第XXXX期「秋」の選考会(最終審査)

ナナシマイ

十五番 ハルト・ヨネザワ

「十五番、ハルト・ヨネザワです」

 静かな声だった。それは覇気のないようにも思われて、しかし、秋季審査員Bは感心の唸りを隠すためわずかに俯く。

(……面白いじゃねえか)

 春を意味する音を名に持ちながら、来期の「秋」を決定する選考会で最終審査に残ったヨネザワ。この異例の事態に季節監理局は彼の噂で持ちきりだ。やれ秋への冒涜だの、やれ上層部に伝手があるんじゃないかだの、どれもこれも根拠のないものばかり。実に煩わしいと、秋季審査員Bは騒ぐ局員の相手をすることにうんざりしていた。部下も含め、秋季審査員はみな純粋な秋だけを選んできたというのに。

 それでも秋季審査員Bがヨネザワの審査担当になったのはこの最終審査が初めてであり、ヨネザワを書類上の評価でしか知らないこともまた事実。はたしてどのような秋で魅せてくれるのか、期待と懐疑に目を光らせた矢先の、この簡素な自己紹介である。

 俯いたまま隣席の様子を窺う。そこに座っている秋季審査員Aもまた、ヨネザワの審査を担当するのは今回が初めてだ。

 ほっそりとした無表情には、面白いものを見つけたというような、愉悦の感情が覗いている気がした。

「……そう、ハルトくん。よろしくね」

「よろしくお願いいたします」

 ヨネザワが言葉を発するたび、審査会場の空気は涼やかに揺れる。それはまるで、草の先からほとりほとりと垂れる朝露のようで。

「じゃあ早速だけど、ハルトくんの思う秋を教えてくれる?」

「はい」

 秋季審査員Aの目を見てしっかり頷き、それから、彼は瞑目した。

「………………」

「……ハルトくん?」

 緊張による忘失か。そのまま黙り込んでしまったヨネザワに秋季審査員Aが声をかける。呼びかけに応じてヨネザワの瞼がゆるりと持ち上がった、次の瞬間。


 審査会場が、審査員が、秋に包まれた。


(っはは! 体験型かよ)

 息を呑んだら最後、呼吸器官を通し、香ばしい穂の匂いが肺を侵食していく。己の臓器が燻されるような感覚に、秋季審査員Bは思わず天井――があったはずの空を仰いだ。

 ピーイ、ピーイ……。高く澄んだ青に響くのは、岩山の旅鳥が発する硬質な鳴き声。艶のある涼風は深く紅葉した木々のあいだをすり抜け、優しく愛するように表皮を撫でた。ぞわりと丹田たんでんが震え、営みに悦びを覚える者たちは夜の長さを知る。

 これこそが秋なのだと訴えかけてくるような、壮麗な魔法。

 その発生源。控えめな笑みを湛えて立つ青年に、改めて審査員たちの視線が集まる。

 通常、候補者はまず自身が目指す秋を表明し、それから内容に沿った実演を行うものだ。実り豊かな秋の食材を使用したごちそうの提供であったり、世界中の巨匠が手がけた芸術作品の展覧であったり、最終審査に残った他の候補者たちのそれも確かに素晴らしいものではあったが。

「これは、そう。言葉は要らないわけね」

 秋季審査員Aの呟きに、審査員全員が首肯した。どこまでも穏やかな空気をまといながら、躊躇うことなく当たり前をすっ飛ばしてみせたヨネザワの豪胆さに好感が滲む。

「はい。……いえ、でも」

 しかしこれだけでは終わらない。

 穏やかなまま、ヨネザワの雰囲気が、その本質が、変化する。声と同じく静かに凪いだ瞳は、さらなる深みを宿す。

 凛と張りつめた空気の中、穏やかであり続けるヨネザワは孤高ですらあった。

「言葉は、必要です。言葉があるから、心は心たり得る――」

 沈みゆく陽。紅葉をさらに染める赤は、夜の帳を引きずりまとった。

 散らした金糸が鈴の音を鳴らすビーズを縫いつける。

 奥行きのある夕景はひたすら長閑やかで、こちらに干渉してくることはない。世界がただの傍観者であることを如実に表していた。

「季節というのは、結局のところ、心のありかたなのだと。そう、僕は思っているので」

 だから感じてみせろと、秋を掴んでみせろと、ヨネザワは微笑みながら審査員を見やった。冷徹とも取れる薄い笑み。彼らは煽られていることに気づくことなく、心の底の蓋を開ける。

 記憶が押し寄せ、世界に溶け出す。

 いつかの、が。

 自分たちは、これらを、なんと言い表してきただろうか。とくとく言葉が溢れてくる。溢れて、感情の形になる。

 知らず、秋季審査員Bの頬を一筋の光が伝った。

(……悲しいわけじゃねえ。嬉しいとも、違う。なら)

 タペストリーのような、この複雑な感情こそが。答えは初めからあり、今ここに完成しようとしていた。

「一つ、聞かせてくれ」

 秋季審査員Bはひたとヨネザワを見据える。ただ、純粋な、本物の「秋」を選ぶという使命感に突き動かされて。

「なぜお前は、秋となることを望む?」

 言外に季節監理局で囁かれている噂のことを匂わせた問いかけに、ヨネザワは目を瞬かせ、それからふっと息を吐く。

「大した理由はございません。秋が一番美しいですし、単に好みなのです。……と、いうのは建前で――」

 いえ、もちろん本音でもありますけれど。そう言って、彼は一度、眉を下げてやわらかく笑った。

 返答次第では即座に候補から外す、という秋季審査員Bの思考までは読み取れず、それゆえに気負うことがない。

「――ないものねだり、なのかもしれません」

 圧倒的な雰囲気で審査会場を支配しておきながら、あくまでも自然体を崩さない「秋」の候補者。

 お手上げだというふうに秋季審査員B以下審査員らは苦笑し、そうね、と息を漏らした秋季審査員Aが静かに来期の「秋」を決定した。

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