身体を売りたい私の話
間川 レイ
第1話
私は、ずっと前から、身体を売りたかった。それこそ物心ついてから、なんてのは大袈裟だけど、身体を売ると言う概念を知ってから、ずっと。何故、と言う質問に答えるのは難しい。日常が退屈だったから。他者から与えられる快楽というものに興味があったから。そうした理由は勿論ある。だけど、1番大きいのは、この身体を汚したかったというのがあるのかもしれない。ぶち壊したかったというのも、あるのかもしれない。親からもらった大事な身体を。かけがえのない、大事な身体を。
いいや、親からもらった尊い身体であるからこそ、私はめちゃくちゃにこの身体を壊したかった。無茶苦茶のぐちゃぐちゃに。それこそ、尊厳まで破壊して。何なら犯されたかった。ボロ雑巾みたいになるまで犯されて、ゴミみたいに打ち捨てられたかった。被虐願望がある訳ではない、と思ってはいる。私はただ、親が嫌いなだけだ。
私の親は、厳しい人だった。成績が悪いと言っては殴り、礼儀作法がなってないと言っては殴り、他人への態度が悪いと言っては殴った。ただ殴るだけではなく、壁に叩きつけたり柱に叩きつけたり机に叩きつけたり髪を引っ張ったり家を追い出したり家に閉じ込めたり料理を出さなかったり料理を投げつけたり。罵倒したり嘲笑したり絶叫したり嫌味を言ったり皮肉を言ったり。兎に角色んなことをされた。
ある時など馬乗りになって何十発と殴られさえした。そのような経験のない人にはわかるまい。いつ果てるともなく殴られつづける感覚を。最初は何とか防御しようとするけれど、防御越しに響く痛みに段々防ぐ気力も失われてくる。手を挙げるのも億劫で、殴られるのに身を任せる。段々私の身体が私のものという意識も薄れてきて、手足が殴られる反動でぶらぶら揺れるのを他人事のように眺めている。痛みというのは感じられない。私はここで死ぬのだろうという感覚がぼんやりと湧き上がってくるが、不思議と恐怖さえ感じない。あるのはただ早く終わって、終わりにしてという気分。時間の感覚さえ失われた頃、今日はこのくらいにしといてやると言って解放する。そんなのが私の親だった。
親との思い出でいい思い出なんてものはない。いつだって親に対する憎しみを滾らせていたし、早く死なないかといつだって願っていた。親が死ねば、やっと私は自由になれる。自由に息を吸える。親が外出するたび、神様にどうか事故を起こして親が死にますように。出来れば2人ともセットで、とお祈りしていたことは私だけの秘密だ。
何なら、私が殺してやろうかと思っていたことさえある。寝込みを襲って。包丁で滅多刺しにして。そうしてやれればどれだけ幸せなことか。でもそれはできなかった。両親は2人とも身体を鍛えるのが趣味で、運動神経も抜群だ。体つきも立派だ。それに引き換え、私とて身体を鍛えてはいるものの、健康診断で下される診断はいつだって痩せすぎの一択。到底勝てる未来が見えない。返り討ちに合うのが関の山。それに第一、両親を殺せば私は捕まってしまうではないか。自由になりたくて両親を殺すのに、それで捕まってしまっては何の意味もない。
だから、私は親がいない子が羨ましかった。片親がいない子を見てなんて恵まれているのだろうと思っていた。親が片方でも減れば、その分子供は傷付かなくてもすむ。親とは、子供にとって最も不要なものの代名詞だ。親というのは、子供を傷つけるだけの存在。それが私にとっての親というものだった。
だからだろう。子供の頃の人権講話で、親御さんからもらった大事な身体です。大事にしましょうという話を聞いてから自傷行為に走るようになったのは。親からもらったものなら、ぶち壊してしてしまっても構うまい。それが大切なものなら尚更だ。そう思って。
私の身体を傷つけるのは、喜びだった。皮膚が醜く引き攣つるのが、刻む切り傷が増えていくことが、今まさに親からもらった物を壊しているという実感があった。皮膚が裂け、赤黒い血が流れ、中の肉が見えるたび不思議な達成感があった。解放感と言い換えてもいい。ざまあみろと思いながら私は私を傷つけた。私を切り刻むのは気持ちが良かった。私が壊れていく解放感は格別だった。肌の下で脈動する肉だけは、何だか可愛らしく面白くさえみえた。私は狂ったように私を刻み続けた。刻んでいるときだけは嫌なことも忘れられた。親に殴られる恐怖も。親に怒鳴られた憎しみも。私の赤黒い血を見れば、不思議と刺々しい気持ちも和らいだ。
