ガラテア

中野 茶屋

ガラテア

 見えてる、と彼の放り投げるような問いかけでその時間は始まる。


 画面上部の通知窓に『配信開始』のバーが降りてきた。夕飯の献立を探していたサイトをすぐに閉じ、時計を確認したがまだ夕方の5時半だった。彼がこの時間帯に配信するのは珍しい。貼られた青色のリンクに飛んでいくと、コメント欄には〈見えてないです〉〈ちょっと暗いです〉と多数呟かれていた。見ると、いつもは明るい状態から始まる配信の小さな画面は、何かしらの障害物で陰っていた。


「ちょっと待ってね。今定点カメラの画角調整してる」


 彼の落ち着いた声がいつもより近くに聞こえたかと思うと、暗い映像に白い切れ間が何回かちらついて、間もなくぱっと明るくなった。

 急な明転に追いつかなくなったピントは、離れていく彼の指をぼんやりと追った後、その主に焦点を定めにかかる。

 「見えてる?」と彼はもう一度放る。今度はやや語尾を上げていた。毎回恒例の、大して確認する気のなさそうな、見えてる? は彼の照れ隠しだと知っていた。配信でもステージでも、彼が他の配信者のように「こんばんは~」と陽気に挨拶するのを見たことはない。多分彼の性格上、永久にその陽気さが拝めることはないのだろうけど、その代わりに毎度視聴者の接続状況を淡々と確認する形で彼なりのコミュニケーションをとっているらしかった。

 明るい木調のテーブルの水平線に、グレーのスウェットを着た彼の胴体が映り込む。一拍遅れて、〈見えてますよ!〉〈見えてる!〉というほぼ同一のコメントが爆速で流れていった。


 主にシンガーソングライターとして活動している彼、――亘理貴一わたりたかいちは、月に数回、配信サービスで歌か雑談を生放送している。インスタグラムやフェイスブックはアカウントすら持っていないと公言する彼は、廃人というほどではないけれどツイッターが生息地であるらしい。


 肘をつき綺麗な指を組み、しばらく彼は静止していた。珍しく、彼の傍には何も置かれていなかった。普段、配信が始まったときに彼の膝上にギターがあれば生歌の放送、ちょっとしたドリンクや食べ物が机に乗っていれば雑談、と決まっていた。歌配信の最中に長い雑談が入ることはなく、雑談で話が脱線して歌い出すなんてこともない。彼は自分の動線を統一化する傾向にあった。その理路整然とした態度や安定感みたいなものが、無愛想な彼にファンを定着させているのだろうと思う。

 とはいえ彼の視聴者はほとんどが生歌を目当てに配信に立ち寄るので、最初の数秒で机の上に食い物があれば即ブラウザバックというファンも多い。その為か、配信開始直後に同時接続数が数千人に膨れ上がって、彼の動向を確認したあとに一気に数字が減る、という奇妙な現象が度々起きる。私は、雑談枠発覚で視聴者が減った後、緩流のコメント欄や軽くなった電波の上で「居残り」をするのが好きだった。説明口調で理屈っぽい彼はファンと近況を報告し合いつつ社会情勢や哲学なんかを語ったりしているので、雑談配信は通称「補習」なんて呼ばれている。

 〈今日は何するの?〉〈歌ですか? 補習ですか?〉という声が多く寄せられたところで、突如、机の上に大きめの白い物体が現れた。彼が乱雑にも思える手つきで、手品のように取り出したのはコンビニのレジ袋だった。何やらスナック菓子の袋が透けて見えるそれは、一人で食べるには絶対に多すぎる量の嗜好品が入っている。 

 急すぎる情報に、脳の処理が追いつかない。それから彼が一言も発さず戦利品を机に並べ出すシュールな光景に、〈ちょ、笑 どこから出してんの笑笑〉〈狂気w〉とやや低速のコメント欄が沸き立つ。その中で、〈あー今日雑談枠かあ〉〈雑談なら抜けるわ〉と定例の低い呟きも目立ち始めた。

