第20話 追憶・炎のうえで踊れ③
何事にも想定外のことは付き物だ。
王宮への同行を許されたのはよいものの、リランが我ながら予想外だったことがふたつある。
ひとつは、一時の興奮がすっかり冷めてみると、王は思っていたほどかつての主と似ていなかったこと。
そしてもうひとつは、王の役に立つと宣言したものの、肉体年齢は7歳の小娘が役立てることなど皆無であったこと。
王はリランに何かを要求することはなかったが、周りの者は違った。王が視察先で拾ってきた小娘を当然うさんくさく思い、疑いの眼差しで見ていたし、お前には何ができるのだ、という表情を隠しもしない。
アラトヴァはまだ豊かな国とは言い難い。小娘ひとりとはいえ、役立たずの無駄飯ぐらいを積極的に迎え入れる者は王宮にもいない。
周囲からの「何だこいつ?」の視線から逃れるためにも、何かしらの仕事を得たかったのに、仕事を任せてほしいと何度繰り返してもまともに取り合われない。
(だったら、かってにしごとをさがしましょう)
そこで料理場や仕立て部屋、洗濯部屋など考えつく部署を順に回っていったが、すべて断られた。
こうなったら、炎を操る聖女の力で厨の煮込み料理の火の番でもしようかな———そんな覚悟すらしかけたリランだったが、むしろ意外なところに、リランの有効活用法があった。
未開の国、蛮族の国とうたわれるアラトヴァは、リエランティアが生きていた頃と教育レベルで大きな進展がなかった。
つまり、王侯貴族であろうと、字の読み書きができる人間が少ないのだ。
一方のリランは読み書きができた。
先の人生で、かつての王に教わったから。
王の重臣たちもこれには目を見張った。貧しい寒村で浮浪児すれすれの暮らしをしていた子供が、文字を読み、書くことができるとは。
リランが字を書けると知った時、王はあの無愛想な顔にわずかに喜色を浮かべ、すぐさまリランに王の第一書記官の役職を与えた。言うまでもないが、万年人材不足のアラトヴァに、第二第三の書記官など最初からいない。
べつにリランは読み書きが好きなわけではない。ただ、今のアラトヴァで圧倒的に希少かつ求められている能力だったから、これを活用しないわけがなかった。
そしてもうひとつ、リランに芽生えた新たな野望があった———書記官として王のそばにいれば、貴重な文書を読む機会だってあるだろう。
たとえば歴史書。たとえば詩歌。
たとえば、かつての主がその後どのような人生を送ったのか、記された記録。
リエランティアが死んでから、こうしてリランが転生するまでの間、どんなに少なく見積もっても百年は経っていた。戦に明け暮れるこの国では、まともな歴史書など存在しない。歴代の王のなかで、民の間で人気のある者だけがバラッドになって歌い継がれてゆくくらいで、数代前の王のことなど誰からも忘れ去られているのが普通だ。
だからこそ、リランは一縷の望みを王宮文書に見出した。かつての主は武より文のひとだった、だからこそ、彼がリエランティアの死後に遺した文章だって、城のどこかにあるかもしれない。
いまとなっては故人であるあのひとが、なぜリエランティアを処刑したのか———知る手がかりがあるとするなら、彼自身の遺した記録にすがるしかない。
書記官の身分を得たリランは、城中にある書物を読みたがった。なんでもいい、アラトヴァにあるすべての書物に目を通したいと。
リランが乞えば、王はためらわずにそれを与えた。宝物庫に放り込まれていた書物、商人から取り上げた祈祷書、降伏した貴族から献上された詩集、誰が書いた物ともしれない手記。———多くは、剣と流血によってあがなわれた。なんといってもこの国には、潤沢な資金があるわけではない。
戦のたび、遠征のたび、小競り合いの仲裁に出かけるたび、王はリランのもとへ新たな書物を持ち帰った。王宮の一室には、やがてはリランの背をはるかに超える高さで、貴重なはずの書物が山と積み上げられた。
何でもいい、一文字でもいい、かつての主の手がかりが欲しくて、リランは寝る間も惜しんで文字の列を追った。灯り用の油がもったいないから、夜はすぐに寝て、日の出の前には必ず起き出す毎日だった。
「お前は熱心に学ぶのだな」
王は言ったが、それは正確ではなかった。
リランは本など好きではない。それでも、かつての主を知る人がとうに死に絶えている以上、一縷の望みをたくして書物をめくるしかないのだ、この国では。
「わたくし、もっともっと、しらなければなりませんから」
それ以上のことをリランは語らなかった。
*
国王はリランの教養を高く買っていた。血で血を洗う戦ばかりのこの国で、剣技自慢はいくらでもいるが、読み書きのできる者はそれよりもはるかに少ない、そう言って。
(へんなおひと)
リランはいつも思う。確かに書記官がつとまる人間は稀少だが、だからといって7歳の子供に重要な書類を任せるという発想は、普通ではない。
王は、巷で言われているような戦好きの武力馬鹿ではないと思う。
王宮へ来て半年ほどが経ったが、日ごとにリランは、その確信を強めていた。
寡黙で言葉の少ないひとだが、しっかりと自分の頭で考える習慣を持ったひとだ。一時の感情や目先の利益で判断せず、数手先を見て行動できる人物。
ひかえめに言っても、王としてかなり優秀であるとリランは思う。
(おしいことね、もし陛下にじゅうぶんなじんざいさえそろっていれば、こくないをまとめることなんてあっというまでしょうに)
ふとした拍子に、やっぱりリランは思い出してしまう。かつての主も、玉座につくまで、人材集めで苦労していた。あの時代のアラトヴァに傍流の王族として生まれ、自身の武力より知恵を頼みにしていた彼は、はじめはなかなか理解されなかった———。
(やっぱり、にている、かもしれない。でも、にていないかもしれない)
