神と嫁の日常
12話 二柱の神と花嫁とおはぎ
朝晩だけでなく日中の気温も下がり始めた、ある日の午後。
いつもの縁側に座る雪乃が纏うのは、愛らしい菊が咲いた着物。
雪乃が持つ着物のほとんどは、
二人からは着付けを主に教わったが、九尾が雪乃の世話の全てをやりたがるために、あまり活かせていないのが現状だ。
雪乃の化粧も髪結いも、九尾がやる。
彼に触れられる幸福を感じたくて、雪乃は抗わずに身を任せている。
縁側に座るときには当然のように、九尾は雪乃を膝に乗せる。
彼のぬくもりを背に感じながら、どうでも良いことを話していると、時間はあっという間に過ぎていく。
口が悪く態度は横柄ではあるが、
夏休みの間に世話した少年たちに懐かれたようで、対価である掃除が終わってからも彼らは何だかんだと理由を付けて遊びに来ており、
縁側で寝転び、雪乃と九尾の会話に参加しながら酒を飲むこともあれば、ふらりとどこかへ消えることもある。
どこかへ消えるといっても、大抵は家の敷地内か、九尾の社にいるようだ。
雪乃の能力のおかげで、たまに客が引き寄せられてくる。
訪問者の困りごとを解決してやり、対価を得て、細々とではあるが、祓い屋の仕事を続けていた。
「おい、狐。茶を淹れろ」
今日もどこかへ消えていた
「私は蛇の使いではない。……何を持ってきた」
背中に感じる声の振動。
雪乃は、後頭部を九尾の鎖骨あたりに預けながら、
「おはぎだとよ」
大股で縁側までやってきた
右手で持っていた容器を、雪乃の前へと置いた。
「この前の、おばあさんかな?」
「持ってきたのは孫娘だ。一緒に作ったらしい」
「帰ってしまったのか?」
「お前らの邪魔をしたら悪いからと言っていたな」
「邪魔などとは思わないのに。なあ、きゅうちゃん」
見上げた先。九尾がこくりと頷いた。
ちょうど小腹が空く時間。茶や取皿の支度をするため雪乃が立ち上がろうとすれば、
そのまま、雪乃の体はぽすりと、
「狐の仕事だ」
「私でも出来ることだ」
「お前の淹れる茶は、まずい」
「きゅうちゃんは美味いと言っていたぞ」
「それは世辞だ」
彼らは、過保護だ。
九尾が雪乃のそばを離れる時には必ず、
恐らく、それは九尾を安心させるためで。息を吸うように、
家の敷地を囲うようにして九尾と
結界の外では、何でも引き寄せてしまう体質から体調を崩しやすくとも、結界内ではこれといった問題はないというのに。九尾が、雪乃が一人になるのを良しとしないのだ。
何だかんだと言い合いながらも、九尾と
「びゃくは、どこへ行っていた」
九尾が戻るのを待つ間の、とりとめのない会話。
「狐がうるさいからな。箒を持って酒を飲んでいた」
「掃除をするふりか。結局、バレたら叱られるぞ」
「ガキどもが来たら、やらせる」
「子どもたちを顎で使うな」
「代わりに守ってやっているんだ。問題ないだろう」
くすりと小さな笑みをこぼし、雪乃は空を見上げた。
「毎日が、穏やかだ」
「良いことだろう?」
「とても良いことだ。だが、昔は想像もできなかった」
九尾が戻ってきて、雪乃は
おはぎが入った容器を囲んで座り、まずは、温かな茶をすすった。
真っ先に箸を取ったのは
取皿を手にすることなく、大きな口でがぶりと半分。
そうして、あっという間に一つを腹に収めてしまってから、湯呑みを取った。
九尾は、皿に取ったおはぎを雪乃へ手渡す。
お礼の言葉と共に受け取り、雪乃は左手で箸を持った。
小さく切った、おはぎを口へと運ぶ。
「うん。美味い」
思わず顔を綻ばせれば、それを見た九尾が、優しく表情を緩めた。
九尾も自分用におはぎを一つ皿に取り、雪乃よりも大きめな欠片を箸を使って口へと運ぶ。
九尾の食べ方は上品で、
彼らは特に食事を必要としないのだが、食べられない訳ではないと、昔聞いた。
味覚や好みもあって、九尾も
おはぎを食べ終わった後は、雪乃は九尾と共に食器を片付けに台所へと向かう。
小腹が満たされ、気だるい気配。
家の中を満たすのは水音と、食器が奏でる微かな音。
雪乃は顔を上げ、九尾の横顔を盗み見る。
縦長の虹彩の、金色の瞳。
ふわふわして柔らかな、茶色い髪の毛。
客と会う時に変化させる人間らしい瞳も嫌いではないが、幼い頃から見慣れている今の瞳のほうが、雪乃は好きだ。
「そういえば、耳と尻尾だが」
唐突に切り出せば、雪乃の隣で九尾の体が強張った。
「もう、やらないぞ」
「なぜ?」
「雪乃が、むやみやたらに触れてくるからだ」
「狐の姿の時だって、たくさん撫でるだろう」
「触れ方が違う」
「そういえば、びゃくも半端な変化はやりたがらないな」
濡れた手を拭きながら振り返れば、縁側で大の字となっている
「俺たちは神だ。半端者とは違う」
中途半端に混じった姿は妖らしいだろうと、
「今のこの姿も、雪乃がヒトとして生きる間だけだ」
「私の身が朽ちたら、狐と蛇に戻るのか?」
九尾に手を引かれて家の中を進む雪乃を見つめ、寝転んだままの
彼らが人の姿を取るようになったのが雪乃のためであることは、理解している。
雪乃個人としては、彼らがどんな姿でいようと構わない。
だが、街中を歩く時などは特に、男の姿が隣にあるのとないのでは大違いなのだ。
雪乃は良くも悪くも、引き寄せやすい。
「まだ先のことだからと、あまり気にしていなかったが、私はどんな姿になるのだろうか」
寝そべる
雪乃は素直に腰を落ち着けて、九尾の膝へ両手を置いた。
「
「我らと近しい存在となるが、同じになるわけではない。精神体としての姿は、ヒトの頃と変わらないはずだ」
九尾が補足する。
なるほどと頷いてから雪乃は目を閉じ、体から力を抜いた。
「ならば余計に、ヒトである内に出来ることをしておくべきだな」
背中を包み込む温もり。
鼻腔を通り肺を満たした、清涼な空気。
ひやりとした指先が手の甲へ触れる感触で、目を開ける。
視界に入ってきたのは、白い肌に長い黒髪を持つ男の顔。白い蛇の姿よりも見慣れてきた
「存外、お前たちとの生活を、俺は気に入っている」
九尾よりも低い声が、黒髪の男の、薄い唇から紡がれる。
「今は、お前たちと共になら、消えるのも悪くないとすら思っている」
雪乃の背後にいる九尾は、静かなまま。何も言わないということは、九尾も、
雪乃はくすりと笑い、九尾と
「私も、それは構わない。ただ、少しでも長く、お前たちと過ごしたい」
体温が異なる男たちの手。
指を絡ませ、手をつなぐ。
「雪乃は存外、強情だ」
雪乃の背後から、九尾が顎を雪乃の頭頂部へと乗せた。
「雪乃自身の、ヒトとしての生だ。好きにやれば良い」
片側の口角を上げて笑った
男たちの手は握ったまま。
彼らはそれぞれ、雪乃の手を握り返す。
家の中を通り過ぎるのは、冬の気配をまとう風。
微睡みを誘う柔らかな時間は、優しく静かに、過ぎていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます