『逆転裁判』のBGMから思った事

たてごと♪

『逆転裁判』のBGMから思った事

 『逆転裁判』のBGMについて思う事がある。



 初代のは、妙にぼくに刺さった。

 ちょうせん的ゆえに粗削りな部分も多くみられたけど、どことなく光るものを感じた。

 でも『3』になってから、それが霧散してしまった感じがした。

 別に悪くなったとは言わない、むしろ良くもある。

 ただ、良い、だと思った。


 裏切られたと思った。

 でも見ると、『1・2』はすぎもりまさかず氏という方が作曲担当だったのが、『3』から力量不足を感じて別の方に交代した、とのこと。

 知ってみれば、怒りは悲しみに変わった。

 前作のふんを踏襲しよう、ってがんった部分もうかがえたけど、でも結局は「別物」だとしか感じられなかった。

 ぼくは結局『逆転裁判』のBGMに、よりもを求めたのかもしれない。


 そしてそれは、ぼくの脳内辞書へのヒット率のの話かもしれないし、第一印象の影響の話かもしれない。

 それでもぼくにとっては、という限定だけれど、前作には「そう来るか」「それアリか」みたいのが有った。

 後作には意外性が感じられなかった、つまり良いは良いても「うんうんそうだよね」という系統のそれしか無かった。

 だからぼくの中では、『1・2』のBGMは同シリーズの他作よりも評価が高い。


 もちろん『逆転裁判1・2』の曲も、いいと言う人は少なくない。

 でも『3』からもっと良くなった、って声がやっぱり多い。

 結果それで、ご本人的にも交代は正解だった、とのご認識らしい。

 それでも『3』での担当交代は、とにかくぼくには残念だったんだ。

 だから何だ、ってわけでもないけれど。


 あ、もう1つ言う事あるわ。

 狩魔豪のボイスかっこええ(



     †



 ただ、どちらが「プロとして正しい」かと言うなら、それは後者。


 まず、プロとして一番大事なのは「採算の勘定」。

 そもそも客は、どんな曲を買いに来るのか。

 その客に対して、自分の作品は1曲いくらで売れるのか。

 これを月に何曲売れば、生計が成り立つのか。

 ちなみに駆け出しの作曲家が、1曲で5けたをもぎ取れる事はまず無くて、5000円も行けばいいとこ。

 月の生活に10万円必要なら、月20曲売らないと命が危ない。


 〝プロは厳しいんだぞ〟とは言うけれど、なぜ厳しいかと言えば当然、生活がかるからなんだ。

 もちろん兼業という手もあるけど、これが専業には太刀打ちできないのは言うまでもないかな、経験に差が出るから。

 で、音楽を売るって実は結構ニッチな商売だから、それでは仕事として成り立たない。


 そう考えていったとき、そもそも人は知らない物には触わらないから、特定の人に強く刺さる系の作品は、一般受けしない傾向が強い。

 世に売られている音楽が、だいたいなのは基本このため。

 「みんなの好みが収束する帯域」に商品が集中する結果、それが普通というポジションになるためだ。

 つまり商品としては、オリジナリティは希薄じゃないといけない。

 だからプロの仕事はよりもとがるよりもきたりの王道、という選択にどうしてもなる。


 あと「コンスタントな生産」も。

 プロ作曲家は一般に「日に10曲はラフを出す」「うち2〜3曲は提出候補に残る」くらいのオーダーが要求される。

 初めのうちは何とかなっても、そのうち大抵が息切れしてくる。

 〝1000曲作ってからが本番〟なんて言葉もあるけど、曲数かぞえてるレベルじゃそもそも仕事にならない。

 「息切れしています」などと漏らしている人に仕事は頼まれない、知ってる単語数だけアピールした挙句「すみません訳せません」などとのたまう通訳に仕事は頼まれない。

 「業務が当たり前にこなされること」が、プロではひっになる。


 要するに〝自分の好きな事をやってる場合じゃない〟ことを、理解しなきゃいけない。

 それがかなうのは、すでに人気が取れてる大御所だけ。

 基本は完全に顧客の奴隷、それが商売というもの。

 創作畑ほど勘違いされやすい事だけど、〝なりたい職に就いたからと言ってやりたい仕事ができるわけじゃない〟。



 ぼくIT情報処理やってたけど、シーASMマシン語みたいに、CPU中央制御装置に近い低次マニュアルのプログラムしてるのが性に合う。

 やっぱそこにロマンがある、「hackハックしてる」という実感がある。

 でもITerアイティーヤーになって回ってくる仕事は、マクロやスクリプトなどの高次オートマプログラム、それかPCから離れて大型はんよう機のCOBOL共通商業事務処理言語やらシステム設計、あるいは機器設置や障害対応とかの運用保守など。

