わり、活躍したチームの表彰式が始まった。

色とりどりのユニフォームを着た各チームが整列するその館内で、上位入賞チームの名前が呼ばれた。


勇太は、二階席から、その光景を眺めながら、これまでの子供たちの躍動が、瞼の裏に蘇った。

クイック攻撃やバックアタック、ドロップサーブにブーメランサーブ、キックレシーブ、大人顔負けのアタックやサーブをやってのける小学生たち。

いつまでも同じ次元に留まらず、常に進化してゆく、子供たち。攻防の繰り返しを肌で経験しながら、互いに相談し合い、日々練磨することでバージョンアップしてゆく子供たち。 

ただ取材して感動するだけの自分が、恥ずかしく思えてきた。

勇太の眼に、熱い涙が溢れ、後頭部が痛くなった。

大の大人が、子供たちの活躍に泣かされている。


この時、真下のコートから、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

フェンスから顔を突き出して見下ろしたら、斉藤秀美が、ボールを左手で持ち上げながら、右手を振っている。


「こっちへ降りて来いよ、一緒に記念写真を撮ろうよ」

あの斉藤秀美がそう言って自分を誘っていた。


勇太は、手の甲で涙を拭うと、思わず手を振り返し、こう叫んだ。

「斉藤さん、そのボール、この僕にもつないで下さい」


閉会式の最後に、大会執行部代表から、関東大会へ出場するチーム名が発表された。

チームは二チーム。

一位、八王子ブラックスワン。

二位、新宿バンビ。

新しい時代の幕開けだ。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ボールをつなげ! 成沢光義 @hi-ro001

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