春雨

佐倉友莉

春雨 ある春の日の思い出


 映画を観に行こうと思っていた。今日が最後の上映日だから。しかし、雨が降っている。閉めた窓からザアザアと聞こえてくる、結構な本降りだ。映画は少し前の作品の再上映で、なかなか楽しみにしていた作品だった。だが、途端に億劫になってしまった。わざわざ傘を持って出歩かなければならないこと。濡れた傘を携え店に入るのはなんだか気が引けること。そもそも傘を持つのが煩わしいこと。思いつく様々な面倒に気が滅入る。同時に、たかが雨に降られただけで気が向かなくなるほどの気持ちなのかと気づくと、少し悲しくなった。


 行くか行くまいか迷うのでさえ疲れるので、起き出していた体を再び布団に潜り込ませる。長年の付き合いであるせんべい布団は、残る体温と染み付いたほのかな体臭で私を優しく包んだ。
 
 


 なんとなくスマホにイヤフォンを挿し、お気に入りの曲を再生する。ギターをかき鳴らす少年の歌声は、詩的な歌詞と鋭い速さのメロディーとは馴染まぬ、上がりきらない半端な高音が癖になる。だんだんとろりとした微睡が瞼にかかって、自然と目を閉じていた。怠惰に温もりを堪能していると
「窓、開けるから」
と一声寄越して、2つ離れた弟が引き戸の端を掴み、空気を入れる。


 触れた空気は、4月にしては澄んだ冷気を持っていて、冷たさに麻痺して春の匂いをうまく感じ取ることができない。ただ、冬の空気とは異なり柔らかさを感じる冷たさに、ああ春なのだと感嘆する。雨に濡れた風は瑞々しく、肌に纏うたび染み入ってくる。共に漂う露の香りは、鼻腔を軽やかに抜ける爽やかさだ。


 気がつけば雨脚は弱まり、幾分雲も薄くなって日差しが透けている。鳥も雨音に合わせさえずっている。鈍った体は冷えにあてられ、すっかり冴えていた。改めて身を起こし、髪を束ねる。うなじに掠める冷気がくすぐったい。花冷えが首筋を伝い、早く体を動かせと急かされている気持ちになって、少しソワソワした。


 そうして、この春雨を伴って歩くのも悪くないと思えてきた。映画は観るたびにこの春の良き日を思い起こさせることだろう。齢19は、まだまだ青かった。

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春雨 佐倉友莉 @Yuri0022

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