 彼は特に気にした様子もなく、最後に丸いバケットを取り出した。コンビニの洋風弁当コーナーで見られるパッケージには、「ボロネーゼグラタン」と印字されていた。


「うん、今日は雑談ね。夕ご飯食べながらでいい?」


 両耳に突っ込んだイヤホンから、和楽器の弦を弾いたみたいな心地よい低音がする。


  ボロネーゼ、ボロネーゼ。

 私はリビングのローテーブルから静かに立ち上がった。イヤホンが繋がったままスマホを持って、キッチンに向かい、レトルト棚から「ボロネーゼ」と書かれたパウチを手に取る。余っていた半人前のスパゲッティを湯がけばどうにか夕飯になりそうだな、と頭の隅で考えた。

 カウンターにスマホを立てて、束ねていたイヤホンコードをほどいて延ばす。中古で性能も高くないが、狭いキッチンでの動線であればぎりぎり配信を耳に繋げていられるコードの長さになった。

 彼の話す声は、歌っているときのそれと比べると、信じられないほど小さい。音量を上げていても、食器棚を閉める音や、換気扇の音に、容易に負けてしまう。半ば糸電話でもするかの如く意識を耳に寄せて、私は次の振動を待った。

 ややあって、「いたただきます」と言う彼の低い声色が、手元で束のスパゲッティを折った音と共に私の鼓膜を甘く揺らした。


  *


  亘理貴一の存在を知ったのは4年前、私が高校2年生のときだった。そのとき27歳だった彼は、楽曲提供をメインに活動していた。

後々になって調べてみれば今までいくつものヒット曲に携わっていて、主に作詞の分野では卓越した才能を見せていたらしかった。だがしかしメディアに表立って取り上げられることも少なく、顔出しをせず、私生活をあまり公表しない彼を、ミステリアスだが供給が少なくて長く追えない、と誰かがハッシュタグ付きでツイートしているのを見た。

 私も彼の名前と彼が手がけた有名曲を知っていたくらいで他に彼の何を得たいとも思わず、陰気そうな印象を持っていただけだった。


――作詞も作曲も、表舞台で喉振り絞って歌う歌手の輝きと比べたら、なかなか表層部分に現れないものではありますよね。勿論自分のことを知って貰えるのは凄く嬉しいですけど、……なんて言うのかな、脚光を浴びるのが苦手なんですよ、僕。暗いところから照らす方が好きなの。別に謙虚さとか裏方根性とか健やかな忍耐を持ち合わせていたわけではないです。コミュ障だから多少タスクが多くても1人で理想の完成を追求する方が好きだし、臆病だから、舞台の上で視線に晒されるのが、ただただ怖いっていう、ね。本当に、それだけです。


 デビュー時の彼が、音楽雑誌のインタビューでそう話している文面を発見して、高校生ながら「ちょっとださいなあ」なんて思ったことを思い出す。彼の、己の卑小さに開き直った態度に少し苛立ったのだ。

 美しい体裁というものは、僅かでも壇上で光を浴びるものであれば当然纏うべき衣だと信じて疑わなかった。学生の人間関係であっても多少はその資質が求められた。「正直さ」は「無神経」と同義とも捉えられた。「本音」はちょっとしたスキャンダルだった。もっともらしい言葉を即座に紡ぎ、都合良く動ける人間が「友達」として生き残る。少々穿った見方だが、実際、今まで自分に求められてきたのはそういう立ち回りだった。何かの所属の頭数に入れてもらうことが、自分が何者かであるための前提条件なのだ。

 でも私は何者にもなれなかった。

 大衆に「自分は臆病だ」と言い放った彼以上の何かにすら、ならなかった。



 再び、彼に出会ったのは大学2年生の1月。今から半年前のことだ。

 バイト終わりの平日夜10時。帰宅してすぐ倒れ込むようにソファに顔を埋めた後、何気なくつけたテレビに彼は映っていた。国民放送の教養系の番組で、タレントたちと並んだ電子パネルに彼の名を見つけた。相変わらず首から下だけのオンライン画面越しだったが、音楽家の肩書きと共にコメンテーターとして出演していた。記憶の片隅で、比較的浅い月日ではあったが彼の情報を漁り回ったあの日々が、気まずい懐かしさと共に蘇る。

 彼は、別人のようになっていた。司会者の進行に相槌を打つたびひょこんと揺れる肩。スウェットの胸元にあるクマの刺繍を突っ込まれて照れ笑いする声。批評を振られたときの、落ち着いた口調。人当たりの良い、腑に落ちる言葉選び。