王のそばで過ごす時間が長くなるほどに、王のことがよく分からなくなる。
かつての主と王の共通点をひとつ見つけては、正反対の部分をひとつ見つける。その繰り返しだ。
あのひとの生まれ変わりかもしれないと思った直後に、やっぱり違うと考えて、でもと打ち消して。結局、いまだに結論は出ていない———王の魂が、どうしてあんなにかつての主と似通っていたのか。
(だから、もっと、陛下のことをしっていかないと。まだ、たりない)
リランは何度も夢想する、王が真実、かつての主の転生した姿であったらと———そして、うれしさと怖さとに背筋を震わせる。
リランは今でも、かつての主に会いたいと思っている。
けれどあのひとは、リランの存在が不要になったからこそ、その口で処刑を命じたのだ。
早く答えが出てほしいと思いつつ、答えが出ないことにリランはほっとしてもいる。自分でも矛盾していると思うけれど。
リランが国王のもとに来て1年を過ぎる頃、ついに国王の遠征が決まった。期間は長期に渡り、どんなに順調に進んだとしても半年は国内に戻らないだろうと思われた。
リランは当然、国王の遠征についていくつもりだった。だが、当の国王がそれを良しとしなかった。
なぜ、と、リランはもちろん訊ねた。すると王は、どうしてそんな当然のことを聞くのか———そうありありと表情に浮かべて、言った。
「お前は子供ではないか」
心外というより他なかった。
だいたい、リランのことを一年間も書記官として遇しておきながら、今さら子供だの何だのと言い出すのか。そんなつまらぬことを気にするひとではないと思っていたのに、裏切られたような気分だった。
リランは例の舌っ足らずな口調で、今までにないほどに長口舌を振るった
「陛下、もうしあげます。わたくしはあなたのやくにたつことをねがって、あなたさまのもとにまいりました。
そうであるいじょう、陛下のそばをはなれることなどかんがえてはおりません。
わたくしのからだの小ささは、わたくしののうりょくとはかんけいがありません。
そのことをおみせできていなかったのはざんねんですが、これからしょうめいさせていただきます。ですから、どうぞ、わたくしもおつれになってください」
このような口調で、ある意味口から出任せ、勢いそのままに語った。
今度は国王が目を丸くする番だった。
それまではどちらもと言えば、リランも国王のことを言えないくらい寡黙な、子供らしさの一切ない子供だった。言われた仕事は黙々とこなすが、城内の人間とは積極的に関わらず、空いた時間はすべて書物に費やして。
事情はわからないが王に自ら望んでついてきた、奇特な子供だ。書記官として従順に、王の命令に従ってきた。
それなのに、いきなりどういうことだろうと王が面食らうのも無理もない。
そこまでして戦場について行きたがる子供がいるものか。
「お前は戦場を知らない。あそこは子供が興味半分に出入りするような場所ではない」
王の低い声はあくまで平坦で、言い諭すような口調であった。
リランは、戦場ならば知っている、と言おうとして、やめた。言ったところで、国王は納得しないだろう。実は百年前の聖女の生まれ変わりで、と明かしたとしても、到底信じてもらえるとも思えない。
ならばあくまで、リランは別の攻め方をするまでだ。
「陛下。いっこくのおうが、せんじょうへおもむくのに聖女のひとりもどうこうしないおつもりですか」
それは確かに国王の痛いところをついた。この国の人材不足は深刻で、王はまだ自身に仕える聖女を見つけられていない。ほんのわずかに、王は苦虫を噛み潰すような表情を見せた。
だがそれも一瞬だけだ。王はすぐに、いつもの無表情に戻ってしまう。
リランは注意深くその顔を注視したが、なんらかの感情を見出すことは難しかった。
「確かにな。だがその弁に従えば、まだ正式な聖女でもない子供を伴ったとして、それがどれほどの戦意高揚になるかは疑問であるが」
やはりやりづらいと、リランは思う。情は通じないし、理屈で行けば理屈で返される。もとよりこの人は、愚かではない。ただの蛮族の王などではない。
だが、リランとてここで引き下がりはしない。
リランに勝機があるとすれば、王のようなタイプの人間の扱いは前世で経験していることと———そして王があくまで、リランを年端もいかない幼女として扱おうとしていることだ。
リランは幼さを理由に聖女として任じられていないだけで、能力に不足があるわけではない。希少な心力を持ち、操れるだけの素質があることは王にも認められている。
「アラトヴァにひつようなのは、おひめさまのようにせんさいできよらかで、きずひとつない聖女だとでも?
ちがうでしょう。この国にひつようなのは、王のとなりにあってさえみおとりしないほどの、つよい聖女。ちがいますか」
王はなおも何か言いたそうな顔だ。
「伝えておくが、戦場はそなたの考えているような場ではない」
「おことばですが、いくさばのなんたるかくらいしっています。したいあさり、しょうふ、うらぎり、どれいがり、ふくしゅう、それから?」
「そなたが書物で読んだだけで知った気になっている知識とは違うのだ」
「わたくしがせけんしらずだとしても。じぶんのみくらい、まもるちからはあります。———それにわたくしをおいていったところで、かってについていきますよ?」
王はいかにも納得していない表情だった。だが、最終的には折れた。納得したからというよりは、遠征を控えて、リランごときとの押し問答に時間を割きたくなかったのだとは思うが。
そうしてリランは、王の最大の遠征に付き従うことになった。この時はまだ、リランは聖女とは呼ばれていなかった。
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