腹黒王子から逃げる方法


 その、数日後。



「こんにちは。クローディア嬢。体の調子はどうかな」

「ご、ご機嫌麗しく……」


 僅かな家族愛が芽生えたフライエンフェルス家に、アレン殿下がやってきた。

 お父さまやお兄さまがいない隙を狙ってやってきた殿下に、何の目的だろうかと肝が冷える。


「護衛がいてすまないね。これは僕の一番信頼している騎士なんだ」


 殿下がそう言うと、殿下の隣に控えていた騎士さまがぺこりとお辞儀をした。


 彼のことは小説で知っている。王太子アレンに忠実な黒髪の騎士、カイル。彼はリリアナに恋をしながらも主君のためにその思いを心に秘め、最期はリリアナを守って死ぬというとんでもなく心臓にくるキャラだ。実は最推しだったりする。


 どうか生き延びてほしいなあ、死ぬ運命にある者同士頑張ろうね……そんなことを心の中で思いつつ、わたしは「こんにちは」と挨拶をした。


 そんなわたしにじっと目を向けたあと、殿下が優雅に紅茶を飲みながら、「全部うまくいったみたいだね」と微笑んだ。

 本当に天使みたいな微笑みだ。彼の本性を知っているわたしにでさえ、その笑顔の裏のどす黒い本性はまったく感じられない。


 だからこそ余計に怖い。わたしは将来の処刑防止に備えてどんな些細なミスもしないよう、とにかく丁重に慇懃に振舞った。


「はい……すべては王太子殿下のおかげにございます……」


「いいや、今まで辛い境遇に耐え、最後に勇気を出した君のおかげだよ。イザークも非常に後悔をしていたね。後悔したところで、許せるようなことではないかもしれないけど」


「いえ、そんなことは……」


 わたしがひたすら引き攣った笑顔で答えていると、殿下が目をゆっくり細めて「一つ、質問をしても良いかな」といった。


「? 質問、ですか……?」

「うん」


 訝しんで首を傾げると、殿下は微笑んだまま。わたしをまっすぐに見つめた。


「不思議に思ってたんだ。君は、僕をすごく怖がっているなって」


 ――……あ。

 殿下の柔らかな微笑に、初めて影のようなものが見えた。


「初めて会った時は、辛い境遇から人を信用できないのかと思った。しかし君は今日初めて会ったはずのカイルに、ずいぶん気安い笑みを見せるね。そして自分に辛くあたったイザークには、家族愛以外に何の感情もなさそうだ。それに――思えばあの教育係に対してさえ、君は怯えている様子はなかった。泣き真似も見事だったね」


 じっとりと手汗をかく。

 袋の中に逃げ込んでしまった鼠のような気持ちで、わたしはただ殿下の青い目を見つめていた。


「最初から君は、僕にだけ怯えているね。どうしてかな。君の言葉から察するに――まるで僕が、君を殺すような人間だと知っているみたいだ」


 ぞくり、と肌が粟立った。これは恐怖だ。


「君がなぜか会ったこともない僕を王子だと見抜いていたのは、まあ――推測したのだろうということにしよう。ただ、どうして君は僕を王太子と呼んだのだろう。王位継承権があるとはいえ、僕は兄のスペアでしかない、第二王子なのに」


 自分の失言を悟った。

 そうだ。兄がいる彼は、この時点ではまだ王太子ではなかったのだ。


 何も言えずに固まっているわたしに目を向けて、殿下が小さく首を傾げた。


「この世には『予知の聖女』がいるという。――もしかして君が、そうなのかな?」

「ち、違います!」

「……ふうん?」


 飲んでいた紅茶のカップを机に置き、殿下は「今日はここまでにしておくよ」と言った。


「近いうちに、またくるね」

「で、殿下……」

「大丈夫だよ。僕は、多分君を殺さないと思う」


 多分って。

 殿下がわたしに目を向ける。面白そうな玩具を見つけたような、活きの良い鼠を見つけた子猫のような――そんな、ひどく恐ろしい笑みだった。


「こんなに興味を引かれる人は初めてだ。これからもよろしくね、クローディア嬢」





 ◇



 ――九年後。

 桜の花びらが舞う、超難関学園の入学式で。

 わたしはようやく手に入れた安堵に、幸せを噛み締めていた。


 この九年間、わたしはとても頑張った。語るも涙聞くも涙の、ありとあらゆる努力をしてきたと思う。


 まず、処刑回避は最優先として。

 その他に小説の中で巻き起こる、血生臭い出来事をなんとかしようと尽力してきた。


 アレン殿下に殺される運命にあるほんわか第一王子の命をなんとか守り、アレン殿下を殺そうとする王妃さまの悪徳を暴いて穏当に修道院に行ってもらい、隣国と戦争にならないようお父さまや殿下ブラザーズに助言をし――結果、戦争は回避。ギリギリだったがどうにかこうにか、その辺りの努力は報われた。


