第21話 追憶・炎のうえで踊れ④
戦場において、リラン以上に無価値な生き物は存在しない。
唯一の強みであった読み書きの技もここでは出番がない。王の命で文章を書いたとしても、それを受け取って読める者がいない。
戦えない、後方支援の手伝いにもならない、周りを癒せるような愛嬌もない――ならばせめてもの足しにと、リランは薬草を摘んで薬をつくる他なかった。
それとて気休めに毛が生えたようなものだ。
なにせ戦場で、怪我人は続々と生み出される。
リランの子供の足で行動できる範囲の薬草などすぐに乱獲してしまって、それでも到底足りはしない。
結局、リランが一番役に立ったのは、死者の葬送歌をうたう時だった。
なにしろ未開の国アラトヴァには神の恩寵が薄く、心力を持つ聖女や神官は少なく、その中で戦場に同行するものはもっと少ない――というか三人しかいない。王族の側仕えや戦勝祈願の祈祷に駆り出されて、続々量産される死者の葬送などには回ってこない。
だからリランは、代わりに祈り、歌った。
要請があればどこへでも行ったし、なければ墓地へ行って葬送の歌を、怪我人の天幕へ行って快癒の歌を。
はじめは戦場をうろついている子供を見て、ギョッとされるかあからさまに警戒されるかのどちらかだった。
でもじきにリランの存在が認識されると、むしろリランは歓迎されるようになった。
まだ聖女として正式に任じられたわけでもない、無口で愛想もない小娘が、「よく来てくれた」「待ってた」と迎え入れられるのだ。
(いいのかしら、野良聖女をありがたがって)
はじめは疑問だった。だが兵士たちと接するうちに、少しずつわかってきた。
蛮勇で知られ、お世辞にも敬虔とは言えないアラトヴァの民でも、死後の世界は恐れている。
死に際の祈りも、死後の葬送も祈祷もなく死んでゆくことがどれほど恐れられているのか、彼らと話すうちにリランは学んだ。
(たみは、これがふつうなのね。しをおそれ、いのりをもとめるのが……)
かつて聖女であったリランには、その感覚がわからない。
一度聖女となった者にはその時点で神のお眼鏡にかなっているのだ。神に認められ聖女になった段階で神の恩寵を得たに等しいし、そうなれば死後の世界で荒野を永遠に彷徨ったり、化け物に苛まれることはない。
その時、ふとリランは思った。
(わたくしは、どうしてうまれかわったんだろう)
ただびとは祈りなく死ぬことを恐れ、死後の世界を恐れる。
リランは前世であのような死に方をして、でも転生し、二度目の生を与えられた。
(神は、わたくしになにをもとめているのでしょう)
それがリランのはじめて抱いた、疑問、だった。
*
戦場の兵士たちは気性が荒く、とくに敵側と交戦した直後などは気が立っている。とはいえ治癒も葬儀も、出番が増えるのは戦闘の直後だから、リランには関係ない。
戦場を女がうろつけばどんな目に遭うかはもちろん知っている。
ただリランは年頃の娘ではなく愛想のない幼女だし、なぜだか「王のお気に入り」と周りからは見なされているので今まで暴力を振るわれたことはない。それに、今では炎を操れるので、リラン自身本当の意味で身の危険を感じたことはない。
冷淡の権化のようなリランだけれど、兵士たちはやたらと喋りかけてきた。退屈なのか、話し相手に飢えているのか、どちらなのだろう。
「たいしたもんだなあ、あんた。大の大人だって気絶するような傷だったのに、平然としてやがる」
「はじめ見た時からただもんじゃねえと思ってたぜ、ほら、陛下に名乗り出た時の」
「ああ確かに」
「気のせいじゃない、兵どももぐんと死ぬやつが減って、こりゃ嬢ちゃんのお祈りのおかげだって皆言ってるんだ」
まさか、とリランは思う。死すべきさだめの人間を生者の世界にとどまらせる力など、自分にはない。
とはいえ、都合良い解釈で勝手に士気が上がるなら、わざわざ否定することもない。
「わたくしは、かごをさずけただけ。かんしゃするのなら神にいのりなさい」
「こんな場所じゃ、見えない神より見えるもんにすがる方が百倍マシさ。だいいちやる気が違う」
