生埋

米山

生埋

 今年の春で二十八になる。何かを後悔するには早すぎるし、何かを決断するには遅すぎる。自ら命を絶つということに時期性があることを肯定するわけではないけれど、僕。僕はもうここらが引き際だと思っていた。  

 上下左右、どこから見ても(それに何の意味もないことは分かっている)僕の人生はそう悲観するものではなかったと思う。小さな頃から、他人が羨むようなそこそこ順風な人生を送っていた。何かが致命的に欠けているわけでもなければ、何かを大きく満たすこともない、スイートコーンみたいに陳腐な匂いのする人生の断面。

 結局のところ、それはよくある話なのだと思う。一人の若者が一時の厭世観に身を委ねて、一思いにその首をくくる。絶望の形は人それぞれだが、その結末は笑ってしまうほどに紋切り型だ。

 しかし、それは間違ったことではない。情感と無縁な人生に価値はないから。

 冬のすべてを溶かしていくような初春の雨の中、僕はポストに投函されていた一通の封筒を手に取る。あて先は自分で差出人も自分であった。拙い字で書かれたそれは、距離ではなく時間を媒介としたごく個人的な手紙であることを示している。

 僕は手元の封筒の表面と裏面を交互に見やる。そういえば、随分前に出席した同窓会にそんなものがあると聞いたような気がする。小学六年生の頃に書いた手紙が届くから住所を書いておいてくれ。

 バランスが悪く、やけに角ばった字で書かれた手紙には、変わったことは何一つ書かれていない。今の僕はどうしていますか? 順調ですか? 十二歳の頃を覚えていますか? ……。きっと十二歳の僕は板書された例文を適当に書き写したのだろう。そういう性分だったような気がする。

 ただ、左手で書かれたようなその汚い文字からは自意識の一欠けらも感じられない。彼はその時を等身大のまま、何に縛られることなく生きている。それだけで救われるような気もしたが、純粋に彼のことを羨む自分自身に辟易として、その思考もまた同等に救われない。

 そのまま手紙を流し読みしていると、どうやら僕はタイムカプセルを埋めたらしいことが分かる。小さな頃によく遊び場にしていた実家の正面の空き地にそれはあるという。

 翌日、僕は実家に戻った。故郷は地形の名残だけを残して別の時代の町のようになっている。十年も帰っていなかったので当たり前と言えば当たり前のような気もするが、どうにもしっくりとこない景色だと思った。実家の前の空き地には新たな家が建っている。

 僕は諦めて帰ろうとした。しかし踵を返すと、なんとも嫌な感触が喉の奥を伝う。胃の底に魚の皮が焦げ付いているようだった。饐えた花瓶のような匂いがする。どうして僕はこんなことに気を取られているのか、まるで分からなかった。どうしてだろう?

 それは久しく体験していなかった感覚だった。心の揺動が静かに水面を描き、ギリギリと自身の血脈が身じろぎをするのが分かる。とても不快だった。

 僕は向かいの家に挨拶をする。そして、家を建てる時に何か埋まったものが出てこなかったか訊いてみる。すると、目的のものはあっさりと見つかった。何処の子供のものかは分からないが、古い土と共に捨て去ってしまうのはあまりに忍びないので車庫に保管していたという。

 主人から渡された二十センチ四方のお菓子の缶詰には、遠いヨーロッパの田園風景、妙に機知に富んだ顔の羊、見たことのないコインが淡いタッチの水彩で描かれている。懐かしいそれらは間違いなく十二歳の僕が埋めたものだった。

 僕は礼をして立ち去り、実家の庭のベンチに座ってそれを開けてみる。

 中には何も入っていない。

 僕はひどく短いため息をつく。そんなことだろうと思った。諦観と安堵が織り交ざったような形容しがたい気持ちで顔を上げると、その胸中とは裏腹に突拍子もない景色が目の前に浮かんでいた。

 リフォームする前の実家と庭。その正面に並ぶ荒涼とした空き地。妙に湿っぽいその風景は古びた鏡に反射したもののようでもある。否、僕の目に映っているのは古色蒼然とした妄想で、実際は代赭に色づいた生きた景色なのかもしれない。