 そんなのばっかりで、CもASMもほぼ出番なかったね。

 まあ低次マニュアルにしか扱えなくて、引き継ぎするとき人材に困るから、仕事でやるなら避けるべきというのは当然の判断。


 演奏家にがく書く仕事ももらったけど、ほとんどが既存曲のアレンジ。

 ぼくの曲をいいと言ってくれる人は沢山いたけど、プロの演奏家が生演奏シーンで提供しなきゃいけないのは間違いのないもの、つまり

 とその客は二度と来ない、それが「必需品でない物を売る」「代替品がほかに多数ある物を売る」って事だから、プロほど冒険をするわけにはいかない。

 そして人は、知らない曲の演奏なんか聴かないから、良いとか悪いとかじゃなくて、オリジナルにはそもそも需要が無いんだ。


 姉貴が美大出で、ガチの油彩もいけるいっぱしの画家とも言えるけど、あれは某ゲーム会社に就職して。

 ひと昔前に音ゲーやり込んでた人なら、もしかしたら姉貴の作品を見た事あるかもだけど、結婚退職するまでずっと「なんか3Dばっかで」と苦笑してた。

 でも当時は〝時代は3D!〟だったから、企業としてはそれが当然の戦略だった。


 やりたい事は基本、仕事ではできない。



     †



 「プロ・アマ」って区分けがあるけど、アマチュアは基本的にひとつの宗教。

 自分の考えはこうだ、って物を提示するやつだから。

 つまり他者からの承認を成立条件としないわけだけど、もっと言えば承認を成立条件としてしまうと、宗教がねじ曲がる。

 そしてこのアマを否定すると、文化が発展しない。

 多様性が消失するからね。


 プロフェッショナルは、それと完全に逆。

 対価をいただくということは、他者からの承認を得るということ。

 そのためには何でもしなきゃ成立しないし、場合によっては自分の宗教も曲げなきゃいけない。

 それが商売をするということ。

 そしてこのプロを否定すると、文化が支えられない。

 制作基盤が消失するからね。


 だからどっちも必要なんだけど、真逆のものだけに「自己表現も見返りも」と欲張ると、自分が何をやってるのかわからなくなって、何も達成できずに終わる。

 〝一度はプロになったけどアマ転向した〟〝プロ・アマの二足わらじでやってる〟って人が大勢いるけど、つまりその違いは技術レベルの差じゃない。

 んだ。



 せっかくプロデビューできたのに、打ち切りくらって消えてく作家が多いのはほとんどの場合、ここらへんを了解してなかったからだと思ってる。

 ぼくも長い文章書いてるけど、これについて「ほかのだれにも追従できないようなとんでもない文章書いてる」と、自信をもって断言できる。

 〝平和という概念は人類には早すぎる〟なんてことのを、一体ほかのだれが書けてると言うんだ、これは間違いなくユニークだ。

 けれど、その評価を見てみればどうだろう、はしにも棒にも引っ掛かっていない。

 そういう事。


 ぼくの場合は「()頭の中のものをまず外へ出すこと」を第一目標にしてるから、それでも構わない。

 というか、アマチュアとはそれのみに専念するもので、人からの評価などそもそも気にするものじゃないと考えるし、そして自分はそうしてやっていく、という覚悟ももう完了している。

 けれど、それじゃあイヤなんだって人は、やり方を考えないと立ち行かないかと思う。

 なぜなら、大半の人は「人気得点という人からの評価」を目当てとして創作をしてると思うけれど、それは金銭獲得を目的としながらも結局は「人気獲得を目標とするプロ行為」と、まったく違いの無いものだからだ。

 それはもはやアマチュアではなく、ゆえに創作のアドバイス、特に成功者によるそれは得てして、プロ的な観点にかたよってされがち。

 〝アドバイスごときで何故、自分の素晴らしい考えが否定されなければならんのか〟と怒り狂う前に、しとかなきゃいけない分別があるんだ。


 アマでやるのか、アマチュアでやるとはどういう事か。

 プロでやるのか、プロフェッショナルでやるとはどういう事か。

 その意識は大事。



゠了゠

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