孤高な自我を誇示していたあの日の彼とは別人のようだった。彼は終始丁寧で、穏やかで、挑発的なほどに冷静だった。「ちょっと見ない間に大人になったなあ」なんて生意気に感心しつつ、一抹の不安感も過ぎった。彼の雰囲気は、何か黒い油のようなものを吸収して、重たくなったようだった。私の知らない数年の間に彼が飲まされた鋭利な何かが、その空白を知らない私の頭の奥を突き刺すようで痛んだ。

 言葉の選択。非選択。抑揚、配列、長さ。整然としていて淀みなく、彼の口からそれらが放たれ切った後、私の背中を武者震いのようなものが走っていった。


 なんだ、これ。

 何なんだ、あんたは。

 

 巷でよく聞くような好きだとか尊いとか、そういうどの感情よりも遠かった。けれど、私はその日から、時間があれば毎日彼の動向を追っていた。選択肢のない日々に忙殺されて、真っ黒になっていた私に、彼のスウェットの暗いグレーが穏やかに射し込んだ。

 外を歩けば冬晴れで、コンクリもショーウィンドウも皆綺麗で嫌だった。彼の翳りが、私に一番必要な色だった。



  *


 鉄鍋の中を水道水で満たしている間も、私は全神経を両耳の鼓膜に集中させていた。スマホの画面はカウンターの位置で陰っていて確認できない。でも微かに聞こえる息づかいから、流れていくコメントを黙読しているんだろうなと思う。

 パスタを茹でるために鍋をガスコンロの火にくべたところで、彼の声が戻ってきた。私は慌てて画面を確認する。


「ボロネーゼグラタン。コンビニの名店コラボのやつ」


 〈何食べるんですか〉という系統のコメントを拾いつつ、彼はいつの間にか封を切っていた円筒状の紙容器に、プラスチックの匙を突っ込んだ。ややあって控えめに息を吹きかける音がする。


「美味しい。これ、めっちゃ美味い。絶妙。やばい」


 それからイヤホン越しに珍しくはしゃぐ声がして、私は自然に頬が緩む感覚がした。理知的な彼の語彙が、「美味しい」という単純な幸福で溶かされていく。今度彼の食べているそれと同じものを買って食べたいなあなんて考えていると、いつもの調子を取り戻した彼がその秀でた語彙力を以て具体的な食レポを始めた。トマトの酸味。牛挽肉の甘み。ミートソースのコクや焦がしチーズの引き締めるような旨み……。彼がその味覚を更に噛みしめ伝えていく度に、私の口の中も同じ味で濁っていく気がした。彼はすかさず〈案件ですか?w〉のコメントを拾い「案件じゃないから」と突っ込んで笑う。

 ほんのひとときの和やかな空気のあと、彼はしばらく沈黙した。

 そろそろ、流れてくるコメント欄に不穏な空気が漂い始めているのを感じていた。

〈この間の、あの発言について何も言わないんだ〉〈都合の悪いコメントは読まないって……〉〈正直聞きたくなかったけど、自分の気持ちにけりをつけたいから話して欲しい。〉〈そろそろ、「神様」発言についてご回答お願いしまーす〉

 似通った四角に色とりどりのアイコンが彼に詰め寄った。私はボロネーゼソースを移し替えた器にラップをかけていた手を止めて、彼の動向を伺った。先週の配信で走った衝撃と動揺が尾を引いていた。



 彼の5thアルバム発売決定を記念して、の雑談配信ではいつもの「居残り組」を大きく上回る、異例の同時接続数が観測されていた。アルバムの収録曲の中には、彼が一躍有名になったドラマの主題歌である「ガラテア」もあって、初めて配信に訪れるファンの新規層と、何やら得意げな古参層がひしめき合っていた。

 画面に映る彼の動作もコメントも低速で鈍っていた。彼はこういうとき、どんなお祝いコメントよりも真っ先に〈通信が重い〉という声を拾う。そして丁寧に画質設定を落とすよう呼びかけたり、「見えてる?」を繰り返す。こういうときの「見えてる?」は真剣で、そういうときだけ語尾が少し上がる癖を知っていた。

