エピローグ②


 世界歴1410年、人間界では光の粒子が降った。雨のようにも、雪のようにも見えた。聖剣の力は、人間界の大地に染みこまれて、そこで生きる妖精たちの心に残り続けた。

 それは、美しい光景だったと。ネモは思い出す。

 温かい光が世界を包むようにして。四百年前に起こった人間と妖精の、或いは人間を愛する妖精と、人間を拒む妖精が起こした悲劇。それらを拭い去るような。

 ただ、美しいとだけしかネモには分からなかった。降り止んだ直後、ネモが掲げた宝剣は錆びて使い物にならなくなってしまった。それを見て、終わったのだ、と感じたのだ。

 自分が宝剣に望まれたこと。

 宝剣は、満足して眠りについただろうか?

 かつて、妖精界で平和を願ったアデリナという妖精の夢は、まだ、手が届かない。

(でも、いつか)

 ネモも、人間と妖精が分かり合う日を夢見ている。


 世界歴1418年までの8年間で、ネモは体も心も成長した。子供っぽく頭の上で跳ねていたポニーテールはやめて、普段は、長い髪を項のあたりで一結びにしている。自分の変化以外にも、周りは沢山のことが起きた。ディオが妖精界へ向かい一年後、人間界と妖精界で会合が行われて……。

 ネモは、宝剣が力を失ってから、ヒエンと共にルプス村に帰ってきた。今も、ルプス村で母が経営するスコット食堂の手伝いをしている。たまに、ヒエンがやってくる。

 彼女は、ネモをルプス村に送り届けたあと、狐里雲へ向かった。あの場所が落ち着くのと、大蛇の一件でヒエンを慕う者が増えたらしく、時折、お供え物が置かれているのだ。ただ彼女はずっとあの場所に居る訳では無い。あちこち出歩いては、面白おかしく人間と絡んでいるらしくて、ネモはちょっとだけ不安を覚えている。

「あんまり、皆さんに迷惑掛けちゃだめですよ」

 そう、ネモが窘めても、彼女は人を食ったような笑顔を浮かべるのだ。

 二年くらい前に、狐里雲を下りて結婚したカナタが本を出した。言わずもがな、ネモもカナタ達に混じり考えた、少年コユメを題材とした話である。本は、今もスコット食堂に飾られている。

 変化と言えば、王都も今、大きな変化の流れにある。

 現国王が近々王権を譲るらしい。その後継者を探しているという。もともと、この世界の王は、人間界を守るために政を担っていた。強い力を持つ妖魔の多くは四百年前に消えているが、すべての妖魔が、一角獣やヒエンのような考えを持つ訳ではない。街道を外れれば、妖魔の残滓が残っている。

 けれど、それらも、人間の手に任せるべきだと。

 路が閉じ、完全に世界が分かたれる。これまで不安要素だった人さらいも起きなくなる。であれば、妖精たちが人間界を治めるのはお門違いだ。

「子離れ、のようなものだろう。隠居して残りを生きるのも悪くない」

 そんなことを、この世界の王が呟いたらしいことを。ネモは商人たちの噂話で聞いた。

(ただ、多くの人は、この世界に妖精が居ることを知らずにいる。そうして、ひっそりと……妖精は、私達は、歴史に消えていく)

 ネモは、ううん、と思い直した。

(記録さえも残らない。でも、それで良いと思うのです。忘れることは罪じゃない)


 ルプス村の西側の、長い坂道の上。そこを登った先にある見晴らしの良い丘。ネモのお気に入りの場所だ。

 食堂の忙しい時間が過ぎ、ひと段落して、休憩がてらネモはこの場所を訪れた。項の辺りで括っていた髪留めを外す。息を吸い込むと、色とりどりの花の甘い香りがする。

 八年経った今でも、ネモはほとんど毎日ここを訪れた。

 ――戦争は起こらない。ディオが、戦争を止めてくれた。ネモはそう知って、涙が出るくらいに嬉しかった。そして、自分も確かに、宝剣を使いやり遂げたと伝えたかった。

 だからこの八年で変わった世界の話を、毎日少しずつ貯めている。いつか、ディオに再会したときに話せるように。

(別に、何年だって待てます。私の時間は長いから)

 そう思うけど、ディオは違う。不安になる。当たり前だ。自分が知らないところで、もう家庭を持っているかもしれない。いいや、彼はそんな不誠実な人間ではないと思う……。

 信じている。けれど同時に、まだまだ、知り足りない。

 ディオのことをもっと知りたい。

 八年前の、旅に出る日の事を思い出して、少しだけネモは笑った。

「そろそろ戻らない……と」

 そうして。

 ふと、丘に近付く足音に、気が付いた。


 *


 ルプス村の丘の上。ディオが久方ぶりに訪れたその場所は、色とりどりの花が散りばめられ、甘い香りがした。

 ――少女の、いいや、女性の姿を見つけた途端、ディオの中に沸き起こった衝撃は語り尽くせない。綺麗になった。あの幼さをまだ残したまま美しくなった。それ以上に。

(――ッ……!)

 フィラ、と名が飛び出そうになる。

 もう、ありはしない未来の世界。ディオがフィラから、1410年に飛ばす前に言われたこと。

――私達、絶対にもう一度会いましょう。

 ディオはフィラと瓜二つの、長い桃色の髪が、風に揺れる姿を見詰める。

 だとしても、とディオは首を横に振った。首から下げ続けた指輪を服の上から軽く触れ、すぐに離す。

 目の前に居る彼女は“フィラ”じゃない。だから、胸を張って、ディオは彼女の名を呼んだ。

「ネモ、遅くなったが……約束を果たしにきた」

 言い終わるより早く、目の前に飛び込んできた彼女を、ディオはしっかりと抱き留めた。

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君と11年分の約束を果たすまで 蒼葉 @aoba_Y

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