死に判定士

源ミナト

死に判定士

しわくちゃな髪の毛が枕を埋める。

リクルートスーツの背広にもその影響が見えており、寝伏せた体の重みを感じさせる黒色がまたさらに状況を悪く見せているようだ


磨かれた爪、均一に整った長さ。綺麗な線を引いた指の節は滑らかで、皮膚には艶がある


腰に丸みがあり、ようやくそれが分かってきた。彼女、リクルートウーマンの廃れて落ち延びたような格好には孤立という字が相応しい


部屋のカーテンの漏れ日が、付箋された手帳を一筋照らすがそれは他愛もない幻想だ。


実際はゴミ箱に捨てられた手帳を照らす、なんともわざとらしい朝の陽である



彼女は夢を見ているか。

灰色の景色がやってくる。

四角の部屋にこつんと椅子が降り、

にょろりと机が生えて、彼女の姿が天井から垂れてくる。


溶けた粘土のように、輪郭はぼやぼやとまるで形を成そうとはしないがいくらか人であるとは見受けられる


そうしている内に、

部屋のあちこちに穴があき、彼女の部屋は穴だらけになって、どうにか机と椅子が取り残せている


誰がつけたのか。ご丁寧にドアが現れた。

一本の線で引かれた簡素なドアだ。


いや、ドアは横に開いた。

横戸だ。横戸を開き、彼はやって来た

公共施設に出向いてくる役所の現場作業員のような出で立ちで、鞄一つも持たずに彼は

判定士がやって来た

そう、彼女を判定しにやって来た


部屋の穴ぼこを避けながら、彼女の一心不乱の絶望を観察し、彼はゆっくりとその対面に座る


椅子もなく座布団もない


だが彼の背は腰から伸びて胴体を長くした。

まさに真上に持ち上げた、猫のような寸胴である



「やあ。こんにちは」

「判定、しにやって参りました」

「死に判定士です」

「今日はどうされました?」


先にも後にも控えている。

昨日、今日を受け持って明日に再び訪れる


医局員のような軽やかな質問具合は、その判定士独特のものであるかは判別しがたい


だが現に、今彼はそう名乗っているのだから

死に判定士と呼ぶが正しい



「ずいぶんとまた穴が空きましたね」

「ここにあったものはどうされました?」



判定士の質問に、彼女は答える素振りはない。この会話にはやや一方的な方向で進まねばならないが、それは判定士には簡単な問題である


ただこちらから判定をし、話を進めてしまえばいい


そういう態度で彼は近くの穴を覗きこみ、いとも容易く軽く手を突っ込んだ。


ひょいっと何かを掴みあげると、ノートパソコンが彼の手中にやってきた。

そのパソコンと共に繋がっているとある機器も、彼は上手に穴から掬い上げる。

針先のようについてきたもう一つは、デジタル描画に必要なタッチパッドである



彼はその平板をパソコンに重ね、穴の空いていない床へと置いてみる。


すると間もなく、パソコンを置いた床に穴があき、またスルスルと穴の中へと消えていった



「なるほど。どうりで何もないわけだ」

「いやあ。随分と死にたがりのようですな」



この言葉に彼女は一つ頷いた。

ようやく示した意思である



「分かりました。ではもう少し判定してみましょうか」



彼はそう言って、胸ポケットから数枚のカードを出した。


その一枚は「恋愛」と書かれている

彼は恋愛をテーブルへ置いた。

するとテーブルも穴が開き、そのまま床の穴へと落ちていった


さらに一枚は「財布」である

彼は財布をテーブルへ置いた。

財布はやや時間をかけてゆっくり沈み、穴へと落ちていったが、彼はそのカードをもう一度テーブルへ戻した


さらに一枚は「未来」である

彼は未来をテーブルへ置いた。

未来は即座に穴から落ちていき、テーブルは開いた穴を閉じて未来を見えなくした



「なるほど。未来は嫌ですか」

「そうですか。まあそうでしょう」

「未来なんてものは必要ありません」

「ですがまあ取っておいても損はないでしょうし、財布にしまっておくのはどうですか」



彼はそう言って、また未来をポケットから出してテーブルの財布へしまいこんだ


カードには隙間などないが、彼にかかれは薄っぺらいカードの中にも指を忍ばせる



さらに彼は「家族」「友人」を取り出して

テーブルへと置いた。

今度は何も起きず、財布と同様にテーブルに残った



「やや。困ったな」

「どちらか捨てきれませんか」



