第34話 石榴の正義
「優秀な猟犬は狩人の友だろう」
その首元へと白銀の刃口を押し当て、男は再び己が表情消したまま淡々と告げた。
ゲームエンド。
元々ソフィアと男には隔絶した力量差があった。ここまで長引いていたのは偏にファルシュ、いや双子を捕まえるまでの時間つぶしに過ぎない。
もしもっと足が速ければ。
もしもっと周囲を警戒できれば。
もしもっと、もし、もし、もっと、もっと……
――もしもっと、戦う力があれば。
「……ごめん、なさい」
大概の人が使える魔法の、たったひとつすら使えないことを気に病んだことは、生まれてこの方あんまりなかった。
偶然か教会にいる周りのシスターは誰も使えないし、第一魔石式の魔道具が充実していれば不便はない。
生まれつきだから仕方ない。
どうしようもない。
考える必要もない。
はずだった。
「ごめんなさい……何もできなくてごめんなさい……!」
ファルシュの呟いた言葉が最後の一押しになった。
深く息を吐いたソフィアは銃を足元へと投げ捨て、両手をゆっくりと天へ突き上げた。
選択肢はない、既に二人は獲物へと格下げされているのだから。
「それでいい」
必死に鞄を抱き抱くファルシュの腕を蹴り飛ばし、男が乱暴にそれを取り上げた。
血鬼族の膂力に魔法の強化が入れば、ファルシュの膂力すらたやすく超えてしまえる。
いや、それどころか儚く嫋やかなソフィアですら、魔道具による強化魔法が加われば、ファルシュの目にもつかぬ戦闘ができてしまう。
絶対的な格差、理不尽なまでの絶望。
変わらない日常から離れて初めて分かった、自分がどれだけ矮小な存在なのか。
どれだけ他人に優しくあろうと、力がなければ何一つ為すことなどできない。
「羨ましいものだ、考えなしの衝動で動ける蒼さが」
「かふ……っ」
男の革靴が深くファルシュの腹部へと突き刺さり、軽々と吹き飛んでソフィアの足元へと転がった。
痛い。
いたい。
こんなに痛い、耐えられない。
心が、痛い。
「っ、ファルシュ!」
「だが高い代償になった。騙すようで悪いが戒律でな、警告されなお踏み込むのならば逃がすことは叶わん」
ほしい。
誰かを守れる力が欲しい。
優しくしてくれた少女を、理不尽を押し付けられる姉妹を。
たった一度だけでいい。今のこの瞬間だけでいい。
無茶な空想なんて叶えなくていい。絵空事のような無敵じゃなくていいから、何でもできるような力じゃなくていいから。
ほしい。
「喰え」
男の指示に合わせ双狼が前傾の姿勢をとり、深淵すら見えぬ大顎ががばりと開く。
彼はもはや手を出すまでもない、とでもいうかのようにくるりと背を向け、静かに玄関へと歩いていった。
ひどく何もかもがスローに見える。
銃を拾う暇もないと判断したのだろう。ソフィアの柔らかな銀髪が大きく跳ねて、ファルシュへと覆い被さってきて。
けれどファルシュはソフィアに抱き着かなかった、身を挺して庇わなかった。
ただシスター服のポケットへと、指先は自然に向かっていた。
これが今やるべきことだと、たった一つの選択肢だと分かってしまったから。
「ああ、あなたの名前は」
熱い。
つまみ上げた指先が燃えるほどの熱を伝えてくる。
いや、これは自分自身の滾る高ぶりからだ。守りたいなら戦えと叫んでいる、力ならここにあったのだから。
天秤、天を衝く剣、勇ましき女神が示すのは十一。
拾ったときは何も映っていなかった黒いカード、だが今はこれだけ力強い姿が描かれているではないか。
使い方は今すべて理解した、
「――おはようございます、
あれだけ震えていた膝が今はしかと立てる。
立ち上がり、大地を踏みしめられる、
見据えろ。
何も握っていなかった両手にしかと伝わる重量感。
深紅の輝きを湛える巨大なメイスが風を叩き切り、今目の前にいる大狼の横っ面を――
「――ハァァァァァッ!!!」
殴り飛ばしたッ!
「今ですソフィアっ! 銃をっ!」
吹き飛ばされた一匹を尻目に、二匹目がすさまじい勢いで突撃をかます。
先ほどまでは翻弄されたその速度、だが今はどうだ。
分かる、見える、避けられる!
いまだ魔石はセットされていないが十分だ。
元々の高い身体能力を後押しする強力な強化魔法は、起動して数秒の彼女を歴戦の戦闘員へと様変わりさせた。
「ソフィアっ! 大丈夫ですか!」
だがファルシュがどれだけ声をかけようと反応がなかった。
暗い予感が心を覆う。
双狼は確かに強いものの、かの男はより一層の技量と膂力を持っていた。
まさか彼女は既に致命傷を受けていたのではないか。
一度心が逸れば確認せずにはいられない。
戦闘の隙、小さな祈りと共にどうにか背後へ振り向く。
「大丈夫ですかそふぃ……あ……!?」
すべての言葉を吐き出せずに、喉が引きつり口をつぐむ。
蒼銀の銃。
何度もファルシュを救ったソレが、今は自分へと向いているのを理解したから。
「あ、あの」
無意識に喉を鳴らした。
彼女の表情はいつも凛としているが、確かにそこには憤怒が宿っている。
そして間違いなく、その激情が向かう先は自分自身だ。
月明かりの夜、少女は言った。
自分を信じていいのかと。
飄々とふるまう彼女の見せた小さな本音、ついこぼれてしまった年相応の心。
カードをいまだに持っていることを裏切りと捉えたのか。
カードを巡る噂話、ファルシュが敵対する可能性を感じたのか。
どうすればいい? 今この状況で、どれだけの言葉を重ねれば自分の心を理解してもらえる?
何も思い付きはしなかった。
文学的才能など無い。恋文のひとつすら書いたことのないファルシュに、壮大な言葉などとっさに浮かびようもない。
だから、ただその蒼い瞳を見て、四文字だけを呟いた。
「信じて」
彼女の目つきがぎゅうと鋭くなる。
けれど躊躇わず細い指先へ力がこもり――背後から襲い掛かる狼の口内へと吸い込まれ、貫いた。
「突然何を言ってますの!? おばか! 戦闘中に振り向くなんて! 今更そんなこと言われずとも当然でしょう!」
ただのシスターには荷が重い! BUILD @IXAbetasmash
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