陰キャに世界は救えない

凩冬人

第1話 リアル体験版

古池こいけ貴史たかしは、この春、高校1年生になった。彼は新生活への不安も、期待も、さらさら抱いていない。さらさら、と言うと嘘になってしまうが、彼は自身の高校生活について、さして興味を示していなかった。


それは、彼が高校に入学するまでに些かの時間があることも関係しているだろう。数日でも先の未来のことを、期待はすれど、憂いはしないのがこの古池貴史という男だ。


しかし彼の心情について、最も関連深いと思われる事象は、今が義務教育と高校教育の中間地点であるということではない。彼にはもっと別の、より関心深い事象があるのである。


『スターリーフロンティアオンライン』通称SFO。これは1年余り前に発売された、オンラインゲームである。貴史はこれのアクティブプレイヤーであり、今まさに、ネット上の友人らと共にイベント周回をしているところだ。


彼の交友関係は、広く浅い。それは、現実でもネット上でも同じだった。彼には小学校高学年から社会人まで幅広い”ネッ友”がいる。貴史は彼らの本名も、来歴も、素顔も知らない。ハンドルネームと声音とそこから滲み出る性格だけが、彼らが互いを規定するものであった。それは決して窮屈などでは無く、寧ろ顔しか知らない近くの他人よりも気の置けない友人たちだ。


さて貴史は、今日も『FULL23』というハンドルネームでSFOにログインする。FULL23は「ふるふみ」と読み、これは彼の本名の読み違いからとっている。彼は「古池こいけ貴史たかし」というのであり、「古池ふるいけ貴史たかふみ」というのではない。


今日も変わらないメンバーと共にイベントを周回し、身内のノリで会話を楽しんでいると、あっという間に夜は更けた。昼も夜もないネットで、貴史は現実世界にいるよりも早く時間が過ぎるように思えた。


とはいえネットでは深夜からが本番、学校もない今では3時までに床に就ければ早い方だが果たして今夜はどうなるか。


そういう貴史のやる気とは裏腹に、今日は存外他プレイヤーが落ちるのは早かった。まだ25時にもなっていないのに、残っているのはFULL23ともう一人だけだった。


彼は名を、『ストロマトライト』と言った。長いので、普通『ストさん』という愛称で呼ばれている。彼は大学生を自称しており、FULL23にとって特に仲の良い友人の一人であった。


「みんな落ちちゃいましたねー、俺らもそろそろ終わりにしますー?」


寝ているはずの親を気遣うことのない声量で、貴史は画面に向かって語りかける。ちなみに彼の部屋は親の寝室とは遠く2階にあり、また大声でないなら近所迷惑にもなりえないそうだった。無論気遣うに越したことは無いが、残念ながら貴史は、そのような優しさを持ち合わせていない。


「あ、マジ?もう眠い?」


ストロマトライトは明らかに二次性徴の声変わりを何年も前に済ませている、それでいて子供じみた声で問う。貴史はこの声に好感と親近感を覚えており、ネッ友内でも「イケボ」ともてはやされている。


「いや、別にそういうわけじゃないんですけどね。二人だけって、ちょっと寂しいじゃないですか」

「まあなー。あ、ちょうどいい。そういえばFULL23くんに秘密の話があるんだった」

「秘密の話?」


ストロマトライトは、悪戯っぽく笑う。貴史は知っている。この男は、大学生並みの知能を持ちながら小学生のような悪ノリで軽い顰蹙を買っていることを。大ごとは起こしていないが、彼の言う「秘密の話」に何やら良からぬものを感じ取るのは、彼と関わっている人間からすれば普通の感覚である。


しかしそれと同時に、貴史はこれを面白そうだとも思っていた。貴史もまた、中学校の間に小学生気分が抜け切っていないのだ。


「そうそう。俺の友達にさ、SFOの開発と関わってるやつがいるんだよね」

「えっ、そうなんですか!?」

「それで今、SFOの『リアル体験版』ってのをやってみないか、って言われてるんだよね」

「リアル体験版……?」


何も頭に入って来ない。あらゆるタイプの未知が、貴史の頭の中に入ってくる。


それを察せないストロマトライトではないが、それを気にするストロマトライトでもない。貴史のヘッドホンからは、変わらず彼の声が聞こえてくる。


「そうそう。新技術なんだけどさ、今のお前のFULL23のキャラクターあるだろ?それになれるんだよね」

「……はい?」

「えーっとつまり、リアルのお前がFULL23になれるってこと。もちろん、身体能力とか特殊能力も引き継げる。まあ、まだ一部だけみたいだけど」

「?????」


貴史はこれを言葉に出来ない代わりに、チャットに「?????」と打ち込んだ。ストロマトライトの高笑いが聞こえる。


「まあ、分かるわけねえよな!FULL23くんさ、確か俺んちに割と近いんだったよね」

「そ、そうですけど……」

「会おうぜ。実際に会って試した方が、分かりやすい」


インターネット上で出会った人と実際に会うリスクを、貴史も理解している。しかしそれ以上に強い信頼で、貴史ことFULL23はストロマトライトと接している。会うこと自体に抵抗はなく、日程と場所はすんなり決まった。しかし問題はそこではない。


「じゃあまあ俺もレポートあるし、そろそろ落ちるわ。またなー」


ストロマトライトと適当に別れの挨拶を交わし、仕方がないので貴史も今夜は寝る準備を始める。


ネッ友と実際に会うのは、彼が初めてだった。少し緊張するな、と思いつつ、ストさんなら大丈夫だろうと自分の気持ちを宥める。果たしてストさんは、現実にはどのような見た目をしているのだろうか。


貴史は電気を消して布団に入り、目を閉じて改めて思う。


「リアル体験版って何だ……?」


***


約束の日はあっという間に訪れた。当日の朝母親に外出する旨を伝えたところ、彼女は驚いた素振りを見せた。当然だ、貴史は食事以外の時間の殆どを自室で過ごす典型的な陰キャなのだ。貴史の交友関係は現実ではなくネットに開けているということを貴史の母は知っている。

しかしだからといって、貴史の外出を止めるようなことはしなかった。家族仲が悪いわけではないが、古池家は良くも悪くも互いに不干渉なのだ。


遅刻ギリギリの時間に起き、徒歩10分の最寄り駅から中心部へと向かう電車に乗った貴史は、1時間もしないうちに目的の駅に到着した。そこはターミナル駅で、貴史はここに何度か来たことがある。十分に活気のあるこの周辺まで来ないと、アニメキャラのグッズを取り扱う店舗がないのだ。


黒いシャツを着て黒いズボンを履いた、ぎりぎりダサくはない見た目の貴史は、駅を出てすぐの広場でストロマトライトを待つ。

ちなみに髪は短めなのだが、これは長い前髪で前が見えないのは逆にダサいなと思っているからである。顔もまあ見れる程には整っていて、自惚れた状態の貴史ならイケメンだと勘違いすることができる。


周囲を見回すと、他にも多くの待ち合わせと見られる人が各々のスマホを弄っていた。それに倣うわけではないが、貴史もズボンのポケットからスマホを取り出し、ストロマトライトに「着きました」とメッセージを送った。数分経ったが、未読スルーだ。


「お待たせー」という男の声にふと顔を上げると、高校生らしき男がその恋人と思われる女と合流するところだった。何だよリア充が爆発しやがれちくしょうめ。


あー俺も彼女欲しいなー高校に入ったらできるかなーと思いながら視線をスマホに戻そうとすると、別の女子高生集団がざわついているのが目に入った。どうやら、イケメンを見つけたらしい。

JKの注目を集めるとはなんて羨ましいやつなんだと思い、彼女らの視線の先をトレースする。


「あ」


そこにいたのは、ストロマトライトだった。


貴史はストロマトライトの顔を見たことがないから、普通に考えて分かるわけがない。しかし、貴史にはあれが間違いなくストロマトライトだと分かった。では、どうしてそれが分かったのか。