 その日の彼は珍しくお酒を飲んでいて、今までの配信でも何回か飲んでいたことはあったけど、活動のお祝い報告のときにアルコールを入れることが意外だった。いつもより多くのコメントを拾う彼の、いつもと変わらない声色や口調から察するに酔ってはいないらしかった。既に3本の500ml缶が机に整然と並べられていた。一部のファンの間で有名なリアコ勢が〈貴一くんザルなのかっけえ〉なんて呟くと、彼は珍しくその系統のコメントを拾って、照れたように「ありがと」とだけ返した。その後十数秒、コメント欄が窒息していた。

 アルバムの概要、発売日、販売形態、制作中のこぼれ話などを一通り話し終えた後、彼から「質疑応答」の時間があった。〈今作ってる曲ありますか〉〈CDのジャケは手書きなの?〉と適度に節度をわきまえたものから〈何処出身ですか〉〈結婚しませんか〉という私的なことまで、亘理貴一という存在に対しての感心が一気に押し寄せた。私が、読まれないことをほぼ確信しつつ〈CD特典ありますか〉と送ってみると、あっという間に激流に飲み込まれて1秒と経たずに欄外へ消えていった。

 その中で、〈どうして曲名を『ガラテア』にしたんですか〉という質問を彼は拾った。別に聞いても聞かなくてもいいような微妙なラインの質問に、一瞬コメントの意気が失速する。

 『ガラテア』は、ギリシャ神話に登場する、彫像から人間の女性になった人物の名前である。キプロス島の王、そして天才彫刻家であったピグマリオンは現実の女性に失望し、象牙を用いて、文字通り自分の理想の女性像「ガラテア」を作り上げる。それから本当の人間の女性を愛するように「ガラテア」を愛でるようになったピグマリオンがその愛のあまり衰弱してくると、見かねた愛の女神が「ガラテア」に生命を授け、二人は人間として結ばれる。こんな感じの話だった。

 彼の楽曲の『ガラテア』は、現実を愛せない孤独な若者たちの再生を歌った、切なくも未来を予感させる作品だった。知的な彼が楽曲に専門用語を織り交ぜることは少なくなかったけれど、神話を作品の軸に据えるのは、そういえば初めてだな、と思う。

 彼は暫く押し黙った。それまで殆ど話し続けていた彼の配信が突然、長い沈黙に包まれた。ファンから心配の声が増えて、ようやく、息を吐くように、一言一句、老若男女聞き間違えの無いようなその声で、こう言った。


――俺さ、自分の中に神様がいるみたいなの。


 コメント欄に、理解不能、とファンたちのどよめきが広がった。



 それからしばらく、彼は「神様」について様々なことを話した。

それは3年くらい前に、何かの拍子に現れて、彼の視床下部あたりに棲みついたらしい。何故か分からないけれど、彼にはそれが「神様」だとはっきり分かったという。

楽曲の納期が間に合わなくて過呼吸になりかけるとき、大事な会議で船を漕ぎかけるとき、背骨が抜けたような脱力感で動けなくなるとき。彼は気がつくと「神様」と呼んでいて、そのたびに、肺が健康に膨らむ感覚や、細胞1つ1つが豊かに伸縮する感じがする、生きている心地がする、らしいこと。……彼が音楽家活動で、私たちからは見えない裏方で、どんな苦しさを抱え、どう向き合っていたのか。基本的に明るい性格ではないけれど、彼の口からそんな苦労を聞くのは初めてだった。

 私は、彼の中にどんな神様や怪物がいたって何でも良かった。心の支えが自分の中で完結しているだけ余程大人だと思った。けれど、画質を落とした画面の先で、論文を読み上げるように「神様」を語る彼は、多くの人々に、それはそれは不気味に映っただろう。

 コメント欄は、さっきとは違った意味で激流となっていた。中でも一番多かったのは〈精神病だろうな〉や〈心療内科の受診をおすすめしておきます〉で、二番目に多かったのは〈聞きたくなかったな……〉〈こういうことをわざわざ発信されるのは如何なものか〉という、まあ、よそよそしいが致し方ない当然の反応だった。

 信仰や崇拝、というものが、たとえ他者を傷つけず、個人の心を守る範疇で、真っ当な真理を説いていても、この国では公然と語るにはためらわれる風潮があった。常識的な彼がそれを知らないわけがないし、例え「神様」がいたとして、彼はそんなことを言う性格だろうか。


