暁の星がまたたく前

三屋城衣智子

暁の星がまたたく前

 空気を切りさくような、皮膚ひふを縄か枝のようなもので打つ音が部屋の中にこだまする。


(ーーーー痛い!!)


 バシン、バシン、という繰り返しの音の後、ついで肉の焼ける奇妙きみょうな音色がひっそりとひびいた。


 焦げた皮膚の匂いは少女の鼻をくすぐったようで、顔が一瞬いっしゅんゆがむ。

 少女をむち打ち焼いているのはコケた頬のやせ細った女である。年の頃はいつぐらいだろうか、つやめきのない髪は幼くも、また老齢にも見えた。


 女はどこか薄らぼんやりと笑っている。ただひたすらに、終わることのない歌のように。彼女の体をじわりじわりとめ付ける、くさりのように。

 少女は女を知っている。だのにまるで知らない人のような顔をしてその女は何事かをブツブツと少女に話した。


 それは少女をまるで痛めつけるかのような戯言ざれごとだった。

 けれどあたかも少女を救っているかのようにも、見えた。

 女はなおも夢か現か嘘か誠か、幻があるかのように今をうたう。


 まるでそれが命というように、小鳥がくのと同じように。




 今日も夜明けのその先まで、ただひたすらに何かを話し、けれどその女は泣いているかのようだったーーーー。




 ※ ※ ※




 この街はリーファン。

 大陸の中央にあって一の月からの月は寒く、五の月からななの月までは雨が降り、八の月は乾いた風が砂を運んでくる。砂を毎日はくのが重労働じゅうろうどうのその月が終われば、やっとの月からおだやかな花の咲く季節が続く。十二の月が終わればまた一からの繰り返しである。

 今は八の月も終わりに差し掛かっていたが、まだ日差しはきびしい。


 この町があるルルメリア王国はガルシアという大陸にあって、少女はそこに生まれ、住んでいた。

 少女はこの町以外のことを知らない。知っているのは行商のおじさんなどから見聞きしたもの、それのみである。他にも大陸はあるが、そのこと自体を少女が知る手立てはなかった。

 街は城下町という。王様のお城の近くにある街を住人達はそう呼んだ。けれども少女はそのこと自体にさして意味を持たせていなかった。大切なのは、死なずに生きることだからである。


 数えて十一のその少女には、この街の、石畳いしだたみ続く家の近くが世界の全てであり。また彼女は、それで良い、と思っているらしかった。




 少女は今、街角の果物売りのおばさんに挨拶あいさつをしながら急いでいる。どうにもその日に食べるご飯が足りないらしい。ほうぼうをかけずり回り、野菜くずや食事屋の売れ残った料理が捨てられた場所から、口にすることのできそうな物を手に入れようとしていた。

 どの位街を走り回ったか。少女はやっとの思いで、二人分、一日どうにか食いつなげる量を見つけることができたらしい。日がてっぺんへと昇る頃には、ロウで水もれ止めをした麻の袋いっぱいに、食料が入っていた。


(これで今日と明日、何とか食べられる)


 少女はほっとしながら、家へと足早に向かう。待つ人がいるのだ。


「あら、今日はもう帰るのかい?」


 朝行きがけに挨拶あいさつをした果物売りのおばさんが、顔見知りの気安さで少女に声をかけた。


「……今日と明日分は、手に入ったから」


 ボソボソと少女は話した。よく見るとさほど食べることができていないのか、その手首や頬は、育ち盛りとしてはややほっそりとしている。

 力なさげにしゃべるのはいつものことなのか、おばさんはさして気にすることもなく会話を続けた。


「そうかい。ま、これ持ってきな! お母さんによろしくね」

「うん、わかった。ありがとう」


 おばさんが、インジル|(いちじく)を二つほど投げて寄越してくれたので受け取りながら、少女はお礼を言うなり家へと向かった。じりじりとした太陽の光が頬に暑い。濃い影を落としながら歩くと、やがてこじんまりとした石積みの家にたどり着いた。

 石を積んだだけの質素な四角い家屋は、分厚い壁がさえぎるとあって中は少し涼しくなっている。

 食材を運び終わった少女は、一息つくのにやはり同じように石でできた椅子に、調理場へと袋を置くなり腰掛けた。

 換気のために開けていた窓からの風に乗って、キィ、キィ、という木の軋むような音がしている。どこからかというと、それは下層の住人にしては珍しい、少女のいる部屋から続いている二間目からのようだった。かすかに、歌のようなものも聞こえてくる。