 僕はしばらくぼうとしていたが、足元のコンクリートが本物の土の感触をしていることに気がつく。

 僕がいるのは十五年前の町らしい。

 俄かには信じられないことだけれど、実際にそれはそうなっている。タイムカプセルに町を入れようなんて、よく思いついたなあ、と昔日の自分に感心した。

 僕は少し回りを歩き回ってみるが、自分の生活圏内になかった場所は未露光のまま現像処理をされたフィルムのように暗く、線と重さを失っている。

 小学校までの道のりならば続いているだろう、と考えて僕は通学路を歩き始める。

 登下校に指定されていた道は、学年の中でも一番か二番を争うくらいには遠かったと思う。スポーツクラブなどにも入っていなかったため、僕の小学校の思い出のうちのほとんどが流れる道端の景色ということになる。

 集団登校の集合場所になっていた公園。原っぱの上に簡素なブランコとカラフルな滑り台があるだけで、他には何もない。町内会の集まりもこの小さな会館で行われていた。川が近かったので、盆日を過ぎると、まだ尾の黄色いあかねトンボがそこら中を飛んでいた。それを見ると、夏の終わりを肌で感じてしまうようで、なんだか悲しかったような気がする。

 熱帯魚の家「アンヘル」。下校するときに、僕はたびたびこのお店を訪れた。ほんのりと薄暗い店内は奥に行けば行くほど地上の光が届かない、海底のような様を呈していた。廊下の曲がり角の奥には何か得体のしれない生き物がいる。高く積まれた水槽は視界を遮り、屈折した水中の中を美しい色の熱帯魚がふわふわと……、時折、何かに炙られたかのように逐電する。

 坂道の曲がり角に自生していたグミの木。この木は夏になると、細長いトマトのような赤い果実を結ぶ。それは甘酸っぱくて、ほんの少し渋みが強い。僕は下校時にいつも二つか三つちぎって食べていたのだけれど、ある日その実は全てなくなっていた。誰かがこの木の存在を言いふらしたのだ。独り占めをしているつもりはなかったけれど、僕はそのことがとても悔しくてべそをかきながら帰ったことを覚えている。

 山道へ続く細い林道。その道の奥は暗い森の陰に潜んで、とても怖いように見えた。夕暮れに佇む葉と枝の合間に見える闇の奥からは出口なんて想像もできない。奥から何かが僕を見つめているんじゃないかと、僕は足を早めたかったのだけれど、駆け足になるのも後ろめたい気がしてただただビクビクとしていた。そのタイミングで車やバイクが側を通ると、とても心強かった。

 これらの思い出の依り代は、ただ僕の頭の中だけに存在している。よすがを失った歴史の欠片は、なんとも不自由そうだと思った。こんなどうでもいい思い出に意味をつけるだけの価値はないし、価値をつける意義もないけれど、それは確かに存在した。

 ぼくは昔のことを思い出すのがあまり好きじゃない。どうしたって、自身の脳を媒介に光を屈折させてやる必要があるからだ。原体験を美化させてしまうことは、その追憶に秘められた裏面や純朴さを損なってしまうことに他ならない。

 ただ、その時の僕は漠然と思い出に追従していたように思う。

 懐かしむという行為は、人間が感じられる幸福の中で最も美しいものなのかもしれないとも思った。そして、それは同時に惨く儚い。

 思ったよりも短かった通学路を振り返ると、暗い陰影が空と地面を覆った。

 涙が頬を伝う。

 なんて陳腐な話なんだろうかと思った。こんなものが死ねない理由になるとでもいうのだろうか? 僕が見つけた答えは、こんなにあっさりと死を受け入れるのか? 死ぬ勇気が湧くことと生きる覚悟ができるのは、対義であるべきではないのだろうか?

 気がつくと、僕は交通量の多い小学校の前の遊歩道で立ち尽くしていた。横断歩道を渡る小学生と、雨が上がったばかりのアスファルトを歩く数匹のカラス。白のセダン。老犬を散歩させる婦人。見えない境界線を越えている、地続きになった自分……。

 十数年の時を経た現代の町だった。光は驚くほど微細で、音は耳を塞ぎたくなるほどに生々しい。足元の水たまりには、空よりも深い青が映っていた。

 僕はこのままなのだろうか。また死んでいないだけの人間に成り下がって、帰納法の果てを生き尽くすのだろうか?

 僕は再び歩き出す。とにかく、そうしなければならないと思った。

 春の風が吹く。僕はじき、二十八歳になる。

 それまで……。

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生埋 米山 @yoneyama

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