 ――何においても、それが選択可能な情報であるならば、受け入れたくない人は耳を塞げばいいし目を瞑ればいい。

 

 いつかの「補習」で、メディアリテラシーについて問われた彼が、配信でそう語ったのを思い出した。

 何故、今日、彼の活動の節目となるような大事な配信で。何故、この不特定多数が、耳を塞げないかもしれない状況でこういうことを言ってしまったのか。どうして。減っていく閲覧数を見ながら、私はそんなことを考えていたような気がする。


 

「ごめん。先週の配信で、急にああいうことを話してしまったことはお詫びします。本当に申し訳ない」


 彼は、グラタンを食べる手を止めて頭を下げた。画面の上端に、さらっとした黒い髪の毛が映り込む。そのまま数秒、頭を下げたまま彼は静止した。画面の中が沈黙すると、無音になったイヤホンの外側から、鉄鍋の水が沸騰する音がした。慌ててパスタを取って熱湯の中に入れる。乾麺の先端数センチが一瞬でへたるのを見届けて、塩をひとつまみ、入れる。

 彼は静かに上体を起こし、静かに口を開いた。


「また軽率に『神様』とかいうと色々な人が言質を差し押さえに来そうなので慎重に釈明するね」


 彼が「釈明」という言葉を使うのを聞いて、少なくとも彼の言動が一角で小さく炎上したことを、認識してはいるらしいと分かった。ツイッターで、ハッシュタグ付きで寄せられた呟きの中には心ない言葉も少なくなかった。彼は、それを読んだのだろうか。


「色々厳しいお言葉を頂きまして、改めて自分のことを見つめ直すいい機会になりました。もう、一部の人にとっては俺がこの先何を言っても納得できる人はいないと思うし、理解したいとも思えないのかもしれない。それでも、話すね。

……うん、自分の言葉で端的に言い表すならば、あれは、生きていくために必要な、闘い方、だったんだと思う」

 

 生きていくために、必要な、闘い方。

 私の中で、遠い昔に石になった感情が、空っぽになった気管支に落ちていった。

 飲み込めない辛さは何度も経験してきたのに、腑に落ちることが痛いのは初めてだった。


  *


  四つ上の姉がいて、これがどうしようもなく疎ましい存在だった。平仮名で「あすか」と書く名は見事に彼女の体を表していて、今日か明日しか見えていないような単純な脳みその構造をしているらしかった。要するに、ある程度成長したら誰もがやっている、時間の連続性を認識するということが出来ないのだ。誰のおかげでここまで育ち、誰に迷惑をかけながら生きてきたか、まるで分かろうとしない。誰かに依存せずに自立して生きることを目指そうとしない。 

 それでも私が高校1年生になる頃には高卒という肩書きをもって就職し、下宿先で周囲の人に助けられながらなんとか親元を離れて生活していた。そしてたった1年半で、妊娠して仕事を辞めて帰ってきた。大学生である、腹の子の父親を連れて。

 幸運なことにというかなんというか、姉が連れてきた男は妊娠の事実を知っても音信不通になったりしなかった。姉の体調を気遣い、赤ちゃんの検診には常に連れ添い、一生面倒を見るつもりだと私の家族の前で丁寧に頭を下げた。姉ととても気が合うという彼は、伸びた語尾に鼻歌までくっついてきそうな楽天家だった。

 姉の娘が3歳になった頃、私が大学に進学したことを聞きつけた姉は、予想通り「未紀を預かって欲しい」と懇願してきた。親になってからようやく未来というものが見えだしたのか、彼女は本格的に働くようになった。旦那は取り敢えず大学を卒業してから働くようで、卒論とバイトと子育てという限界状況の中で日々を送っているらしい。

「ねえ、真央、お願い。お母さんたちも年だから、3歳の子と1日中遊ぶのは体力的に限界なの。真央は大学生なんだし、今はリモート授業がメインなんでしょ? お願い。ちょっと家の中で、目を離さずにいてくれればいいから」

 朝の7時に現れた姉に玄関先でそんなことを喚かれ、時間が無いから真央が預かってくれないならここに子供を置いていくとまで言われ、本当に置いていったので私は仕方なく未紀を家に招き入れた。未紀はしばらくおとなしく座っていたが、リモート授業を受けるためにノートパソコンを開き、イヤホンを両耳に突っ込んだ瞬間、大声で泣き出した。

