最終話  狐と蛇の祓い屋

 稲刈が終わり、茶色の土がむき出しの乾いた田んぼが広がる景色の中を、一台の車が進む。

 車内ではカーナビが、目的地周辺であることを告げていた。

 減速しながら、運転手は左手にある林へと視線を向ける。


《祓い屋 お気軽にどうぞ!》


 唐突に現れた、木板の看板。

 ウィンカーを出した車が、左折する。

 駐車場らしきスペースはないが、なんとなく、それ以上進んではいけないような気がして、運転手は車を停めた。


 車から下りてきたのは働き盛りの男で、表情は、どんよりと暗い。

 見るからに不健康そうなその男は、どう見ても普通の民家でしかない建物をしばし見つめてから振り返り、何かを確認した。


《祓い屋 お気軽にどうぞ!》


 そこには間違いなく木板の看板があり、目の前の民家が目的地であることを告げている。

 この場所を教えてくれた知人も普通の民家だと言っていたから、ここが目的地で間違いないのだろう。


 未知の世界へ踏み出す緊張からか、男が抱えている問題のせいか、胸の奥に大きな石でもあるかのように息が詰まる。

 己を奮いたたせるように深く息を吸って、彼は足を踏み出した。


「客か」


 唐突に掛けられた声。

 人の気配はしなかったというのに、視線を向けた先には、着物姿の一人の男が立っていた。

 その男は濃紺の着物をまとい、長い黒髪を片耳の下で緩くまとめている。立っている位置から推測するに、玄関ではなく家の裏手から出てきたようだ。


「あの、細井さんからの紹介で伺いました。お祓いをしていただけると聞いて」


 細井というのは、SNSで知り合った趣味仲間だ。

 リアルでも面識があって、趣味仲間で集まって出掛けたりもしている。

 最近、ずっと体調が優れず、仕事以外では引きこもりがちになっていた。

 気分転換にと出掛けたオフ会で、細井から言われたのだ。「連れて来ちゃったんですね」と。

 そうして、この場所を紹介された。


「細井?」


 男の眉間に皺が刻まれたことで、不安になる。


「えっと……常連だと聞いたのですが……」


 どうしたものかと困っていた男の耳に届いた、清らかな鈴の音。


 無意識に視線を向けた先には、人影が二つ。

 新たな登場人物が、家の裏手から現れた。

 揃いも揃って玄関から出て来ないことから考えるに、庭仕事でもしていたのかもしれない。


 思わずぽかりと、口が開く。


 あまりにも美しい女が、そこにいたからだ。


「いらっしゃい。細目さんから聞いている」


 美しい女が、涼やかな声で告げた。

 女の傍らには茶色い髪の男がいて、寄り添うように、女の片手を握っている。

 この民家の住人らしき三人の男女は全員、着物をまとっていて、まるで違う時代へ迷い込んでしまったかのような錯覚に陥った。


「細目さんは、細井さん。どうにも覚えられんな」


 女優やモデルなど、世の中で美しいとされる職業の女性たちとはまた違う「この世のものとは思えない」という言葉がしっくりくるほどに美しい女が、明るく笑う。


 対して、傍らにいる茶色い髪の男は、これといった特徴がない。


「いつの間にやら、馴染みとなったな」


 女の笑みへ、柔らかな温もりを伴い返された言葉だった。

 雰囲気から察するに、この二人は恋人か夫婦かもしれないと、男は思う。


「ああ。あいつか」


 どうやら黒髪の男も思い至った様子で、眉間から皺が消えた。それから「なるほど」と呟き、黒髪の男は、客をまじまじと眺める。

 黒髪の男は、美丈夫だ。

 顔立ちの整った背の高い男から注目されたことで、自ずと体が強張った。


「あんたも、オカルト趣味とかいうやつか」


 細井から連想したのだろうと、頷いた。


「穢れがこびり付いている。臭いも酷いな」


 茶色い髪の男が顔をしかめ、着物の袖で鼻を覆う。同時に、傍らに立っていた女を隠すように抱き寄せた。


 臭いと言われたために己の体臭を確認するも、自分ではわからない。

 

「その状態では、だいぶ体もつらいだろう」


 茶色い髪の男の腕の中、女が告げる。


 ここを紹介してくれた細井は「彼らは本物だ」と言っていた。

 おおよその金額を聞き、多めに現金も用意してきている。


「あの……助けて、いただけますか?」


 客の言葉を受け、黒髪の男と茶色い髪の男が、美しい女へと視線を向けた。

 つられるようにして向けた、視線の先。

 全ての視線を受け止めて、女は迷うことなく、頷いた。


 その後、体験した出来事は神秘的で、安易に語ることは憚られる。

 一言、言えるとしたら「彼らは本物だ」という、事実のみ。




   ※




 田舎の片隅にある、何の変哲もない民家。


 しばらく空き家だったそこへ、いつの頃からか住人が戻った。


 民家のそばには神社があり、住人が戻ったのと時を同じくして、崩れかけていたそこもきれいに整えられたようだ。


 時折、人が出入りしているが、住人ではなく客のようで。

 食材の配送業者のトラックが入っていくのを見掛けることから、日々の買い物をそれで済ませているのだろうことがわかるのみ。


 民家の入口には、昼夜を問わず木板の看板が置かれている。


《祓い屋 お気軽にどうぞ!》


 住人が戻った頃から置かれている、その看板。

 どうにも胡散臭いが、近隣に広がりつつある噂では、評判は良いようだ。


 長閑で平和な、田舎町。


 狐と、蛇と、彼らの花嫁が営む祓い屋は、今日もそこで営まれている。

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狐と蛇の祓い屋 よろず @yorozu_462

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