「貴方様、貴方様、今日は美味しいエキメッキ(パン)が焼けましたのよ」

「貴方様、貴方様、お花をどうもありがとう。私からはどうぞこれを」


 その声はとてもか細く、けれどとても楽しそうである。少女は少しうつろな目で聞いていたが、やがて夕飯の準備のために立ち上がった。


「お母さん、今日はエキメッキとキョフテ(ハンバーグ)が手に入ったから、準備するね」


 返事を期待するふうでもなく、続き間へと目もくれずに声だけを投げかける。相手の言葉は、少女に関係なく続いている。いつものことなのか、流れるように少女は食事の準備を始めた。




 ※ ※ ※




 次の日。少女は食事屋の軒先のきさきの砂をはく仕事をなんとかもらうことができ、開店前までに、作業を終わらせることに注力した。

 仕事を終わらせると、少しばかりのお金をもらうことができた。焼きたてのエキメッキを二つばかり買えるお金だ。それを持って少女は薬を買いに行くことにした。母はもう長わずらいだから少しでも良くなってほしい、との彼女の切なる願いらしかった。

 少女は取られてしまわないようにと両手の中心にぎゅっと握ると、なるべくならず者がいない道を選んで歩く。

 今日も日差しは暑い。乾いた風は少女の体力を根こそぎうばわんとでもいうように、ふいている。少女は右に左にと秘密の通路でも知っているかのように歩みを進めていた。次は右、と足をすすめたちょうどその時。


「その先はやめた方がいいぜ」


 いきなり少女へと声をかける者が現れた。


「ジェミル。なぜ?」

「そっちはさっき自警団のやつがうろついてたぞ」


 見るととしが同じくらいの少年が壁に背を預け立っている。少女と同じく、少しほっそりとした体に、目だけはギラギラと大きく光っていた。少年のことを、少女は知っているようだ。


「え、」

「また殴る獲物えものでも探してんだろ」

なぐられるのは困る」

「その手、お金もあるんだろ? 巻き上げられないよう気をつけろよエメル」

「ありがと」


 言い切って満足したのか少年――ジェミルは少女が来た方の道へと足を進めて見えなくなった。

 少女――エメルは、その背中を少し見送った後、曲がろうとした十字路を真っ直ぐへ進路を変えて進むことにしたようだ。忠告を受けて、帰宅はおおむねうまくいっていた。エメルも大体の悪さをする人達のたまり場は知っている。


 けれども。

 

「あれぇ? どうちたんでちゅか、ここは赤ちゃんの来るところじゃありませんよ?」


 背後から両腕をつかまれ上空へと引っぱられた。


「あっ!」


 エメルが手に持っていたお金が、無惨むざんにも宙に舞いチャリーンという音と共に四方へと飛び散った。それを他のならず者が無遠慮ぶえんりょに拾う。


「返してっ」

「やーだね。俺が拾ったんだ、好きにさせてもらおう」

「ってことだ。赤ん坊は帰った帰った!」


 言われるなり突き飛ばされ、ついでにとばかりにほうぼうから足が飛んできた。


「っぐ!」


 容赦ようしゃのない力にエメルの体はまるでかえるのように跳ねた。そうしてしばらくならず者たちは好きずきエメルをっていたが、やがて動かなくなったと見てとると、満足したのかはなれていった。

 エメルはピクリとも動かない。呼吸はあるが瞼が閉じているため、どうやら気絶きぜつしたらしかった。




 ※ ※ ※




(痛い…………)


「っげほっ!」


 自分の咳をきっかけに気づいたエメルが上体を起こすと、あたりはひっそりとした暗闇に染まっていた。辺りを見回し人気のないことを確認すると、体がまだ痛むのかもう一度仰向けに寝転ねころがる。


 見上げた空には、数多の星がまたたいていた。


 上空には、いつもある丸い光の大きいのが一つ、小さいのが二つ、仲良く並んでぼんやりと薄赤白うすあかじろく、くるくると回っているのが見える。


「あれ、何ていう名前なのかなぁ」


 エメルは天体のことを知らない。教えてくれる先はない、それはこれまでも、この先も変わることなどないように考えたのか。大事なお金を取られたのも相まって、何だか少しだけ情けなく思ったのかまなじりから涙がつたう。

 エメルは声を殺して泣いた。

 迷惑と考えたのではなく、この時間にこんなところで泣いていてはむしゃくしゃしたならず者の、にになるからだ。


「……負けるもんか」


 つぶやいて両手の甲で目をこすると、エメルは体をゆっくりと起こして立ち上がった。ふと見ると、道脇の石影に光るものがある、拾ってみると一枚取りこぼしたのだろうお金であった。エメルはそれを大事そうに握った。そして確かめるようにまずは一歩一歩、石畳いしだたみの地面を踏みしめる。

 一歩一歩確実に、そしてその小さくも広い背中は、闇に紛れて消えていったのだった。

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