「そりゃそうだ。嬢ちゃん相手に祈ってる方がいい」
冗談交じりに、男のひとりが言った。
「なあ嬢ちゃん、ちょっと神様に祈って、敵の奴らを滅ぼしてもらえんかね」
ぎゃははは、と笑い声の輪唱。だがリランは笑わず、真剣にその考えをこねくり回してみた。
(わたくしがてきぐんをほろぼす。それができれば、たしかに、はやい)
だが、現実的ではない。
聖女の力は万能ではない。身の回り、手の届く範囲程度にしか効力をあらわさないし、その威力の強さも限られる。リランの操る炎の威力はとても強いが、戦の優勢劣勢をひっくり返せるほどの圧倒的なものではない。
(聖女のちからも、おもっていたよりやくたたずね。わたくし、なんのためにうまれかわったのかしら)
何のために。
戦場へ来てから、その問いは頻繁にリランの心に生まれるようになった。
はじめは、国王が『リエランティアの王』の生まれ変わりではないかと思い、確かめるために王に仕えたいと名乗り出た。そして未だに、生まれ変わりだとも、違うとも、確証は得られていない。
近頃は目の前の日々を送ることに夢中で、王の魂を確かめるという目的さえ思い出すことが稀になっていた。
(まんぞく、してしまっていたのね。いまのかんきょうに)
城での生活は楽しかった。書庫にこもって書物を漁るか、王からの依頼で文章をしたためる。たまに神殿へ赴いて祈る。たまに王がやってきて、とりとめもない話をして帰っていく。
平凡で、変化のない日々は、それはそれで楽しかった。前世では望めなかった、普通の人生。戦続きの日々からは遠く、命を狙われることも、怪我をすることもなく、裏切りに心すり減らすことも、暗殺を警戒してピリピリすることもない、毎日。
こんな生き方も悪くないと、気づかぬうちにリランは思うようになっていた。それに、国王がかつてのリエランティアの王であるのか、答えが出たところで今更何になる、という気持ちもあった。
今更復讐したいわけでもないし、未練があるわけでもない。真実が判明したとしても、ああそうなのか、で終わってしまうだろう。
(わたくし、なにがしたいのだろう)
いまの環境に不満はない。
だが、意味も、目的もない。やりたいこともなく、ただ過ごしているだけ。
(こんなものでいいの? わざわざ神ににどめのじんせいをあたえられて、なにもしないままダラダラとして)
初めて、焦りを感じた。このままではいけないと強く思った。
このままただ与えられた仕事と役割をこなし、成人になり、正式な聖女になりたいわけではない。といって俗世で結婚し、子育てをして家庭を持ちたいとも欠片も思わない。
かつてのリエランティアは、こうではなかった。やりたいことも、夢も、次から次へとわいて来て、時間も資金も人手も足りないと年中王と嘆いていた。思い通りに行かないことばかりで、期待を裏切られることも、自分の力不足に泣くこともたくさんあった。
それでも、そんな生き方を後悔したことも、このままでいいのかと不安になったこともなかった。
自分の生き方を疑うこともなかった。聖女として王に仕えること、王の夢を叶える手助けをすることこそがおのれの役割、そのために生まれて来たのだと信じていた。
いまのリランには、それがない。何のために生きているのか、わからない。ただ目の前の環境に適応して、やりたいことをやって、周囲からの期待にも卒なく応えて、快適な立場を与えられているだけだ。
「はずか、しい」
リランには軸がない。国王のそばにいれば何かが変わるかもしれないと思い、環境を変えただけで満足していた。
きっとこのまま、ずっとリランは時間を無為に過ごすだろう。そのうち何か目標が見つかるかも、そう思いながら。
(そんなの、いや。なさけない)
だからリランは、決めた。
この戦が終わるまで、何でもいい、やりたいことを探すと。
それが見つからなければ、黙って国王のそばを去ろうと。
賢女イリスの覚え書 二枚貝 @ShijimiH
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