SFOでストロマトライトが操作しているキャラクターそれそのものが、今目の前にいるからだ。


白いロングコートを着たその長身は、人混みの中でもよく目立った。明るい茶髪と爽やか系の整った目鼻立ちは、確かにJKを虜にするのには十分だろう。纏う雰囲気は名探偵のそれと似た、いかにも知的なものだった。


画面の中から飛び出して来たと思しきストロマトライトを見て理解不能驚嘆の表情を浮かべていると、彼は貴史の存在に気付いたようだ。貴史を見つけると、笑いながら貴史の方へと歩いて来る。


「やあ。君が、FULL23くんだね」

「え、あ、はい。ストさん……?」

「そうそう。リアルで会うのは初めてだね。でも何と言うか、君は想像通りだな」

「ストさんも想像通りというか、そのままというか……?」


戸惑う貴史に、ストロマトライトはいつもの高笑いを投げる。


「まあそりゃそうだな!この姿だとな!」

「SFOそのまんまですもんね」

「俺のキャラは割と現実世界にも溶け込めるから、人前に出るからといってログアウトする必要ねえんだよな。あ、これが言ってたリアル体験版ってやつね」

「な、なるほど……」


実は貴史は今日に先立ち、ストロマトライトにリアル体験版について改めて質問したのだが、「見れば分かる」としか回答されず、説明不足に不満を抱いていた。

しかし、実際に見て完全に理解した。なるほど、リアル体験版だ。


画面の前で操作していたキャラに、実際になれるのだ。存在が画面から飛び出して、自分自身と融合するのだ。


「って分かるか!現実のテクノロジーに喧嘩を売っているとしか思えないですよ、こんなの!」


時刻も昼時ということで、二人は近くのファミレスにやって来ていた。そこで改めてリアル体験版の説明を受けた貴史は、人目も気にせずそう叫んだ。とはいえ、人々の注目を集める程の声量ではない。


「まあまあ。でも実際に、できちゃってるんだし。いやー、技術の進歩ってすごいねえ」


そう言ってストロマトライトは、ちょうど運ばれてきたソフトドリンクのオレンジジュースを飲む。こんな様子を見てしまったら、どれだけ信じ難くとも信じざるを得ないではないか。


元来貴史は、そう頭の固い人間でもなかった。少し驚いたあとでは、ふーんそんなものかと、ストロマトライトの存在を受け入れていた。


「あれ、そういえばストさん、よく俺がFULL23だって分かりましたね」

「ん?まあ思った通りの見た目だったし、俺の姿見て驚いてたし。ま、なにより『分析アナライズ』のお陰なんだけどねー」

「えっ、『分析アナライズ』使えるんすか!」

「勿論。ストロマトライトだしね」


分析アナライズ』とは、SFOにおけるストロマトライトの固有の能力だ。その名の通り、対象物の性質や名称を『分析』して、知ることができる。

SFOにおいて、固有の能力は『オリジナルスキル』と呼ばれキャラメイクの際に自動的に決定される。そしてなんと、各プレイヤーごとに異なるオリジナルスキルが与えられているということで、発売当初大きな話題を呼んだ。


「ということは俺も……?」

「もちろん、ログインさえすれば『雷電弾スパークボール』を使えるようになる」

「マジすか!やったー!」


貴史は大きくガッツポーズをする。


雷電弾スパークボール』というのは、お察しの通りFULL23のオリジナルスキルだ。電気属性の弾を生成して、放電したり2つの弾の間に電流を流したりするという、現実で考えるとかなり恐ろしい能力だ。


「分かってると思うけど、人に向けるとか危ないことは無しだからね」

「そりゃあもちろん、大丈夫ですよ。大丈夫。それじゃあ、早速リアル体験版の方を……」

「お前さっき昼飯注文しただろ。それ食い終わったらな」

「はーい」


それから2人は、初めてネッ友と会ってみた感想や、これからの予定や、全く意味のない戯言などについて話しながらファミレスでの時間を過ごした。友人と食事をするという経験が希薄な貴史にとって、この時間は貴重な楽しいものとなった。


***


食事を終えた2人が向かったのは、近所の公園だった。そこは遊具があるタイプの公園ではなく、広い敷地に芝生と木々と散歩道とベンチがあるタイプの公園だ。

芝生の広場では親子連れがフリスビーを飛ばして、ベンチでは老夫婦が腰を下ろしてのんびりとしていた。


2人はなるべく人目に付かないように、公衆トイレの脇のちょっとしたスペースに移動した。とはいえそこまで狭いわけではなく、おとな2人が相撲を取れるくらいの広さはあった。


散歩道からも入り口からも遠く人通りが少ないここで、貴史はスマホにインストールされたアプリを開く。これはストロマトライトからの紹介で、リアル体験版には必須らしい。

アプリを開き、SFOの自分のアカウントと同期をして、「ログイン」のボタンを押す。


データ構築中…


数秒のロードが入ったと思うと、貴史はFULL23になっていた。しかし、鏡を持たない彼は自身の見た目がどうなっているのか分からない。


「……どうですか?」

「おーなってるなってる。トイレの鏡で見てみろよ」


ストロマトライトに促され、貴史は公衆トイレの鏡の前に立つ。

鏡には、紺色の髪の少年が映っていた。黒いプルオーバーパーカーに身を包み、首から青と黄色のヘッドフォンを提げている彼は、間違いなくSFOでの貴史の操作キャラ、FULL23であった。


「うわっ、マジだ!マジでFULL23になってる!」

「すげえよな。俺も初めてログインしたときは感動したよ」


FULL23は驚いた表情で、手を握ったり開いたりしている。服装を確認したり、ぴょんぴょん跳んでみたりしている。


すると不意に、顔の正面に黄色く光る球体が現れた。それは直径5㎝程度で、電気のようなオーラを纏っている。全体的に透けていて、エネルギーだけで構成されているようだ。


「お、これが」

「『雷電弾スパークボール』だね。出し方分かった?」

「なんとなくですけど。うわ、マジでこれ使えるんすね……」


FULL23は感嘆の声を漏らす。受験生にもかかわらず毎日欠かさずプレイしたSFOのキャラクターと自分自身が同期したとは、夢のような気分だ。


「それじゃ、ちょっと実戦やってみる?」


ストロマトライトがそういうと、FULL23は『雷電弾スパークボール』を解除して、彼の方を見た。


「実戦?」

「そそ。ほら、裏手にちょうどいい感じのスペースがあったろ?肩慣らしに、俺が相手してやろうと思ってな」

「なるほど……手加減はしませんよ?」

「そう来なくっちゃな」


公衆トイレの裏手に移動した彼らは、ある程度の距離を取って向かい合った。FULL23は周囲に3つほど、雷電弾スパークボールを従えている。


「いいか。手加減はなしだが、ルールもなしとは言ってない。これはあくまでお遊び、両手を挙げて降参したらそこで終わりだ。相手を戦闘不能にするのは、当然なしだからな」

「分かりました」

「それじゃあ始めるぞ。レディ……スタート!」


言い終わらないうちに、ストロマトライトはFULL23に向かって走り出した。FULL23は雷電弾スパークボールの1つをストロマトライトに向け発射し、迎撃する。

ストロマトライトは華麗に躱し、素早い動きでFULL23の背後へと回る。背後から殴り掛かろうとしたところを、FULL23はぎりぎりで避ける。


再び懐に入り込もうとしたストロマトライトに対して、FULL23は大きく跳び下がる。ストロマトライトの正面に、雷電弾スパークボールを残したままだ。


「スパーク!」


FULL23が叫ぶと、雷電弾スパークボールは電気を放出して爆発した。咄嗟に避け、電撃はストロマトライトを掠めた。

そこへすかさずFULL23が攻撃を仕掛けようとするも、ストロマトライトは間一髪で逃れた。


しかし、ストロマトライトは雷電弾スパークボールの放電「スパーク」の影響で、身体が痺れて上手く動かせないようだ。


「ショット!」


そこへ、FULL23はストロマトライトに向かって、雷電弾スパークボールを先程よりも高速で撃ち出した。これは流石に避けられず、ストロマトライトに命中した。


しかし、そこで食い下がるストロマトライトではなかった。彼は身体が痺れて動きづらいのも構わず、FULL23に飛びかかった。そして腹部に一撃を与えると、またすぐさま引き下がった。