ただ、そうした事を続けていけばいつかは飽きる。飽きるというよりマンネリ化する。惰性で自分を傷つけるようになる。大してストレスも感じていないのに何となく自分を傷つけるようになる。ストレスを感じた時に今までのように自分を切り刻んでも以前ほど気持ちは安らがなくなる。だから私はもっともっと深く私を傷つける。肉の奥底まで抉り出す。それでようやく多少は気が晴れるけれど、それでも以前ほどの爽快感はなかった。自分を切り刻むのはつまらない。そう思うようになってきた。それに、これ以上やれば私は死ぬ。本能的に、そんな予感があった。私は私を傷つけたいけれど、別段死にたい訳ではなかった。だから私は模索した。私を傷つける方法を。不可逆的に汚す方法を。その頃からだろう。私が身体を売りたいとぼんやりと考えるようになったのは。
身体を売りたいと思う最後のきっかけは親戚だった。大体その頃は私が高校生のとき。身体も女のものになってきて、親戚同士の集まりでも結婚の話が話題に登り始めるぐらいのころだった。地元に根付く古い家ということもあって、私はまだ高校生であるにも関わらずかなり踏み入った話もされた。必ず結婚しなさい。何があっても子孫は残しなさい。それが第何代目かにあたる貴女たちの世代の義務なのです。亭主は大事にしなさい。孝行に励みなさい。うんざりだった。私の意向なんて気にもしない。第一、私がどんな目に遭わされているか知りもしないくせに。助けてすらくれないくせに。私はそもそも、親になんかなりたくない。家族なんか、持ちたくない。あんな人たちみたいに、なりたくない。
そんな、反発もあったのかも知れない。どこの誰とも知れぬ男たちに貞操を捧げ、遊んでいればいずれそんなことも言われなくなるかも知れない。誰とでも寝るような遊んでる女と言われれば、もう私に構わなくなるかも知れない。そんな期待も、あったのかも知れない。
それに、若干の興味もあった。肉体はたくさん傷つけた。たくさんの痛みを知った。だけど、私は肉の味を知らない。それはやっぱり、痛いのだろうか、なんて。痛くてあって欲しかった。痛ければ痛いほど、取り返しのつかない感じがあるし、私の身体が穢されていく感じがするから。気持ち良くてもいい。気持ちよかったら私はそれに依存するかも知れないけれど、それはそれでいい。とにかく、私は気晴らしが欲しかった。このクソみたいな現実を見なくて済む気晴らしが。そしてそのための方法は私を傷つけるものがいい。だから私は身体を売りたかった。
だから私は人と付き合った。同級生とも、先輩とも、後輩とも付き合った。告白されたら、絶対にNOとは言わなかった。晴れて沢山付き合った。沢山お話しした。沢山デートした。何回も、そういう関係になろうと誘われた。
なのに、なのに。私は処女を捨てられなかった。私の身体は清いまま。私は、そういう行為にまで進めなかった。他人に触られることに耐えられなかった。他人の温もりを感じることに耐えられなかった。
他人の温度を感じるたび、親に殴られたことを思い出す。他人の浮ついた愛の言葉を耳にするたび親の顔がちらつく。何より顔に触れられるのが最悪だ。頭を掴んで何度も叩きつけられた思い出が蘇る。顔に触れられるたび耳奥に怒声が反響する。キスをしようと顔に手を添えるたびやめて、触らないでと半狂乱になり泣きじゃくる。何とか自制しようとさまざまな手段を試した。それこそイメージトレーニングから中々グレーな手段で手に入れた精神安定剤まで。駄目だった。本番直前で私は必ずパニックを起こす。顔に触れなくても、他人の身体が私の素肌に触れることそのものに耐えられなかった。親の教育が原因か。それとも何か他の原因があるのかは分からない。だけど大事なのはそんな状態で行為になど及べるはずがないということ。皆白けた顔で出ていった。やがてヤバいやつとでも噂がたったのか、私と付き合おうとする人すらいなくなった。
私は身体を売りたかった。不可逆的に私の身体を壊したかった。いっそそういうお店に行ってしまおうかと思った。買うのでも売るのでもいい。だけど、体に触れられる嫌悪感がそれを妨げた。他人と触れ合う恐怖がそれをしりぞけた。身体は売りたい。だけど触られると思っただけで吐き気がする。
だから私は処女のまま。そのままズルズルと歳をとり、今でも身体を売れていない。その代わりと言っては何だけど、手首を切る代わりに大量のアルコールで肝臓を痛めつけ、大量のニコチンで肺を腐らせながら生きていく。身体を売れない代償行為として。不可逆的に身体壊して穢して生きていく。それが私の選んだ道。
そして今日も今日とて生きている。タバコを燻らして。身体売りたいなとぼやきつつ。そうして今日も生きていく。
身体を売りたい私の話 間川 レイ @tsuyomasu0418
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