漂着物ではなくて

一花カナウ・ただふみ

漂流物だから

 陸から遠のいてどのくらい経過したのだろう。

 僕はもう形をなくしてしまっているようだ。手も足も感覚がなくなっていたから気にしていなかったけれど、どうも溶けてなくなってしまったらしい。

 僕が僕だとわかるものは、きっとないのだろう。この広い海に溶け込んで、ただただ彷徨うなにかになった。


 果たしてこれが幸せなのだろうか。


 みんなと同じに合わせることをずっと念頭に生きてきた。ずっとそれでいいと思って生きてきた。

 災害が起きて、僕が住んだ街が消えて、僕は海に流されて、そして――


 一緒に流された友だちがいた。恋人もいた。彼らも形をなくして海に溶けた。

 こんな形でひとつにならなくてもいいのにね。

 ひとりじゃないから寂しくないなんて彼女は言っていたけれど、こうなった今も同じように考えるのだろうか。


 僕は孤独だ。

 意識だけ取り残されて広い海を漂っている。故郷に戻れることを期待してはいない。戻れたとしても、その景色を見る目も、懐かしい音を聞く耳も、いつも楽しみにしていた商店街の惣菜の匂いを嗅ぐ鼻も、そこで生きている市井の人たちとの触れ合う手足も、全部ないのだから。

 それに、知らないほうがいいのかもしれない。記憶の中の光景に縋っているほうが、現実との差に心を砕かれることもないだろうから。

 僕が知っている街がそこに残っている保証なんて、ない。


 いつまで漂うのだろう。

 朽ちた身体は何者かの生きる糧になり得ただろうか。それとも、この海を汚すことしかできなかったのだろうか。

 僕は漂いながら考える。考える。考える。


 誰かの役に立てるような人になりたかった。必要とされたかった。誰でもない僕を選んでほしかった。

 彼女は死の間際で僕を見つけてくれた。これで寂しくないって言った。

 僕はなにも返せなかった。彼女には生きていてほしかったから。一緒に死んでほしくなかったから。

 どうしてこんなことになったのか。理不尽じゃないか。

 友だちだって生きていてほしかった。生き残って、語ってほしかった。

 なんで。

 どうして。

 残酷で理不尽なんだろう。


 長い長い旅だ。死後の世界があって、そこに導かれるものだと漠然と考えていたのに、僕に与えられた死後の時間は海を漂うこと。

 暗い暗い海の底に沈んで、そのままどこかに流されて。

 生き物らしきものがいたりいなかったりした。僕が知っている生き物に似たようなものがいれば懐かしく思えたし、まったく見当もつかないような生き物に遭遇すれば、実は死後の世界にたどり着けたんじゃないかと期待したりした。

 現実は現実だったけれど。


 ゆっくりと浮上。

 だんだんと周辺の明るさが増してくる。

 ああ、懐かしい匂いがする。

 潮の匂い。

 温かで、優しくて、安心する。

 どこかの海辺へと流されてきたのかもしれない。

 ここはどこだ?

 いや、場所なんてどうでもいい。誰か、誰かそこにいませんか?

 僕を、僕を見つけてくれませんか?



 ――……



揺蕩う意識。

響き渡る声。

大きな声にびっくりしてさらに泣いて。

それが自分のものだと気づくまで時間がかかって。

大きな手のひらが僕を包んで。

ああ、懐かしい。


「――産まれましたよ! 元気な男の子です」

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