彼がそういうと、音となって聞こえるぐらいに「しぶしぶ」と友人が沈んでいき、穴へと落ちていった



彼は次に「過去」をテーブルへ置いた。

過去はまるでテーブルなどなかったかのようにするりと抜けて、恋愛と同じ穴へと落ちていった



「あぁ。ダメですよ」

「恋愛と同じ穴は大変危険です」

「別にしましょう」

「友人でどうですか」

「あなたと深く関わりのある方にしましょう」


彼女は彼の声に頷いて、彼はまた過去を家族の穴へと放った




「さて。だいぶ分かりました」

「あとはこれですね」



彼は「趣味」をテーブルへ置いた。

すると部屋中の穴からたくさんの物が一度だけ顔を見せて落ちていった


数えられただけでも、キャンプ用品、漫画、映画館のポップコーン、ヘアメイク、化粧品、ゲーム機器。溢れんばかりにあった



だが穴から飛び出ることはなく、床へとついた物達は新しい穴ぼこをあけて落下していき、テーブルに置かれた趣味もまた

またどこかの穴へと落ちていった



「そうですか。趣味も落としますか」

「まあ。財布が落ちなかっただけでも」

「良しとしましょう」


「では判定の結果をお伝えしますね」

「貴女は今、『可能なら死にたい』となっています」

「出来ることならばではなく、『可能なら』です」

「現実的に許されて可能なら、貴女はきっと死にたいのでしょう」

「未来を落とせば『どうにかして死にたい』になりますが」

「貴女には財布があります」

「財布は捨てられませんか?」


彼女はまた一つ頷いた



「では。貴女は『可能なら死にたい』わけですが」

「財布に挟んだ未来は死ぬ前に捨てても構いませんが」

「財布は捨てずに残しておきましょう」

「えぇ。その方がきっと良いでしょう」

「では。判定も済んだので終わりに致します」

「あぁ。もう一度念を押しておきます」

「貴女は」

「『可能なら死にたい』のです」

「決して、『今すぐ』ではありません」

「よくお考えになってから未来を捨ててくださいね」

「では」



判定士は穴ぼこに落ちぬよう避けていき、見映えのない横戸を開いて去っていった。


彼女の灰色の部屋には穴ぼこがある。

穴からはたまに彼女の楽しげな笑い声がする が、穴はそれを塞いでいるようだ。


テーブルに残った、

財布に挟まれた未来のカード


彼女は財布を手に取った。

彼が置いた時は薄っぺらいが、未来一枚挟んだ隙間には、ごっそりと札束で詰まっていた



彼女がそれを見ていると、落ちた穴から這い出てこようとする趣味がいる

それにつられてさまざまな物達も顔を見せる


彼女は財布から未来を抜き、床へと放った。

膨らんだ財布はまた薄っぺらくなった


未来は趣味と同じ穴へ落ち、趣味はそれを見て追いかけた





明くる日の。

とある一室が騒がしい。

家族が泣いている。

ほとんど何もない部屋に作業員が出入りしては写真を取る。

ゴミ箱の手帳には付箋と共に「買い取り領収書」が束ねて挟まっていた


それとは反対に、厚みがない高級なレシートが彼女のゴミ箱から見つかる


桁の違う酒代に、桁の違う装飾代

桁の違う渡航費に、桁の違う贈呈費




家族を見舞う女がやってくる


その夜、男のいる店に女がやってくる


女の部屋のテーブルには恋愛と財布が残っている


買われた男の部屋には財布と未来だけである


家族の部屋には過去だけがある



灰色の家族の部屋のもとに、死に判定士が今度は豪華なドアをあけてやって来た



「やあどうも」

「判定、しにやって参りました」

「死に判定士です」

「今日はどうぞよろしくお願いします」



灰色の男の部屋にも、両開きの扉でやって来た

「やあ。しばらく」

「判定、しにやって参りました」

「死に判定士です」

「本日はどうされました?」



灰色の女の部屋にもやって来る。

扉はない。どこから入ったのかすら分からない


「やあ、ご無沙汰です」

「判定、しにやって参りました」

「死に判定士です」

「今日はどうされますか?」



女は財布から趣味を引き出して、テーブルへと置いたが、判定士は嬉しそうに笑った



「ややぁ。趣味は金になりますなぁ」

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