こういった攻防を繰り返すうちに、FULL23はあることに気付いた。

FULL23然り、ストロマトライト然り、身のこなしが常人のそれを大きく上回っているということだ。先にストロマトライトが言っていた、「身体能力も引き継ぐ」というのはこういうことだったのか。


ストロマトライトの『分析アナライズ』は戦闘向きのスキルではなく、対するFULL23の『雷電弾スパークボール』は対照的に、戦闘に持って来いのスキルだ。対等に渡り合ったストロマトライトの身のこなしを称賛するにしても、彼はやはりじりじりと追い詰められていった。


「分かった分かった、もう降参だ」


地面に尻を付かされたストロマトライトはそう言って、右手は地面に付いたまま左手を挙げた。


FULL23はルールを思い出す。これはあくまでお遊びであり、相手が降参した時点で終わりだ。……あれ、でも降参の条件は”両手を”挙げることだったような……


一瞬の逡巡を見逃さなかったストロマトライトは、素早く立ち上がってFULL23の顎を蹴り上げた。


「痛ったあっ――」


すぐさま体勢を立て直したFULL23は、右手で雷電弾スパークボールを握り潰した。


「チャージ!」


これにより右手に電気を帯びたFULL23は、お返しとばかりにストロマトライトの顔面に殴り掛かった。

電気の力で威力と速度が強化された拳を避けることができず、ストロマトライトは倒れ込んでしまった。


「これで……十分か……?」

「……」

「……あれ……」


ストロマトライトは、ピクリとも動かない。


「……やべ、やりすぎた……」


***


ストロマトライトが目を覚ましたのは、それから10分ほど後のことだった。その間誰も通らなかったのは幸いだった。もし通りかかれば、警察か救急がやって来るのは免れなかっただろう。


ストロマトライトは上体を起こすと、薄情にもスマホを弄っているFULL23の方を見た。


「……あ、起きた。大丈夫ですか?」

「ったた……ああ、問題ない。動ける」


ストロマトライトはそう言って立ち上がったが、まだ少しふらつくようだ。FULL23はその様子を見ると、薄情にも視線をスマホに戻した。


「心配かけたかな」

「いやほんと、倒れたときはどうしようかと思いましたよ」

「そういう割にはスマホ見てたみたいだけど?てか、今も見てるし」

「よくよく考えてみたんです。ストさん、降参って言ったのに片手しか挙げてませんでしたよね?しかもその後襲い掛かって来たし。自業自得じゃないですか」

「そう言われちゃ、言い訳の余地もないな……」

「……」

「……帰るか」

「帰りますか」


そうして2人は、公園を後にしたのだった。


***


駅までの帰り道、2人はログアウトしないままで歩いていた。彼らの容姿は多少浮いているが、しかしそれでも人混みに紛れられる程度であり、ログアウトの必要がなかったのだ。必要がないのなら、もう少しこの余韻に浸っていても良いのではないだろうか。


ちなみに、それなりのガチ戦闘をしたにもかかわらず、2人の空気が悪くなるということはなかった。ストロマトライトの騙し討ちも、FULL23の薄情も、今に始まったことではない。むしろSFOリアル体験版をFULL23はいたく気に入ったようで、ストロマトライトに誘ってくれたことを感謝してすらいた。