 あそんで、あそんで、あそんで、と床を転がり回る未紀を、私はなるべく見ないようにした。目を離さずにいてくれればいいからと言われたが、それは怪我をしないように注意していろというだけで、小さい子の癇癪に付き合えという意味ではないはずだ。私は未紀の泣き声が聞こえなくなるまでイヤホンの音量を上げた。ややあって教授が出席確認をとりはじめ、板書のためにノートを開いたときのことだった。

 パソコンの画面が瞬時に横にスライドしたかと思うと、そのまま机の端で傾いて、その机の端には転がって泣いていたはずの未紀の頭が見えた。咄嗟に手を伸ばしたが遅かった。未紀の頭でバウンドしたパソコンはぱきゃっと軽い音をたてて床で真っ二つに割れた。講義が流れていた画面はぷつりといって暗くなった。未紀が頭を抑えてまた大声で泣き出した。彼女が当たったのは薄いノートパソコンの、しかも平たい面だったから、そこまでの痛みではなかったはずだ。それでも未紀は呻き泣く。私の顔を伺いながら、泣く。泣く。泣く。泣く。状況からして、パソコンを充電していたコンセントを、彼女が強く引っ張ったんだろうなと思う。

 あーあ。このパソコン、高かったのに。

 だから両親に、あすかには進学したことも一人暮らしをしている住所も教えないでって言ったのに。

 それからしばらく、真っ黒な日々が続いた。正常じゃない自分の精神性が嫌で、それらを打破する能力を1つも持っていないことが更に情けなくなった。何か、誰か力をくれる存在が欲しくて、その名を呼べば何もかも許せるような世界に飛び込みたくて、何の名前も呼べずにただ喘ぐだけの毎日だった。



 私は鍋の中で茹だるスパゲッティを菜箸で泳がせながら、リビングのソファで眠る未紀にそっと目をやった。今年4歳になった彼女は少し長めのお昼寝をしていた。姉は何だかんだ1年も私の家に通わせ続けている。両親は、たまに見る孫の顔は可愛いのか、たまにふらっと私の家まで会いに来る。

 この1年間、私は徹底的に彼女を教育した。やっていいこと、わるいこと。箸やはさみの使い方。靴の履き方、揃え方。子供というのは単純なものなのか、自分に感心を向けて貰えることが嬉しかったようで、未紀は素直に私の言うことを守るようになった。

 こうやって、現状を打破しようと立ち上がれば、未来はこんなにも変わってくるのに。

 「こんなはずじゃなかった」という言葉を、私は人生で辟易するほど聞いてきた。

母と一緒に姉を迎えに行った病院の待合室で。学校の生徒指導室前で。父が頭を抱えていた夜中のリビングで。子供を育てるのにそう楽観視できない現実が迫っているのを、薄々感じ始めている姉夫婦の前で。

 「こんなはずじゃなかった」と聞く度に私は体中の産毛が逆立つような苛立ちを覚える。こんなはずじゃなくても、生きていかなきゃいけないんだよ、と、彼らの背中を蹴り飛ばしたくなる。

 人生には何時だって小説みたいにご都合展開が待っているわけじゃない。現実逃避をして方向性を誤認して、何の解決にもならないのに辛さを吐露して。そうすれば人生が好転するわけでも、区切りがついてもう一度白紙の人生が手に入るわけでも、ない。

 生きていくからには、闘わなければ、いけない。生き抜いた未来に、希望的観測なんてものが、何一つ、見えなくても。


 生きていくために必要な闘い方は、人それぞれだ。


 正常に生きていくために、私が選び取った闘い方は、やっぱり褒められたものではなかった。私が年々聴力を失い続けた原因は、イヤホンで大音量の音楽を聴き過ぎたことだという。中学生の時は、薄い壁越しに聞こえてくる姉と両親の3人家族の喧嘩を遮断するためにイヤホンを詰めた。高校生の時は、生まれたばかりの未紀が夜泣きする声を遮断するために、その音量を上げた。聞こえてくる旋律はどれも美しかったけど、本当は歌の中身なんてどうでも良かった。意味も繋がらないような歌詞を分解して、少しでもマシな夜を組み立てるのに必死だった。