 しかしここまで動いてしまったせいか。わたしは現在珍獣枠として、ますます殿下に粘着されてしまっている。


 嫌がらせのように頻繁に打診される殿下との婚約は、わたしに溺愛メロメロになってしまったお父さまに泣きついてギリギリ退けられている。


 正直殿下と一緒にいるのは、楽しい時もある。

 わたしのやりたいことや疲れた時などすぐに察して動いてくれるし、会話がはずむ。


 何よりわたしと一緒にいる時に、幸せそうに笑ってくれる姿がとてもかわいい。


 しかし。結婚したらきっと終わりだ。

 珍獣に飽きた殿下から、身に覚えのないあれやこれやの罪を着せられ、投獄のち処刑されるに決まってる。絶対に絶対に、殿下との婚約のち結婚は避けたいのだった。



 ――とはいえ私にはたった一つだけ、勝算があった。


 それは殿下が未だ恋を知らない、年頃の男ということ。


 小説の中では、隣国との戦争が始まったせいで殿下は学園に入らず、戦場を駆け回っていた。女っ気がない中唯一出会った魅力的な女性、それが即ちリリアナだったのである。


 なんとなく、ピンときた。これ、リリアナじゃなくてももしかしたら落ちるのでは? と。


 わたしが――今は殿下が行く筈だった学園は、身分確かなものだけが入れる王侯貴族専用の学園だ。

 ぶっちゃけお金と爵位さえあれば誰でも入れるその学園、美貌を磨きに磨きあげた、美男美女がとても多い。


 いくら人の心がないサイコパスでも、めちゃめちゃに可愛い女の子に擦り寄られたらどうなるか? そんなの、陥落するに決まってる。


 殿下は国一番モテる男性なので、それはそれは多種多様な美女たちが、殿下を陥落してくれるはず。そうなったらひっそり生きている珍獣のことなど、きっと忘れてくれるに決まってる。そうなればちょっと寂しいけれど、その四百倍はホッとする。


 そんな完璧な作戦を立てたわたしは、こっそりと別な学園に入学することにした。殿下はわたしを愚かな生き物だと思っている節があるので、この実力派を謳う学園――どんなにお金や爵位があっても、頭脳や強力な魔力がなければ入れないこの学園に入学できるとは、まさか夢にも思ってないだろう。


 そんなことを思いつつ、わたしは密かに期待していることがあった。

 平民もいるこの学園ならば。殿下を知らない一般市民と、恋人になれるかもしれない。


 なんと宝の持ち腐れなことにこのわたし、クローディアは婚約者どころか初恋もまだなのだった。


 わたしが夜会に出た瞬間、殿下に忖度した男性たちが引き潮のようにわたしから引いていくからだ。おかげで私はここ最近イザークと、殿下の顔しか見ていない。ひどくない?


 しかし殿下がいない今。笑顔がかわいくてちょっと悪い一面を持つ、そんな美青年と交換ノートとかできるカモ……などと、乙女で幸せな妄想に浸っていたとき。


 後ろから、絶対に聞こえてはいけない声がした。


「やあ、クローディア」

「……!!」


 ギギギ……。そんな音を立てて振り向くと、そこには殿下が穏やかな笑顔で立っていた。


 わたしと同じ学園の――制服を着て。


「そのお化けでも見たような顔、傷つくな」

「……!!」

「嘘だよ。全然傷ついてないから、そんなに怯えないで?」


 楽しそうに笑いながら、殿下がわたしの髪に触れる。

 そうしてわたしの髪に絡んだ花びらをとりながら、小さく笑った。


「あれから九年経ったけど。君は相変わらず、僕を楽しませてくれるね」


 くすくすと天使のようなら顔で邪悪に笑いながら、殿下がわたしの耳に唇を寄せる。


「クローディア。ここまで僕の心を掴んだかわいい君を、離してあげられるわけがないだろう?」


 そう言いながらわたしの手をとり、殿下が指先に口づけた。


 心臓が恐怖にどんどこ音を立てる。体が無意識に火炙りを連想したのか、頬がどんどん熱くなる。


 そんなわたしの姿を見て、殿下ははにかんだような笑みを浮かべて。


「赤い顔もかわいいね」と、囁いたのだった。


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転生先が、十年後に処刑される予定の幼女! 皐月めい @satsuki-meei

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