さて2人が駅前の広場に着いた頃には、午後3時を回っていた。

これから例えばカラオケなんかで遊ぶのも悪くないとFULL23は思ったが、ストロマトライトは先の戦闘で疲れてしまったということで、このまま別れることとなった。


「いやー、今日は楽しかったよ。ありがとうね」

「いえいえこちらこそ。普通に生きてたら出来ない体験でしたよ」

「気に入ってもらえたようで何よりだよ。それじゃまた……」


言いかけて、ストロマトライトは視線をFULL23から外した。

どうしたのだろうとその視線の先を見ると、何やらJKがヤンキー達に絡まれているようだ。ナンパをしているようだ。


「うわ、治安悪いっすね」

「ほんとな」


まあ確かに可愛い子だな、と思いながら、FULL23は率直な感想を述べた。でも、JKは1人なのに4人がかりで何をする気なんだろうか。


まあ、こういうヤンキーには関わらない方がいいに決まっている。貴史なら無視を決め込んで、そして5分後には忘れているだろう。


「ありゃ鉄拳制裁だな。よし、FULL23くん、行ってこい」

「は?」


ストロマトライトがあまりに突拍子もないことを言ったので、FULL23は一瞬反応を遅らせた。


「何言ってんすか?」

「だから、女の子が困ってるから助けてやろうって言ってんの」

「いやだから、何言ってんすか?」


「え?」といった表情でFULL23を見るストロマトライト。FULL23も負けじと、「え?」の表情を返す。


「大丈夫大丈夫。お前には『雷電弾スパークボール』もあるし、FULL23のことを知ってるやつなんて俺以外にいねえだろ」

「まあ……そう言われればそうかもしれないですけど……」


だからって彼女のことを助けてやる義理はない。

……いや待てよ、もしここであのヤンキーどもを撃退すればワンチャン好きになってくれるかもしれない。確かに可愛いし、まあ彼女にしてやらんでもないな。うん。


「……まあ、JKが怖がってるのに何もしないってのも、どうなんだって話ですもんね」

「あれなんか急にやる気になったね?」

「そうですか?最初から虫唾が走ってたんですよ、4人で寄ってたかって……」


鳴らないのに指を鳴らしながらヤンキー達に近付くFULL23を見て、ストロマトライトはにやりと、これは面白いことになったぞと笑う。無論そのことをFULL23は知らない。


「――別にいいじゃねえかよ、ちょっとぐらいよ」

「急いでるので……」

「おいおい嘘つけよ、ずっとここでスマホ弄ってただろ?ほんとは暇して……」

「ちょっと」


FULL23の声に、4人のヤンキーは彼の方を見る。


「あ?なんだお前」

「嫌がってんの分かんないかな。4人がかりで寄ってたかって、恥ずかしくないの?」

「おいおいなんだ?正義のヒーロー気取りか?」


ヤンキーは下品な笑いを上げると、FULL23は嫌悪の表情を隠さず見せつけた。


「……てめえ、相手が誰か分かってねえようだな」

「まあ正直。馬鹿か雑魚か、どっちだろ……」


堪らずヤンキーの1人がFULL23に殴り掛かる。FULL23はそれを、少し身体を反らすことで躱した。


「ああ分かった、雑魚なんだな!」

「調子に乗りやがって。俺達に喧嘩売ったこと、後悔させてやるよ!」


4人のヘイトがしっかりFULL23に向いたところで、ストロマトライトが遠くから声をかける。


「おーいFULL23くーん。普通の人間相手に『雷電弾スパークボール』使うの危ないから、禁止ねー」

「はあ?」


ストロマトライトの声の方を向いたFULL23は、当然隙を作ってしまい、相手の殴打をしっかりと受けてしまう。更にそれが隙となって、FULL23は続けて3発、相手から殴られた。


一旦下がったFULL23は、考える。

しっかり煽ったせいで、相手は激昂している。数的有利も相手にある。あと地味に効くのが、相手の方が体格は上だ。つまり、威圧感は十分ある。


怖気付いたFULL23は、安易に喧嘩を売ったことを今更ながら後悔した。だが仕方ない、ここまで来たからには逃げられる気もしない。


ストロマトライトは『雷電弾スパークボール』を危ないと言っていたが、それを言ったらこっちだって身の危険が迫っているのだ。よし、使うか。


「チャージ!」


電撃を浴びせる「スパーク」や電気とはいえ高速の弾を当てる「ショット」を人間相手に使うのは流石に気が引けたため、FULL23は腕など局所的に電気を纏う技「チャージ」を使うことにした。