 彼の――亘理貴一の作った音楽が私の中でようやく繋がったのは、半年前に再会してからのことだった。冷静に歌詞が噛み砕けるようになって、私は耳栓の代わりでない音楽の聴き方を、初めて知った。


 「微分」「修辞」「アポトーシス」「正弦波」「官能基」「デュナミス」。

 彼のつくる歌詞には必ず学術用語が入っている。作詞の天才と呼ばれる彼の歌詞は、「圧倒的な二物衝撃」とよく表現された。数多の単語の中で、ありふれた形容詞と無作為に化学反応したそれらは、いつも意外性を持って私たちの心に落ちた。学生時代、ただ受動的に叩き込んだだけの無機質な知識たちに温度を与えてくれた。


――自分の楽曲を聞いてくれるのは圧倒的に十代とかの若い子たちの層が多くて、じゃあその人たちに僕は一体何をしてあげられるんだろうって考えた時に、できるだけ彼らに身近で、伝わりやすくて、密着した素材は「学校」だなあって気づかされたりしましたね。本当に、不本意ながら。


 1ヶ月ほど前の雑談配信で、ファンの一人から作詞のこだわりについて質問されたとき、彼はそう答えていた。最後の「不本意ながら」という嘲笑に、〈学校嫌いやったのかな〉〈貴一くん学校行ってなさそう〉というコメントが流れ出す。「学校は行ってたよ。行きたくないと思いながら生きてたら、結局大学生になるまで通ってた。みんなもそんなもんじゃない?」彼の低い呟きに、有象無象のリスナーたちは揃って同意する。「でも、正直真剣に日々を生きていなかったから、素材集めには苦労してるかも」……彼はそれだけ言って、そそくさと次のコメントを拾っていた。


 鍋に蓋をして画面を確認すると、いつの間にか、彼のボロネーゼグラタンは空になっていた。攻撃的なコメントの数は減って、同情的だがやや他人行儀な気配りが流れていった。

 空白に言葉を落とすような呟きばかりが、沈黙を揺らし続けていた。彼だけが破れる沈黙だった。


「乗り越えるって言葉をさ、

ちょっと簡単に使いすぎていたのかもしれない、俺は」


白いレジ袋を手繰り寄せながら、なんでもないことのように言うのが、また彼らしい。


「子供の頃に、大真面目に大人を恨んだり世を憎んだりするのって、その人自身にとっては皮肉にも『大人になるための』契機って言うか成長のエネルギーになったりするんだけど、そういうのを俺はもっと大事にすべきだったのかもしれない。無理に切り捨ててたから。真っ当に生きている自分が欲しすぎて」


 画面の奥でアイスのシール蓋をべりべり剥がす音が聞こえる。

真っ当に生きている自分が欲しすぎて。私も同じだった。下らない反発心にいじけている自分が恥ずかしいと思ったから、先生とも親とも無駄に対立するのを避けた。従順さが大人なのかと問われたらそうだとは言わないけれど、結局私は好評価という実利を取った。理不尽なことも受け入れて、受け入れて、そしてたまに真っ黒になる。そしてまた真っ黒になった自分も何とか切り捨てて、前を向く。

でもさ、と彼は続けた。


「大人になるって、何だろうね」


 彼は画面の奥で、固いアイスの表面を銀のスプーンでこそぎ取った。なんか痛い大人みたいだね、俺。と彼は無感情な声で呟く。

大人か。

そっと、デビュー時の彼の雑誌インタビューを思い出す。数年後にテレビ番組で見た彼の変身ぶりを、思い出す。古参ファンの中には、〈本当に貴一くんは成長したなって思うよ〉と感じ入っている人もいたけれど。

違う、と私は思った。彼は、大人になりたくなかった人だ。反社会的な無知の甘えなんかじゃない。真剣に、音楽と言葉と寄り添いながら、春の感傷を失いたくなかった人だ。


「今、俺は一人でも多くの若い人たちへ言葉の梯子を伸ばしていて、そう言う仕事を選び取った先に生きているんだけど、俺が学校の窮屈さみたいなものから抜け出せてもう何年経ってんの。もう荷が下りた俺から、今生きづらさを抱えて学生やってる10代に、何を届けられるんだろう。高校生の時の新鮮な感覚、たとえば失恋とか仲違いとか将来の不安感みたいなものはもう覚えて無くて、そろそろ賞味期限が切れそうな『人間不信』とか『大人になりたくない』って感情を、自分の中に、必死につなぎ止めて、歌に乗せてる」


