ラベンダー色のソーダ水を僕にくれないか

桑鶴七緒

ラベンダー色のソーダ水を僕にくれないか

雨水。


この頃の空はどうも不機嫌で厄介だ。家を出ようとすると降り出すし止むかと思い社内の窓を開けてみれば突然降り出す。梅雨にしてはまだ早い八十八夜が過ぎて少しだけ湿気があがる今日の空。

そろそろ子どもたちを迎えに行く時間が迫ってきた。


予定通り退勤をして会社から近くにある保育所に行き園庭のところから遊技場の子どもたちの姿を見つけると、こちらに気づいて走ってきた。年子の息子と娘を抱きしめると2人は嬉しそうに僕を抱き返す。

先生方に挨拶をして園から出ようとした時にまた雨は涙を流すかのようにふりだして、3人で駐車場まで走り出した。子どもたちを車に乗せて家路へと向かう途中スマートフォンが鳴り出したので、ハザードランプを出して路肩に停車し電話に出ると、かつての高校時代の同級生から久々に会いたいと話してきた。


詳しい話を自宅に着いてから改めて話そうと言い電話を切った後に再び車を走らせ、1時間後家に着いてから先程の同級生と話をし再開すると同窓会の出欠を取りたいと言い出してきた。

初めは育児や仕事が忙しいから行けそうもないと伝えたが、彼からある同級生の名前を聞いた瞬間、僕はあることを鮮明に思い出していた。電話を切り、リビングへ行くと妻が夕飯の支度をしていたので一緒に手伝いその時彼女は電話の件で話をかけてきた。


「大和。常盤大和覚えている?」

「うん。その人がなんて?」

「同窓会をしたいから俺も参加してくれないかって」

「行くの?」

「ああ。だから悪いんだけど当日母さんの所に子どもたちを預けてくれないか?」

「わかった。あとでお義母さんに連絡しておく」


妻とは高校時代の部活の同期生。その縁もあって結婚し、今の子どもたちを授かった。あれから15年経ったのかと思うとすでに遠い記憶の中にあの校舎や人々の匂いを感じるような画が浮かぶ。

就寝時、先に寝かしつけた子どもの寝室から出て妻と2人で当時の話に話題が盛り上がった。僕は卒業アルバムを本棚から取り出して同級生たちの顔を見ていると、1人の女子生徒の名前を見つけて手先が止まった。


新月の揺らぎを見せる崩壊と再生。


僕はあの頃の自分を照らし合わせるように口元を手で触れる。2年生の時修学旅行で行った北海道の内陸にあるラベンダー畑が広がる一帯が瞳の奥に蘇り、あの時に飲んだラベンダー色のソーダ水の味も思い出す。

そうだ、僕が飲もうとしたソーダ水をあの彼女がストローに口をつけて奪って飲んでしまったんだった。

咄嗟の出来事で不発的に終わってしまったよくわからない思い出。些細な事だったけどあれは僕にとって彼女との距離を縮めてくれたきっかけになった。


僕はソーダ水が好きだ。たまに子どもたちが買い物ついでにソーダ水が飲みたいと言ってくる時がある。開封するとプシュっと空気が出て中の炭酸が弾け出し膨張して溢れそうになるところでグラスに注ぐ。

種類にもよるがこの炭酸の弾ける強度が違うと喉の潤い方も絶妙に変わってくる。特別こだわりがあるわけではないが、ソーダ水の機嫌を伺うようにグラスを眺めて弾けて消える泡を見ているのも心をくすぐるので悪くはない。


数週間が経った頃、母親の元に子どもを預けて同窓会の会場先のレストランへ行き、ドアを開けた瞬間にすでに到着していた同級生たちと顔を合わせると懐かしさに浸っていた。時間が逆行して一瞬で当時の自分たちの頃に戻りながら会話は進む。カウンター席に座っていた数名の女性がこちらに向かって話しかけてきた。その中にソーダ水を取り上げて飲んだあの彼女もいた。


「ラベンダー色のソーダ水?……ああ、飲みかけのやつを私が取ったって話だね。そんな事あったよなぁ……」

「あれから10年か。そりゃあ忘れるよね」


さすがにその出来事はほとんど覚えてないようだった。でも僕は、そのソーダ水の回想がどれだけ自分に救われたか密かに彼女には感謝しているのだ。


甘酸。


それはまるで僕にあの場所へと連れていくように彼女との距離を縮めていくように記憶が遡っていった。


深緑の森林の国道を颯爽とバスがひた走る。野原が広がる道に入ると二藍に近い紫色の風景が視界に入ってきた時みんなの歓声が車内に響き、到着した時は昼を過ぎていた。

担任の先生が集合時間を告げた後一斉にバスから降りて、晴天の下グループ班に分かれて球場並みの広さはあるだろうラベンダー畑を歩いていき緩やかな傾斜を眼下に十勝岳から流れてくる風を感じていた。


写真も沢山撮り、少しだけ体が汗ばんできた頃数人の同級生が喉が渇いたと言ってきて、案内所のとなりにある土産処の店に入る。

そこで真っ先に目にしたのがラベンダーのエキスが入ったソーダ水。みんなが他のジュースやソフトクリームを注文しているなか、僕は迷わずソーダ水を選んだ。


店から出でベンチに座り一息ついては軽く雑談を交わしては笑い転げる。別の女子生徒のグループがやってきて僕の後ろ側に立ち、ジュースが飲みたいという声を耳にする。向こうも会話に花が咲き笑顔が絶えないなか、何かのはずみでじゃんけんに勝ったようで1人の女子生徒が軽くジャンプしていた。そうしていると彼女は僕に気づいて声をかけてきた。


「何飲んでる?」

「これ?ラベンダーソーダだよ」

「綺麗だね。おいしいそうだな……」


彼女はじっと僕の持っているソーダ水を眺めると自分も買いに行こうとしたらしく、友達に店内に行こうかと告げた時、何を思ったのか僕にどんな味が知りたいと言ってきて手に持っていたソーダ水を奪い、さらにストローでそのソーダ水を飲みだした。

慌てて声をかけたが彼女はあっという間に飲んでしまった。


──ああ、そこまでして飲みたかったのか。僕は肩を落としては買い直してきてくれと突っ込んで笑いを取りながら茶化す。そうこうしているうちにバスに戻る時間が迫ってきて僕は先に友達と戻ろうとした時、彼女は少しだけ時間をくれないかと言い、店内に向かって走り出し、5分くらい待っていたら戻ってきたのでどうしたのかと尋ねると、ラベンダーのソーダ水を2つ手にしていた。


「これ、あげる。」

「いいのか?」

「うん。ねぇ、このあとの宿泊先でさ自由時間の時に話ししない?」

「ああ……いいよ」


すると先生方が僕らの方に向かって大声で声をかけてきたので急いでバスに戻った。


その晩夕食を終えて大浴場に入り、上がった後部屋に戻ると1人の同級生が先程の彼女がロビーで待っているから早く行けと、顔をニヤつかせながらうらやましそうに告げてきた。エレベーターの横にある客室用の階段を下り1階のロビーに行くと彼女か1人待っていた。


「どうした?」

「昼間飲んだソーダ水……あれ、わざと取ったんだよ」

「結構喉が渇いていたみたいだよな。それにすっごいうまそうに飲んでいたしさ」

「なんで取ったか聞かないの?」

「いや……そっちが飲みたがっていたしさ、別にいいやって思って……」

「ここに来るのはもう2度とないかもしれないんだよ?それをさ、私が取ったことに少しは怒ってもいいんじゃない?」

「子どもじゃないし……いいよ。気にするなって」

「私は意図的にやったんだよな。もう少しは気づいてくれてもいいじゃん」

「え?」

「……友達になってほしいんだ、私とさ」

「友達?」

「うん。そっちのことずっと気になっていてさ……いいかな?」

「どうしようかなぁ……」

「何それひどくない?」

「嘘。冗談だよ。いいよ、仲間になろうぜ」

「仲間じゃない。1人の、たった1人の為だけの特別な友達になってほしい」

「……それってさ、告白ってやつ?」

「そうだよ。なんでそんなに鈍いのさ?」


僕は咄嗟に笑い出してしまい、からかわないでくれと彼女は嬉しそうに微笑む。


こうしてあのラベンダー色のソーダ水のおかげで僕と彼女は特別な友達になった。今思い返すとたくさん遊びに出かけたし、お互いの自宅に行って両親とも親しくさせてもらったんだった。それからはいつの間にか自然に離れていって高校を卒業した頃には連絡も途絶えてしまったんだ。でも名残惜しさはなかった。たくさんの思い出を彼女も含めて作っていけたのだし後悔もない。

またこうして元気な姿を目の前に見れている。そんな彼女も1年ほど前に結婚をしたようで、お腹の中に新しい命を授かっているという。

みんなで改めて祝杯をし終始笑顔でその日の同窓会は終わった。


もう戻る事はないあののどかな四季彩を染める叙情的な風景。その画には残影さえなくても1枚の写実の様に僕の中で永遠に収められていくのだ。


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ラベンダー色のソーダ水を僕にくれないか 桑鶴七緒 @hyesu

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