電気を纏っている部位の強化と、SFOキャラゆえの素の身体強化があるとはいえ、4対1は少し不安が残る。だが、そうも言っていられない。


FULL23は体勢を低くすると、ヤンキー達に向かって鋭く突進した。


電気を纏った右腕が、1人の腹を殴る。殴られた男は呻き声を上げて、よろけて尻を付いた。どうやら身体が痺れてしまい、上手く動かせないらしい。


1人の懐に潜り込んだFULL23は、しかし、1人にパーカーのフードを掴まれ上体を起こされた後、他の2人に顔を殴られ、腹を蹴られた。


堪らず払った右腕が、パーカーのフードを掴んでいた男の腕に当たった。男は手を離して跳び下がる。


「あ?なんだこれ?」

「どうかしたか?」

「腕が上手く動かねえ。どうなってんだ?」


腕が痺れて動かないのだろう。しかし、それを教えてやる義理はない。


「チャージ」によって電気を纏える時間には、制限がある。効果時間が切れても再び使い直すことは可能だが、できれば今の「チャージ」が残ってる間に片付けてしまいたい。だって、殴られると痛いし。


FULL23は腕が痺れている男を無視して、残る2人に電撃パンチをお見舞いしようとした。

しかし、相手も流石に喧嘩慣れしているのか、事もなげに回避される。FULL23にダメージと疲労が重なっていることも要因の一つかもしれない。


相手の反撃をいなしているうちに、右腕にかけた「チャージ」が切れてしまった。


「あーもう、めんどくさ」


横着したFULL23は、周囲の目も気にせず雷電弾スパークボールを出し、ヤンキー達の前に放った。これには流石に、彼らも驚いているようだ。


「な、なんだこれ」

「なんだろね。スパーク!」


FULL23は雑に雷電弾スパークボールを爆発させ、放電に巻き込まれたヤンキー達は、全身の筋肉を硬直させて倒れてしまった。


うん、威力は十分。多分死んでないし、一件落着かな。これで済むんなら、最初からこうしておけばよかった。


ふと周囲に目を向けると、自分が衆人環視の的になっていることに気付いた。流石に派手にやり過ぎたか。


「馬っ鹿FULL23お前、さっさと逃げるぞ!」


急に出てきたストロマトライトに引っ張られたFULL23は、彼に引っ張られて人混みの中を駆ける。


「え、ちょ、どうしたんすか?」

「『雷電弾スパークボール』は駄目って言ったろ。確かに危ないのもあるけど、あんな超次元パワー見られたらネットニュース行きだ」

「確かに……」

「それと、あいつらは雑魚かも知れねえが、お前含めて全員、公衆の面前で喧嘩するのは馬鹿だったな。こうなっちゃ警察が来るのも面倒だ」


言いながら2人は、駅構内にある男子トイレに駆け込んだ。


「いいか、俺たちの姿がスマホやら防犯カメラやらに残ってる可能性がある。あと単純に目立つ格好してるしな、このままの姿じゃ帰れない。ここでログアウトして、普通の見た目に戻ってから、順番に、時間を置いてトイレを出よう」

「分かりました。でも、なんでストさんまで?」

「お前があのヤンキーどもに絡むまで一緒にいて話してたからな、念のためだ。あと、俺お前のことFULL23って呼んだし」


名前も見た目もばれてるということか。いやはや、これが本名と素顔じゃなくて本当によかった。やはり慣れないことはするもんじゃない。


「まずはお前から出ろ。FULL23の姿でずっといるのは危険だ」

「なんか、すみませんでした」

「まあ、元はと言えば俺が焚き付けたことだしな。結果的にあの女子も助かったようだし」

「それなら良かったですけど。それじゃあ、今日はありがとうございました。マジ楽しかったです」

「それは俺もだ。じゃあまたな」


FULL23はスマホを取り出して、人目が無いことを確認してから「ログアウト」のボタンを押した。

それから貴史は、ストロマトライトに改めて礼を言うと、何事もないただの陰キャとして帰路に立った。

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