 彼の喉の奥で、ぎりぎりまで溜まった言葉が、表面張力を失って零れ出すようだった。


「そういう負の感情が、自分の中から消えていくのを実感するのが怖いときもある。作りたいもの自体が、今の若者へ伝えたいもの自体がどんどん心の中から黒く冷え固まっていって、かつて同じ気持ちを持って苦しんだはずの自分がどんどん過去のものになっていくの。そうすると、本当に寄り添えてるのか分からない、独善的な同情心ばかりが出てくるような気がするんだよ。

……こういう自分になりたくなかった。もっと、大人になりたくない君たちに寄り添っていたかった。上手に繕って世を渡っているように見えて、本当はこんなことをしたくないのにって泣く、誰かの背中を隣でさすってあげたかった。でももう駄目かもしれない」


 聞きながら、私の直感に暗雲が渦巻いた。そう遠くない未来、彼が表舞台から降り立ってしまうかもしれないという予感が一瞬だけ、心臓を掠めた。


「ああいう歌詞を書くことがもう限界だって気がついて、厭世っていう、自分を守っていた銃口を下ろした瞬間から、これから何に自分の身を託して生きていこうかって模索していたのが、丁度『ガラテア』の制作期間だったの。そのとき辺りかな、多分。俺の中で『神様』なるものが爆誕したのは。活力不足にあえいでいた自分に思いがけず訪れた、新しい闘い方だった」


 そのとき、強く引っ張られる感覚と同時に急に耳からイヤホンが抜け落ちて、彼の音が世界から消えた。見ると、昼寝から起きた未紀がイヤホンのコードを掴んで立ち尽くしていた。私の耳から引っこ抜いたイヤホンを持ったまま、彼女は不機嫌そうにコンロの方を指さした。スパゲッティを茹でていた熱湯が噴きこぼれていた。幾つもの白い筋が鉄鍋にこびりついている。

 また無意識に音量を上げすぎてしまっていたらしい。

 火を止めたあと未紀の手からイヤホンを返してもらい、再び耳に詰め込もうとすると、「おなかすいた」と彼女は腕を引っ張った。「配信が終わるまでちょっと待ってて」と言いかけて、……ふと、止めた。

自分の耳から、疲れ切ったように伸びたイヤホンを取り上げた。配信途中の画面をスクロールすると、コメント数は大分減っていた。今なら律儀な彼に、自分のコメントを読んでもらえるかもしれない。

 だけど。

 配信画面のままスマホの電源を切って、鉄鍋から噴きこぼれた湯の筋を拭った。


 かみさま、と静かに呟いてみる。彼と同じように、その名前が原動力になるか試してみたかったのだ。しかし、背筋をせり上がる生命力なんてものは感じなかった。肩を落とした脱力感と同時に浮かんだのは彼の歌声だった。もう駄目かもしれない、と零していた彼は、それでもきっと全生涯をかけて音楽に言葉を乗せ続ける。大人になりたくない若者が、少しでも現実を愛することができるように。自分の心が求めれば、誰かの名前を呼べるように。


 たかいちくん。


 声帯ぎりぎりでその言葉は留まった。違和感が首をもたげた。

 彼の名前を呼びたくなった自分が「違う」気がした。


 スパゲッティを茹でた熱湯をシンクに流し込んで、白い皿を2枚並べた。結局、誰の名前を呼べなくても、大人1人分にもならない量の夕飯を未紀と分け合って大人にならなければいけないのが、今の私なのだ。だけど、何度でも真っ黒になってしまう私のなかでグレーをくれる神様は、亘理貴一ただ1人だった。

そんな彼を追い続ける私の感情も、やっぱり「好き」とも「尊い」ともつかなかった。それでも、彼の活動している限りは、ふとした瞬間に、私は心に彼を呼び出し続けるのかもしれない。


 今は、それでいいと思うことにした。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ガラテア 中野 茶屋 @saya-nakano_7

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