第4話 アルノルド・ディストピア

「ーーーー改めて初めまして、素敵なお嬢さん。僕がこの屋敷の主『アルノルド・ディストピア』だ」


 庭に咲き誇るグリゼラ花と同じ紫の髪。

 それは燃ゆる炎の様に緩いウェーブを描き、鋭い瞳は人を近付けさせない威圧感を含んでいた。

 その瞳に見つめられ、エリスは思わず後退りしてシスにぶつかる。


「……っと」

「大丈夫ですか?」

「ええと……すみません」

「アル様」


 シスは咳払いをして、自分の主人に含みのある表情を向けた。


「ごめんごめん」


 僅かに怒気を含んだ言葉に対し、アルノルドは直ぐに笑みを浮かべる。すると張り詰めていた空気はパッと解(ほど)けた様に軽くなり、居心地の悪さは瞬く間に消え失せた。


「目付きが良く無いのは生まれ付きでね、きっと父親譲りだと思うんだ」

「そ、そうなんですね」


 どうしよう、上手く笑えないや。

 ぎこちない笑みを浮かべるエリスだが、アルノルドはゆっくりとこちらに歩み寄ると、いきなり自分の目尻を人差し指でグッと上に寄せた。


「!?」

「どうかな、少しはキュートになっただろうか?」


 切れ長の目は逆八の字を描き、何とも言えぬ滑稽さを醸し出していた。その表情にエリスは思わず吹き出してしまう。


「す、すみません! ……ぷッ、つ、つい」

「うんうん、素敵な笑顔だ」

「アル様」

「おっと、少々戯れが過ぎたかな」


 満足したのかアルノルドは顔から指を離して表情を整える。そして改めてエリスの手を取り、甲の部分に軽く口付けをした。


「わッ!」


 驚きが先に出たが、もしかするとこれが貴族なりの礼節なのかも知れないとエリスは考えた。絵本に載っていた王子様がしていた……かも知れない。

 常識を知らないと思われたくないと、何とか強張ったままの笑顔を維持してみたが、アルノルドがポツリと溢した言葉でそれは砕けた。


「うん、良い匂いだ」

「!?」

「優しく、そして仄かに甘い」

「匂い!? も、もしかして変態さんですかッ!?」

「うん? これはパンの入った紙袋では無いのかい?」

「え?」

「ん?」


 アルノルドの視線はエリスの抱えている紙袋に結ばれている。

 てっきり自分の匂いを嗅いだ感想だと思ったエリスは、顔から火が出そうになりながら紙袋をアルノルドに押し付けた。


「わたしったら何を言ってーーーーど、どどどどどうぞッ!」

「うん、ありがとう♪」

「何をやっているのですかまったく……」


 二人のやり取りを見届けたシスは、小さく呆れた様な溜息を吐いた。




 ◆



 良かったらパンのお礼に食事でも。と、エリスは少し遅めの朝食に招かれた。

 屋敷の主人であるアルノルド、メイドのシス、庭師のユーリが席に着いている。驚いたのは、屋敷の規模に対して従者はたったこれだけだという事だ。

 圧倒的な人材不足感は否めないが、しかし辺りを見渡す限り部屋の掃除に抜かりは無く、庭の手入れも完璧だった。

 きっと二人はとても優秀なのだろうとエリスはひとりで徳信しつつ、席に座ったまま紅茶が淹れられる風景をぼんやり眺めていた。

 運ばれた朝食はエリスが持ってきたパンを使用したエッグベネディクト。その隣には庭で採れたであろう鮮度の高い野菜サラダが添えられている。

 シスの手際の良さは驚くばかりだ。目の前の料理はどう見ても僅かな時間で用意されたものとは思えない。


「では、いただこうか」


 そこからエリスはシスの作った朝食に舌鼓を打ちつつ、これまでメイド見習いとして様々な屋敷をクビになった事、パンを購入してからこの屋敷に来るまでの経緯をアルノルドに話した。

 メイド仕事の凡ミスの数々を話す度にユーリは吹き出しそれをムスッとしたエリスが睨む。

「確かに要領が悪そうだな」「初対面なのに失礼ですよ」「なんか間違った事言ったかよ?」「むきー!」と言った具合に。

 アルノルドは二人のやり取りを眺めて満足気に頷いていた。

 実に賑やかな朝食だった。

 考えてみればこんな風に食事を摂ったのはいつ以来だろうか。これまでは屋敷に住み込むとなっても慣れる間も無く、無情にもクビを言い渡される日々。

 今の立場が客人だからなのは間違いないが、それでもエリスは久々に人の温かさに触れた気がした。


 しかし、平和な時間は突如として終わりを迎える。


「グォオオオオ!」

「え? 何、この声……」

「アル様」

「おや、珍しいね」


 地鳴りの様な雄叫びが響くと、アルノルドはティーカップを置いて椅子に大きく背中を預ける。声の方に視線を流すと同時に、屋敷の壁の一角が砕けて散った。


「見事な大型だね、これだけの個体は何年ぶりだろうか」

「おいおい、庭壊してねえだろうな」

「あわわ、わわわわ」


 現れたのは巨大なドラゴンだった。

 魔物の中でも竜種は極めて珍しい個体であり、ましてや目の前に現れた十メートル級ともなれば冒険者ギルドでも最高ランクの案件だろう。

 そんなドラゴンに対して、アルノルドは冷静な表情を崩さずに椅子に座っている。


「ドラゴン……こ、殺される……」

「大丈夫ですかエリスさん」

「シスさん! ドラゴンですよドラゴン! わたし初めて見ました……あわわ」

「貴重な体験が出来て良かったね」


 慌てふためくエリスにアルノルドは言うと、やっと重い腰を上げてドラゴンに対峙した。


「ふむふむ……黒い鱗、赤い瞳。いわゆるダークドラゴンだね。魔物ながら実に優雅で美しい」


 ダークドラゴンは竜種の中でも凶暴な魔物だ。通常であればAランク以上の冒険者が十人ほどのパーティを組んで討伐に向かうレベルである。

 しかしアルノルドはそんなダークドラゴンを前に、相変わらず緊張感の無い笑みを浮かべていた。


「はやく逃げましょう!」


 エリスが叫ぶ。

 しかしアルノルドはおろか、シスとユーリも慌てる素振りを見せず、主人の動向を黙って見ていた。


「エリスさん」

「は、はい?」

「この屋敷が街から遠い理由ですが、それはこの屋敷の領地が凶暴な魔物の生息域だからです。国が管理する魔法結界の途切れた先、俗に禁足地と呼ばれる場所です」

「ええ!? そ、そうなんですか!」

「はは、辺境伯と言うより禁足地伯だね」

「笑えませんよ! と言うか何で笑ってるんですか!」

「さて、冗談は程々にしてーーーー」


 アルノルドは徐に指を翳すと、目の前に聳える巨大なドラゴンに視線を結んだ。


「有意義な時間を壊した罪だ。躾のなっていない蜥蜴には仕置きが必要だね」

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グリゼラの花と聖女と傀儡 名無し@無名 @Lu-na

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